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第十八話

 学術ギルド内の合同研究室。白衣を纏ったルルリレは、長い時間を掛けて開発した試作品の仕上げにかかっていた。

 薬品を調合し、投げつける事で効果を発揮する投擲弾。組み合わせる薬品や量を変える事で、威力や効果を調節することが出来る。

 この試作品が計算通りの効果を発揮したならば、直ちに研究成果の発表を行なう予定だ。

 ギルドマスターから認可を得れば追加の研究資金が与えられ、更に完成度を高めたものを作る事が出来る。

 この認可制度は武器や道具だけに限らず、魔物や迷宮自体の調査なども当てはまる。

 要は役に立つ物を作り出すか、見つけ出し、星教会からご褒美をもらうことが出来れば良い。それが学術ギルドの存在意義である。

 ギルドマスターはそれが評価に繋がるので、認定には非常に慎重を期す。資金は有限なのだから。

 認可を得るまではギルド員が自腹を切って研究や調査を行なわなければならない。破産する者も少なくないが、夢を追い求める代償としては安い物である。命を失う事はないのだから。それに金がなくなったら迷宮で稼ぐことも出来る。

 調合を終え、ルルリレが一息ついていると、後輩のギルド員が声を掛けてくる。


「ルルリレさん、聞きましたか?」

「いえ、私は聞いていません。仕上げ作業に忙しかったので」

「じゃあ聞いてください。あの悪名高いラス・ヌベスが、戦士ギルドの奴に討ち取られたって話ですよ。一体どうやったんですかねぇ」


 後輩が腕を組んで悩んでいる。久々の賞金首討ち取りの情報。ルルリレも少しだけ興味を惹かれた。


「先日、ウチから弩を無理矢理買っていった、あの賞金稼ぎの連中ではないのですか?」

「あー、あいつらなら返り討ちにあって壊滅しましたよ。迷宮内じゃ、いくら弩が強くたって――」


 先を続けようとした後輩が失言に気がついて口を抑える。弩はルルリレの開発した作品だ。そして魔術師に対して、並々ならぬ敵愾心を持っている事は周知の事実だった。


「事実ですから、仕方ありませんね。迷宮内では魔術師は水を得た魚ですから。戦いを挑むのであれば、最も避けるべき場所です」


 地上では弩が連射速度で上回る。魔力の消耗が激しい魔術師を封殺出来るだろう。だが、迷宮では駄目だ。あいつらは魔力を常に充填出来る。しかも障害物の多い迷宮では弩の利点が殺されてしまう。遮蔽物がない平野こそが、弩を最も活用できる戦場だ。


「でも、今開発中の強弩ならば」

「魔術師も馬鹿ではありません。正面から喰らってくれるとは思えません。……そろそろ威力の増強ではなく、新しい視点からの発想が必要かもしれません。これ以上発展させるには、何か斬新な閃きが必要でしょうね」


 ルルリレが溜息を吐くと、舌打ちした後でこめかみを抑える。

 またいつもの悪い癖が出てしまったことに、つい苛立ちを覚えてしまった。溜息のことではない。魔術師に対しての敵愾心のことだ。

 対魔物用の兵器を念頭にルルリレは研究を行なっているつもりなのだが、いつの間にか対魔術師になってしまうのだ。しかもその方が作業に熱が入る。弩や強弩などは、その敵愾心から生まれた産物である。

 今作り上げようとしている投擲弾もそうだ。魔術師の魔法の代わりとなるものとして作り上げた。炎や氷の属性を加えることにも成功しており、資金さえあれば更なる発展が見込める。


(何故、私は、魔術師に対してここまでの敵愾心を持ってしまうのでしょうか)


 ルルリレが目を瞑って思考に耽っていると、別のギルド員が近づいてくる。

「ああ、ここでしたかルルリレさん。ギルドマスターがお呼びですよ。何だかお怒りみたいでしたけど」

「何でしょうか。使い込みでもバレてしまいましたか」

「とりあえず謝っておけば良いですよ。皆やってますからね」


 各々が取り組みたい研究課題に、経費を流用することは日常茶飯事となっていた。調査費という名目で、好き勝手に使っている。

 馬鹿正直にやっていたら、研究や開発など捗りはしない。結果を出しさえすれば、このギルドでは何の問題にもならない。当然、結果を出せなければ相応の報いを受ける事になるが。


「それでは行って来ます。後で片付けますので、このままにしておいてください」

「分かりました。いってらっしゃい」

 

 ルルリレがギルドマスターの執務室に入ると、見るからに不機嫌な表情の背の低い老人がいた。

 この男が学術ギルドの代表を務めており、認可の裁量権を握っている。偏屈だが様々な分野の知識に明るく、その道の専門家並みの見識を備えている。だが、歳を取りすぎた事で柔軟な発想が出来なくなっているのが欠点だ。新しい事への挑戦を渋り、従来のものを強化、発展させることを好む傾向にある。


「失礼します。私に何かご用でしょうか」

「ああ、待っていたよルルリレ君。率直に言わせてもらう。魔術に関連する研究を直ちに止めたまえ」

「何のことでしょうか」


 ルルリレがしらを切ると、老人が眉を顰める。


「とぼけても無駄だ。隠れて魔術の研究、実験を行なっている事は既に分かっている。君が開発責任者の立場を利用し、強弩の開発資金をそちらに注ぎ込んでいると密告があったのだ。その為に、作業が著しく遅れているともな」


 老人が調査書類を差し出してくる。ルルリレが不正に流用した資金について、詳しく書かれているようだ。


「強弩の強化、発展の為の必要経費です。そのために魔術に関する実験を行なう必要があったのです」

 あくまでもしらを切り続けるルルリレに、老人は言葉を荒げる。


「君のやっていることは全て無駄なのだ! 何人もの先人が既に通り、行き止まりであることを立証済みだ」

「…………」

「後天的に魔術の才能を身に着ける。実に素晴らしい夢だ。実現したならば、世界は確実に変わるだろう。だが、無理なのだよ。器を持たぬ者に魔力を蓄えることは不可能。我ら学術ギルドだけではなく、星教会も認めている。君が魔素ポーションを幾ら飲んだところで全くの無意味、身体を蝕むだけに過ぎない」


 ルルリレが唇を噛む。老人の言葉は全て事実だった。

 魔術師を敵視しておきながら、彼らの魔法をなんとかして使う事が出来ないか。ルルリレは様々な方法を試していた。多額の資金を投入し、考えうることは全て実験した。

 器のない者が魔力を蓄えるにはどうしたら良いか。人工的な魔力の器を作成する事は出来ないか。その過程で、自らを実験台として魔素を取り込むことまで試してもいた。実験結果は徒労に終わった。


「残念ですが、身に覚えがありません。用件がそれだけでしたら、試作品の仕上げがありますので失礼します」

「……君が開発中の投擲弾というやつか。全く同じ効果のものを、魔術ギルドの人間が作り上げたそうだよ。一足遅かったようだ」

「――え?」


 ルルリレが立ち止まり、慌てて老人へ振り返る。


「君が作ろうとしているものより、遥かに安価で済むものを彼らは作り出した。特殊な容器に魔力を注ぎこむだけで完成する。君の試作品のように、複雑な調合作業など必要ない。まぁ、魔術師にしか作る事は出来ないがね」

「――う、嘘です。信じられません。何故そんなものを彼らが作るのです。理解に苦しみます。自らの存在を否定するようなものではないですか」

「簡単な話だよ。魔法の代用品を作れば、魔術師の負担が減るからだ。君が魔術師の居場所を奪おうとして作り出した負の産物。皮肉にもそれは、彼らの助けとなる物だったという訳だ。当然だが認可するつもりはない。無駄なことに金を注ぎ込む余裕はない」


 ルルリレの身体が小刻みに震える。怒りか、落胆か、それともその両方か。やはり違うのだ。そもそも同じ場所にも立っていないことが分かってしまった。自分が心血注いで作り上げたものでさえ、魔術師は更に優れたものを容易く作り出してくる。

 ルルリレの両親がそうだったように。それがどうしたのと言わんばかりに見下してくるのだ。彼らにそのつもりがなかったとしても、目がそう言っている。ルルリレの被害妄想かもしれない。だが、どうしても嘲りを受けているように思えるのだ。


「……君がなんと陰口を叩かれているか知っているかね。『魔術師の出来損ない』だ」

「…………」


 ルルリレの心に鋭い楔が打ち込まれた。


「もう、魔術師の影を追うのは止めたまえ。君のことを私は評価しているのだ。弩は確実に戦争を変えることになるだろう。誰もが扱える理想的な兵器だ」

「……失礼、します」


 ルルリレは顔を真っ青にして執務室を後にした。

 魔術師の出来損ない。その言葉は深く突き刺さった。そしてようやく悟ることが出来た。結局自分は、魔術師になりたかったのだ。

 敬愛する両親のような立派な魔術師に。だからその代償行為として、魔法に匹敵するような兵器の研究に没頭してきたのだ。魔法が使えなくても、魔術師以上の働きが出来る。そう証明したかった。

 弩を作り上げたときには、これで何かが変わると思った。戦場を変えるほどの兵器を作り上げた。周囲から賞賛も受けた。でも何も変わらなかった。ルルリレの心は満たされない。穴でも開いているかのように喜びは掻き消え、空しさだけが残った。それを誤魔化すためにまた研究に打ち込む。その作業の繰り返し。

 どうして自分には魔力の器がないのだ。両親が魔術師ならばほぼ確実に継承されるはずなのに。

 悔しい、憎い、辛い、悲しい、羨ましい、欲しい、妬ましい。魔法が使えたならば、ルルリレの両親は心から喜んでくれるのに。

 彼らがルルリレに対して向ける作り笑いなど、二度としなくても良いだろうに。

 ふらつきながら研究室に戻ったルルリレは、痛む頭を抑えて机にもたれかかる。


「ル、ルルリレさん、大丈夫ですか? 顔が真っ青ですよ」

「いえ、ちょっと頭痛が。いつもの事です」


 ポケットから頭痛薬を取り出し、噛み砕く。先日魔素ポーションを大量に服用した代償だ。身体は蝕まれている。


「……何か言われたんですか?」

「資金の流用がバレてしまいました。それと魔術師の出来損ないの称号を貰えました。事実なので、何も言い返せませんでしたね」


 ルルリレは笑おうとしたが出来なかった。嗚咽が思わず漏れそうになるのを堪える。


「本当に酷い事を言いますね、あの陰険爺は! 孫が魔術師だからってやけに庇い立てするんですよ。とんでもない糞爺です。学術ギルドの面汚しです!」


 聞かれたら除名になりそうなことを大声で叫んでいる。ルルリレはそんな事は初めて聞いたので少し驚いた。


「お孫さんは魔術師なんですか? それは初耳ですね」

「皆知ってますよ。故郷のキーランド帝国に士官が決まったと威張り散らしてましたからね。ルルリレさんに言ったら、爺の部屋に爆薬仕掛けそうなので言わなかったんですけど。もう止めないので好きにしていいですよ」

「流石の私もそこまではしませんよ」

「まぁ、それはそれとして。良ければ、最近評判のビーンズ診療所に行って見たらどうでしょう。余計なお世話かもしれないですけど」

「ビーンズ診療所、ですか?」

「教会の聖職者が開いている診療所ですよ。腕の良い名医らしくて、街中で評判ですよ。それに、怪我や病だけでなく、悩みまで解消してくれるとか」

「最近の治癒術は凄いですね。心の病も治してくれるのですか」

「聖職者は魔術師じゃないですから安心してください。彼らは魔法を私欲には使わないですから。きっとルルリレさんの役に立ってくれると思いますよ」


 後輩が言い切ると、ルルリレが苦笑する。そんな与太話を信じるような年ではない。聖職者とて人間だ。

 だが、一度行って見ても良いかもしれない。この満たされない心の空虚を解消してくれるのならば。


「そうですね。物は試しと言います。早いうちに、一度訪ねて見る事にします」


 聖職者に対しては敵愾心を覚えることはない。魔法を使うことには代わりがないのに。やはり魔術師に対しての劣等感が原因なのだ。分かっていてもどうすることも出来ない。人間とは本当に不便なものだと、ルルリレは思った。





「――さん! 勇者さん! もうそろそろ起きてください!」


 勇者の耳にマタリの大声が聞こえてくる。寝返りをうち、返事をする。


「後五時間ぐらいしたら起こして頂戴。そしたら、元気一杯で起きるから。それじゃあお休み」


 再び眠りの世界へ旅立つ準備を整える。


「何を言ってるんですか! 今日は職業認定試験を受けに行くって言ってたじゃないですか! ロブさんにも連絡しちゃいましたよ!」

「貴方達、朝から五月蝿いわよ。迷惑だから外でやって頂戴ねぇ」


 エーデルは既に着替えを終え、優雅にお茶を飲んでいる。今日もピンクに染まっているようだ。布団から覗いていた勇者の目が思わず眩む。


「アンタ、自分の家があるのになんでわざわざここで寝泊りするのよ」

「一緒に寝泊りをすることで、仲間意識を高めるという効果があるそうよぉ。共に過ごした時間が長いほど、連帯意識が強まるとか。本当かは良く分からないから、これからゆっくり検証してみるわ」


 わざとらしくメモを取り出して、読み上げる振りをするエーデル。


「私達をアンタの家に招待してくれれば、宿代が助かるんだけど」

「私の家は駄目よ。魔術用の高価な道具が一杯あるからねぇ。貴方達が大騒ぎして、壊されたら嫌だし」

「わ、私は子供か!」


 勇者が思わず飛び起きると、マタリがすかさず服を寄越してくる。


「はいどうぞ。さっさと着替えてください」

「…………」


 勇者が不機嫌に受け取ると、マタリが呆れながら語りかけてくる。


「もう、どうしてこんなに朝に弱いんですか。寝るのは一番早かったのに」


 昨日は、温泉の後で浴びる程酒を飲んだ。気分が良くなった勇者は真っ先に布団に飛び込み、夢の世界へ旅立っていったのだ。


「弱いんじゃないのよ。寝れるときに寝ておくだけ。寝ずに戦い続けたこともあるからね。万が一の時に、あの時寝ておけば良かったーとか思いたくないでしょ? 私は後悔したくないの」

「万が一の時にはそんなことを考えないと思います」


 マタリが冷静に突っ込みを入れてくる。エーデルは我関せずとお茶を飲み続けている。


「勇者たるもの、良く食べ、良く飲み、良く眠る。これらを守る事が大切なのよ。つまり、常に万全でいられるように備えているという訳ね」

「じゃあ、今もお願いします。もうすぐご飯ですから。しっかりと備えて下さい」


 マタリが冷たく言い放ち、手拭を渡してくる。さっさと顔を洗ってこいという事だろう。朝のマタリは妙な気迫を放っていて、反論が出来ない。勇者も反論するほど頭が回っていない。


「ねぇ、勇者ちゃん。後で貴方の話をちょっとだけ聞きたいんだけど、良いかしら」


 カップを置いたエーデルが、いきなり話しかけてくる。


「何よいきなり」

「貴方の出身地とか色々と知りたいわ。とても興味があるの。」

「出身地……。よく、覚えていないわ」


 勇者は記憶の糸を手繰り寄せようとするが上手くいかなかった。


「あら、そうなの。魔法や戦い方は完全に覚えているみたいだけど、忘れているんじゃ仕方ないわよね。じゃあ、覚えている範囲内で良いわ。朝食の時にでも、軽く教えてね」


 エーデルが立ち上がり、マタリの肩を掴んで先に向かおうとする。


「ちょ、ちょっと。私、まだ支度が――」


 勇者が慌てて寝巻きを脱ぎ捨て始めると、エーデルが苦笑する。


「慌てなくても逃げたりしないわ。下で先に食事を用意しておくから。ゆっくり来なさいな」

「べ、別に慌ててないわよ」

「そんな下着姿で強がられても困っちゃうわ。思わず撫でてあげたくなっちゃうわね」


 エーデルが手をわきわきさせながら近寄ってくる。勇者は何だか貞操の危機を感じたので、素早く追い払うことにする。


「こ、こっちに近づいてくるな! ちなみに、私はそういう趣味ないからね。予め言っておくけど!」

「失礼ねぇ、私だってないわよ。退廃的かつ非生産的だものねぇ。それに何も生み出さないし」

「な、何のお話ですか?」


 マタリが何の話をしているのか、興味深そうに尋ねてくる。天然娘に説明するのは疲れそうなので、勇者はあしらうことに決めた。


「子供には全く関係ないから、安心してご飯を食べに行きなさい」

「そうねぇ。つまり、貴方にも全く縁がないってことよ」


 エーデルが素早く勇者の頭を撫でてきたので、直ぐに振り払う。


「どういう意味よ!」

「そのままよ。大人なら、理解できるでしょう?」


 優雅に口元に手を当てて微笑むと、エーデルはようやく部屋を出て行った。マタリも先に行ってますねと馬鹿でかい声を残して出て行った。

 早くしないと猪に全て食べられそうな予感がしたので、勇者も慌てて着替え、顔を洗いに向かった。

 今日も騒がしい一日になりそうだった。こういうのもそんなに悪くないと、ほんの少しだけ思った。

 

 



 戦士ギルドに到着すると、勇者達は二階へと案内された。

 日光が完全に遮断された大部屋へ通されると、ロブは蝋燭に灯りを付ける。

 何故かは知らないが、試験を受ける勇者達だけではなく、暇そうに酒をあおっていた酔っ払いギルド員達も続々と入室してきた。


「こんな暗いところで試験をやるの?」

「そうだ。暗くしているのは試験の内容をはっきりと確認するためだ。駄目だった奴に色々と助言出来るからな」

「この暇そうな連中は?」

「後輩を応援しようっていう心優しい先輩達……だと良かったんだがな。嫌なら追い出しても良いぞ。試験には全く関係がない」


 ロブが賑やかに騒いでいるギルド員達を見て、呆れた顔をする。


「そりゃねぇよロブ!」

「俺達もしっかり応援するぞ!」

「……だ、そうだ。どうする?」

「別に、私達の邪魔をしないならどうでも良いわよ」


 勇者がマタリに視線を送ると、特に問題はないと頷いている。


「そうか。それでは、このまま職業認定試験を行うとしよう。準備は良いな?」

「何をやるのか教えてくれる? じゃないと心の準備が出来ないじゃない」

「そ、そうですね。まだ試験内容を詳しく教えてもらっていませんし」


 マタリはガチガチに緊張している。


「別に難しい話じゃないさ。コイツを使って、ちょいと夢の世界に行ってもらうだけだ」


 そう言うと、淡い光を放つ水晶を取り出すロブ。暗い部屋なのでどことなく幻想的に見える。

 布を敷いてその上に水晶を乗せると、軽く叩いた。

 勇者はそれに顔を近づけて観察する。妙な魔力は感じるが、特に怪しいものではないだろう。


「何これ。ただの水晶っぽいけど。儀式にでも使うのかしら」

「ああ、こいつが『星見の水晶』さ。教会からギルドに支給された試験の為の道具だ。ギルドが創設されて以来ずっと使われている。中々年季の入った逸品だぞ」

「ふーん、戦士ギルドも同じ試験なのねぇ。魔術師ギルドだけかと思ったんだけど」


 顎を撫でながら、エーデルが興味深そうに水晶を眺めている。

 何故こいつは我が物顔でこの場にいるんだろうと、勇者は眉を顰める。試験には全く関係ないので、適当にブラついてろと言っておいた筈だった。


「おい、なんでコイツがいるんだ。さっきから言おうと思っていたんだがな。我欲の為に死体を操る、悪趣味極まりない女だぞ」


 ロブが忌々しそうにエーデルを睨んでいる。死霊術師の悪名は中々に広まっているらしい。

 エーデルはそれがどうしたと言わんばかりに、腰に片手を当て、妖艶な笑みを浮かべて悪ぶっている。

 勇者は蹴っ飛ばしてやりたくなったが、もうすぐ試験なので我慢した。


「私? 私はこの子達の引率者よ。本当はとても忙しいのだけれど、来てあげたって訳」

「ちょっと誰が引率者よ。終わるまでブラついてろって言っておいたでしょう!」

「あら、そうだったかしら。不安で不安で泣きそうな顔してなかったかしら」

「誰がするか!」


 勇者が思わず声を荒げると、エーデルはしてやったりとほくそ笑んでいる。

 思わず挑発にのってしまった勇者は、視線を逸らして心を落ち着けようとする。こいつは人を怒らせる事に悦びを感じる腐った性格の持ち主。冷静になって対処しなければならない。

 一方、マタリは死ぬ程緊張しているようだ。完全に自分の世界に入ってしまっている。


「とにかく、ここでは大人しくしていることだ。下手な真似をしたら容赦しない。こいつらと一緒じゃなけりゃ、即座に叩き出す所だ」


 警戒心を露にしてロブが冷たく告げる。死体を操るという人間に対し、友好的に接しろというのも難しいだろう。


「ほら、アンタのせいで場が殺伐としてるわよ。分かったら宿で終わるまで待ってなさい」


 シッシッと勇者は手で追い払う。


「絶対にお断りよぉ。大事な仲間の試験を見守るのは当然でしょう? 心配で心配でいても立ってもいられないし。このままじゃとても帰れないわぁ」


 エーデルはわざとらしく豊満な胸の中央に手を当てて、いけしゃあしゃあとのたまった。


「……それで、その聖人ピンキーの本当の目的は?」

「勿論面白そうだからよ。貴方達がどんな試験を行うのか興味深々なの。今からワクワクが止まらないほど楽しみね」

「やっぱりピンキーはピンキーだったわね」

「フフ、問答無用で追い出されたらどうしようかと思っていたのだけれど。どうやら杞憂だったみたいね」


 エーデルが周囲を眺めると、いつの間にか試験の準備が整っていた。ギルド員達はどこからか椅子を持ち出し、水晶の周囲に陣取っている。


「何してるの、この酔っ払い共は」

「新人の試験を見守るための観戦席だ。水晶から試験の光景が映し出されるのさ。この馬鹿共はそれを見て、暇つぶし、酒の肴、賭けの対象にするって訳だな。心優しい先輩ばかりで泣きたくなるだろう」

「教えてくれてどうもありがとう」


 勇者は思わず眩暈がしそうになる。確かに泣きたくなるほど最低のギルドだ。レンジャーギルドにでも移ろうかと本気で考える。

 しかし、熊男が偉そうにしているのは気に食わない。それに勇者はそんなに手先が器用ではない。鍵開けとかそういうのは苦手だし、罠の作成などしたくもない。


「本当、脳みそが筋肉の戦士ギルドだけはあるわ。赤の他人の試験を観戦するなんて普通はありえないもの。魔術師の場合は、手の内を晒すことになるしね。まぁ、そのおかげでネズミを使う必要がなくなって、助かったけれど」

「アンタ、死霊術で覗く気だった訳?」

「それはそうよ。気になる事はこの目で確かめないとね。フフッ、死霊術って便利でしょう?」


 エーデルの言葉に、勇者は呆れて声も出ない。追い出されたらネズミの死体を通して覗くつもりだったようだ。


「流石はエーデルさんですね! 覗きなんて悪趣味なこと普通の神経だったら出来ないですし。そのピンク色は伊達じゃないってことですね!」


 いつの間にか自分の世界から帰還していたマタリが、いきなり猛毒を吐いた。毒の余波を受けたロブも少し引き攣っている。

 本当に天然なのだろうかと、最近勇者は疑問に思う事がある。その眩しいほどの笑顔からは伺い知ることは出来ないが。


「……ど、どうもありがとう。お褒めに預かり光栄だわ。あと、ピンクは全く関係ないからね」


 正面から毒を受けたエーデルは、顔を激しく引き攣らせながら作り笑いを浮かべている。

 話が逸れたと、ロブが軽く咳払いをする。


「ゴホン、それでは簡潔に説明するぞ。これからお前達にはこの水晶を使って、いわゆる夢の世界って奴に行ってもらう。試験内容はそこにいる敵を倒して『星石』を持ち帰ることだ。所詮は夢の世界だ、どんな手を使っても構わん。死んでもこちらには影響しないから心配はしなくて良い」

「星石ってなんですか?」

「使用した者に職業の刻印をしてくれる石だ。更に迷宮内の記憶した場所に転移してくれる優れものだ。帰還にも使えるから、冒険者の必需品ってやつだな。『転移石』とも呼ばれている」


 地下の被害者達を地上に運ぶときに使ったなと、勇者は思いだす。あれが星石なのだろう。地上と地下を自在に往復できるなんて、便利な道具である。


「その石って地上じゃ使えないの? 自由に他の国や街と行き来できたら凄いわよね。歩くのが嫌になりそう」

「魔素に満ちている地下迷宮でしか使えない。そんなにうまい話はこの世界にある訳がないな」

「ま、そりゃそうよね。ところで、その試験って難しいの?」

「合格率は七割ってところだな。俺がイケると判断した奴しか試験は受けさせないしな。失敗しても、何度でも受けさせてやるから安心しろ」

「ど、どんな敵が出てくるんですか?」


 不安そうにマタリが尋ねる。


「それはまだ言えない。とにかく、戦士としての気概を示せ。最後まで諦めるな。そうすれば心配しなくても大丈夫だ。マタリ、今までの鍛錬を思い出すんだ」


 ロブが力強く励ますと、マタリが拳を握り締めた。


「わ、分かりました。精一杯頑張ります!」

「よろしい。それじゃあそろそろ始めるか。まずはどちらからにする? 両方一挙にという訳にはいかないんだ。水晶は一つしかないんでな」


 その言葉に、勇者とマタリは目を合わせる。

 勇者はマタリから受けさせようと判断した。あまり時間を延ばしても、緊張が増すだけだろうから。さっさと挑戦させてしまった方が良い。


「マタリ、アンタに栄えある一番手を譲ってあげるわ。気合を入れて頑張ってきなさい」

「え、ええッ!? ゆ、勇者さんからじゃないんですか? ど、どんな試験なのか様子を見ようと思ってたんですけど」


 目を丸くして驚きの声を上げるマタリ。予想外だったようだ。


「アンタは考えれば考えるほどドツボに嵌る性格だからね。何も考えずに突っ込んだ方がきっと上手くいくわよ。ほら、さっさと行ってきなさい!」


 勇者がマタリの背中を強めに叩くと、前によろける。


「そ、そうでしょうか。……分かりました。勇気を出して、行ってきます!」


 マタリが水晶の前へと近づき、用意してある席へ腰掛ける。

 ロブが合図を送ると、鑑定士の男が近づいてくる。鑑定業務や抽出業務だけでなく、試験も担当させられているらしい。


「まずはマタリからだな。気を楽にして、呼吸を整えろ。準備が出来たら水晶に手を乗せて目を瞑るんだ。何も考えず、心を無にしろ」

「は、はい」


 マタリは何回か深呼吸した後、水晶に手を乗せた。


「よし、やってくれ」

「……了解しました。それでは始めます」


 鑑定士が詠唱を始めると、水晶が青白い光を放ち始める。魔法が発動すると、奥に掛けられた白い布目掛けて、水晶は強い光を放射する。

 マタリの身体がビクリと動いたかと思うとそのまま硬直した。無事に意識を失ったようだ。

 『夢の世界』とやらに旅立ったらしい。果たして無事に帰ってこれるのだろうか。


「始まったみたいね。ほら、あの白い布にマタリちゃんの『夢の世界』が映し出されているわ」


 エーデルの言葉に、勇者は大きな白布へ視線を向ける。

 周りの男達は早速合格するか、失敗するかで賭けを行っている。酒を持ち込んで騒いでいる馬鹿者の方が割合としては多い。人の真剣勝負を見るというのは、良い酒の肴になるのだろう。

 白布には神殿内部のような場所が、はっきりと映し出されている。完全武装したマタリがキョロキョロと辺りを眺めていた。


「便利な魔法もあるのね。人の意識だけ飛ばすなんて。しかもその世界を見る事が出来るなんてね」

「この水晶に溜められた力のおかげよ。それに意識を飛ばすなんて大したことじゃないわ。死者を復活させることに比べればね。そう思うでしょう?」


 エーデルが無表情で小さく呟いた。勇者はそれには応えない。


「…………」

「あら、どうやらマタリちゃんの敵が現れたみたいよ。一体誰かしらねぇ。まぁ、大体予想はつくんだけれど」


 エーデルの言葉の通り、灰色のフードを被った何者かがマタリの前に現れた。背丈はマタリよりも小さい。


「何よあいつは」

「マタリが戦うべき相手だ。さっき、敵がどんな奴なのか言えないと答えただろう。言葉の通り、入ってみるまで誰と戦うかは分からないんだ」


 夢の世界の謎の人物が思わせぶりにフードを取り、剣を抜き放って戦闘態勢を取った。


「……え?」


 勇者が思わず絶句する。

 ロブはそうきたかと顎を撫でる。エーデルはニヤニヤと微笑んでいる。ギルド員達は盛り上がって大いに歓声を上げている。


「コイツは予想外だな。マタリの場合は、アート一族の当主様が出てくると思ったんだが」

「私の予想通りね。ほぼ間違いなくこうなると思ってたわぁ」


 姿を現した謎の人物。非常に短髪黒髪で小生意気な顔をしている。自信満々、我に敵なしといった態度で偉そうに剣を弄んでいる。

 良く見慣れたその姿は、簡単に言うと、勇者そのものだった。

 マタリは驚愕の表情を浮かべて、剣を構えている。何か話しかけているようだが、何を言っているかまでは分からない。声や音までは水晶は拾ってくれないようだ。

 暫く応酬した後で、悪魔のような笑みを浮かべた勇者もどきは、マタリへと襲い掛かった。

 不意を突かれたマタリは、蹴りをもろに腹部へと喰らってしまう。あれは痛いだろう。

 更に勇者もどきは剣で連撃を喰らわせようと追撃を始める。マタリが必死に応戦する。


「ちょ、ちょっと。何で私の偽者があそこにいるのよ。これは一体どういうことよ!」

「これがこの試験の特徴だ。そいつが今まで会った中で、最も強いと認識している奴が敵として登場するのさ。その相手に対してどう立ち向かうかを見て、この水晶は合否を判断する。負けた時でも星石をくれる場合があるからな。ちなみに俺も何度も敵役を務めたことがあるぞ。一応光栄なことだから、素直に喜んでおけ」

「この子の印象は強烈だものねぇ。ちっこい癖に馬鹿力。勇者を名乗って奇妙な魔法も使う。口は悪いし態度は死ぬ程偉そう。忘れたくても忘れられないわよねぇ」


 貶された気がしたので勇者はエーデルを睨みつけてやった。全部事実でしょとエーデルが指先で額を突いてくる。


「だからって。何で勇者の私がやられ役なのよ! 納得がいかないわ。ちょっと、今すぐに私をあそこに送り込みなさい」

「無茶を言うな。介入できる訳がないだろう。第一お前が行って、何をしようってんだ」

「簡単よ。私が代わりに勇者もどきをブチのめすのよ。自分がやるなら良いけど、人にやられると腹が立つのよね!」

「何をムキになってるのよ。ほら、仲間ならマタリちゃんを応援して上げなさいな。小憎らしい小娘を、コテンパンに叩きのめすよう祈らないと駄目よぉ」


 いつか必ず仕返ししてやると、勇者は心に刻み込んでおいた。

 夢の世界のマタリは、昨日の手合わせの時と同じく我を失い始めている。

 追い込まれると性格が変わるのだろうか。攻撃が苛烈になり、容赦のないものになってきている。

 防御を放棄した攻撃一辺倒の動き。それが逆に相手の攻撃を防げることになっているから有効ではあるのだろう。

 だが、あまり近づきたくはない感じである。顔が非常に危険なものになっており、敵味方の判断が出来ているのか疑わしい。


「あ、あいつ、こんな激しい戦い方するようになったのか?」

「……そこでなんで私を見るのよ。あれは私のせいじゃないわよ!」


 ロブの疑うような視線に、勇者が強く否定する。

 そうこうしている内に、いつの間にか両者は剣を投げ捨てている。足を止め超至近距離での苛烈な殴り合いが始まったようだ。

 マタリは腕を振り上げて、獰猛な笑みを浮かべながら乱打を仕掛けている。勇者もどきは押されながらも、反撃を繰り出している。

 二人の顔は腫れ上がり見れたものではない。鼻血を流し、怒声を張り上げながら殴り合い続ける。

 観戦していた酔っ払い達が完全に引いている。騒がしかった歓声は完全に止んでいた。

 ロブも冷や汗が止まらないようで、手拭を落ち着きなく動かしている。

 いつまでも続くと思われた殴り合いに、終止符が打たれるときが来た。

 マタリの剛拳が勇者もどきの顔面を完璧に捉え、昏倒させる事に成功したのだ。

 崩れ落ちる勇者もどきを勢い良く蹴り飛ばす。倒れこんだところへ馬乗りになり、体重を掛けて容赦なく攻撃を繰り出すマタリ。

 その姿はまさに狂戦士といったものである。前回の時とは違い、敵の右肩を抑えて半身の行動を阻害している。学習してしまったようだ。完全に戦闘不能となった哀れな敵。だがまだ戦いは終わってはくれないようだった。

 口元を歪めたマタリは、勇者もどきの首を両手で掴むと、力を籠めてへし折った。細首が嫌な方向に捻じ曲がる。

 勇者もどきは息絶えてしまった。


「あらあら。勇者ちゃんが死んじゃったわ。おお神よ、彼女に安らかな眠りをお与えください。その哀れな御魂がどうか救われますように」

「…………勝手に殺さないで頂戴」

「フフ、マタリちゃんも中々やるわねぇ。凄い戦いぶりで驚いちゃったわ」


 心の底から楽しそうに微笑みながら、祈りを捧げているエーデル。

 マタリは剣を掲げて勝利の雄叫びを上げている。勇者もどきの死体を踏みつけながら。


「……ちょっとというか、かなりやりすぎじゃないかしら。段々ムカついてきたわ」

「試験だから仕方ないじゃないでしょう。許してあげなさいな、大人なんでしょう?」

「ど、どうやら試験は終りみたいだな。あまり気にすることはないぞ。敵意を持っているとかそういうのではなく、強さの認識だけで敵役が決まるからな。……お、おい、聞いてるか?」


 動揺を抑えながらロブがフォローするが、勇者の耳には入っていない。

 戻り次第、お仕置きをする。これは既に確定事項だった。

 水晶の光が徐々に消えていく。試験が終了したようだ。

 意識を取り戻すと、慌てて状況を確認するマタリ。顔をペタペタ触って怪我の具合を確かめている。夢の世界の出来事なので、現実では無傷のようだ。

 勇者はマタリにゆっくりと近づいていく。


「あ、あれ。お、終わったのかな。勇者さんの偽者を倒して、石は手に入れたはずだけど」

「……おかえりなさい、マタリ。随分と大変だったみたいね。本当に心配してたのよ」

「あ、勇者さん! そうなんです。試験の敵が、実はゆうひゃ――」


 言い切る前にマタリの頬を思い切り抓る。抓って捻る。手加減せずに。


「知ってるわ。全部見てたから。それにしても随分ご機嫌な戦いぶりだったわね。日頃の恨みがもしかして出ちゃったのかしら」

「い、いひゃいへふ!」

「そう? 大したことないと思うけど」

「ひゃ、ひゃめて」


 マタリが涙目になる。勇者はびよーんと頬を引っ張る。


「お、おい、そのくらいにしておけ。マタリ、持ち帰った石をこちらに見せてみろ」


 ロブの言葉に勇者は仕方なく手を離す。


「ひ、酷いです! また痕が残っちゃいます!」

「まぁそれは良いから。早く石を見せてみなさいよ。ほら、手に何か握ってるじゃない。きっとそれが星石ってやつよ」


 まだ何か言いたそうなマタリだったが、渋々といった感じで握っていた石をロブに見せる。


「う、ううっ。こ、これで良いですか?」

「よし、認定試験は合格だ。後は星石がお前に戦士の刻印をしてくれる。石を持って強く念じるんだ。持った方の手に刻印がされるから気をつけろ」

「ね、念じる? 何を念じたら良いでしょうか」

「自分の夢、成し遂げたい事でも思い浮かべたらどうだ。別に何でも良いんだ。とにかくやってみろ」


 マタリは戸惑いながらも、ロブの指示通りに星石を左手に持つ。そして目を瞑りながら、うーんと唸り始めた。


「……戦士、立派な戦士に私はなりたい。アートの名に恥ずかしくない、立派な戦士に」


 狂戦士の間違いだろうと思ったが、勇者は口に出さない。マタリの顔が真剣だったから。茶化してよいことではない。

 石が強い光を放つと、マタリの左手が輝き始める。紋章のようなものが浮かび上がり、やがて光は消えていった。


「……せ、成功のようだな。おい、もう目を開けて大丈夫だ。左手に紋章が刻印されたぞ」

「ほ、本当ですか!」

「あ、ああ。無事“立派な戦士”として認められたらしい。よ、良かったな、マタリ」


 何故か言い淀むロブ。顔は完全に引き攣っている。

 ロブの言葉にマタリが目を開け、自分の左手を嬉しそうに確認する。

 満面の笑みが徐々に翳りを帯び始め、目蓋を何回か擦る。

 どうも納得いかない何かがあるらしい。勇者も覗き込んでみる。確かに紋章は左手に刻まれていた。


「あ、あのう。こ、これ何かの間違いじゃないですか? な、何かやたらと過激な気がするんですけれど……」

「うん? 剣は戦士の象徴だ。全く何の問題もないと思うぞ。他は細事に過ぎない。そんなことに囚われているようでは大成できん」


 紋章を直視せずに、適当なことを白々しく述べるロブ。深く突っ込みたくないようだった。


「そ、そうじゃなくて、この紋章、何か間違ってないですか?」

「星石が判断を誤ることはない。……素直に諦めろ」

「そ、そんな」


 マタリががっくりと肩を落とした。

 左手に刻印された紋章。髑髏に突き刺さるように交差する二本の剣。

 まるで海賊旗のような紋章。戦士は戦士でも、『狂戦士』だったようだ。分類としては戦士だから、一応間違ってはいない。


「アンタに実にお似合いよマタリ。無事(狂)戦士として認められて良かったじゃない。その紋章、本当に素敵。とても羨ましいわ」

「か、顔が物凄く笑ってますよ勇者さん。それに皆引いてるじゃないですか! ううっ、こ、これ消せないんですか?」


 ゴシゴシと左手の甲を擦り始めるマタリ。残念ながら消える気配はない。刻印と言うぐらいだから、それはそうだろう。


「消せるはずがないだろう。まぁ消す方法がない訳でもないが。一度消したら二度と付けられん。地下迷宮に入ることは出来なくなるぞ」

「そ、そうなんですか。……じゃ、じゃあ本当は嫌だけど我慢します。ど、どうして私に髑髏印が」

「いいじゃないのマタリちゃん。そこらの雑魚は、その紋章を見ただけで怯えて逃げ出すわよぉ。フフ、そのうち素敵な称号で呼ばれるでしょうね」

「髑髏の戦士マタリ。死神戦士マタリ。髑髏が似合う女マタリ……プッ」

「ゆ、勇者ちゃん、私を笑わせようとするのはやめて」

「わ、笑い事じゃないですよ二人とも! 人のことだと思って!」


 勇者が思わず吹き出すと、エーデルが身体を震わせながら笑いを堪える。マタリは顔を赤くしている。


「こ、篭手で隠して見えないようにします。髑髏印なんて縁起が悪いですし。それに、こんなこと皆に知られたら変な目で見られます!」

「もう遅いんじゃないかしら? 明日にはギルド中、明後日には街中で広まっているかも」


 ギルド員たちがこちらを見ながら話している。直ぐに噂は広まることだろう。

 マタリがガクりと肩を落とす。

 勇者も噂が広まるように協力するつもりだ。先程の一件を根に持っているわけではないと、心の中で言い訳をする。


「よし、マタリはこれで良いとして。次はお前の番だな」

「……全然良くないです。大問題です」


 ぶつぶつと呟くマタリ。勇者達はあっさり聞き流す。


「ようやく私の番か。サクッと終わらせるわよ」

「勇者さん、頑張ってください! 勇者さんならきっと大丈夫ですから!」


 左手を隠しながら、応援の言葉をかけてくるマタリ。


「頑張らなくても余裕と言いたいところだけれど、果たして何が出てくるやら」

「勇者様のお相手だから、さぞかし凄いのが出てくるんだろうな。俺も楽しみだ」


 ロブの言葉に、勇者ははいはいと受け流しておいた。


「ではここへ座れ。水晶に手を乗せて気を楽にしろ。緊張せずに心を落ち着かせろ。まぁ、お前には言うだけ無駄だろうがな」

「私は常に自然体だからね。緊張なんてしない」

「頑張ってね。フフッ、どんな敵が出てくるのか本当に楽しみだわ」

「やっぱりアンタだけはたたき出しておくべきだったわね」


 勇者達の軽口を遮るように、鑑定士が声を掛けてくる。


「準備はよろしいですか?」

「いつでもいいわよ。さっさとやって」

「それでは術を発動します」


 鑑定士が詠唱を始める。強い光に覆われて意識が深く沈んでいく。深く深く沈んでいく。まるで水中に沈んでいくかのように。


 勇者が目を開けると、ギルドの大部屋ではない、別の場所だった。

 マタリの時のような神殿ではない。豪奢な玉座が一つだけある、薄暗い場所。見覚えがある。

 玉座には豪奢な法衣に身を包んだ巨大な魔物が座っていた。見るからに人間では太刀打ち出来ないと分かる異形の者。

 赤き皮膚は竜の如き強靭な鱗を持ち、鋭い牙は獅子を連想させる。背中には四枚の巨大な黒き羽根。巨人族を凌ぐ膂力を持つ両腕の先には、全てを引き裂く四本の凶爪がそれぞれ備わっている。頭部からは捻れた三本の角が突き出しており、異形の者は憤怒の形相を浮かべていた。

 異形の者は武器を必要としない。その全身を凶器となし、あらゆる敵を屠ってきたのだから。

 異形の者は防具を必要としない。その身体を貫く事が出来る武器など存在しないのだから。


「やっぱり、私の相手はこうなったか。……私とアンタは似た者同士。なんだか懐かしい言葉ね」

「…………」

「でも、お前はアイツとは違う。私達は、自分の意志で最後の瞬間まで戦った。決して誰かの掌の上で弄ばれたんじゃない。だから、自分の意志を持たないお前はただの偽者、出来損ないの幻よ」


 勇者の言葉に、異形の者が怒りの咆哮をあげた。勇者は素早く剣を抜き、玉座に向かって走り始めた。

 異形の者。魔物達を統べた最強の魔物。勇者と戦い、そして敗れ去った誇り高き王。

 人間達の希望を背負わされたのが勇者ならば、魔物達の憎悪を背負わされたのが魔王だった。

 勇者と魔王。光と闇。相反するが故に、似たもの同士。だが、決して分かりあえることはない。

 魔王が口から炎を迸らせ、怒号と共に吐き出した。灼熱の炎を正面から潜り抜け、勇者は飛び上がって剣を突き出す。

 勇者と魔王の戦いが、夢の世界で再び始まった。



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