第十三話
魔術師エーデル・ワイスが魔力を篭めると、小人を模した可愛らしい人形が軽やかに踊り始める。
傍らにいるもう一体の小人は、立ち上がろうとするが上手く出来ないでいる。エーデルの操る人形が手伝い立たせようとするが、直立を維持できずに崩れ落ちてしまった。
「あー、やっぱり上手くいかないよ。細かく動かすのって難しいね」
「九歳でそれだけ出来れば十分よ。少しずつ魔力の操作を覚えていきなさい」
「少しずつじゃお父さんの誕生日に間に合わないよ」
「それじゃあ諦めたら?」
エーデルが笑いかけると、少女は頬を膨らませる。
「もう、エーデル姉さんの意地悪」
「ふふ、冗談よ。なら誕生日まで頑張りましょう。小人の踊りは無理でも、歩かせるぐらいは出来るかも」
「うん、頑張るね」
少女は椅子に座りなおすと、机の上で倒れこんでいる人形に杖を翳す。
利発そうな少女の名は、カタリナ・ヌベス。エーデルの魔術の師にあたるラス・ヌベスの娘だ。
エーデルの妹ではないが、よく師に代わり面倒を見ているので、いつからか姉さんと呼ばれるようになっていた。妹がいたらこんな感じかもしれないと、エーデルも微笑ましく思っていた。
カタリナの母は出産時に亡くなったため、師のラスが男手一つで育て上げてきた。
普段は実直で厳格な態度と言動のラスも、カタリナの前では形無しとなる。エーデルも思わず呆れるほどの溺愛ぶり。
以前、カタリナが軽い風邪を引いたときなどは酷かったものだ。ラスは顔を真っ青にして、大慌てで腕利きの治癒術師を十人も引き連れてきた。結局大した事はなかったので、彼らは栄養剤だけ置いて帰る事になったのだが。
とにかく、ラスが親馬鹿の鑑と言えるのは間違いない。
「それにしても、魔術師の娘は魔術師か。血は争えないのかしらねぇ。貴方も将来は魔術師になるつもりなの?」
「うん、お父さんみたいに、誰からも尊敬される人になりたいな。それに、姉さんみたいな綺麗な格好もしてみたい」
カタリナが目を輝かせる。
「ふふ、嬉しいわ。じゃあ、その時は貴方の助手にでもなろうかしら」
「それって逆じゃないの? 私が姉さんの助手でしょ?」
カタリナが首を傾げる。人形も真似をして首を傾げる。
「貴方を助手にしてこき使ったりしたら、私が先生からどやされるじゃないの」
「アハハ! お父さん、親馬鹿だもんね」
「それ、先生には言わないようにね。倒れちゃうかもしれないから」
エーデルの言葉に、カタリナが笑い声を上げる。
暫くラスの話題で盛り上がった後、カタリナが呟く。
「私も、エーデル姉さんみたいに魔法を上手く使えるようになるかな」
「そうねぇ。才能は問題ないし、後は貴方の努力次第かしら」
「そっか。ならもっと頑張らないと」
「無理しない程度にね」
小さな杖を握り締めるカタリナを見て、エーデルが宥める。慌てても習得速度が上がるわけではない。
しっかりと身体に慣れさせていく事が大事なのだ。
だが、そのやる気は見ていて微笑ましい。少し早いがご褒美をあげても良いかと判断する。
ローブのポケットから、ある物を取り出しカタリナの後ろへと回る。
「ん? どうかしたの」
「ちょっと待ってなさいねぇ」
エーデルがカタリナの小さな頭を軽く撫でた後、柔らかい髪を纏め上げ、とある物で結びつける。
「はい、出来た!」
エーデルが声を掛けると、カタリナが確認するようにと髪を手で探る。
「……リボン?」
「そう、私のお気に入りの色のリボンよ。それをつけていれば、きっと良い事があるわ。だってピンクは心が温かくなる色だから。気分が明るくなれば、そのうち幸せが寄って来るの。私がピンクの服を常に身につけているのはそのためなのよ」
ピンクは幸せの色。エーデルはそう信じている。酔っ払った母が教えてくれた唯一の温かい言葉。
「そうなんだ。うん、ピンクはとっても明るい色だよね」
「私は寂しがり屋だから、これぐらい明るい色を身に着けていないと温かくなれないの」
「でも、今は私やお父さんがいるから寂しくないね。お友達も一杯だし」
ラスの弟子も、師を慕って良く訪ねてくる。エーデルは彼らとも誼を結び、多くの友人を手に入れた。
ラスはエーデルに居場所を作ってくれた。生きていく術も教えてくれた。感謝してもしきれない程だ。
「ふふ、本当ね。……ほら、しっかりと効果があるでしょう。私はこうして幸せになれた。だから、大事にしてね。私は貴方にも幸せになってもらいたいから」
エーデルが人形を使っておどけてみせると、カタリナもそれに応えようと魔力を篭める。
何とか人形は立ち上がったが、お礼をしようとしてそのまま前のめりになってしまった。
「あーあ、また失敗だ。でも、本当にありがとうエーデル姉さん。このピンクのリボン、ずっと大事にするね!」
カタリナの微笑みに、エーデルが小さく頷く。
二人は再び基礎術の訓練に取り掛かり始める。暫く人形操作を行なった後は、カタリナに休息を取らせ、座学へと移った。
魔力の限界までの使用は身体への負担が大きい。カタリナには決して無理をさせないようにしていた。
やがて夜の帳が落ち始めた頃、魔術師ラスが笑顔で帰宅した。
ラスは両手に大きな包みを抱えていた。カタリナに死ぬ程甘いラスは、どこかへ出かける度に沢山のお土産を買ってくる。
お菓子や、人形、ぬいぐるみ。絵本に服や装飾品。手ぶらで帰ってくる事は一回もなかった。
エーデルはカタリナを羨ましく思った。これほどまでに親から愛されているのだから。
エーデルは嬉しかった。その温かい家族の中に、自分のような女がいることを許してくれるのだから。
「今帰りましたよカタリナ、エーデル。良い子にしていたご褒美に、一杯お土産を買ってきましたよ!」
「お帰りなさいお父さん! 今日は何を買ってきてくれたの?」
「今日は貴方の好きな動物のぬいぐるみです。特別に大きな物を作って貰ったんですよ。さぁ、こちらへ来なさい」
「ありがとう!」
ラスが包みを手渡すと、カタリナが大喜びで受け取る。包みを抱え、飛び跳ねながら自分の部屋へと駆け出していった。
彼女の部屋は、可愛らしい人形やぬいぐるみで埋め尽くされている。これからもその数を増やしていくのだろう。
カタリナの幸せそうな後姿を見送ると、ラスが声を掛けてくる。
「エーデル、今日もカタリナの面倒をみてくれてありがとう。一人にさせておくのはどうしても心配でしてね。いつも助かっています」
「いえ、私も彼女に教える事で基礎の復習となっていますし。だから頭を上げてください先生」
「本当にありがとう。……ところで、あのピンクのリボンは貴方が?」
「ええ、頑張っているご褒美にあげたものです」
「あの子に良く似合っていますよ。お世話になっている貴方にも、何かお礼が出来れば良いのですが。何か欲しいものはありませんか?」
ラスが尋ねてくるが、エーデルは首を横に振る。
「いえ、もう十分頂いています。こうして家族のように扱ってもらえることが、私にとって一番嬉しいんです。私は捨て子でしたから。だから今は本当に楽しいんです」
エーデルはスラム地区の出身だ。娼婦だった母が、誰とも知らない人間の赤子を身ごもり、エーデルは望まれずに生まれてきた。
母はエーデルが十歳になるまでは育ててくれた。そこに愛情といったものがあったかは分からない。一般常識は娼婦や客引きの男が暇つぶしに教えてくれた。エーデルも使いっぱしりとして、娼館で何とか逞しく生き抜いていった。
母は、エーデルが自分で生きていける年齢になったと判断すると、スラム地区へと連れて行き、あとは好きなように生きていけと小銭を与えて放り出した。
娼婦になるも良し、スリになるも良し、そのまま野垂死ぬのも良いだろうと冷たく告げた。
最後に一瞬だけ悲しそうな笑みを浮かべると、もう二度と振り返らずに立ち去っていった。それ以来母とは会う事は出来ていない。もうこの世にはいないのかもしれない。
エーデルはスラムの孤児の集団に混ざり、スリを行なって生きていく事を選んだ。誰かを陥れることには全く罪悪感は抱かなかった。失敗して命を落す子供もいたが、エーデルは何とか生き抜いていった。スリだけでなく詐欺も行なうようになり、将来は盗賊か娼婦にでもなろうかと漠然と考え出していた。
生きていても良い事はないが、死ぬだけの気力もなかった。適当に生きて野垂れ死ぬ。母の言った通りになりそうだった。夢や希望などといったものは、エーデルとは全く無縁のものだった。
動きが鈍そうだと判断して手を出した痩せ気味の男。身なりの良い魔術師にまんまと捕らえられたのが人生の転換点だった。闇の中を這い蹲っていたエーデルに、初めて光が差し込んだ瞬間だ。
それがラスとの出会いであり、エーデルが魔術師としての道を歩みだす切っ掛けだった。
「あの時の悪戯小娘が、こうして立派な魔術師に成長した。いやいや、私も歳を取る訳ですね」
「…………」
「エーデル。貴方さえ良ければ、私の養子になりませんか。私の跡を継いでもらいたいのです。カタリナもきっと喜ぶでしょう」
「……先生、そのお言葉は本当に、本当に嬉しいです。でも、少しだけ考えさせて下さい」
エーデルは答えを保留した。申し出は心から嬉しい。迷う必要など本来ならばない。だが、それでは――。
「いえいえ、別に焦る事はないですよ。私は貴方を実の娘と思っているのですからね。迷惑かも知れませんが」
「め、迷惑なんてとんでもありません!」
ラスが笑い声を上げながら椅子に腰掛ける。
「ハハハ、迷惑でないのなら私も嬉しいですよ。それで、あの子の魔術の鍛錬はどうですか?」
「ええ、とても順調です。才能は父譲りですわ」
カタリナが魔術の鍛錬をしていることは、ラスは知っている。本人が望むならと、ラスも許している。素人の独学ほど危険なものはないので、必ず誰かの指導の下という条件付だが。
ラス自身はまだ娘に直接教えようとはしていない。これからもしないだろう。教育、鍛錬となると嫌でも厳しくなってしまうので、そちらには手を出したくないと話していた。
ちなみに、人形操作を練習していることはラスに話していない。ラスの誕生日に見せて驚かせたいと、カタリナが内緒にしてくれと頼み込んできたからだ。
「何か、楽しそうな事を企んでいるようですが、私はきっと知らない方が良いのでしょうね」
「はい、もう少し我慢なさってください。別に危険なことではないですから。カタリナも一生懸命頑張っています」
エーデルの答えに、ラスは顔を綻ばせた。
「それは、本当に楽しみですね。……私の夢はね、エーデル。皆で人形劇をすることなんです。今まで見たことのないような、誰もが目を見開いて夢中になるような。そんな素晴らしい人形劇をやりたいのです」
「人形劇、ですか」
「ええ、私は作成した人形を戦いの道具として用いてきました。ですが、いずれは人形を使って、人々を喜ばせたいと考えています。それが壊してきた人形達への最大の供養になると思うのです。子供じみた発想ですが、私の最後の仕事だと思っていますよ」
「……私も、私もお手伝いしてよろしいですか?」
「勿論です。貴方にカタリナ、そして私。家族全員で。ふふ、等身大の人形達が所狭しと舞台を動き回るのです。アートの子供達は大喜びすると思いますよ」
「それは、素晴らしいですね」
「その夢の実現に向けて幾らか貯金もしてきました。老後の楽しみには丁度良い。まぁ、貴方は基礎術が少々疎かですから、人形を操作するのは不得手かもしれませんがねぇ」
ラスのからかいの言葉に、エーデルが顔を逸らす。
カタリナに偉そうに基礎術を教えてはいるが、実はエーデルはあまり得意ではない。得意とするのは、属性の『火』を駆使した派手な攻撃魔法だ。細かい物を操作するのは苦手中の苦手である。
「わ、私もカタリナと鍛錬をしますから問題ありません」
「それなら良いのですがね。ふふ、さぁ晩御飯の準備をしましょうか。貴方も食べていきなさい。材料は一杯買ってきましたからね」
ラスが鼻歌を口ずさみながら立ち上がる。エーデルもお手伝いしますと立ち上がる。
カタリナが大きな猫のぬいぐるみを抱えて、部屋から笑顔で飛び出してくる。
溢れんばかりの笑顔。ここには確かに、幸せな家族としての光景があった。本物ではなくても、本物以上に温かいもの。
エーデルが心から望んで止まなかったもの。確かにあの日までは存在していたのだ。
カタリナが流行り病で倒れ、必死の治療の甲斐なくこの世を去った、あの時までは。
◆
土人形が少女の行く手を遮り、無理矢理引きずり込もうと掴みかかる。
少女は横転しながらかわすと、土人形の足元を狙って剣を振るう。
素早さには自信があるのだろう。鈍重な土人形では捕まえる事は出来そうもない。
「中々の素早さですね。それでは、こちらの生き人形達も劇に参加させることにしましょう!」
統率の取れた足音が、少しずつ速度を上げていく。
ラスが杖を突き合図を送ると、全ての生き人形が愚かな少女目掛けて殺到し始める。
――押しつぶし、殺さぬ程度に蹂躙しろ。
これがラスの与えた命令である。
別に腕の一、二本ならば千切ってしまっても構わない。後で玩具とする際に適当な腕をつければ良いのだ。
出来れば五体満足の状態で確保したいとは思っている。その方が解体する時の楽しみが増す。
いずれにせよ、徹底的に痛めつけ、泣き喚かせなければ気が済まない。惨めに命乞いをさせるのだ。
この小娘は、ラスの人形劇の邪魔をしたのだから。劇の進行を妨げる者は決して許されない。
「――ハアッ!」
少女が怒声を上げると同時に、剣ではなく拳で殴りかかる。人間ということで得物を代えたのだろうか。
腹部に拳がめりこむと、生き人形が打撃の勢いで思わず屈む。
「中々の攻撃ですが、私の生き人形はその程度の攻撃では――」
「そらッ!!」
言葉を遮るように少女が裏拳を放つと、顔面を強打された人形がラスを掠めて後方に吹き飛んでいった。
叩きつけられた壁にはひびが入り、生き人形は身動きをしなくなる。
痛みを感じないとはいえ、一定のダメージを超えると、人形の行動は不能となるのだ。魔力による操作を受け付けなくなる。
人形の体力が回復すれば動かす事は出来るが、この戦闘中には無理だろう。
「数だけは多いわね。このままサクサクといかせてもらうわよ」
生き人形達の攻撃を易々とかわし、カウンターで次々と殴り飛ばしていく少女。既に十体程度が戦闘不能となっている。
小柄な体格のどこにそれだけの膂力があるというのか。ラスは認識を改め、本気で仕掛けることにする。
「小娘の分際でふざけた真似を。構いません、バラバラに引き裂いてあげなさいッ!」
獲物を捕らえようと掴みかかっていた人形達が、不自然な動作で得物を抜き放つ。
少女目掛けて、生き人形達が得物を突き出していく。
それを慌てる事なく回避すると、少女は両手を頭上に掲げ強い光を迸らせる。
「死んでも恨まないでね。まぁ、見るからに駄目そうなのも混じってるけど」
「……それは、魔法? 一体何をする気ですか?」
「面倒だから、一気に片付けるのよ!」
光が収束し一つの玉を形成すると、少女が手を振り下ろす。玉が弾け、周囲に強烈な光を放射する。
閃光が生き人形達を跳ね飛ばす。土人形は身体を維持できずに砂塵となって消え失せる。木偶人形は魔力を失いただの木塊へと姿を変える。
間髪入れずに少女がもう一度閃光を放つと、襲い掛かっていた全ての生き人形が壁へと叩きつけられた。
「……なんと、貴方は魔術師だったのですか。見た目に誤魔化されましたよ。立派な鎧を身につけておいでですから。思わず戦士という先入観を抱いてしまいました。杖はお持ちでないようですが、どこかに隠しているのですか?」
ラスが冷静に少女を観察する。防具は造りの良さそうな白銀の鎧。得物はありふれた鉄剣に、腰のダガーナイフ。少女の仲間と思われる女は、長剣に盾という典型的な戦士。
「私は魔術師じゃないわよ。だから杖なんて使わない」
「では、聖職者ですか? 先ほど、どうやったのかは知りませんが、私の呪術を打ち消していましたからね」
「それも外れよ」
「では、宜しければ教えていただけませんか? お礼に良い物を差し上げますから」
「屑から貰う物なんて何にもない。この世から欠片も残さず消え去ってくれるだけで良いわ。だからさ、今すぐに死んでくれる?」
「キヒヒ、これは実に手厳しい。とはいえ、折角ですからお礼は受け取って頂きましょう!」
杖の先端を、ラスが全力で石床に叩きつける。
激しい音に、少女の注意がこちらへと集中する。時間を稼ぎ、一瞬だけでも注意を引くこと。それがラスの狙い。
人形術師の得意とする戦法は、全方面からの攻撃だ。特に、死角を突くことを重要視する。
ラスが外道に落ちる前は、それを心がける事で数多の魔物を打ち破ってきたのだから。
「――何を」
「やれっ!」
ラスが檄を発する。打ち付けられていた一体、当初から内臓部を露出していた男の生き人形へ。
会話の最中に、密かに少女へと差し向けていたのだ。
鋭い白刃が少女の背後から襲い掛かる。ラスは勝利を確信していた。
だが、生き人形の刃が貫く直前に、少女はダガーナイフを素早く抜き放ち、人形の首を跳ね飛ばす。
まるでそれが分かっていたとばかりに、視線を向ける事もなく、背後の人形へと刃を走らせたのだ。
その上、止めとばかりの火炎術で屍骸を素早く焼却している。
「残念、後一歩だったわね」
「人間相手に何の躊躇いもないとは、貴方も中々やりますねぇ。あちらの戦士のお嬢さんとは少々違うようだ」
入り口付近で生き人形の相手をしている女戦士は、剣で戦うのを躊躇している。
何とか殺さずに行動不能にしようと、必死に盾で殴りつけている。盾とはいえ鈍器には違いないが、殺す意志がなければ脅威にはなりえない。
「あれは底なしのお人良しだからね。私はあまり優しくないから、楽にしてあげたのよ。どうせ助からないし」
「しかしながら、あれが避けられるとは。私も耄碌しましたかねぇ。得意としていた技だったんですが」
「臭いで分かるのよ。腐臭が強くなったからさ。お前らみたいな屑は、何をするにしても悪臭を発するんだよ。だからさ、さっさと死ねよ」
少女の顔に殺意が満ち溢れていく。ラスも怯むほどの殺意と狂気が混ざり合っている。
その激しく強い意志に興味を覚えたラスが思わず問いかける。
「――最後に一つだけ教えて下さい。貴方は、一体何者です。強力な魔術を使い、そこまでの膂力を身に着けている。身の程知らずの賞金稼ぎとは思えません」
「私は勇者。魔物を殲滅する為に存在するの。でも覚える必要はないわよ。これから直ぐに――」
「……勇者、勇者、勇者ッ! おお、貴方があの年若き女勇者さんですか! なるほどなるほど、情報屋の話通り可愛らしいお顔をしていらっしゃる! これは素晴らしいッ!! いやいやいや、私がわざわざここへ来たのは貴方にお会いする為だったんですよ!」
口元を歪ませ、ラスは心から嬉しそうに笑い声を上げる。やはり来て良かったと拳を握る。想像以上に素晴らしい。
年若く凛々しい上に勇敢で、実力もある。カタリナの新しい眼とするのに最適である。
ラスが思わず握り締めていた左手が無意識に動き始める。何かを転がすような動きだ。
その一方で勇者を名乗った少女は、心底嫌そうな顔をした。
「私の用事はお前を跡形もなく焼却することだけよ」
「それにしても勇者ですか。子供の頃は誰もが憧れたものですねぇ。闇を切り裂き、光へと導く救世主。いやはや、素晴らしい素晴らしい! 実際この目でお会いするまでは半信半疑だったのですが。真の勇者ならば、サルバドを討ち取ったとしても不思議ではありません。まだお若いというのに、大したものですよ!」
「あっそ」
ラスが興奮して捲くし立てるが、勇者は表情を変えることはない。ダガーナイフを構えなおし、攻撃態勢に入った。
ラスはじっと勇者の目を見据えて観察する。そして笑う。
「しかし、貴方は実に素晴らしいですよ。攻撃的な視線の裏に見え隠れする脆弱さが特に良い。弱さを押し隠すための強気な態度。ああ、挑発的な言葉で隠そうとしても無駄ですよ。貴方が臭いで分かるように、私にも分かってしまうのです。人形術師は人間の目や表情の微かな動きで色々と分かるのです! キヒヒ、なるほどなるほど。健気な分だけ、悲しいまでに歪んでいらっしゃいますねぇ、キヒヒヒッ」
「…………」
杖で地面を叩きながら、ラスは続ける。勇者が無言でこちらへと歩き始める。
「大変気に入りましたよ。我が娘の新しき『眼』とするに相応しいッ! 貴方を殺した後で、その素敵な『眼』をくり貫くことにします。ああ、玩具にするのは止めたので心配はいりません。望みの材料さえ頂ければ何も問題ないのです。苦痛を与えるなんて暇もなくなりそうですしね。貴方の素敵な身体は、内臓からその肉片に至るまで、一切の無駄なく使わせて頂きますのでご安心を! キヒヒヒッ!」
ラスは唾を飛ばしながら哄笑を上げる。
勇者の身体を嘗め回すように見つめると、厭らしく目を細め、舌なめずりをして喜びを露わにする。
その手はくり抜いた眼球を玩ぶ仕草を取っている。既にラスの脳裏では勇者の解体作業が行われているのだ。
無表情だった勇者の顔が、燃え滾る怒りと生理的な嫌悪で青ざめていくのが分かる。首筋には鳥肌が走っているようだ。
ラスが挑発するようにゆっくりと手招きする。
「さぁおいでなさい可愛らしい勇者よ。その美しい目玉、私がくり貫かせて頂きますからねぇ」
「死ね」
勇者が全力でラスへと疾走を始める。
その形相は憎悪を露にしている。ダガーナイフを逆手に持ち、一直線で突っ込んでくる。
ラスはすかさず触媒の心臓を召喚する。既に詠唱は終わっており、後は発動させるだけなのだから。
そもそも、魔術師相手に時間を掛けるのは自殺行為なのだ。間もなく身をもって知る事だろう。
ラスの魔法で拘束してしまえばどんな強者でも何も出来なくなる。先ほどのエーデルのように。
拘束する事が出来れば、後は嬲るのみ。入り口の女戦士など何の障害にもならないだろう。その頃には生き人形達も行動可能になるはずだ。
膂力にいくら自信があろうとも、この魔法を打ち破ることは絶対に出来ない。呪いの触手は、物理的に切り裂くことは不可能なのだから。そして打消しの詠唱時間など与えない。あれだけの呪術を打ち破るのだ。相当の時間と魔力を消費する必要があるはず。二度と見逃す訳がない。
「キヒヒ、我が魔術を喰らいなさい。呪いの戒めよ、我が敵の動きを封じよ。血の――」
ラスが心臓を握りつぶし、魔法を発動しようとした瞬間。咽喉が細紐で括られたかのように急激に圧迫される。
「――ッ!!」
脳に酸素が送られなくなり、気を失いそうになるが何とか耐える。激しい嘔吐感が収まらない。
状況を理解しようとして自分の身体を見下ろすと、青白い光の輪が咽喉を覆っている。この奇妙な輪が苦痛の原因のようだった。
何とか解除しようと試みていると、自然と輪が掻き消えていく。息を吐き出し、安堵するラス。
「余所見とは随分余裕じゃない」
いつの間にか目の前に来ていた勇者が、ダガーナイフを顔面に振り下ろしてくる。ラスは杖で受け止めようとしたが、逸れた刃が肩へと突き刺さってしまう。
「――グッ、グエエッ」
肩からダガーナイフを引き抜くと、勇者が横なぎに蹴りを入れてくる。鋭い一撃が、ラスのわき腹を直撃する。骨が無残に折れたのを感じる。折れた骨が、臓器に突き刺さるのが自覚できてしまった。
悶絶しながら、ラスは吹き飛ばされ、他の生き人形と同じように壁へと叩きつけられる。
「ヒギャアアアアアアアアアアッ!」
激しい痛みに絶叫するラス。フードがずりおち、その老いた顔が露になる。白髪混じりの頭髪に赤い物が混じっている。
肩からは夥しい血が流れ落ち、全身は痛みで麻痺している。右手で蹴られたわき腹を擦る。激しい痛みで呼吸が乱れる。
たった一撃で、恐ろしいダメージを負ってしまった。
危険と判断したラスは、時間を稼ぐ為に下僕をぶつけることを思いつく。
敵わぬまでも、多少の抵抗ぐらいは出来るはずだ。その間に何とか態勢を立て直さなければならない。
ラスはこんな所で果てる訳にはいかないのだから。夢が叶うまで後一歩なのだから。
防御力に優れた人形の札を取り出し、放り投げる。
「に、人形を召喚するッ! こ、来い、我が忠勇なる鉄人形達! 召喚――」
再び首を絞められ詠唱が強引に中断される。咽喉を青光りする輪が覆っている。
魔法陣と呪文が書かれた召喚札が、宙を空しく舞い地面へと落ちていく。
これは一体なんなのだ。何故、魔法が発動出来ない。ラスには理解出来ない。
「無理無理、隙を見てさっきから封じてるから。余計なことばかりぐだぐだと喋ってるから、気付かないのよ」
勇者が人差し指から青白い輪を発生させる。クルクルと回すと、上空へと輪を放り投げた。
「馬鹿な。あ、ありえない。私の魔法を封じた? そんな馬鹿なことが出来る訳がないッ。そんなふざけた魔法がある訳がない。自らの存在を否定するような魔法がある訳がないのだッ!」
「あるんだから仕方ないわね。自分達に都合の悪いものだから忘れちゃったんじゃない?」
「わ、忘れた、だと? 忘れ去られた? そ、存在が忘れられた魔法ッ。――ま、まさか失われし呪文。そ、そんな馬鹿な。そんなはずが。あ、あれはただの伝説では」
ラスの瞳から狂気が抜け、理性が少しだけ蘇り始める。
「だ、だが、万が一そんなものがあるのなら、わ、私が追い求めていた蘇生の秘法はッ」
勇者が瀕死のラスに止めを刺そうと歩き始める。漲る殺意は全く衰えていない。
「世迷いごとはもう良いかしら。今のお前に出来る事は懺悔して死を待つ事だけよ。一刻も早く死んでくれる?」
「ま、待て、教えてくれ、蘇生の秘法は本当にあるのか? 伝説ではなく、実在するのか!? お、教えてくれッ!」
ラスが必死の形相で尋ねるが、勇者は聞く耳を持たない。
「黙れ」
勇者はダガーナイフの切先をラスへと向けた。
「ひ、ひいいいぃぃいぃ!!」
ラスは狼狽しながら、勇者から少しでも逃げようとする。
掴んだ杖を必死に動かし、足を引き摺りながら距離を取ろうともがく。
死霊術師エーデルは、崩れ落ちたまま、その光景をただ呆然と見つめていた。
己が苦戦し、死の寸前まで追い詰められた宿敵。
かつてのエーデルの師であり、次期魔術ギルドマスターと目されていた男。
それがまるで子供扱い。見るも無残に打ち崩され、今まさに止めを刺されようとしている。
操っていた人形達はたやすく捌かれ、切り札として用いようとした魔法は使うことすら許されなかった。
エーデルが全身全霊を賭けて挑んでも届かなかった相手。先ほどまで勝ち誇っていた男が、無様な醜態を晒している。
「こ、こんなことが。あの人形術師ラスが手も足も出ないなんて」
「ほ、本当に凄いですよね。流石は勇者さんです! 強い速い凄いの三拍子です!」
脳天気な表情を浮かべて、大きく息を吐く体格の良い女。勇者を名乗る少女からマタリと呼ばれていた。
盾だけで生き人形を制圧することに成功し、縄でぐるぐる巻きにして捕縛している。
「……一方的過ぎるわ。これならサルバドを討ち取ったというのも頷ける。ラスの人形がまるで玩具のように蹴散らされていた。身のこなしや見慣れぬ魔術といい、あの小娘只者じゃない」
エーデルが呟くと、マタリが大きな声で同意する。
「勇者さんは魔法も使えるし、治癒術も使えるし、剣の腕も一流なんです。でも、私も一緒で良いと言ってくれるんです。ですから、私の大事な仲間で、目指すべき目標です!」
「…………」
エーデルが強く宣言するマタリの顔を凝視する。そもそも、この女がピンピンしていることがおかしいのだ。
あの時、この女は確かに死んでいたのだ。あの鎧の傷の有様を見ても、生きているとは思えない。
だが、現に生きている。今思えば、あの時の光は、何らかの“魔法”を行使したのではないだろうか。
そう、ラスが心血を注ぎ追い求め、正気を失ってからも追い続け、それでも届かなかった蘇生の秘法。
あの少女は、知っているのかもしれない。多分、いや、間違いなくそれを使うことが――。
「な、何ですか? 私の顔がどうかしました?」
「い、いえ。何でもないわ。それにしてもラスの魔法を封じるなんて。そんな魔術はありえないのに。存在するはずがないのに。何故あの娘は使う事が出来るのか」
この娘を死体として買い取ろうとした時、交渉が決裂しかけて一触即発の状況だった。
あの時、もし戦闘になっていたら、自分は殺されていたに違いない。
『手加減はしない』。あの小娘は確かにそう言っていた。魔法を封じられてはエーデルに勝ち目はない。
「わ、私に聞かれても、その、魔法には詳しくないもので。ご、ゴメンなさい」
「……そうね、自分で調べるしかないでしょうね」
エーデルは再び視線をラス達に向ける。
勇者はラスを壁際に追い詰めた。次で止めとなるだろう。
本来ならば自分が討ち取るはずだったかつての恩師。いつか父親となるかもしれなかった人。娘の死に耐えきれず堕ちていった哀れな老人。
その命が今尽きようとしている。
エーデルはただ見つめることしか出来なかった。
「ひ、ひいぃぃ」
ラスが必死に隅へと逃れていく。勇者が面倒くさそうに声をかける。
「本当に往生際が悪いわね。観念したらどうなの。一応賞金首やってんでしょうがッ!」
「き、キヒヒ」
ラスは引き攣った笑いを見せながら、左手で転移石を掲げる。光りがラスを包む。十秒後には地上へ戻る事が出来るが、その間は無防備だ。そんな隙を勇者が見逃してくれる訳がなかった。
「燃えろ」
勇者が掌から炎の弾を発する。転移石を握っていたラスの手を、炎が包み込む。
ラスはその熱さに思わず石を手放してしまい、転移が中断されてしまう。
慌てて拾いなおそうと伸ばした左手目掛けて、勇者がダガーナイフを勢いをつけて投擲した。
魔術師の刻印が記された左手が、血飛沫を上げて宙に舞い上がる。
一瞬呆然としていたラスだったが、直後に絶叫する。
「わ、私の左手がッああああ! い、痛いッイイイ!!」
「今までお前がしてきた事に比べれば、全然大したことないでしょうが。首を落とされなかっただけマシよね」
不快そうに吐き捨てながら、勇者が一歩踏み出す。
「ま、待て、待ってくれ。私の話を聞いてくれ。私も好きでこんなことをしてきた訳じゃない。ただ、娘にもう一度会いたかっただけだ。私は娘を愛しているだけなんだよ。そ、その為に私は――」
ラスは左手首を押さえつけながら、哀れみを請うような視線で弁解する。
表情には涙を浮かべ、頭を地面に何度も叩きつけながら謝罪する。
「だから?」
「私は、こんな所で死ねないんだ。あ、あと『眼』さえあれば、娘は完成する。間もなく蘇り、また私をお父さんと呼んでくれる。金ならばあるだけ全て払う! 娘が蘇った後ならば、全ての罪を償おう! だから、だからこの場は見逃してくれッ!」
「答えは、死んでもお断りよ。魔物とは絶対に取引をしないの」
「わ、私は人間だ! 魔物じゃないッ」
「人間も外道に堕ちれば魔物となる。私は臭いでそれを判断する。腐臭のする人間は魔物と何ら変わりがない。だから、お前は絶対に殺す。見逃したりしたら気分が悪いでしょう。屑の性根が治ることは決してないのだから」
「お、お前は、お前は神にでもなったつもりなのかッ」
「ううん、神なんていない。いる訳がない。でも私は勇者だから魔物は必ず殺さないといけない。ね、とっても分かりやすいでしょう」
勇者がゆっくりと手を翳してくる。ラスは最後の抵抗とばかりに手首に巻きつけていた鋼糸を伸ばし、魔力を篭めて弾く。毒の塗られたそれは、護身用の暗器として持ち歩いていたものだ。
狙い澄まされた鋭利な糸が勇者の左手を貫く。
「――ちッ。……これは、鋼の糸?」
勇者が舌打ちしながら、強引に糸を引きちぎり確認する。
「そ、それには毒が塗られている。体内を巡り臓腑を腐らせる猛毒だ。げ、解毒剤は私の家にある。だから、今は見逃せ。今だけで良い。も、もう目玉には拘らない。とにかく娘を、娘を完成――」
「馬鹿馬鹿しい」
ラスが条件を提示している最中に、勇者が己の左手をナイフで切り裂き、毒に侵食された肉を抉り取る。
刃を無造作に何度も突きたて、左手は見るも無残な有様になった。
「い、一体何を、しょ、正気なのか」
「お前に正気を疑われちゃお終いよ」
勇者が左手に右手を重ねると、淡い光りが傷口を包み込んでいく。
削ぎ落とされた部分が、瞬く間に再生し、元通りに回復する。
ラスは目を見開き、やはりと確信する。この女は、失われし呪文の使い手だと。
「即座に肉体を回復させる治癒術! や、やはりお前は。で、では、蘇生の秘法は実在するのか! な、何という事だ!」
「これで良しっと」
「お、教えてくれ! 私に蘇生の秘法を! その神に与えられし叡智を、わ、私にも教えてくれッ!」
ラスが這いずりながら勇者へと近づいていく。ラスがかつて血眼になって追い求めた蘇生の秘法。その鍵を握る物が目の前に。
間もなくカタリナは蘇る。だがそれは人形を依り代としてだ。完全なる蘇生ならば更に望ましい。
「お前の人形劇は中々面白かった。でも、人形の趣味は最低最悪だったわ」
勇者が再びラスに向けて手を翳す。勇者の周囲に光を帯びた矢のようなものが構成されていく。
光の矢は瞬く間に数を増やしていき、その数は百を超える本数が空中に漂っている。
「い、嫌だ。私は、まだ死ぬ訳にはいかない。カタリナを、カタリナを蘇らせるまでは」
だが、死は避けられそうもない。間もなく、光の矢は自分の身体を貫く。カタリナの復活を目前にして死ななければならないのだ。後一歩、後一歩というところで。
どうしたら良い、何をすれば良い、何が出来る。ラスは頭を必死に働かせる。
部屋の入り口周辺でこちらを眺めている弟子、エーデルの姿が目に入る。視線が合う。伝えるならば彼女しかいない。託せるのは彼女以外にはいない。
「エ、エーデルッ!! 我が最愛の弟子よ! カタリナを、カタリナを頼むッ! 既に魂は宿っているのだ! 必ず、必ず蘇らせて――」
ラスの絶叫を遮るように、勇者が一言だけ発する。
「――光あれ」
まず五本の矢がラスに放たれた。一撃目が中心を貫き、壁に磔とする。次の四本が四肢を射抜いて自由を封じる。
最後に、残りの矢がラス目掛けて間髪入れずに降り注ぐ。
既に息絶えているだろうが、勇者は攻撃を続ける。中断するつもりは全くない。
全ての矢を放ち終えた時、肉片すら残さずにラスは死んだ。身体は完全に砕け散り、蒸発してしまったのだ。
磔られていた壁は瓦礫が散乱している。ラスの痕跡は、切り飛ばした左手と身に着けていた赤石の杖のみ。
勇者は杖の赤石を踏み潰すと、火炎を飛ばして処分を行なう。左手も焼却しようとしたが、エーデルの姿を見て思いなおす。
何やら遺恨がありそうなので、くれてやっても良いだろうと考えたのだ。
勇者は炭化した杖の残骸を不機嫌な様子で踏みつける。
「……ちょっとやり過ぎたか。しかし、最後まで自分勝手な奴だったわね」