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第二十話

 慌てて飛び出して行ったマタリが、見覚えのある聖職者を連れて帰ってきた。

 以前ジャバと共に迷宮にいた聖職者、名前はクランプ。

 前回診察してくれた腕の良い医者が不在だったので、その代わりに連れてこられたらしい。

 幾つかの質問に答えた後、気分を安らかにするとかいう魔法を掛け始めた。

 そんな魔法あるのかと勇者が尋ねると、クランプは笑って誤魔化した。


「それでは、また何かありましたらいつでもどうぞ。今日は一日中ギルドで瞑想していますので。遠慮はいりませんよ」

「どうもありがとうございました!」

「いえいえ。困った時はお互い様です。それではまた」


 クランプは会釈して退出していった。

 それを見届けると、勇者は大きく伸びをする。重病人扱いされ非常に窮屈で仕方がない。


「あー疲れた。何もしないっていうのも、結構辛いわね」

「……本当に意識が戻って良かったです。もう戻らないかと心配してたんです」


 マタリが胸に手を当てて息を吐いている。大袈裟な奴だと勇者は肩を竦める。


「ちょっと寝すぎただけ。アンタは心配しすぎなの。そんなことじゃ、直ぐに老けちゃうわよ?」


 禿げはしなくても、白髪が増えるだろう。先日出会った剣術ギルドのマスターのように。

 名前はたしか、ラムジとかいっただろうか。


「五日はちょっとじゃありません! あんな姿を見たら、誰でも心配するに決まってます!」

「はいはい、分かったわよ」

「とにかく、暫くは絶対安静ね。子供みたいに勝手に遊びに行ったりしちゃ駄目よ」


 エーデルが偉そうに額を突いてきた。勇者は即座に振り払って拒否する。


「嫌よ。今から私は温泉に行くの。この汗臭い身体を何とかしたいわ。誰が何と言おうと、私は絶対に行くからね」


 マタリが身体を拭いてくれていたらしいが、やはり汗臭い気がする。髪もボサボサだ。

 頭をスッキリさせる為にも、熱い湯に浸かりたかったのだ。


「それでしたら、ここの共同水場を使えば良いのでは。今の時間なら空いてますよ」

「あんな所で頭から水を被っても気分が休まらないでしょ。私は広いところでのんびりと寛ぎたいの」


 この極楽亭にも一応身体を流せる水場はある。だが狭い上に、あまり清潔な状態とは言い難い。

 迷宮帰りの冒険者達が、毎日汚れを落としているのだから仕方がないのだが。


「で、でも。病み上がりでうろちょろと歩き回るのはどうかと」

「うろちょろって何よ」


 勇者が睨みつけるが、マタリは動じない。


「だって、絶対温泉だけじゃ終わらないですよね」

「…………」


 図星を指されてしまい、勇者が思わず押し黙る。

 身体が暖まった後は街を適当にブラブラして、思う存分食い歩こうと思っていた。

 この街は大きいだけあって、色々と面白そうな店が並んでいる。美味しそうな料理屋も。


「一度言い出したら聞かないからねぇ。仕方がないわマタリちゃん、諦めましょう」

「ちょ、ちょっと。何だか私が駄々をこねてるみたいじゃないの」

「みたいじゃなくて、その通りでしょ。全くまだまだ子供なんだから。それじゃあ、皆で行きましょうか」


 呆れながらお手上げとばかりに両手を上げるエーデル。別に着いて来てくれとは一言も言っていない。

 勇者は我侭を言っている訳ではないのにと頬を膨らませた。


「……分かりました。それなら何かあっても直ぐに担ぎこめますしね」

「い、いや。私一人で良いんだけど。温泉の場所は覚えてるし」

「何言ってるの。またぶっ倒れでもしたら迷惑でしょ」

「では、早速準備しますか? 温泉の後でご飯で良いですよね」


 話がどんどんと進んでいく。このまま出発しそうな流れなので、勇者はマタリに声を掛ける。

 やるべきことは、先に済ませておかなければならない。


「あー、ちょっと待って。マタリ、私の荷物袋から日記帳取ってくれる?」

「あ、はい。分かりました」


 マタリが日記帳とペンを取り出し、勇者に手渡す。


「へぇ、勇者ちゃんは日記を書いてるのね」


 意外そうな顔のエーデル。勇者は口を尖らせる。


「そうよ。何か文句あるの?」

「似合わない気がするわねぇ。そういうマメな性格じゃないでしょう、貴方は」

「余計なお世話よ」


 勇者は日記帳を開くと、五日前から適当に空白を埋め始める。


「……ねぇ。どうして五日前から書くの? 貴方は寝込んでたから、書くことなんてないじゃない」

「五日も空白だと気分が悪いでしょ。だから、適当な出来事を考えて無理矢理埋めるのよ」


 一日釣りをした後、それを肴に一杯やって寝て過ごしたと、勇者は日記に書いた。もちろん嘘である。

 エーデルは坊主で、マタリは手づかみで魚を取っていたと付け足しておいた。


「……それって、捏造って言うんじゃないかしら」

「捏造じゃないわ。脚色よ。楽しいほうが良いじゃない」

「勇者さんはいつもそうやって書いてるんです。本当は何もなかった日でも、後で見返した時にこんなに楽しい時間を過ごしたんだって笑えるように、でしたよね」


 マタリの言葉に、勇者は得意気に頷く。

 マタリにはどんな日記を書いているのか既に説明済みだ。たまにマタリの知恵を借りる事もある。

 大抵はすっとぼけたことを言うので、ありのままに書くだけで面白くなる。


「その通りよ。日記の中ぐらい楽しく幸せな方が良いでしょ。どうせ私しか見ないんだから、どんな事を書こうと私の勝手だし」

「面白そうねぇ。そのうち、私にも見せて頂戴ね。とても興味があるわぁ」

「……まぁ、考えておくわ」


 勇者は言葉を濁しておいた。素直に見せるのもどこか恥ずかしいものである。


「ところで、貴方はいつから日記を書くようになったの?」

「え? それは、この街に来てからだけど……」


 エーデルの言葉に、勇者は虚を突かれたような表情を浮かべる。


「いえね、その前から書いていたのかと思って。もしそうなら、貴方の記憶を取り戻す助けになるんじゃない?」

「…………」


 いつから日記を書き始めたのか。勇者はしっかりと覚えている。それだけは忘れない。

 自分がたった一人で戦うようになってからだ。

 己の存在を刻み付ける為に、毎日欠かさずに記し続けた。狂ったように戦い続け、魔物を惨殺し続けた時も欠かさずに。

 裏切った人間達、悪魔に魂を売った屑共を一人残さず皆殺しにした時も。正確に、そして詳細に記した。

 魔王を打ち倒してからは、少しだけ内容を変えてみようと思った。明るく笑える日記にしようと。これからは楽しい日々が訪れる気がしたから。

 実際、笑える日記になった。特に脚色をすることなく、ありのままを記しただけなのに。どうしてそうなったのかは分からないが。

 読み返せば、今でも大笑いできることだろう。

 全ての記録は、確かに残してある。あの始まりと終りの場所に。


「ゆ、勇者さん、大丈夫ですか?」

「え、あ、ああ。ちょっと考え事をね。――よし、書けたっと。前の日記もそのうち見つかるでしょ。そうしたら多分思い出すわ」

「……そう。早く記憶が戻ると良いわね」


 エーデルの言葉に反応せず立ち上がり、勇者は日記を荷物袋にしまいこんだ。

 



 温泉に入ってサッパリした後、勇者達は中央区の大通りを適当にぶらついていた。

 露天商が隙間なく並んでおり、掘り出し物目当ての客や冷やかしの酔っ払い達で溢れかえっている。

 軽く見回しただけで、良く分からない道具、骨董品、絵画、武器防具、食材、挙句は家畜の類まで、ありとあらゆるものが並べられているのが分かる。

 買い物好きな勇者は興味深そうに一軒ずつ見て周り、その度に商魂溢れる店主に物を売りつけられそうになっていた。

 冷静なエーデルが厳しく監視を行なっているので、無駄な出費は抑えられている。

 そして少しは大人しくしていろと、露天で買った林檎飴を渡され、勇者は不満そうにそれを舐めていた。

 飴を舐め終わった後、棒を咥えながら勇者は愚痴を零す。


「ねぇ、何でさっきの買ったら駄目なのよ。何度切っても刃こぼれしないナイフなんて凄いじゃない。しかも錆びないんだって」

「……そんなナイフがあるわけないでしょ。仮にあったとしても、あんな値段で買える訳ないわ。刃こぼれや錆が出る頃にはあの露天商はいなくなってるわよ」

「それって詐欺じゃない! ちょっと行ってぶん殴ってくるわ」


 勇者が振り返ると、マタリが慌てて押さえつけてきた。


「騒ぎを起こすのはやめて下さい!」

「ただの冗談よ。――って、何か面白そうなのがあるわよ。ちょっと見てくるわ!」

「ゆ、勇者さん、どこいくんですか!」

「あっちよあっち!」


 他所より賑わっている露天があるので、勇者は興味を惹かれた。

 マタリの手からするりと逃れ、てくてくと人ごみを掻き分け歩いていき、露天にそっと顔を覗き込ませる。

 宝石のように綺麗な石が台車に積まれている。大きさは拳ぐらいだろうか。勇者と同じくらいの年頃の娘達が賑やかに石山を掻き分けて品定めを行なっている。


「何かしらこの石の山は。色が付いてるから、ただの石じゃなさそうだけど」


 勇者は呟きながら、石を観察する。半透明で、綺麗といえば綺麗だろうか。宝石とは比較にならないが、一応は輝きも放っている。


「これは迷宮で採掘出来る鉱石だ。当りの石は魔力を帯びてるんだが、当然外れも大量に混ざる。んでもって、外れで利用価値のないものがここに出回るって訳だ。名前は飾り石。宝石と違って輝きもないし壊れやすい。いわばクズ石って奴だな」


 屈んで石を掻き分けている大男が答えてきた。背中には熟睡している赤子がいる。涎を垂れ流してとても気持ち良さそうである。

 どこか間の抜けた幼い顔は、愛嬌があって可愛らしい。


「おいボーガン! 商品の悪口を店の前でするんじゃねぇ! しまいにはぶっ飛ばすぞ!」


 店主が声を荒げると、赤子を背負い二人の娘を連れたボーガンが豪快に笑い声を上げる。

 勇者はその名前に聞き覚えがあるなと思いながら、石に手を伸ばす。なるほど、確かにそんなに堅くはない。力を篭めれば変形しそうである。隣の台上には大小様々のリングや、細工用の糸、彫刻刀が売られている。自分で加工して装飾品にしろということだろう。 店の前に置かれた看板には加工、細工、別料金で承りますと書いてあった。

 周りの女の子達は作ったものを自慢げに見せ合っている。手作りの指輪は綺麗で、良く出来ていた。流石に本物の宝石のような輝きはないが。


(ふーん、結構面白そう。暇つぶしには良さそうね)


「ワハハハ、悪い悪い。まぁ子供の玩具には丁度良いがな。値段も安いしよ。ほらお前ら、俺が見繕った中から好きなのを選べ。クズ石の中でもちったぁマシな奴だからな。一流レンジャーたるこの俺の目は確かだぜ」


 ボーガンが格好つけるが、娘達は納得しなかったようだ。口々に文句を放つ。


「えー、私あっちが良いんだけど!」

「これ、何だか色が濁ってるし。私これ嫌だなー」

「お、おい。折角俺が質の良いのを選んだってのに。大切なのは見かけより中身だぞ」

「私達は両方重視するの。だからこれはいらなーい」

「父ちゃんの石はポイしちゃおうね」


 赤毛の女の子達は、ボーガンが取り分けた石を笑顔で石山に放り投げてしまった。

 手を叩くと、二人は再びガサガサと石山を漁り始める。自分で探すのが楽しいのだろう。石を見比べては元の場所に戻している。

 ボーガンは疲れたように嘆息し、のっそりと立ち上がる。足元には買い物籠があり、食材が沢山詰め込まれていた。


「これだから女は嫌なんだ。――ったく、やれやれっとな」


 振り返ったボーガンと、勇者の目が合う。驚愕するボーガンを見て、勇者はニヤリと笑った。


「アンタ、この前の熊男じゃない。こんなとこで、何してんの?」

「――げ、げえッ、クソ生意気な女勇者ッ! なんでこんなところに!」

「クソ生意気?」


 勇者が睨みつけると、ボーガンが背筋を正した。


「い、いや、可愛らしい、勇者さん。こ、こんなところでな、何を、していらっしゃるんで?」

「それはこっちの台詞よ。この子達はアンタの子供なの?」


 勇者が二人の姦しい赤毛の女の子を指差す。双子だろうか、良く似ている。

 幸か不幸か、ボーガンには全く似ていない。


「お、おう、そうだぜ。俺に似て、とても利発な娘達だ」

「ふーん。レンジャーの頭が、真昼間から子守してるんだ。アンタも色々と大変ね」


 からかおうと思った勇者だが、やつれているボーガンの顔を見て思わず同情してしまった。哀愁漂う中年を苛めるほど鬼ではない。


「ク、クラウの奴が最近、本業が忙しくてな。その代わりに俺が育児と家事をやってるって訳だ」

「大変ね。じゃあ精々頑張って」


 愚痴が続きそうだと思ったので、勇者は退散しようとしたが失敗してしまった。ボーガンが両肩を掴んで泣きそうな顔をしてきたのだ。

 泣きっ面の熊。暑苦しいので勘弁してほしいと勇者は眉を顰めた。


「なぁ、おかしいと思うだろう? やっぱりおかしいよなッ! 普通は俺じゃなくて、母親のクラウがやるべきことだろうが! あんのクソ阿婆擦れ、いつかギッタンギッタンにしてヒィヒィ言わせて――」


 激昂して叫び声をあげるボーガンに、赤毛の女の子二人がゆっくりと振り返る。その顔には悪魔の笑みが張り付いていた。

 勇者もちょっとだけ引いた。子供は無邪気な分、残酷だ。


「ねぇ、聞いた?」

「うん聞いた聞いた」

「母さんに言いつけなきゃね」

「ギッタンギッタンにしてもらおうよ」

「躾が大事って言ってたし」

「そうだね。これも父ちゃんのためだね」

「しょ、将来は、や、やっぱりクラウが三人になるのか。お、おお神よ。このボーガンに慈悲をッ」


 赤毛の悪魔達が、脅える巨大な熊の手を引いて、上機嫌で歩き出した。

 ボーガンは売られた家畜のように、為す術もなく連行されていく。


「……ん? あれは――」


 叩き売られた家畜のようだったボーガンが、何かを見つけて怪訝な表情を浮かべる。


「どうしたの? 遺言なら聞いといてあげるわ。多分すぐに忘れるけど」


 勇者は親切心から聞いてあげた。恐らく、帰宅してから酷い目にあうのだろう。完全に尻に敷かれているらしい。


「ち、違うわッ」

「じゃあ何だってのよ」

「おう、いやな、今ラムジの奴がいた気がするんだがよ。気のせいだったかな。何でも療養所から抜け出して、どっか行っちまったらしくてな。剣術ギルドの連中が血相変えて探し回ってるって話だぜ」


 白髪頭の病人、剣術ギルドマスターのラムジ。また釣りにでも出かけたんじゃないだろうかと勇者は考えた。


「そうなの。でも街にいるなら、そのうち戻るんじゃない。大人なんだし、自分のことは自分で考えられるでしょ」

「まぁそりゃそうだわな。……だがよ、最近行方不明になってる連中が妙に多いんだ。ウチは大丈夫だが、他のギルドでも数人消えたらしい。お前も精々気をつけろよ」

「何だか物騒な話ね。まぁ、私に襲い掛かってきたら、ぶっ殺して返り討ちだけど」


 勇者が口元を歪めると、ボーガンの顔が引き攣る。


「そ、そうか。まぁ、お前は大丈夫だな。悪魔やら悪鬼やらも尻尾を巻いて逃げていくだろうよ。間違いねぇ」

「それはどういう意味よ」


 勇者が威嚇すると、ボーガンはわざとらしく咳払いして誤魔化す。


「ゴホン、それじゃあ、俺は失礼するぜ。帰って夕飯の支度に掃除をしなくちゃいけないからよ」

「早く帰ろうよ父ちゃん」

「早く早くー」

「分かった。分かったから引っ張るな! ほら、揺さぶるから起き――」


 背負った赤子が振動で起きてしまい、激しくぐずり始める。ボーガンは赤毛の女の子に手を引かれて、のしのしと歩き始めた。よしよしと背中の赤子を宥めながら。


「……子供を持つって、大変ね」


 勇者は哀愁漂う大きな背中を、生暖かい視線で見送った。

 

 ボーガンを見送った後、勇者はマタリ達と合流し再び散策を再開した。

 ちなみに先ほどの飾り石は装飾道具をセットにして購入済みだ。面白そうなので、帰ったら早速弄ってみるつもりである。

 エーデルとマタリの分も買っておいたのはついでというやつだ。


「勇者ちゃんも女の子ねぇ。そういうの好きなんだ」

「暇つぶしよ、暇つぶし。何か皆が楽しそうだから、私も買ってみただけの話よ」

「私も昔は作ったことありますよ。しっかりお教えします!」

「い、いや私は不器用だから、適当で良いんだけど。別に本気でやろうとか思ってないし」

「いえ、遠慮はいりません!」


 及び腰の勇者に対し、意気が上がるマタリ。親切心なのだろうが、勇者はあまり本格的なものを作るつもりはなかった。

 嘘ではなく本当に不器用なのだから仕方がない。適当に聞いているフリをして、さくっと作ってしまおうと勇者は決めた。


「あー、そういえばさっきボーガンが言ってたけど、行方不明になってる奴が多いとかなんとか」

「そうそう。貴方が意識を失っている間に多発したのよ。名前の売れたところだと、剣術ギルドのラムジ、学術ギルドのルルリレといったところかしら。他にも何人かが消息を絶ったわ。門番が言うには、迷宮には入ってないらしいんだけれどねぇ」

「……い、家出でしょうか?」


 マタリがすっとぼけたことを言ったので、すかさず勇者が突っ込みを入れる。


「アンタじゃないんだからそんなことしないでしょ」

「わ、私は家出じゃなくて追い出されたんです! というか、私の事を家出したんだと今まで思ってたんですか!」

「え、違うの?」


 勇者が確認すると、マタリが林檎のように顔を真っ赤にする。

 家がこの街にあるのに、わざわざ家出する物好きもそうはいないだろう。


「違いますよ!」

「ちょっと、人の話の腰を折らないで頂戴ねぇ。私が調べたところ全員に共通してるのは、重い病、もしくは深い悩みを患っているものばかりってことね。そこに手掛かりがあると思うのだけど」


 エーデルがメモを取り出して報告する。重い病を患っている者、重傷を負い身動き出来ない者、魔素中毒で生きてはいるが廃人同然の者、そして何かに強い劣等感を抱いている者。


「……結構調べてあるじゃない。アンタ、暇だったの?」

「貴方の病状について調べてたら、そのついでに色々な話が入ってきたのよ。関係はないだろうけど、念のために記録しておいたのよ」


 一応自分の為に動いていてくれたらしいので、勇者は礼を言おうと思った。

 だが、エーデルに正面から感謝を告げるのは照れくさいので止めておいた。


「ま、まぁ、面倒なことにならないと良いわね」

「人間、平和が一番だものねぇ」


 ニヤケ顔のエーデル。勇者は顔を背ける。

 脳天気なマタリがそれに続く。


「そう、平和が一番です!」

「そこの平和を願う素敵なお嬢さん達! もし良かったらちょっと寄っていかないかい?」


 のんびりと歩いている勇者達に声がかかる。押し売りはいらないと断ろうとしたが、どうも様子が違うので足を止めた。

 髪を七色に染めた奇妙な男が軽薄な笑みを浮かべている。白い服は染色具で汚れており妙な臭いが漂っていた。

 男の周囲には三脚台や、使いふるした画材が散らばっている。背後の壁には既に完成済みの絵画が綺麗に展示されている。

 中々の腕前らしく、芸術に全く興味がない勇者も上手いものだと感心した。


「結構上手いわね。アンタは画家なの?」

「そう、歴史に名を残すであろう、才能豊かな画家志望の人間さ。今は飯の種を稼ぐためと、腕前を磨く為にここに滞在してるって訳。この街は色んな人がいて、インスピレーションを掻き立てられるのさ!」

「インスピレーション?」

「ん、ああ。突如としてやってくる閃きのことさ。僕達の間ではインスピレーションって呼ぶのさ。格好良いからね!」

「ふーん。それじゃあ頑張ってね」


 勇者は用事は済んだと先を急ごうとすると、怪しい画家が待ったをかけてくる。


「ちょーっとだけ待って欲しい! もし良かったら僕の客になってくれないかな。僕は誰でも描くわけじゃない。インスピレーションを掻き立てる人や物じゃないと描けないんだ。だから、君たちを僕の絵の題材にさせて欲しい。必ず満足してもらえるものを描くよ!」


 絵を描かせろと言う非常に怪しげな画家。腕前は良いようだが、別に絵は欲しくないし飾っておく場所もない。


「……うーん、私は全くいらないけれど、ピンキーはどう?」

「私の家に飾れっていうの? ウチは間に合ってるわねぇ」

「わ、私は欲しいです! 皆で揃った絵なんて素敵ですよね! 記念に是非一枚欲しいです!」


 勇者はしまったと頭を抱えた。やっぱり聞くんじゃなかったと。


「どうもありがとう! それじゃ君達をバッチリ描かせて貰うよ! お代は金貨一枚と言いたいけれど、銀貨五十でいいよ。押し売りだしね」


 手を大きく広げて五を強調してくる画家。


「い、いくらなんでも高いです!」


 マタリが口元に手を当てて驚きの声を上げた。確かに高いだろう。

 贅沢しなければ半年は暮らしていける。


「君達の真の姿を、僕が魂を篭めて描くからね。安売りは出来ないよ。その代わり、将来百倍で売れると思うよ。絶対損はしないね。歴史に残る一品になること間違いなしさ」


 実に胡散臭い言葉だと勇者は思った。詐欺師の口調そのものだ。だがふざけた口調の割に、目は真剣である。性根は腐ってはなさそうだ。出来がどうなるかは分からないが、全力で完成させてくるだろう。画家の誇りに賭けて。


「ど、どうしましょう」

「うーん、私はどっちでも構わないわねぇ」


 おろおろするマタリ。エーデルはどちらでも良さそうだ。


「マタリは欲しいんでしょう? じゃあ良いじゃない。欲しいときに買うのが買い物の醍醐味よ。後で悔やんでも仕方がないし、何より我慢は身体に良くないからね!」


「無駄遣いを正当化する素晴らしいご意見に、思わず感動してしまったわぁ。このままいけばあっと言う間に貧乏生活ね」

「良いのよ。お金は使う為にあるのだから。なくなったら稼げば良いし!」


 袋から銀貨を五十枚しっかり数えて取り出し、七色の画家に手渡す。


「……はぁ、貴方といると、私の金銭感覚までおかしくなりそうよ」


 しみったれた意見を述べるエーデルに、マタリが謝る。


「ほ、本当にすみませんエーデルさん」

「別に良いのよ。その代わりしっかり稼いでね」

「は、はい、分かりました! 全力で頑張ります!」


 マタリが背筋を正して了解の意を現した。


「よし、それじゃ君達の家、もしくは宿を教えてくれないか。完成したら届けに行くよ」

「何それ。今ここで描くんじゃないの?」


 勇者が睨みつけると、画家はおどけてみせる。


「とんでもない! もう君たちのことは完璧に記憶したからね。後は時間を掛けて、納得のいくまで美しく仕上げるよ。ここにあるのはただの見本。画材は雰囲気作りさ。客寄せには見かけも重要なんだ」

「……アンタがここで逃げ出したら、私達は完全な間抜けってことよね」

「まぁ、そうなるわねぇ。私なら絶対に信用しないわ。この街は詐欺師が多いからね」

「見くびってもらっては困るよ。僕は絶対にそんなことはしない。とはいえ、毎度のことだからね。じゃあ、担保を預けよう」


 画家が薬指につけた指輪を外し、勇者に手渡してくる。


「そんな物だけど、銀貨五十枚ぐらいの価値はあるはずだ」

「……宿は極楽亭よ。私は勇者。そう伝えれば分かるわ」

「なるほど、勇者さんか。僕の目は間違ってなかった訳だ。よーし了解したよ。それじゃあ、僕は直ぐに帰って作業に入らないと」


 そわそわしながら片付け始める画家。勇者は少し悩んだ後、指輪を返す事にした。


「ほら、これは返しておくわ。信頼してやるから、気合の入ったものを描きなさい。ふざけたもん持ってきたらその場で破り捨ててやる」

「いいのかい? 僕みたいな素性の知れない人間を信じて」

「持ち逃げしたら地獄の果てまで追いつめてやるだけよ」

「それは恐ろしい。じゃあ、満足してもらえるよう努力するよ。楽しみに待っててくれ」


 画家が片づけで忙しそうなので、勇者達は別れを告げてその場を後にした。

 

「本当に良かったの? 担保だけでも預かっておけば良かったのに」

「あんなもん預かっておきたくないわよ。人の指輪なんて。なんか大事なものみたいだし」

「優しいんですね、勇者さん」

「なくしたら面倒だからね。騙されたとしても銀貨五十枚。命を失わずに世の中の厳しさを勉強出来るなら安いもんでしょ」


 勇者が呟くと、エーデルは苦笑する。


「本当に、素直じゃないわねぇ。たまには子供らしくしなさいな」

「うるさい。さぁ、そろそろ帰るわよ。もう夕方だし。晩御飯の時間よ!」

「そうですね。今日は結構歩き回ったから流石に疲れました」

「明日からは迷宮に行くわよ」

「それは駄目よ。今日から一週間は絶対に戦わせないわぁ」


 エーデルのきっぱりとした言葉に、勇者が目を剥く。


「な、なんでよ!」

「それはね、マタリちゃんが説明してくれるそうよぉ」

「ええと、確かですね。――無理をしても何の意味もない、急がなくちゃいけない理由もない、魔物は結界から出て来れない、それにお金もある。だから無理をする必要がない。――前に勇者さんが言ってたことですよ」


 マタリがすらすらと暗唱した。余計な事は覚えているらしい。勇者は反論出来ない。確かに自分が偉そうに語った言葉だ。


「よ、良く覚えてるわねそんなこと。分かったわよ。大人しくだらだらしてれば良いんでしょ!」

「そういうことね。まぁ一週間なんてすぐよ。この街は大きいから、色々と見て回るところも多いわよぉ」

「嫌だって言っても、アンタたちは納得しないんでしょうが」


 勇者が確認すると、両者は当然だと頷いた。


「勿論です!」

「はいはい分かったわよ。じゃ色々と案内して頂戴ね。取りあえず今日は帰るわよ」

「分かりました!」


 勇者が先頭きって行くと、マタリ達も続く。沢山の手荷物を両手に抱えて。

 勇者の日記に、また楽しい一日が記録された。これからもそうなるだろう。

 楽しいことだけを覚えていれば良い。他の事は忘れてしまえば、幸せでいられるのだ。これからもそうしていくつもりだ。

 だから、今、勇者はとても幸せだ。



勇者さんの幸せな日々


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