第十二話
不機嫌な表情で、勇者は銅貨の入った袋を門番へと乱暴に渡す。
迷宮に入る際の入場料――お布施の支払いは未だ続いている。お金に余裕が出来た今でも、勇者は納得がいかない。
何故毎回お金を支払わなくてはいけないのか。そう文句を言ったら、門番に『嫌なら入るな』と冷たくあしらわれた。
勇者はぐうの音もでなかった。
という訳で、勇者はしっかりとお金を用意する事にした。わざわざ硬貨百枚に両替して。
予想通りに門番はいやな顔をしている。勇者の小さな復讐は"今日”も成功した。
「何よ。もっと嬉しそうにしなさいよ。アンタが大好きなお布施をしてあげたんだから」
「……何故銅札でなく、硬貨で用意するんだ。しかも最近は毎回じゃないか」
「お金の有り難味を知りなさい。重みを感じるでしょう」
「やかましい」
門番が鼻を鳴らすのを、勇者は楽しそうに眺めている。隣のマタリは呆れた様子で突っ立っている。
「たまにはタダで通しなさいよ。二人くらい見逃しても罰は当たらないわよ」
「俺はそういう不正が大嫌いだから無理だな。だが、個人的な付け届けは大歓迎だ。いつでも構わんぞ。勿論ここは通さないがな」
「そんなもの誰が払うか」
勇者が口を曲げると、門番がさっきの仕返しとばかりに顔をニヤけさせる。
「なら、さっさと正式な探索許可証を貰うことだ。俺だって好きでやってる訳じゃないんだ」
「その割には、顔がニヤけてるわよ。このケチ門番」
「これは失敬」
今日もまたいつも通りの応酬を繰り広げる。勇者の軽口に、この門番は暇つぶしとばかりに乗ってくるのだ。
不敵な態度が見ていて実に面白いと真顔で告げられた。勇者は思わず頭に来て、脛に蹴りをいれようとしたがマタリに止められてしまった。教会に喧嘩を売るような真似はやめてくださいと、泣きそうな顔で拝まれてしまったのだった。
今日はそのマタリが珍しく話に乗ってくる。
「許可証を貰うには、ギルドから職業認定を受けなければいけないんでしたよね」
「あーそんな話もあったわね。ということは、私達はそのうち戦士になっちゃうわけか。私は断るけど」
「な、なんで断るんですか!?」
「だって勇者だし」
「そ、そんな。それはそれ、これはこれで認定を受けておきましょうよ。そうしないと毎回お金を払わなくちゃいけないし、三時間しかいられません」
マタリの懇願に、勇者がはいはいと適当に受け流す。いずれにせよ、認定自体は受ける気ではいる。戦士の認定を受けようが何だろうが勇者であることは変わらない。気に入らないのは確かだが。
「基本的には、戦士ギルドなら戦士。魔術師ギルドなら魔術師の認定が貰えるな。たまに例外も現れるが」
門番が意味ありげに呟く。
「例外ですか?」
「そうだ。ギルド固有の試験に合格すると、普通はそのギルドを模した紋章が刻印される訳だ」
「戦士は剣と盾でしたっけ。剣士は剣が交差する形だったような」
「そうだ。だが、稀に特殊な刻印がされる奴がいる。そいつが例外さ。星教会からそいつだけの職業名が授与される。特に恩恵がある訳じゃないが、何かしらの才能を秘めている証でもあるな」
門番の説明を聞いて、勇者がなるほどと頷く。
「じゃあ私は特殊な紋章がつくかもね。で、マタリには猪印がつくわけだ。それはとても楽しみね」
「そんな紋章嫌ですよ! 私はありふれた普通ので良いですから」
「アハハ、まぁその時までのお楽しみにしておきましょうか。さて、そろそろ行くわよ」
勇者が興奮するマタリを笑い飛ばすと、先に行くと告げて結界の方向へ歩き始める。
「ま、待ってください!
マタリが慌てて走り始めると、門番がわざとらしく咳払いした後、白々しい口調で大きな独り言を呟き始める。
「あー、ゴホン! そういえば、さっきヤバい奴が迷宮に入っていったっけな。緑のローブが特徴の賞金首だ。そいつを目当てに賞金稼ぎ達も乗り込んでいった気がする。巻き込まれると色々と危ないだろうな」
「わざわざ、ご忠告をありがとう」
勇者が振り返って一応礼を言うと、門番が顔を背ける。
「…………これは独り言だ。お前に礼を言われる筋合いは全くない」
「あっそ。それなら良いわ」
「ふん、精々気をつけるんだな。アイツは本当にヤバいからな」
「やっぱり私達に言ったんじゃない。横柄でケチなのに意外と人が良いのね」
勇者が突っ込むと、マタリが苦笑する。門番は照れを隠すようにそっぽを向いた。
「やかましい」
勇者達は助言を頭に入れて、地下迷宮への階段がある神殿へと向かう。入り口辺りで冒険者がざわついているのは、やはり件の賞金首のせいだろう。接触してしまう危険性を考え様子見をしているのだ。
勇者はその群れを強引に突破して、階段を下っていく。
マタリは、私達も様子を見ようと提案していたが、当然ながら勇者により却下されてしまった。
◆
地下十階の下り階段前。この場所は他とは少々部屋の造りが異なっていた。大きく広がる部屋の中心には、かつて何らかの儀式が行われたらしき古びた祭壇がある。その周りを崩れかけの武装した四体の石像が囲んでいる。人工的な灯りが煌々と周囲を照らしており、死角となる部分は存在しない。
見通しが良い事と、奇襲を受けにくい部屋の造りの為、上層部の冒険者達はここで休息を取ることが多い。警戒するのは階段と、大部屋の入り口だけで良い。他の徒党がいることもあり、一種の安全地帯のようなものとなっていた。
だが、今日は安全地帯どころか、血飛沫が舞い、怒号が轟く凄惨な戦場に姿を変えていた。
賞金首の人形術師ラスを、賞金稼ぎ徒党が待ちうけ、地下階段と部屋の入り口から挟み撃ちにしたのだ。
奇襲を難なく受け流したラスは、中央祭壇に陣取り己の土人形を素早く展開。四方隙間なく配置し、愉悦の笑みを浮かべる。
三十人ほど面子を揃えた賞金稼ぎ達も隊列を組み、土人形を始末すべく果敢に襲い掛かった。
戦士ギルドのエクセルも、賞金稼ぎ徒党の一人としてこの場に立ち、剣を振るう。
「シッ!」
歯を食いしばりながら繰り出した一撃が、土人形を真っ二つに切り裂く。体を維持できなくなった人形が崩れ落ち、ただの土くれへと姿を変える。動きも遅ければ、体も柔らかい。攻撃方法も腕を上げて振り下ろすだけ。エクセルは難なく二体目も屠り、素早く他の味方の援護へと向かう。賞金稼ぎに挑むだけあって、他の冒険者も腕が立つ。各々が槍、剣、斧を思いのままに操り、魔術師の氷魔法が土くれの群れを壁に吹き飛ばして叩きつける。
賞金稼ぎ達は一方的に蹂躙し、十分も立たないうちに土人形を壊滅させた。
攻撃態勢を取ったまま円陣でラスを取り囲み、徒党のリーダーが嘲りながら話かける。
「悪名高いラスさんもこんなもんかよ。強力な魔術師ったって、囲まれたら終りだわな」
「これで金貨二十枚。美味しい仕事だぜ」
「魔術師用に用意した秘密兵器が無駄になったなぁ。ま、当分金には困らないから良いけどよ」
勝利を確信した賞金稼ぎ達が笑い声を上げる。エクセルも気を抜き、ホッと息を吐く。
凶器を向けられているラスも、笑い声を上げ始める。手にした杖で床を何回か叩きながら。
「いやいや、ただの土人形相手に見事な戦いでしたよ。本当に素晴らしいです。――ですが、本当に愚かで救い様がないですねぇ」
「――なっ!?」
「魔術師相手に、止めを刺さずに油断するなど愚の骨頂です」
いつの間にか倒したはずの土人形達が元の形へと戻っている。一番後ろで杖を構えていた魔術師が土人形に抱きつかれ、無理矢理に押し込められていく。悲鳴を上げる間もなく、魔術師の体は土人形へ埋め込まれてしまった。
砂利が混ざりあう音と、骨が砕ける嫌な音が部屋中に響く。しばらくして土人形が腹部から土ごとそれを取り出すと、奇妙な肉団子が表れた。肉団子を別の土人形へと放り投げると、もう一体が頭上で両手を打ち鳴らす。血と肉片が弾けとび、唖然と見ていた賞金稼ぎ達に降り注ぐ。
リーダー格が身の危険を感じ、全員に号令する。対魔術師用の兵器の使用も命じる。
「ラ、ラスを殺せ! レンジャー達は弩を放て!」
「死にやがれクソったれ!」
後方の三人のレンジャーが素早く弩を構え、ラス目掛けて発射する。ラスは慌てる事無く土人形を前面に出して受け止める。
次弾を装填しようとするレンジャー達の背後へ、ラスが新たな人形を展開した。それは木偶人形。相手を惑わすように各部位を小刻みに動かしている。
「弩といいましたか。確か、学術ギルドの生み出した兵器でしたねぇ。魔術に匹敵する威力を持った素晴らしい兵器ですが、相手と場所が悪いですよ。地下迷宮は魔術師の庭ですからね。三人揃えた程度では、私相手には全くの無意味!」
「う、撃て! 隙を与えるな!」
レンジャーが連射を行なう。並の魔術師ならばこれで射殺できていたのだろうが、人形術師は相性が最悪だ。人形は痛みを感じない。
「痛みを覚えぬ人形の恐ろしさを、嫌と言うほど教えてあげましょう」
キヒヒとラスが口を歪めると、木偶人形達がレンジャーへと襲い掛かる。前衛の戦士の一撃を受け、人形は片腕を斬り飛ばされるが意にも介さずレンジャーの胴体を左手で捕らえる。
「ひ、ひっ」
弩を手放し、短剣で何度も突くが、人形に刺し傷が付くだけ。助け出そうと戦士が胴に薙ぎを入れると、人形は上半身と下半身に分かたれる。だが、まだ動きを止めない。下半身は両足をレンジャーに絡ませ、上半身は体を密着させる。
「キヒヒ、これからが楽しい人形劇の始まりですよ! 勇ましき紳士の皆様方、彼らの舞踏劇にご注目ください!」
ラスが哄笑すると、同じようにレンジャーを捕らえていた木偶人形の体が熱を帯び、黒い煙と共に炎上し始める。
他の賞金稼ぎは土人形の相手で手一杯で、手を出す事ができない。
レンジャー達は火傷による激痛で凄まじい悲鳴を上げる。木偶人形達は楽しげに飛び跳ね、火の手を増していく。悲鳴と火の手を挙げながら、別の賞金稼ぎに飛び掛る。土人形も新たな得物を求めて一斉に襲い掛かる。
恐怖を覚えながらも、エクセルは必死に剣を振るう。近づけさせまいと他の者も懸命に戦う。
優勢だった賞金稼ぎ達が、徐々に追い詰められていく。包囲する余裕など全くない。
燃え盛る木偶人形は炭化した死体を放り出し、演技をするかのように一回転するとその場でバラバラになった。
土人形も同じように崩れ落ちるが、その場で再生し襲い掛かってくる。
「まだまだ人形はありますよ。いやなに、近頃は貴方達のように勇敢で無謀な人達が減ってきましてね。処分に困っていたんですよ。だから、遠慮せずに遊んでいって下さい。後百体以上はいますからね。これからは火炙りにはしませんのでご安心を。無傷の方が、色々と活用方法もありますからね。キヒヒヒッ!」
不気味に嘲ると、ラスの周囲に木偶人形と土人形が数十体召喚される。ラスが杖で指示を下すと、人形達がゆっくりと前進を始めた。
――戦闘開始から一時間後。三十人いた賞金稼ぎ達はその数を九人まで減らしていた。途中この場を通りがかった徒党は、関わるのはご免とばかりに素早く逃げ去っていった。
生き残りの者の体力もそろそろ限界が近い。気力も尽きようとしている。最初は追い詰められながらも互角に戦っていたが、何しろ人形の体力は無制限である。更に迷宮では魔術師の魔力も尽きる事がない。賞金稼ぎ徒党の魔術師は既に挽肉へ姿を変えてしまっている。対魔術師用として用意した弩は、人形術師相手には全くの無意味。どれだけ強力でも、届かなければ意味がない。
賞金稼ぎには、最早この劣勢を挽回する手段がないのだ。
気力のつきた賞金稼ぎのリーダーが片膝をつく。エクセルや他の者たちも息を荒げながら剣を立て、体を支える。
「おや、どうしました? 楽しい楽しい人形劇はこれからが本番ですよ? 終幕はまだまだ先ですからね」
「ハアッ、ハアッ、ま、待て。いや、待ってくれ。俺達の負けだ。出来るならば、こ、交渉したい」
「何か言いましたか? 年を取ると、耳が遠くなりましてねぇ。いやいや、若い貴方達が羨ましいですよ。キヒヒ」
「ゆ、許してくれ。こ、ここまでとは思わなかったんだ!」
「おやおやおやおや。勇ましい賞金稼ぎ達が何を言うのですか。自分で勝手に襲い掛かってきて、勝手に負けを申し出る。そんな勝手な真似が果たして通るのでしょうか!」
「な、何でもする。何でもやる。だから、降参したい。いや、どうか、許して下さい」
リーダーが剣を捨て、頭を床に擦り付ける。他の人間も剣を捨て、それに続く。エクセルは逡巡するが、最早勝ち目はない。許されるとは思わないが、気紛れはあるかもしれない。無理ならば一撃浴びせてやると覚悟を決め、剣を鞘に納めて跪く。
ロブの忠告を真面目に聞いておくべきだった。後悔が襲い掛かるが、もう遅い。賞金首を舐めていた自分が悪いのだ。
「キヒヒ、本当に仕方ないですねぇ。では、貴方達から頂ける物を全て頂戴したら、何もかも許してさしあげましょう。今日の私は非常に機嫌が良いですから。貴方達は本当に運が良い!」
人形達に拍手させながら、ラスが笑みを浮かべてリーダーへと近づいていく。人形達が賞金稼ぎ達へ接近する。
――リーダーが己の決断を心底悔やむまで、そう時間はかからなかった。
◆
賞金首ラスが迷宮に潜ったという情報を入手し、死霊術師エーデルは地下へと向かった。途中すれ違った徒党から、多少強引に居場所を聞き取り、地下十階へと強行する。
通路の影から息を潜めて中の様子を窺う。そこに待っていたのは、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
祭壇に乗せられた、一人の壮健な身体つきの男が、生きながらにして解体されている。死なないように、材料を入手することに慣れているのだろう。そして理性を失わせないように強化の魔法をわざわざ掛けている。
施術を行なっているのは、エーデルの最大の標的、人形術師ラスだ。顔は狂気の笑みを浮かべながら、慣れた手つきでそれを行なっている。周囲には、順番待ちの冒険者達が土人形に押さえつけられている。意識は失われているようだ。
エーデルが杖を握り締める。自身が扱える中でも威力、信頼性の高い攻撃魔法を詠唱し、使役する武装済みの死体召喚も行なう。
(ラス……私が終わらせる。ここで死になさいッ!)
無言で部屋に飛び出し、杖を掲げて魔法攻撃を発動する。武装死兵の展開も行い戦いに備える。一撃で終わらせる事が出来るとは思っていない。
蛇を模した火炎の濁流が、ラスへと襲い掛かる。危機を察知したラスが、解体中の戦士を盾にしてその身を庇う。戦士の身体は激しく燃え上がり、長き苦痛からようやく解放された。
死体の上から熱波を受けてラスの体も吹き飛ばされるが、背後の土人形が後ろを塞ぎ、衝撃を緩和する。
「武装死兵、散開! 直ちに制圧しなさい!」
「何やら聞き覚えのある声がしますね。人形たちよ、敵を迎え撃つのです!」
武装死兵と土人形、木偶人形が交差し、戦闘を開始する。
埃を払ったラスが、エーデルの姿を捉える。少しだけ目を見開き、その後で厭らしい笑みを浮かべた。
「おやおや、誰かと思ったら私の可愛い愛弟子、エーデル・ワイスではありませんか。元気そうでなによりです」
「貴方に弟子呼ばわりされる筋合いはないわねぇ。不愉快極まるから止めてもらえるかしら」
エーデルはかつての師、ラス・ヌベスに対して険しい視線を向ける。会話をしている間も、エーデルは魔力を充填し、詠唱に入っている。恐らくは、ラスもそうであろう。
「これはつれないですね。かつては家族ぐるみで仲良くしていたではありませんか。年月の経過とは恐ろしいものです。絆とは脆いものですねぇ」
ラスが悲しげな表情を作ると、エーデルは苛つきながら吐き捨てる。
「絆ですって? よくもそんな言葉を吐けたものね。外道へ自ら墜ちたのは貴方でしょうに。娘の死を受け入れることが出来なかった、哀れな男がッ」
「カタリナはッ! ……カタリナは死んでいませんよ。今は少しだけ眠っているだけですから。あまり失礼な事は言わないでもらいたいものです」
一瞬だけ激昂するが、すぐに我を取り戻すラス。だが、顔には隠しきれない程の不快なものが浮かんでいる。
「それで、賞金首のラス・ヌベスはこんな所で何をしているのかしら。素敵な解体術のお披露目? それとも、愛弟子の私を待っていてくれたのかしら?」
「いやいや、この賞金稼ぎの方々がいきなり私に襲い掛かって来たのでね。その迷惑料として材料を頂いていたところです。それに、貴方などに用は全くありませんよ。自惚れてはいけません。実はですね、とある人物に大事な用事がありまして」
ラスは赤い水晶が先端についている杖で、地面を軽く叩く。エーデルの詠唱は間もなく終わる。
その間も武装死兵と人形との戦闘は続いている。得物を持っている分だけ死兵の方が優勢だ。人形が体内に引きづりこもうとするが、逆に身体をめりこませ、内側から土人形を破壊している。肉体は傷つくが、死んでいるから何の問題もない。
「貴方にはなくても、私にはあるのよねぇ。……賞金首ラス・ヌベス。墜ちた魔術師よ。この場所でお前を討ち取らせてもらうわ」
エーデルは髑髏の杖を思い切り地面に叩きつける。詠唱が完了し、再び召喚準備が整ったのだ。
これ以上の時間はエーデルには必要ない。ラスに時間を与える必要もない。
エーデルが召喚札を宙へと無造作に放り投げる。
札が床につくと、そこから地面を突き破り、人間と魔物のなれの果てが数十体現れる。全てが腐敗しており、生前の姿は既にない。その中には首なしサルバドの姿もある。
エーデルは杖を回転させると、魔力を与えて死体の身体を強化する。攻撃命令を受けた死体達は人形を包囲し、一斉に攻撃を仕掛けていく。反撃すら許さない怒涛の攻撃。崩れ落ちた後も、執拗なまでに打撃を繰り返す。人形は徹底的に破壊しなければ再び動き出す。
ラスは瞬く間に手駒を壊滅させられたことに驚愕すると共に、狂喜の感情を露わにした。
「これは素晴らしい。本当に素晴らしいですよ! ここまで死体を思うが儘に使いこなすとは実に狂っている! いやいや、私を討つために、外法に手を染めたと聞いていましたが。弟子の成長を目にすると感慨深いものです。……ふむ、私もその覚悟に応えてあげなければなりませんか。予定にはありませんでしたが、久しぶりに遊んであげましょう」
ラスが独り言を長々と呟いた後、懐から召喚札を放り投げる。手にした杖から赤い光が発せられ、召喚札がその姿を変えていく。
一際眩い光が生じるのと同時に、人間が数十人召喚される。冒険者らしき若き男から、普段着の中年の女まで老若様々である。その全てが虚ろな瞳で、目には光がない。腕を前にダラリと垂らし、操り人形のように奇妙な動きをする。
「……人形遣いとしての腕は落ちてないみたいねぇ。趣味は悪くなったみたいだけど」
「フフ、人形はね、生きている方が良いんですよ。木や土くれとは違い趣があるんです。そんな死体では駄目なんです。生きているからこそ、素晴らしいのです。貴方にもいずれは分かったとは思いますがね。不必要な感情さえ処分してやれば、私の思うが儘。材料は至る所に転がっていますからねぇ」
酷薄な笑みを浮かべるラス。エーデルは表情を強張らせたままだ。
大部屋は、死の兵隊と生ける人形が向かい合う異様な光景となっている。
誰であろうと恐怖を覚え、直ちに引き返すであろう。エーデルも生気のない人間達を見て、寒気を覚える。生かしたままそれを成す師、ラスの技量にも恐れを抱く。
だがエーデルは逃げない。この日の為に、鍛錬を積んできたのだ。確実に勝利する。
「下衆が。私は貴方とは違うのよ。誰もが死んだらただの肉塊。私はそれを有効活用しているだけ。貴方のように本人の意思や感情を奪ったりはしない!」
「キヒヒ、同じことですよ。結局は魂を冒涜していることに違いはない。私と貴方は同類なんですよ、同類。何しろ貴方を拾い上げ、魔術を教えたのはこの私なのですからッ! 私が下衆であるならば、その弟子もまた下衆であるのが道理です。ね、そうでしょう、キヒヒヒヒヒヒヒ!」
「黙りなさいッ! 私は貴方とは違うッ!」
「言っていなさい愚かな弟子よ。そうだ、貴方も私の人形にしてあげましょう! 大事に可愛がってあげますよ!!」
ラスは哄笑すると、杖を振りかざす。生き人形達が様々な得物を手に、行進を始める。
エーデルも死兵達に前進命令を出す。
死者と生者が組み合いをはじめ、お互いの肉体を傷つけ始める。
奇声が上がり、肉が裂け、骨が砕け、四肢が千切れ、血飛沫が石床を染め上げ始める。
乱戦は続く。ラスとエーデルは意識を集中し、手駒の強化に努める。
戦況は、エーデルが操る死者の軍団が押され始めていた。
死を恐れない、命令を最後まで遵守するとはいえ、死体は死体。身体は腐敗し、四肢が欠損した者が多いのだ。
一方、相手は完全な人間であり、装備も十分。生きている分、強化の度合いも大きいようだ。
兵の質は、残念ながらラスの人形の方が上。
エーデルは冷静に状況を分析した。
果敢に人形にまとわりついていた首なしサルバドが、剣で突き刺され押し倒される。
エーデルが妙な小娘から買い取った死体。倒れ伏せたその身体に、数名の人形が囲むように立つ。そして一斉に剣や斧を振りかざした。
「これは勝負が見えましたかねぇ。今降参するなら、待遇も考えて差し上げましょう。……そうですね、私の妻となるのはどうです? カタリナもきっと喜びますよ」
フードを取り、口元を歪めるラス。
エーデルは即座に拒否する。
「……お断りするわ。それにまだ勝負はついていない」
「そうですかそうですか。まぁ妻というのは冗談ですよ。ですが私の娘になってもらいましょう。貴方の意思を強制的に奪ってね。フフ、カタリナは貴方に良く懐いていた。きっと仲の良い姉妹になるのでしょうねぇ。今から楽しみです」
「黙りなさいッ! 炎の刻印よ我に力を与えたまえ。我が敵を業火に包み、その罪を焼き尽くしたまえ!」
詠唱を終え、髑髏の杖から巨大な炎の渦を繰り出す。エーデル最強の攻撃魔法。威力の分だけ反動が凄まじい。魔力消耗が激しいことから、一発撃つだけでも限界に近い。消耗時に無理に繰り返せば廃人になってしまう。それでも、この戦いだけは負けられなかった。
「何をする気かは知りませんが、貴方程度の魔法ではこの私を――」
「『煉獄』!!」
エーデルが放った業火を見てラスは目を大きく見開く。以前とは比べ物にならない程の威力のそれ。ラスは驚きと共に賞賛を表した。
「――おお、おお。これほどの魔法を使いこなすようになるとは、実に素晴らしい。師として誇らしい。本当に成長しましたね、エーデル」
エーデルがかつて見た、心優しき師の笑顔に戻る。
やがて煉獄の炎が深緑のローブを焼き尽くし、瞬く間に身体が掻き消えた。断末魔を上げることなく、ラスは灰燼に帰した。
周りの生き人形は主を失い、立ち尽くしている。エーデルの死者の軍勢は、既に打ち破られていた。紙一重の勝利。
「か、勝ったの? わ、私が、ラスを討ち取った。私が。ああ、これで、これでッ!」
感極まった声を出すエーデル。思わずその場で力を失い、崩れる。
――だが。
「魔術師は常に冷静であれ。心を取り乱す事なかれ。そう、教えませんでしたかねぇ。相変わらず肝心なことを忘れてしまうようですね。実に情けない」
呆れた口調でラスが姿を現す。いつの間にか、別の人形と入れ替わっていたらしい。
「――そ、そんな馬鹿な」
「馬鹿は貴方ですよ。観察を怠りましたね。それでは減点ですよ。減点」
ラスが師だった頃のような口ぶりを見せる。エーデルが焼き尽くしたのは、別の哀れな人間だ。
強力な魔法を行使した後なので、エーデルは次の攻撃までに時間が掛かる。
皮袋から魔素ポーションを取り出し一気に飲み干す。猛烈な吐き気が襲い掛かるが、気にする事無く立ち上がる。どんな醜態を見せようとも関係ない。
魔力の充填まで後僅か。代償がどれだけ高かろうと、ラスを殺さなければならない。ここで止めなければならない。
「随分無茶をしますね。そういうのはいけませんよ」
「ま、まだ諦めない。私は貴方を越えてみせる。必ず殺さなければならない。私は貴方の罪を止めなければならないのよ」
震える手で杖を構え、エーデルは再び詠唱に入る。
「フフ、それは余計なお世話という奴です。私は娘を取り返したいだけなのですから。妨げる者は誰であろうと許しません。では、次は私の番ですね」
ラスがパチンと指を鳴らすと、手に何かが現れる。エーデルが目を凝らすと、その正体が判明する。
人間の臓器。恐らくは心臓だ。保存の魔法を掛けてあるようで、未だにその色は赤々としている。
基礎術を得意とするラスならば、これぐらい容易いことだろう。
「人形だけでなく、触媒も生きている方が効果を発揮するのです。我が友と様々な研究と実験を繰り返しましてね。それで分かったのです。代償にするものは、生きているほうが良いと。ほら、目を逸らさずに良く見てください! まだ脈を打っているでしょう。まさに奇跡といえませんか? フフフ、素晴らしい。これが命の鼓動というものです」
「あ、貴方という人はッ」
「人間の魂とはどこに宿るんでしょうねぇ。脳ですか? それとも心臓? 或いは人間の身体そのもの? 私はね、心臓だと思うのですよ。我が友は否定するのですが、私は確信を持っています。ほら、この素晴らしい命の鼓動を見てください。なんと神々しいのでしょう。つまり、この心臓には誰かの魂が宿っているのです。フフ、心が躍りませんか? 私は、一つ階段を上ったような気がしてなりません」
「く、狂ってるわ」
「死体を我欲で操る貴方が何を言うのですか。目を見開いて良く見ていなさい! この鼓動が掻き消える瞬間を。魂が無へと還る瞬間を! 命が最も輝きを見せる瞬間ですよ!」
ラスが詠唱と共に、心臓を握りつぶそうとした瞬間。下を向いていたエーデルがラスの目を見据える。
倒れていた死体が飛び起きると、勢いのままラスに纏わりつき、その行動を阻害する。
「な、なに――」
「地獄に落ちなさい、この狂人がッ!! 『死体爆破』!」
死人が道連れが出来る事を喜ぶように、空虚な眼を細める。口元が裂け、舌がだらりと下がると、激しく炎上を始める。
エーデルが指を鳴らすと、死体は木っ端微塵に吹き飛んだ。
閃光とともに熱を帯びた煙が部屋中に巻き起こる。爆心地は、無事ではいられないはずだ。
余波を受けた意識のない賞金稼ぎ達も、壁へと叩きつけられる。
エーデルは爆煙を疲れきった身体で見守る。
暫くして煙が晴れると、何事もなかったかのようにラスが現れた。
「危ない危ない。貴方の癖を覚えていなければ即死でしたよ。何かを企んでいるとき、貴方は目を伏せがちになる。そして実行する際には、必ず対象と目を合わせる。ふふ、人というのは、変わりませんねぇ」
その声を絶望の表情で聞くエーデル。最早切り札はない。
「…………クッ」
「そんなに悲しい顔をしなくても良いのです。貴方の師である私だから防げたのです。本来なら、私は木っ端微塵でしたよ。奢った相手の不意を突く、実に素晴らしい魔法でした。花丸ものですよ」
ラスがエーデルを褒め称える。生き人形たちが拍手を行い、賞賛する。
「お礼に、私の新しい魔法を披露させて下さい。殺さないように加減しますから、心配しなくても大丈夫ですよ。死んでしまっては『人形』にできませんからね」
「ほ、炎の刻印よ、わ、我に力を――」
エーデルは最後まで抵抗する姿勢を見せる。
ラスは一笑に付すと、魔法を発動した。
「もう手遅れですよ。――生ける心臓よその尊き鼓動と共に呪いの嘆きを響かせたまえ。滴り落ちる鮮血で、彼の者に赤き戒めを!!」
「か、火炎――」
「『血の呪縛』!」
握りつぶされた心臓。放たれる黒い瘴気。流れ落ちる血が凝固して、まるで触手のようにラスの掌から展開される。
エーデルを捕らえようと、それらの魔手が殺到する。察知したエーデルが飛び退るが避けきれない。
エーデルは魔術師であり、体術は得意ではない。相手を近づけさせないようにするのが鉄則だ。
血の触手がエーデルの四肢を捕らえ、首に纏わりつく。
ピンクのローブが赤く染まり、魔術師を象徴する帽子が地面へと墜ちる。
ついには命綱である杖すらも手放してしまう。魔法発動を補助するのが杖の役割。強力な魔法を乱発し、衰弱している現在はなくてはならないものだった。
「――く、ぐあああァッ!」
「じわじわと体力を奪わせてもらいます。もう暫くしたら楽になりますよ。その上で、じっくりと脳を弄らせて頂くとしましょう。我が友の手に掛かれば、あっと言う間に終わります。次に会う時は、貴方は私の娘として目覚めるのですよ。――キヒヒヒヒッ!」
ラスが意識を集中させると、エーデルの身体が宙へと吊り上げられる。
血の触手は大の字に拘束すると、徐々にその戒めを強くしていく。
「ぐ、ぁあああ」
「無駄な抵抗は止めなさい。我が娘となる女性に、手荒なことはしたくないのですよ。カタリナもきっと悲しみますからね。姉の身体に無残な傷がついていたら、心優しいあの子は泣いてしまうでしょう」
エーデルはそれでも抵抗しようとする。このままでは終わってしまう。だから必死に抵抗する。
だが触手はびくともしない。歯を食いしばっても、まるで破れる気がしないのだ。
「ではいよいよ落とすとしましょうか。赤き戒めよ、彼の者の意識を奪え!」
「い、いや……」
ラスの杖が怪しく光を放つと、触手はさらに力を強める。
エーデルの意識がいよいよ失われようとしたその時――。
『消え去れッ!』
少女らしき声が聞こえたかと思うと、眩い光が部屋を包み込む。
エーデルは思わず目を覆い、一瞬視界を失う。拘束が解け、石床にたたき付けられる。痛みでうめき声を上げそうになる。
「くっ、何事です!?」
エーデルが腰を押さえながら必死に目を開けると、先ほどまで勝ち誇っていたラスが、目を両手で覆って屈んでいる。
大部屋の入り口には、二人の女性がいた。一人は両手で奇妙な印を結び、片目を閉じている。あの顔は見覚えがある。確か、サルバドを討ち取った少女。そして奇怪な治癒術を操る興味深い人間。
もう一人の体格の良い女戦士は両目を閉じたまま盾を懸命に構えていた。
「――マタリ、目開けて良いわよ。アンタはあそこにいるピンキーと生きてそうな奴を適当に回収しなさい。なんだか良く分からないけど戦うのに邪魔だから。倒すべき敵は多分緑のアイツよね。ここにいても臭いがする」
「ぴ、ピンキーですか? あ、ああ、あの人ですね!」
「そそ、ピンキーって感じでしょ。 ピンク尽くしで目が痛くなるわ」
「確かに、では行って来ます!」
大声で返事をすると、エーデルの元に金髪の馬の尻尾――マタリと呼ばれた女が近づいてくる。ぐいっと首根っこをつかまれる。更に、近くで倒れている若い賞金稼ぎともう一人を強引に担ぎあげた。凄まじいまでの腕力だ。
「ちょ、ちょっと!」
「ああ、後で聞きますね。今は運ばないと!」
マタリは聞く耳を持たずに部屋の入り口向かって走り出した。
祭壇の付近では、ようやく回復したラスが、歩み寄ってくる少女に対し声を掛ける。
「……私の楽しみを邪魔してくれたのは貴方ですか? 何をしたのかは知りませんが、勇敢なお嬢さんですねぇ」
ラスが探るような目つきを浮かべながら丁寧に話しかける。
「邪魔だからつい手出しちゃったのよ。こんな所で暴れるなんて迷惑極まりないわ。もっと他でやりなさい。私の目の届かない墓の下とかね」
「これはこれは口の悪いお嬢さんだ。教育の必要がありそうですねぇ。その可愛らしい身体に叩き込んであげましょう」
「アンタも相当の屑みたいね。私には一発で分かるの。お前らはゴミみたいな異臭がするからね。側にいるだけでムカついてきたわ」
ラスに向かい吐き捨てるが、少女は特に剣を構えようとはしない。
他の武装は腰に備えられたダガーナイフのみ。魔術師相手に、時間を掛ける危険性を理解しているのか。
「中々に酷い言われようだ。貴方は生かしたまま人形にすることに決めましたよ。意識を持ったままカタリナの玩具にしてあげましょう。キヒヒ、どんな表情を見せてくれるかワクワクしますよ。貴方の材料は、さぞかし瑞々しい綺麗な赤色をしているのでしょうねぇ」
「不愉快だから臭い口を開くんじゃないわよ」
「フフフ、では始めましょうか! 小娘を捕らえなさい!」
周りに待機していた生き人形達が少女に視線を向ける。人形達は得物である剣や斧、槍を正面に構える。
一糸乱れぬその光景は、統率の取れた戦列を想像させる。
ラスは満足そうに人形達を眺めている。同時に詠唱を行い、不測の事態には備えているようだ。
決して油断をしない。魔術師の鉄則だからだ。
掴まれたまま眺めていたエーデルの体が放り投げられる。横には意識のない賞金稼ぎ二人。マタリは大声を上げて少女に報告する。他の人間を救出しようと走り出そうとしていた。
「ピンキーさんは助け出しました! このまま他の人達も」
「そう、それじゃあ他のはもういいから、そこで構えてなさい。何人かそっちに行くかもしれない。来たら遠慮せず打ち殺せ」
少女が振り返らずに、マタリに指示を出す。剣を抜き放ち、構えを取った。
「で、でも、あの人達って人間なんじゃ」
「手加減できるだけの腕があるなら構わない。無理そうなら斬り殺せ。アンタがやられたら、その三人も死ぬだけよ」
「わ、分かりました! 頑張ります!」
「こっちには絶対に近づかないように。魔術師らしいからアンタとは相性が悪い」
「はい!」
マタリが盾を構えると、少女を迂回してきた三体の生き人形が近づいてくる。マタリは右手の剣を引き絞り、狙いを定め始める。
エーデルも何とか魔力の充填を開始する。隣の賞金稼ぎ二人は駄目だろう。完全に意識を失い、起きる素振りがない。
「生き人形は私が精魂篭めて作り上げた芸術品です。たかが戦士一人に遅れをとりはしませんよ。舐めてもらっては困りますねぇ」
ラスが殺意を露わにして杖を叩きつける。
「ねぇ、私の言葉が聞こえなかった?」
「年を取ると、物覚えが悪くなりましてねぇ。はて、なんでしたかな?」
挑発するように歯を剥き出しにして嘲るラス。
「――口を開くなって言ったのよ、この糞野郎がッ!!」
少女が怒声を上げると、ラスを目指して真正面から襲い掛かる。
「元気が良くて素晴らしいッ! それでは楽しい楽しい人形劇、第二幕の始まりですよ! 紳士淑女の皆様、彼女の哀れで惨めな最期にご期待ください!」
様々な人形達が少女の行く手に立ち塞がる。ラスは両手を広げて呪われた人形劇の開幕を告げた。