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勇者、或いは化物と呼ばれた少女  作者: 七沢またり


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第二十三話

「おや、ビーンズ先生がこんなところにくるなんて珍しい。一体どうされたんです?」


 ビーンズが極楽亭に入ると、顔見知りの冒険者が声を掛けてくる。

 星教会のローブに身を包むビーンズは、愛想の良い笑みを作って、丁寧に挨拶する。


「いや、ちょっと依頼したいことがありましてね。折角なので、最近話題の方々がいるこちらへと来てみたのです」

「あー、あの勇者の嬢ちゃん達か。かなりの面倒くさがりだからどうだろうな。とりあえず行ってみなよ先生。今なら丁度あそこにいるぜ」

「これは良いときに来れました。それでは、行ってまいります」

「今度怪我したらまたお邪魔しますよ、先生!」

「怪我をなされないよう、十分お気をつけください。壮健であることは何よりの財産なのですから」


 ビーンズが会釈し、よろず業務を担当しているカウンターへと向かう。

 そこでは派手な容姿の女――リモンシーが書類を片手に騒いでいた。

 迷惑そうな顔でその相手をしているのが、ビーンズの目当ての人物達。

 ピンクが特徴の死霊術師エーデル、アート家の娘マタリ、そして災厄の紋章の持ち主にして勇者を名乗る黒髪の少女。

 彼らのことを知っているのは、勇者が意識不明になった際に診察を行なったのがビーンズだからである。

 その時点では、意識が戻る見込みがなかったので安心していたのだが、残念ながら快復してしまった。

 やはり災厄は人間の手で払わなければならないようだ。ビーンズは気を落ち着かせるために一度深呼吸をして、近づいていく。

 リモンシー達の喧しい会話が耳に入ってくる。


「どうして依頼を受けてくれないのよー。断る私の身にもなって頂戴よ!」

「アンタが勝手に受けるから悪いんでしょ! それにまたこれ来てるじゃない。『空を飛ぶ布に覆われた何かが気になって死にそうです。早く何とかして下さい』。そんなに気になるなら自分で何とかしろってのよ! そのまま勝手に死んでりゃいいのよ!」

「ゆ、勇者さん落ち着いてください。ほら、周りの皆が見てますし」

「今日はまた一段とご機嫌斜めなのねぇ。寝起きが悪いにも程があるんじゃない?」

「朝食に出てきた桃を床に落っことしてから、ずーっと機嫌が悪いんですよ。お代わりもなかったみたいで」

「何だ、全部自分が悪いんじゃないの。本当にお馬鹿さんねぇ」

「くっ、ちょ、ちょっと手先が滑ったのよ。……今日はきっとツイてない日よ。何だか嫌な事が続きそう。篭って大人しくしてよう」


 落ち込んでいる勇者を尻目に、ビーンズはリモンシーに声を掛ける。


「お取り込み中のところ申し訳ありません。実は、依頼したい事があるのですが」

「あらー、ビーンズ先生。珍しいですねー、どうぞ遠慮なく仰ってくださいな!」

「ええ、実はこちらの方々への依頼なんですが。体調が快復されたと聞きましたので」


 ビーンズが視線を送ると、勇者達が振り返る。

 視線が合うと、マタリが口元に手を当てる。


「あ、ビーンズ先生! あの時は本当にお世話になりました!」

「何よ、アンタの知り合い?」

「はい、勇者さんが倒れたときに、最初に診てもらった先生です。この街で一番の治癒術の使い手ですよ! 自分の診療所も持ってる、本当に凄い先生なんです」


 マタリの言葉通り、ビーンズは自分の診療所を持つ事を許されている。治癒術と、信仰心を認められなければ開設することは出来ない。その分、診療報酬は自分の物とする事が出来る。ふっかける聖職者もいるが、ビーンズは安価で大勢の人間を診てやっていた。

 それが現在の名声へと繋がっている。ビーンズにとってみれば、端金などはどうでも良いものだった。

 患者の信頼がなければ、“新しい診療”を行なうことは出来ないのだから。


「いやいや、私は何も出来ませんでした。快復なさったのは貴方自身のお力です。何にせよ、身体を労わりお大事になさってください」


 ビーンズが軽く頭を下げると、勇者が訝しげに睨みつけて来る。

 敵意を持たれる様な行為はしていないが、何故か警戒されているように思える。ビーンズは誤魔化すために笑みを作る。


「そういうことなら、勇者ちゃん達も断れないわよねー。先生、何でも仰って下さいな。必ず受けさせますからー」

「実は、私と一緒に地下迷宮に行って欲しいのです。どうしても手に入れたい植物がありまして。薬の材料になるのですが、私でないと判別できないので、現地での護衛をお願いしたいのです」

「…………」


 勇者は無言のままビーンズを見下ろしてくる。見かけは小柄で、力もそれ程でもなさそうに見える。だが決して油断は出来ない。実力は既に証明されているのだから。

 それにビーンズは戦闘が得意ではない。聖職者の中には、棍棒術や格闘術を身に着けている者もいるが、ビーンズには残念ながらその心得はない。だが、治癒術に関しては誰にも負けるつもりはない。

 ビーンズがこれまでに命を救った人間の数は、恐らく五千は下るまい。これからもその数は増えていくだろう。


「勇者さん、私はお手伝いしたいと思います。この前のお礼をしないといけませんし。謝礼を受け取ってもらえなかったんですから」

「……そうなの?」

「ええ、お役に立てなかったからって、無報酬だったのよ。このビーンズ先生はそこらの生臭聖職者とは違うのよねぇ。貧しき者の味方、悩める者達の救世主なんだから」


 エーデルが説明すると、勇者は溜息を吐いて「アンタ達に任せる」と一言だけ呟いた。


「簡単に説明すると、この転移石を使って迷宮中層部に移動します。これはある方から借りた物なのですが、四十二階層を記憶しています。その場所に転移して、治療に使う植物を採取します。恐ろしい獣人達が現れることもあるので、腕の立つ貴方達にお願いしたかったという訳です」

「良く分かりました! 私達にお任せ下さい!」


 マタリが自信ありげに自分の胸を強く叩く。エーデルが帽子を直しながら確認してくる。


「これから直ぐに向かうのかしら?」

「ええ、貴方達の準備が出来たら直ぐにでも。患者は待ってはくれませんからね。早ければ早いほど良いのですよ」

「それじゃあ、一時間後に迷宮広場で合流でどうかしら。それまでに準備を整えるわ」

「分かりました。それでは、前金と仲介料をお支払いします。お受け取りください」

「私達のは結構です。この前のお礼ですから。ね、勇者さん」

「……好きにしなさい。金なんてどうでも良いわ」

「もう、そろそろ機嫌を直してくださいよ」

「ちょっと嫌な臭いがしたから気分が悪いだけよ。……先に部屋に戻ってるわ」


 勇者は小さく舌打ちして、だるそうに階段を上がっていく。

 こちらの真意に感づいたかとビーンズは危惧していたが、どうやらそうではなさそうだ。もしかしたらまだ体調が万全ではないのかもしれない。

 それに気付いていたら依頼を受ける事はしないだろう。このままで問題はないと判断する。


「それじゃ、仲介料だけリモンシーに払っておいてくれるかしら。勇者ちゃんは私が宥めておくから」

「ええ、よろしくお願いします。それでは一時間後、迷宮広場で。先に行ってお待ちしております」


 エーデルの言葉に頷き、ビーンズは深く頭を下げた後、立ち去ろうと踵を返す。

 ふと鋭い敵意を感じて、慌てて振り返る。階段の踊り場で、勇者がこちらを睨みつけている。押し寄せる重圧と敵意にビーンズの身体が硬直する。しかし、しばらくすると視線を外し、勇者は無言で階段を上っていった。

 リモンシーが怪訝そうに首を傾けたので、ビーンズは何でもないと手を上げて極楽亭を後にした。


 ――約束の一時間後。地下迷宮入り口にて合流すると、ビーンズが勇者達に確認する。


「それでは、私の肩に触れていただけますか。これより転移石を用いて移動します。安全な場所で記憶してありますので、移動してから詳しく説明を致します」

「はい、分かりました!」

「一気に四十二階に転移出来るわね。今回は勇者ちゃんの転移石に記憶しておけば、色々と便利かもねぇ」

「はいはい、粉はしっかりと買わされたから心配はいらないわよ。ったく、相変わらず頭にくるわあの門番」


 三名がビーンズの肩に手を乗せる。転移石を掲げると、光を放ち始める。

 十秒後、ビーンズ達は光に包まれ四十二階へと転移した。

 転移後、ビーンズは素早く目を見開き、部屋の奥へ全力で走りこむ。勇者達はまだ目が眩んでおり、現状を確認できていない。

 ここは四十二階層の端にある、冒険者も滅多に踏み込まない袋小路の開けた部屋。毒草が茂っているだけの何の価値もない場所である。薬に転用することも出来ず、触れるだけで破裂するような危険な植物ばかり。

 冒険者の目に付きにくく、誰かを罠に嵌めるにはもってこいの場所だった。

 治療に使える植物など最初からない。勇者の為に用意してやった死地だ。


「放てッ!!」


 ビーンズが手を振り下ろすと、待ち受けていた魔術師達が攻撃魔法を発射する。

 既に詠唱を終えていたため、容赦のない弾幕が勇者達に殺到する。轟音を上げて床が削れる音がする。

 火炎弾、氷結弾、旋風刃といったあらゆる属性の魔弾が延々と放たれ続ける。夥しい量の粉塵が巻き上がり、視界が閉ざされる。それでも攻撃の手は止まない。黒いローブに身を包んだ十人の魔術師達は、今までの鬱憤を晴らすかの如く、詠唱と発射を繰り返し続けた。

 彼らの魔力が尽きると、ようやく攻撃が収まる。いまだ耳鳴りが止まない。

 獣の容姿をした魔術師達は心から満足そうに嗤う。鋭利な牙が裂けた口元から覗く。赤黒く長い舌が見え隠れする。

 ――そう、彼らは人間ではなく魔物である。中層部に棲息する狼獣人、ウルフェイス。

 狼の如き容姿を持ち、人間と同程度の知性を備える。鋭利な爪で急所を狙い、俊敏な動作で相手を翻弄する戦法を得意とする。また、一部の者は魔術さえ行使することが出来る。

 比較的知性が高い種族だが、交渉するのは至難の業だ。彼らは人間を獲物としか見ていない。獲物の言葉を聞く狩人など、古今東西存在しないだろう。

 故に、彼らを使役するなど本来ならば不可能だ。人間の命令になど従う訳がない。

 ――普通の手段ならば。


「そこまでッ! もう十分でしょう、攻撃を止めなさいッ!」


 ビーンズが声をかけ、戦闘態勢を解除させる。未だ攻撃をする姿勢を何人かが見せていたからだ。

 彼女達の最期をこの目で確認しなければならない。可能ならば間違いなく本人と証明できる首、或るいは紋章の記された手が残っているのが望ましい。そうでなければイルガチェフの不安を拭う事は出来ないだろう。

 徐々に煙が晴れ、視界が回復していく。目を見開いて、凝らす。

 ――そこには。

 青白い膜のようなものに覆われた、勇者達がいた。呆然としているのはマタリとエーデル。彼女達は完全に無傷。

 その一方で片膝を着き、口から血を流しているのは勇者。歯を食いしばり、片目を閉じて何かを耐えるような表情だ。


「い、一体何が」

「……魔法攻撃を喰らったのよ。問答無用の不意打ちをね。私も油断していたわ」

「…………くッ」


 勇者が悶絶し、黒い物が混じった血を吐瀉する。雑草が茂る緑の床が、赤黒く染まる。

 マタリが慌てて崩れ落ちそうになる身体を抑える。同時に覆っていた青白い防御膜は、霧のように掻き消えた。


「勇者さん、だ、大丈夫ですかッ!?」

「わ、私は良いから、剣を構えなさい。あの糞野郎は敵よ。悪いけど、ちょっとだけ、回復の時間を――」


 勇者はそのまま倒れこむ。どうやら意識を失ったようだ。もしかしたら死んだ可能性もある。

 ビーンズは想定外の事態に戸惑いながらも、次に取るべき行動を思案する。

 エーデルが警戒しながら杖を向けてくる。


「マタリちゃん、早く剣を抜いて。完全に囲まれてるわ。どういうわけか知らないけれど、私達を殺したいみたいね」

「な、なんで。何で私達が不意打ちされなくちゃいけないんです! どうしてなんですか、ビーンズ先生!?」


 必死の表情で訴えかけてくるマタリ。ビーンズは表情を変える事なく告げる。


「どうやったのかは分かりませんが、仲間の身代わりになったのでしょうか。その少女だけが負傷しているのは腑に落ちません。いずれにせよ、もはや戦闘は不可能でしょう。大人しく死んでいただきたい」

「なッ!?」

「本当は貴方達二人も巻き添えにするつもりでした。ですが、こうなったのは逆に良かったのかもしれません。マタリさん、エーデルさん、そこを直ちに離れなさい。私の狙いは、その災厄の少女のみです」

「――断るッ!」


 マタリが激昂し剣を抜き放ち、エーデルは素早く詠唱を行ない始める。

 ビーンズはもう一度だけ優しい声で勧告する。死ぬのはその勇者を名乗る少女だけで良いのだ。


「お聞きなさい。これは世界の平和の為なのです。災厄を振り撒く者を生かしてはおけない。話を聞けば必ず理解してもらえます。なにより、貴方の兄上レケン様も我々の同志なのですから。妹である貴方を殺すのは少々忍びない」

「あ、兄上が? 何故兄上がお前なんかと行動を共にするんだ!」

「それはご自分で聞かれると良いでしょう。そして魔術師エーデル・ワイス。貴方は我が友ラスの愛弟子。貴方は知らないでしょうが、ラスは良き友であり研究仲間でした。師の研究を引き継ぎなさい。それが貴方に託された使命でしょう」

「フン、良くそんなことが言えるわねぇ。その友の愛弟子を不意打ちで殺そうとしたくせに。反吐が出るわ、善人ぶった糞野郎」


 エーデルが一蹴して痛烈な罵声を浴びせてくる。だがビーンズは一切動じない。優位はこちらにあるのだから。


「こうでもしなければ、災厄の紋章を持つ物を殺す事は出来なかったでしょう。計画とは少々違いますが、目的は無事達成できそうです。災厄をもたらす者は間もなく死ぬ。さぁ、そこを離れなさい。次がとどめとなる」


 ビーンズが最後の呼びかけを行なう。右手を上げると、狼達が一斉に攻撃態勢をとる。この右手が振り下ろされたときが、この地から災厄が消え去る瞬間となるだろう。


「だ、そうよ。マタリちゃん、貴方の判断に任せるわ。好きなように返事をして頂戴」

「そんなことは聞かなくても分かるでしょうッ!!」

「とても良い返事ね。それじゃ、盾代わりに上手く使ってね。どうせ死んでるから気にする事ないわ!」


 エーデルが呪符をばら撒き、指を鳴らすと、十人の死体と十匹の鼠が召喚される。杖の先端を地面に叩きつけ、取り囲む魔術師達にけしかける。完全に意表を衝かれたウルフェイス達は動揺し、魔法詠唱を中断される。


「――死ねッ!」


 素早く肉薄したマタリが、鼠を踏み潰していたウルフェイスの胴を薙ぎ払い、即死させる。上半身を掴み別の魔術師に投げつけ、ひるませる。

 本来は素早いウルフェイスだが、今は本来の力を発揮できず、マタリの剣により次々に惨殺されていく。

 それもその筈、彼らはウルフェイスとしての本能を使いこなすことが出来ない。ただ、その身体を使っているに過ぎないのだから。動きが鈍いのは止むを得ないことなのだ。


「妙に動きがぎこちないわねぇ。これなら二人だけでいけそう。鼠一匹追い払えない狼なんて存在価値がないわ。狼の形をした、ただの出来損ないよ」


 纏わり着いていた鼠から火の手が上がり、狼達が絶叫しながらのた打ち回る。

 だが、その中の一匹だけは果敢に反撃を行なう意志を見せた。

 鼠を隠し持っていた弩で撃ち殺すと、接近してくる死人を激しい炎で焼き払った。

 そのウルフェイスはエーデルに対し煮え滾る殺意を露わにし、激しい怒りを含んだ雄叫びをあげる。

 ビーンズも思わず戦慄してしまう程の、怒気と殺気を感じさせる咆哮だ。


「出来損ないにも、少しはマシなのが混ざってたみたいねぇ。それじゃあ魔術師同士、正々堂々魔法で勝負しましょうか。炎は私の得意属性。本物の力を見せてあげましょう」

「グアアアアアアアアアッ!!」


 詠唱を終えると、エーデルとウルフェイスの魔法が同時に放たれる。詠唱速度は同等、炎の熱波が中央でぶつかり合う。

 魔法の威力は同程度だったであろう。詠唱の速度も。だが、経験が違う。生まれ持った才能が違うのだ。魔術行使に“慣れていない”ウルフェイスが、経験豊かな熟練魔術師に敵う訳がない。焼け付く熱波は徐々に勢いを増し、エーデルが押し始める。

 ウルフェイスが悲壮な表情で、歯を食い縛るが劣勢は覆らない。才能の有無を覆すことは出来なかった。


「人間に尻尾を振った狼にしては大したものよ。誇っても良いわ。でも、これでおしまいね」


 エーデルが勝利を宣告すると、唸りを上げる炎の熱波がウルフェイスに押し寄せる。先ほどの倍の熱波。

 拮抗状態の間に、更に魔術を詠唱する余裕がエーデルにはあった。熱波はウルフェイスを飲みこみ、“彼女”はつんざく様な悲鳴を上げながら倒れ伏せた。全身を焼き尽くされた以上、もう助かる事はないだろう。致命傷だ。


「――残るは、ビーンズ先生だけね。そろそろ観念して、洗いざらい吐いてもらおうかしら。私達を狙う本当の理由。それに、どうやらお仲間も一杯いるみたいだしねぇ」

「一本ずつ腕か足を落していけば、きっとペラペラ喋りだしますよ。アハハッ、勇者さんと同じ目に遭わせてやる!」


 気が付けば、残るはビーンズ一人。

 殺意と狂気が入り混じった表情で、ゆっくりとマタリが接近してくる。エーデルが操る死体がビーンズを包囲する。

 だが、ビーンズは未だ動揺を見せない。不意打ちが失敗した時の事も当然考えてはいた。

 その為に、彼の力を借りたのだ。このような事態に陥った時の為に。


「フフ、まだ私は負けてはいません。戦いはこれからです。私とラスの手で蘇った彼の力を、その目に焼き付けると良いでしょうッ!」


 ビーンズが呼びかけると、部屋の入り口から一人の魔物が現れる。ウルフェイスの変異種――赤毛に覆われ、体躯が一回り大きくなったレッドウルフェイスだ。その人間を遙かに凌駕する膂力に、天性の才能を受け継いだ今、彼に勝る剣士は存在しないだろう。

 そう、病に蝕まれた天才、ラムジ・バルカは完全に蘇ったのだ。


「…………」

「行きなさいッ! 彼女達を斃し、世界を災厄から救うのです!」


 ビーンズが叫ぶとラムジが動き出す。

 遮るように、エーデルの操る死体がけしかけられる。


「グアアアアッ!!」


 ラムジが手に持った剣で振り払うと、一撃の下に断ち切られた。

 意志を持たない死体が相手になる訳がない。ラムジの意志と執念は、死病すら乗り越えたのだ。その姿を変えたとしても、彼の魂は健在だ。ラスの残した研究と、ビーンズの魔術によって実現した奇跡である。

 神が与えなかった救いの手を、ビーンズとラスが差し出したのだ。これを奇跡と呼ばずになんと呼ぶのか。


「意志のない死体如きでは相手になりませんよ。何体けしかけようと無駄です。彼は最高峰に位置する選ばれし剣士なのですから。マタリさん、貴方もやめておきなさい。いたずらにその命を無駄にする必要はない。お兄様が悲しまれますよ」

「黙れッ! 兄上は関係ないッ!」


 激しく激昂するマタリ。勢いに任せて突撃しようとするが、纏めていた髪を引っ張られて阻止された。

 青白い顔の勇者がいつの間にか立ち上がっていた。腹部を押さえながら、不敵に笑う。


「アンタにはちょっとだけ荷が重い相手よ。こいつはアンタと相性が悪い。受け流すのが得意な流派だからね」

「ゆ、勇者さんッ! も、もう大丈夫なんですか!?」

「ちょっと意識が飛んでたわ。もう回復したから、大丈夫」


 息を荒げながら、勇者が剣を抜き放つ。


「本当に大丈夫なの?」

「大丈夫よ」

「……ところで、さっきの変な魔法。あれはどうやったの? 味方を庇うなんて魔法聞いた事もないわ」

「勇者だけの特権よ。ほら、今はお喋りしてる場合じゃないでしょ。ここは私がやるから、アンタ達は下がってて」

「……全員で掛かった方が良いんじゃない? アレはちょっと強敵っぽいわよ。私の死体が一撃で片付けられちゃったし」

「いや、アレは私が戦うべき相手よ。決着をつけなくちゃ。多分、あっちもそう思ってる筈。悪いけど、ここは任せてくれる?」

「で、でも」


 勇者が告げると、マタリは納得いかないような表情を見せる。が、肩を叩かれると、分かりましたと渋々引き下がった。


「分かったわ。それじゃ応援してるから頑張って頂戴。負けたらおやつは抜きよ」


 エーデルとマタリが後ろに下がっていく。ビーンズも距離をとる。

 勇者が近づいていき、ラムジと正面から向かい合う。

 ラムジが剣を顔の前にゆっくりと掲げると、勇者もそれに倣う。

 バルカ流剣術の立会い前の作法。両者は剣を下段に構えると、左手を突き出し牽制する。

 どちらからともなく距離を詰め、交差した瞬間激しい剣撃を繰り出し始めた。一撃必殺の威力を持つ攻撃。並みの剣士ならば最初の一撃で首が飛んでいるだろう。

 正統な剣術を主体としながらも、その中に格闘術を取り入れたのがバルカ流剣術。勝つことが全て、使える手段は全て使うのが理念である。素早い動きで翻弄し苛烈な一撃を狙うことが基本だが、相手の力を受け流し、自らの力を加えて痛撃を与えることも得意とする。


「ハアッ!!」

「グオアアアアアアアッ!!」


 お互いに牽制打を浴びながらも、致命的な一撃は紙一重で受け流す。

 勇者が突きの連打から回転しての薙ぎ払いを繰り出すと、ラムジは突きを受けきり、薙ぎ払いを弾き返す。強烈な一撃に激しい音が響き渡るが、両者共剣を手放す事はない。

 息を吐かせる間を与えじと連打を浴びせ、距離を詰めては、離れ、また詰めるを繰り返す。

 ラムジが態勢を崩したところに、勇者が一気に詰め寄り、上段からの振り下ろしを行なう。隙を突く為にラムジが一気に地を踏み蹴ると、勇者の身体を捕らえ、その肩口に鋭い牙を突きたてる。勇者は苦悶の表情を一瞬浮かべるが、すぐに歯を食い縛って態勢を立て直し、反動をつけて頭突きを繰り出した。

 ラムジの顔面に渾身の頭突きが炸裂する。鼻血を出しながら苦悶の声を上げるラムジ。それでも牙は突きたったままだ。


「――グアッ!」

「こんの糞狼がッ!!」


 勇者が再度頭突きを浴びせると、今度は左目に直撃した。これには耐え切れないと食い込んだ牙が緩んでしまう。

 軽鎧を着込んだラムジの腹部を蹴り飛ばし、強引に距離をとった。

 ラムジが態勢を立て直して剣を再び下段に構えると、勇者も同様に構えなおす。肩の肉は鎧ごと抉り取られ、激しく出血している。 ラムジも片目の負傷を気にする事無く、口を開いたままで息を荒げている。

 まるで剣舞のように続いていた両者の戦いに、一瞬の静寂が訪れる。


「次で、決着。最後だから、お互いに奥義で勝負よ」

「…………」


 勇者の言葉に、ラムジが軽く頷く。両者は静かに剣を肩に乗せ、両足を踏み込み、鍬を構えるような態勢を取る。見合ったまま時が流れていく。

 ――先に動いたのは、ラムジだった。ウルフェイスとしての素早さを活かして、大地を勢い良く踏み切った。怒声を上げ全身の筋肉を稼動させて疾走する。

 ラムジは剣を下手より出し、剣先を地面に走らせて激しく火花を散らす。大地が抉れて弾けとび、その剣筋を眩ませる。

 勇者は剣を抉れた肩に乗せたまま走り始めた。相手を見る事無く、ただ両腕に力を篭めて。

 ラムジの下段からの振り上げと、勇者の上段からの振り下ろしが交差する。両者、全身全霊を篭めた必殺の一撃。

 

 ――勝負がついた。

 ラムジの繰り出した剣は勇者の左脇腹に食い込んでいた。後僅かで心臓を断ち切り、斜めに切り上げて上半身を吹き飛ばしていただろう。だが、そこまでには至らなかった。

 勇者の剣は、ラムジの上半身を完全に断ち切っていたのだ。強靭な肉体を誇るウルフェイスの身体を、一瞬で切り裂いた。お互いに必殺の力を篭めた分、その代償も大きいものとなる。負けたラムジは全ての代償を支払わなければならない。

 両者の勝負に見入っていたビーンズは、言葉を失い、両膝をついた。

 ラスの研究成果、自らの移植術、ウルフェイスの強靭な身体、そして伝説の末裔たるラムジの才能。

 その全てをもってしても敗北した。勝負は紙一重だったが、勇者は怪我を負っていた。それでも敵わなかったのだ。

 完全なる敗北。ビーンズは己の敗北を認めざるを得なかった。

 

 



 勇者は、下半身を失い、息も絶え絶えの狼に近づいていく。瀕死の狼は、苦しげに血を吐き出しながらも、呻き声を必死に噛み殺していた。最後の意地なのかもしれない。

 勇者が魔法を使わずに剣だけで戦ったのは特に理由はない。使えば楽に勝てただろうが、敢えて剣だけで戦った。そうしなければならないと思ったから。ただそれだけだ。

 上から冷たく見下ろし、感情を篭めずに問いかける。


「私の勝ちでアンタの負け。アンタの方が剣筋は速かったけど、私はその技を良く知ってるのよ。長所も短所もね」


 バルカ流の奥義は確かに凄まじい威力を誇る。だが、欠点がある。最後に切り込む際に、一瞬だけ溜めが出来るのだ。最初の立会いでは見抜く事は出来ないだろうが。学んだ事がある勇者はそれを良く知っている。

 そして、彼が遂に改良出来なかった事も。そこに己の限界を感じていた事も知っている。人間の戦士としては一流だったが、彼に限界を超えることは無理だったのだ。

 だが、勇者には出来てしまった。死を厭わぬ戦い方を続けた結果、最終的に我流として完成させた。未完成の技は奥義として昇華し、数多の強大な魔物を討ち取ることができた。

 だが剣にこだわりのない勇者にはどうでも良いことだった。魔物を殺せれば剣術の優劣などどうでも良かったのだ。


「……本物ハ、ヤハリ違ウ。確カニ強イ」


 狼が口元を歪めて讃えてくる。目は力を失い、宙を見上げている。声はしゃがれて擦れたもので、今にも消え入りそうだった。

 この会話は、勇者とラムジにしか聞こえてはいないだろう。


「知ってたの?」

「無論ダ。我ガ家系ハ偽リノ誉。誰モガ恥ヲ抱エテ生キタ」


 狼が静かに自嘲する。その際に血反吐が撒き散らされる。

 上半身の断面から黒い血が流れ出ていく。勇者の足元を浸していく。


「アンタ、後悔はしてないの?」

「自分ノ選択ダ。納得ハ出来ル」

「…………」

「私ハ、本物ト戦イ負ケタ。決シテ、病ニ、負ケタ訳デハ無イ」


 狼は満足そうに目を閉じた。勇者は最後の言葉を掛ける。


「そう、良かったわね。少しだけ羨ましいわ」

「――真ノ、勇者ニ、栄光アレ」


 狼が宙に手を伸ばす。間もなく命の炎は消える。


「じゃあ、またね」


 勇者はラムジの剣を拾い上げ、事切れる前にとどめを刺してやった。

 緑が生茂る地面に無造作に突き立った剣。物言わぬ魔物の屍骸。誰も弔うことのない墓標が残る。

 勇者は疲れ切った表情でそれを眺めた。

 


 

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