第十四話
戦いを終えた勇者が、汗を手で拭ってから一息吐く。
体が気だるさを訴える。今日の敵があまりに不愉快だったせいだろう。
想像しただけで虫唾が走る奴だった。やらなければならないであろう後始末を考えると、更に気分が重くなる。
「ゆ、勇者さん! 大丈夫ですか!?」
マタリが駆け寄ってきたので、左手を見せる。既に治癒は終了しているので問題はない。毒が回る前に始末した。
「大丈夫よ。最後はちょっと予想外だったけど。ほら、傷跡もないでしょう」
マタリはそれを見ると、安堵の溜息を吐いた。
「本当に良かったです。私も加勢しようかと思ったんですけど、邪魔になりそうだったので」
「今回のは一対多数の戦闘に慣れてないと辛いわね。アンタも少しずつ覚えていきなさい」
「はい!」
勇者は入り口付近で倒れている生き人形を眺める。剣ではなく、最後まで盾で行動不能へと追いやったようだ。
「アンタ、剣使わなかったんだ。キツかったでしょう?」
「ええ、大変でしたけど、やっぱり出来ませんでした。操られてるだけのようでしたし。その、ごめんなさい」
「別に謝る必要はないわよ。私が何を言おうと最後は自分で判断して決めなさい。それが何より重要だからね」
たとえその結果、失敗したとしてもだ。選択を後悔したとしても、自分で選び取ることは重要だ。誰かの言いなり、或いは運命などという言葉に身を任せるのは最悪だと勇者は考えている。
「わ、分かりました!」
「よろしい。それじゃ、まずはこの場の後始末と行きましょうか」
勇者がそう告げて、周囲を見渡す。倒れているのは賞金稼ぎと、操られていた生き人形。
冒険者達は戦闘に巻き込まれた者は負傷しているが、死に至りそうな人間は見た感じはいない。暫くすれば意識を取り戻すだろう。
一方の人形達は支配から解放されていると思うが、果たして元に戻せるかどうか。
「マタリ、アンタは出血してる賞金稼ぎの手当てを。馬鹿な奴らだとは思うけど仕方がない。後できっちりお礼を分捕りましょう」
「はい! 包帯巻いてきます!」
マタリが包帯を取り出して駆け始める。
勇者は呆然としているエーデルに向かって大声をあげた。
「ちょっとそこのピンキー! いつまでもへこたれてないで、アンタも手伝いなさい」
「……え?」
「アンタよアンタ! ピンクといったらアンタしかいないでしょうが、このピンキー!」
自分の事を言われていると気がついたエーデルが、すくっと立ち上がり、こちらへと駆けてきた。
先ほどまで倒れていた癖に、意外と元気な様子である。
「だ、誰がピンキーよ!! 私の名前はエーデル。エーデル・ワイスよ!」
「うるさいわね」
「私はピンキーじゃない! ピンキーじゃないのよッ!」
何か嫌な思い出でもあるのだろうか。エーデルは顔を真っ赤にして連呼している。
「耳元で騒がないで頂戴。私達がいなければ、変態の玩具だったくせに」
勇者は指でピンキーのおでこをグリグリと突いてやった。
この時大事なのは、ニタニタと馬鹿にした笑みを浮かべることだ。こうすることで、相手の怒りに油を注ぐことが出来る。
「こここ、こんの糞餓鬼っ! アンタ達がいなくても、いなくてもっ……」
大声をあげようとするピンキー。だが先程の戦闘を思い出したのか、段々と声の調子が小さくなっていく。
「ぴ、ピンキーさん。どうしたんですか? さっき頭でも打っちゃいましたか!?」
賞金稼ぎの一人を包帯でぐるぐる巻きにしているマタリが、ピンキーの傷口にぐりぐりと塩を塗る。
こういう時は、天然な性格の方が残酷である。
「い、いえ、確かに貴方達の言う通り。私はラスの人形とされていたでしょうね。ピ、ピンキー呼ばわりされても仕方がないわ」
肩を落としてしまったピンキーことエーデル。
マタリが慰めるように背中を優しく擦っている。むしろ逆効果だろうと思ったが、勇者は放っておいた。
「どうしたの? 急に殊勝な態度になったりして。前みたいにピンキーらしく振舞っても構わないけど」
「……クッ、何とでも言いなさい。賞金首ラスを討ち取ったのは確かに貴方。見事としか言いようがないもの」
そう呟くとラスが先ほどまで存在していた場所へ歩いていくピンキー。
少しの間目を瞑った後、勇者が切り落とした『左手』を回収して、小さな袋へと入れる。
「欲しいなら上げようか? 何か因縁がありそうだし。私はたまたま始末しただけだから」
「いらないわ。私は他人の手柄を奪うような真似はしない。前にも言ったと思うけれど。……ハァ、なんだか気が抜けちゃったわ」
左手を入れた袋をこちらに放り投げてくる。持っていて気分は良くないので、皮袋へとすぐにしまい込む。
「そんなことはどうでも良いんだけど、こいつらは元に戻せないわけ? 放置してっても良いけど、魔物の餌確定よ」
虚ろな瞳で倒れ伏せている生き人形達。たとえ意識が戻ったとしても、後悔しそうな身体の者ばかり。無茶な戦闘を強要された代償だ。
「脳を弄繰り回されたみたいね。こうなってはもうどうにもならない。どんな治癒術でも治すのは無理よ。可哀想だけどね」
「そ、そうなんですか……」
エーデルの言葉に、マタリはひどく落ち込んでいる。世の中というのは大抵そんなものである。
勇者の治癒術を試すまでもない。例え治癒術を使ったとしても、廃人を一人作成するだけに終わる。肉体を直せたとしても、壊れた精神までは癒すことは出来ない。逆にどのように治すのか教えて欲しいくらいだ。
勇者の精神力もそこまではもたないだろう。今の自分は疲弊が激しい。
「ピンキー、賞金稼ぎ達をさっさと上へ戻す方法はある?」
「そうね、転移石を使えば可能よ。私も持ってるし、さっきラスが使おうとしてたでしょう。場所さえ記憶させておけば、往復も可能よ」
「複数の人間を連れて行けるの?」
「掴んでいれば大丈夫よ。転移効果が適用されるから」
エーデルの言葉に、勇者は軽く頷く。
「よし。マタリ、アンタは転移石を使って門番に適当に説明しておいて。後、必要な奴には治療を受けさせるように段取りを。ピンキー、アンタは往復して賞金稼ぎを上へ運んで。手間賃は後でこの馬鹿共から請求しなさい。吹っかけても構わないわ」
勇者は言い切ると、一度息を吐く。
「ゆ、勇者さんは?」
「私は、やるべきことをやってから戻るわ。誰かがやらないといけないでしょ。上に戻されるまでには終わらせる。また後で会いましょう」
「……わ、私も、お手伝いを」
マタリが顔を強張らせて残ろうとするが、勇者は首を横に振る。
何となくだが、こういう事にマタリを関わらせたくなかった。それに自分の姿を見られたくもなかった。
「良いのよ。こういうのは私に任せておきなさい。ほら、さっさと行かないと出血死しそうな奴もいるわよ。さっさと行きなさい」
勇者は無理矢理に笑みを浮かべると、マタリに背を向けた。
◆
地下でやるべき事を終えると、エーデルに頼んで犠牲となった人形達も地上へと運んでもらうことにした。その場で焼却しても良かったのかもしれないが、家族がいるならば彼らに任せた方が良いと考えたのだ。
命拾いした賞金稼ぎの生き残り達が、迷宮前の広場で応急治療を受けている。その数は九人。彼らは運の良い人間達である。
マタリはというと言われた通り門番に事情を説明していたが、全く要領を得なかったようだ。身振りをつけて頑張って説明しているが、上手く話を纏められているようには思えない。
勇者の姿を確認した門番が近づいてきて、詳しく事情を話せと迫られてしまった。
勇者がマタリをジト目で睨みつけると、頭を掻きながら申し訳ありませんと所在なげに縮こまる。
地上ではまだやるべき後始末が残っているので、勇者は後で詳しく話すと告げ、足早に迷宮入り口を後にする。
勇者、マタリ、エーデルは特に会話をすることもなく歩き続ける。向かう先はギルドではなく、スラム地区。
スラム地区は柵で隔離されているため、入り口となる場所はひとつしかない。教会の衛兵が通行する者たちに常に目を光らせている。
廃墟が立ち並ぶ町並み。暫く歩くと、瓦礫の上に座っている少女がいた。飴玉を舐めながら、行き交う人々を観察している。
服装は造りは良さそうなお洒落なものだが、色褪せて汚れてしまっている。拾ったのか、元々の所有物なのかは分からない。
顔立ちはどことなく育ちが良さそうな印象を受けた。
勇者は近づいて声を掛ける。
「ちょっと良いかしら。アンタ、ここらへん詳しい?」
「あまり詳しくない。最近捨てられたから。でもコロンちゃんは詳しいよ。何でも知ってるの」
「アンタ、あいつの知り合いなんだ。良かったらちょっと呼んできてくれない? お礼はするわ」
「お姉さんはコロンちゃんのお友達?」
「まぁ、そんなところよ。先に渡しておくわ。これで美味しいもんでも食べなさい」
「ちょっと待ってて」
勇者が少女に銀貨一枚を握らせる。少女は飴玉を噛み砕くと、小走りに路地裏へと入っていった。
エーデルが声を掛けてくる。
「貴方、ここの子供に知り合いがいるの?」
「まぁちょっとね。今度案内してくれるって約束してたし。もしかしたらあの屑の家も知ってるかもしれないわ。一軒ずつこんな廃墟を探すのは時間の無駄でしょ」
「確かに、どこに誰が住んでいるか、ちょっと見じゃ分かりません」
マタリが廃墟を見渡す。明らかに人が住めなさそうな野ざらしの家もあれば、洗濯物が干されている崩れ掛けの家もある。
「ここは相変わらずね。この街の汚いものは全てここに集ってくる。人の悪意の溜まり場よ」
エーデルが不快気に吐き捨てる。普段の飄々とした態度はそこにはない。
「アンタもここ知ってるの?」
「……少しはね」
エーデルが言葉を濁したので、勇者も深くは聞かなかった。誰にも聞かれたくないことはあるものだ。
会話もなくその場に立ち尽くしていると、先ほどの少女が帰ってくる。その後ろから、錆びた剣やら鍬、壊れた鍋やらで武装した少年達が現れた。顔つきはひどく緊張し、身体も震えている。
先端が折れている剣を装備しているのはコロンだ。勇者の顔を見ると、一転して安堵の表情を浮かべる。
「なんだ、勇者の姉ちゃんじゃんか! おいシルカ、この人は悪い人じゃないよ。俺を見逃してくれたこともあるんだ」
「そうなんだ。てっきりならず者かと思ったよ」
「……ちょっと、誰がならず者よ。そもそもならず者はお礼なんてしないでしょ」
「ゆ、勇者さん落ち着いて。まだ子供ですよ」
「私は別に怒ってないわよ。文句を言ってるだけ」
マタリが背中をまぁまぁと撫でてきた。その生暖かい目はどうも子供を宥めているような印象を受ける。
イラッときた勇者はマタリの頬を思いっきり抓っておく。涙目になる猪を見て、勇者はフンと鼻を鳴らす。
「そのぐらい警戒しないと、ここでは生きていけないんだよ。ごめんねお姉さん」
シルカと呼ばれた少女が淡々と呟く。
「ったく、慌てさせんなよな、もう。お前ら、解散だ解散! 戻ってヤトゥムと遊んでていいぞ!」
「あいよー。コロンも早く戻ってこいよ」
「へへ、俺達はカードの続きだ。次は俺が親だったよな」「いや、俺だったろ」「お前はさっき負けただろ!」
コロンが号令すると、後ろの少年達が賑やかに路地裏へと引っ込んでいく。
「アンタ達、孤児院に入ったんじゃないの?」
「孤児院? ここの孤児院はもう満杯で俺達が入る余裕なんてないよ。俺達の寝床はこの路地裏にあるんだ」
「そうなの。でも面倒見の良い人がいるんでしょ?」
「へへへ。もし良かったら会っていく? 勇者の姉ちゃんの話したら会いたいって言ってたし。きっと仲良くなれると思うな」
コロンが鼻頭を掻きながら笑う。勇者も表情を和らげるが、今日はやらなければならない事がある。
「ゴメン、今日はちょっと無理なのよ。また今度紹介してくれる?」
「別に良いよ。俺達はいつもここらへんにいるからさ。 ……それで、何で俺呼ばれたんだっけ?」
「アンタなら、ここらへん詳しそうだから、とある屑の家を知ってるかと思って」
「へへ、このスラムは俺の庭だからね。何でも聞いてよ。逃げ場所から隠し通路まで何でも知ってるよ
」
コロンが誇らしげに腕を組む。
「賞金首、ラス・ヌベスが住んでいた場所を知りたいのよ」
エーデルがコロンに尋ねるが、うーんと首を捻る。
「賞金首って言われても、一杯いるからなぁ。名前まで覚えていられないよ」
「じゃあ、怪しい人形術師ならどうでしょう!」
頬を擦っていたマタリが大声で尋ねると、コロンは顔を顰めながらも手をポンと打つ。
「あー、分かった。あのすんげー臭い店でしょ。店の爺さんもなんか怪しいし、目が怖いし。絶対に近づかないようにって俺達も気をつけてたんだ」
「……案内してくれるかしら。勿論お礼はするわ」
エーデルがお金を渡そうとすると、コロンはいらないと両手を振る。
「お礼はいいよ。勇者とマタリの姉ちゃんはもう友達だし。でも店の前で勘弁してよね。あそこ本当に臭いからさ」
「それで構わないわ。案内、お願いね」
「それじゃついてきて。ゴロツキが多くて危ないから、迷わないようにね」
コロンが駆け出したので、勇者達も慌てて走り始める。案の定エーデルが徐々に遅れていった。
暫く進んでいくと、ある寂れた店の近くでコロンが立ち止まる。ここだよと指で示すと、辛そうに鼻を摘む。店の前だというのに奇妙な異臭がするのだ。
血の臭いと腐臭が混ざり合ってような不快なもの。香で誤魔化そうとしているようだが、まるで効果を成していない。
勇者達はコロンに礼を言い、中へと入る事にした。コロンとシルカは立ち去らずに様子を眺めている。
「……こんなところに住んでいたのね。闇の鑑定士として生計を立てていたらしいけど。誇り高かった魔術師がここまで墜ちるとは」
エーデルが顔を顰めながら呟く。勇者は店内を観察する。どれもこれも埃まみれでどのような道具なのか見当もつかない。
「ふーん。まぁどうでも良いけど。まぁ、奥には想像したくない物が一杯あるんでしょうね」
「…………多分、いや間違いなくそうでしょうね」
エーデルが重々しく呟き、押し黙る。
勇者がやるべきこと。屑が残したであろう材料の後始末。何がそこにあるかは大体想像できる。自分とエーデルは耐えられるだろうが、マタリはどうか。
「ゲホッゲホッ! この臭い、なんなんでしょうか。すえた様な、腐った臭いが。オエッ、は、吐きそうです」
涙目のマタリが口元を押さえて嘔吐を必死に堪えている。
勇者は丸まった背中を擦りながら、退出することを促す。
「マタリ、アンタは外に出てなさい。この先には何も良い事はないからね。今回も私に任せておきなさい」
「で、でも」
「アンタは入り口を固めてなさい。無理することはないわ」
「……いえ。私もついていきます。私も勇者さんの仲間ですから、一緒に行きます!」
「……どうしても?」
「はい」
「…………無理はしないようにね」
勇者が真剣な表情で忠告すると、マタリが口元を抑えながら頷く。
勇者とエーデルが先を進み、後方から気力を振り絞るマタリが続く。
「……あの娘には優しいのね」
「見なくても良いものだってあるわよ。哀れな男の悪夢の残滓。そんなものを見る必要はない」
「悪夢か、確かにそうね。その先には何もない。ただの空虚。……さぁ、奥に行きましょう」
奥に入った勇者達を待ち受けていたのは、この世の地獄だった。
おぞましいなどという言葉では到底片付けることの出来ない光景。
目を覆っても、脳裏に焼きついてしまう惨状。耳を塞いでも聞こえてきそうな怨嗟の声、羽虫の音。鼻を覆っても防ぐ事の出来ない腐臭。
身体を――されながらも、未だに生かされ続けている娘。意識があるのか、時折苦悶の声を上げている。死にたくても死ねないのだろう。彼女の部位がそこかしこに散らばっている。
血の池が広がるその先には、『自分の番』を待っている意思を失った人間達。
顔を歪めながら、人形達を端から眺めていく。
ラスに攫われて、脳を弄くられたのだろう。虚ろな目で、ただ正面を眺め続けている。呼吸をしているだけの、ただの人形。
だが何人かはこちらに反応を示す者もいる。まだ弄られていないか、わざとそうされているのだろう。意思のある状態で解体するなどと、あの外道はほざいていた。
「――あ、あ、ああ」
勇者が後ろを振り返ると、目を見開いたまま何も言えないでいるマタリがいた。身動きも出来ないようだ。
常人ならばこうなるのは当たり前だ。これを耐え切れる方がどうかしているのだ。
「マタリ、外に出ていなさい」
「――え、あ、ああ、な、なんで、こんな」
「駄目か。だから止めとけって言ったでしょう」
勇者が唖然としているマタリの正面に立ち、両頬を手で挟む。おぼつかないマタリの焦点。勇者は催眠魔法を使い、強制的に気絶させる。催眠魔法を成功させるには対象の至近距離、更に抵抗できないほど弱った精神状態でなければならない。
両方満たしているマタリはその場に崩れ落ちる。勇者はマタリを地獄から運び出し、外の空気が入る場所へと移動させる。
「――ゲホッゲホッ!!」
エーデルも口元を押さえて、激しく咳き込む。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。死人を操る彼女も、どうやら常人だったようだ。ならば狂人の後始末は同類がやるべきなのだろう。勇者が微笑む。
「大丈夫? アンタも外に出ていても良いわよ。後は私が始末するから」
勇者は見慣れている。魔物達が村を襲ったあとは、大抵こうなる。悪戯半分で人間を玩具として扱うのだから。それを埋葬するのは、大分気が滅入る作業である。このような事をする魔物の中には、当然堕ちた人間も含まれる。むしろその割合の方が高かった。
「だ、大丈夫。私は死霊術師だもの。これぐらい、だ、大丈夫。大丈夫よ」
「そう、なら良いわ。……さてと」
口元を押さえているエーデルを置いて、勇者は意思があり、助かりそうな人間に治癒術を掛けていく。精神力が削られていくが、ここで見捨てるわけにもいくまい。
数十人いる犠牲者のうち、五人だけは助ける事が出来た。彼女達の精神は激しい恐怖から錯乱しており、抑えるのに苦労しながらもエーデルが外へと連れ出していく。今後、元通りに快復するかどうかまでは保証出来ない。
そして、もう助からないと思われる者達には処置を行なった。延々と苦痛を味わったであろう娘は、最後の瞬間だけは安らかな表情を浮かべていた。
これが勇者には堪えた。慣れているはずなのに、何かが折れそうになる。胃から酸っぱい物が溢れそうになる。
吐き気を誤魔化そうとして、つい愚痴が漏れてしまった。
「こういうのを見せられると、つくづく思うのよね」
「……何を?」
「私は、死に場所を間違えたんだなって」
「どういう意味?」
「そのままの意味よ。さて、後は――」
材料置き場として使われていたであろうこの部屋。
勇者の視線の先には、厳重に施錠されている部屋がある。まだ、開かれていない地獄が待っているのだ。
「嫌だけど、行くしかないでしょう」
「……これ以上何があるというのかしら」
「それはあの外道に聞かないと分からないわ。この場にいたら、聞く前に八つ裂きにしてやるけどね」
勇者はダガーナイフを抜き、施錠された鍵を強引に破壊する。扉を蹴破って中に入る。
中は魔法で灯された明かりが一つだけついており、部屋の壁には呪文の記された札があらゆる場所に貼り付けられている。
中央には、魔法陣が記されており、その上に少女が手を組んだ状態で寝かされていた。
他の人間とは明らかに扱いが違うと分かる。
勇者は傍に近づき、少女を眺める。
眼孔は空虚であり、何かを映し出すことはない。
あの外道が勇者の目玉を手に入れていたら、ここに収まることになっていたのだろう。胸糞の悪さに勇者は歯を食いしばる。
裸の身体は整っているが、どこか歪な印象を受ける。良く観察すると、部位がそれぞれ繋ぎ合わせられているのが分かる。皮膚を貼り、継ぎ接ぎを巧妙に隠しているのだ。
――そして、少女は、この有様で生きている。
「カ、カタリナ?」
「アンタの知り合い?」
「……五年前に死んだラスの娘よ。この子が流行り病でこの世を去ってから、あの男は狂いだした。全ての歯車が狂いだしたのよ」
勇者はカタリナという名前だった少女を見つめる。この娘の本来の部分はまだ残っているのだろうか。全てを継ぎ接ぎで作り上げられ、再び名前を与えられ、魂を入れられてしまったこの人形に。
「…………」
勇者は少女から視線を外す。見ていると気が触れそうになる。早いところ処置を行なわなければならない。狂人の残滓など残しておくべきではない。勇者は腰のダガーナイフに手を掛ける。
エーデルが少女の身体に手を伸ばす。少女の身体を調べ始める。
「……鼓動がある。呼吸もしている。こ、この有様で生きてるとでもいうの?」
「それに全てを賭けたんでしょう。人間の執念って恐ろしいわね。それが正しいかどうかは別として」
「カ、カタリナの魂が宿っているの? 本当にカタリナはここに。カタリナ――」
「エーデル。それ以上その娘に呼びかけるな。これ以上の苦しみを与える必要はない」
勇者はダガーナイフを少女の心臓部へと当てる。悪夢はここで終わらせる必要がある。カタリナの暗い眼孔が勇者を正面から捉える。口元が動いた気がする。何かを語ろうとしている。恨み言か、それとも許しを乞う言葉か。
絶対に聞いてはいけない。勇者の鼓動が早くなり、呼吸が乱れる。冷たい汗が、背中を流れ落ちる。何故か、カタリナが薄い笑みを浮かべた気がした。
ナイフを掴む手が、ひどく震える。だが、やらなければ。誰かがやらなければならない。そしてそれは勇者の仕事だ。
「――ハアッ、ハアッ、ハアッ」
「……わ、私がやる。それは私がやらなければならないわ」
エーデルが、震える勇者の手を掴み、ダガーナイフを強引に奪い取る。
「……良いの? きっと、後悔するわよ」
「やらない方が後悔するわ。これは、私がやらなければならない。カタリナの姉だった私が」
エーデルはカタリナの空虚な眼孔に左手を乗せる。
右手に力を入れ、ゆっくりとその刃先を胸に沈ませていく。身体を鋭い刃が貫く。黒い血が傷口から溢れ出す。口元から夥しい血が零れ落ちる。カタリナは痙攣しながらその手を宙に伸ばし、何かを掴もうとした。暫くすると、その手は脱力したように落ち、二度と動く事はなかった。
カタリナの鼓動は止まり、呼吸は完全に停止した。カタリナは二回目の死を迎えたのだ。
人形術師の悪夢は、これで完全に終わりを迎えたという訳だ。これまでに一体何人の人間を巻き込んだのか。全く想像がつかないし、したくもない。
全てが終わり、勇者とエーデルは店の外へと出る。気を利かしてくれたコロンが、衛兵を呼んでくれたらしい。治癒術が効いた人間達の搬送が始まっている。野次馬たちも集ってきた。
面倒なことになる前に、さっさと退散するのが得策だろう。
エーデルはカタリナの死体を抱えている。勇者は意識のないマタリの身体を肩で担ぐ。
「その娘、どうするの。アンタまさか――」
「そんなことはしない。冗談でも言わないで。この娘は家族が眠る場所に埋葬するわ。寂しくないように」
「そう。それが良いかもね。もう二度と眠りを妨げられないように」
「…………」
勇者は、エーデルが腰袋に入れた物へと目を向ける。作業場にあった“何か”を入れていたのを確認している。
「ねぇ、アンタさっきその袋に何を入れたの」
「日記よ。ラスの日記。どうしてこうなったのか、私は知りたかった。その手掛かりになるかと思ってね」
「……今すぐに燃やす事をオススメするわ。狂人の日記なんて見ても面白くないわよ」
「確認を終えたら処分するわ。貴方の言う通りにね」
「そうね。ま、あの外道も誰かに見てもらいたくてそんなもの残したんでしょうけど」
勇者も日記をつけている。あの外道も何かを残したかったのか。自分とあの外道の違いは何だろうかと勇者は考える。
すぐに馬鹿馬鹿しいと首を横に振る。自分は勇者、あれは魔物。それが全てだ。
「マタリちゃんだっけ? その娘によろしくね。私はこのまま墓地へ向かうわ」
「じゃあ私達は帰る。今回の事は、貸しにしておくから。必ず返しに来なさい」
「覚えていたらね。まぁ、貴方の顔と性格は忘れたくても忘れないでしょうけど」
「はいはい。アンタの派手なピンクも忘れられそうにないわよ」
ヒラヒラと手を振って、勇者はエーデルに合図する。魔法の使いすぎで、本当に疲れた。酷く眩暈がする。
それに身体には腐臭が纏わりついている。今すぐに洗い流したい。横になりたい。死んだように眠りたい。
「……本当に、ありがとう」
「何か言った?」
「な、何でもないわ」
「なら良いわ。……それじゃあねエーデル」
勇者は振り返らずに、その場を立ち去る。コロンとシルカが近づいてきて、マタリを運ぶのを手伝ってくれた。
子供の癖に面倒見が良いようだ。疲れきっていた勇者は、素直に礼を言っておいた。
催眠魔法の効きはあまり良くなかった様で、マタリもすぐに目を覚ました。
極楽亭に戻って直ぐにでもベッドに倒れこみたかったが、換金はやっておかなければならないだろう。外道の左手を身近に置いておくのは不愉快極まりない。
戦士ギルドに向かうと勇者は告げ、重い足取りで歩き始めた。