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第十一話

 溢れ出さんばかりの活気に満ちたアートの街。昼は商人が行き交い、夜は冒険者達で賑わいを見せる。

 その光が強くなればなるほど、目を背けたくなる影の部分は濃さを増していくのだ。

 それがアートの街の北西部、高い柵で隔離されている区域、スラム地区である。

 二百年もの昔、魔物が地下から溢れて出てきた際に生じた傷痕が、未だ放置されている有様。

 当時の防衛戦で生じた屍骸――人間、魔物の区別なくこの場所へと投げ捨てられ、打ち捨てられた。

 死の穢れを恐れた人々は決してここへ近寄ろうとはしなかった。傷病人や、親を失った子供はこの呪われた場所へと押し込められ、見捨てられたのだった。

 G・アートにより大結界が構築され、街が平穏を取り戻してからも捨て置かれた。

 時が経つにつれ住民は入れ替わった。脛に傷を持つお尋ね者や野盗達の絶好の隠れ家となり、治安は悪化の一途を辿っていったのだ。

 星教会が支配権を握ってからも復興からは取り残され、治安が回復する事はなかった。

 現在は貧民層がここへと流入し、他の地区とは異なる生活圏を確立している。

 廃墟の合間に粗雑な住居が構えられ、盗品のやりとりも盛んだ。住民が何人存在しているのかは定かでない。


 時折、教会の衛兵達が見回りにくるが、野晒しの死体があろうと関心を持つことすらしない。彼らの目的はこの地区の治安の維持ではなく、別にあるのだから。

 自分の身は自分で守れ。死にたくなければ先に刺せ。これがスラム地区の暗黙の了解である。

 それを実践出来なかった者は、自然と淘汰されていく。


 そんなスラム地区の一角に、今にも屋根が崩れ落ちそうな程寂れた店がある。

 ひび割れた窓はくすんでおり、店内には明かりが灯らず、蜘蛛が至るところに巣を構えている。

 棚には用途の分からない魔道具、実験器具が乱雑に置かれているが、その全てに埃が積もっている。

 まともな客が訪れることはないが、人の出入りはそこそこにある。特定の層に需要があるのだ。

 勿論、ガラクタ紛いの商品を買い求めに来るのではない。

 顔を紫色の布頭巾で覆い隠した男が来店する。紫色のマントを着用しており、いつでも抜剣できるように常に柄へ手を置いている。 所謂、訳ありの人間だ。

 左手に持っていた大きな袋をカウンターへと置くと、小さくベルを鳴らす。

 寂れた店内には濃厚な『香』の臭いが充満していた。男は篭った臭気に眉を顰めるが、いつものことなので我慢する。


「いらっしゃい。おや、随分久々じゃないですか」


 奥の暗闇から、しゃがれた声と共に男が姿を現す。この不気味な男がこの店の主人である。

 深緑のフードとローブを着用し、その顔色までは窺うことはできない。


「ああ、“本業”が忙しくてな」

「それは羨ましい限りですね。フフ」


 薄気味悪い声色で笑い声を上げる店主。

 基本的に余計な会話はしないのだが、今日はいつもよりお互いに口が回る。

 ひどい時は、言葉を交わすことすらしないのだから。


「こいつの抽出を頼む。かなりの量で悪いが」

「悪いなどとんでもない。どれだけお持ちになられても問題ありませんよ。それが私の仕事ですからね。それでは、暫くお待ちを」


 店主は袋を抱えると、再び奥へと戻っていく。

 ギルドを何らかの理由で除名された者は、魔物の部位を換金する手立てがなくなる。ギルドで抽出が出来なくなるからだ。

 だが賞金首や、訳ありの人間とて生きていくには金が必要だ。

 例え冒険者を標的として狩続けるにしても、地下迷宮では魔物が普通に襲い掛かってくる。

 賞金首だろうが、冒険者だろうが同じ人間だからだ。魔物からすればどちらもただの獲物に過ぎない。

 嫌でも溜まる魔物の部位、しかし抽出する手段はない。そこで星教会の認可を持たない、闇鑑定士達が現れたのだ。

 闇鑑定士の人数はそれなりに存在し、このスラム地区にその殆どが身を隠している。

 スラム地区以外で教会に見つかれば、異端認定の上で死を与えられるだろう。

 だが、このスラム地区だけは、見て見ぬフリをされている。結局のところ、抽出された魔素は最終的に教会に納められるからだ。

 衛兵達が見回りにくるのは、魔素の回収業務も兼ねている。表向きは、地下迷宮で稀に入手できる魔素結晶の換金という名目で。

 教会は通常のギルド相場より安く魔素を集めることが出来、訳ありの人間は用途のない魔物の部位で金を得る事ができる。闇鑑定士は抽出業務を行なうだけで、戦わずとも金が手に入るという訳だ。

 魔素が集まるならば、その手段はどうでも良いというのが現在の教会の方針である。


 だが星教会上層部の考えが一つに纏まっている訳ではない。

 教皇エレナに次ぐ地位のイルガチェフ枢機卿は、魔素の集積を第一とし、多少の事は黙認すべきという意見である。

 彼は教会保守派の中でも、更に過激な一派の代表にいる人物だ。

 逆に改革派のニカラグ司教は、魔素の管理を徹底する為にも、直ちに取り締まるべきと主張している。管理出来ない魔素の流通は危険極まりないと、常日頃より訴えていた。

 闇鑑定士の中には、抽出した魔素を自らの目的の為に溜め込む者もいるからだ。

 ――例えばこの店の主人のように。


「お待たせしました。抽出したものはこちらになります。中々の量でしたよ」

「ああ、少し張り切り過ぎたようだ」

「お代は予め頂いておきました。ご了承ください」

「分かっている」


 代金は、抽出した魔素で支払うのがこの店のやり方だ。

 客が一々、『何個抜いたか?』などと確認することはない。大体の相場は決まっている。

 第一、闇鑑定士が抽出してくれなければ、魔物の部位はただのゴミでしかない。

 闇鑑定士とて、吹っ掛けすぎれば客を失うし、己の身も危険である。客となるのは、人を殺すことを何とも思っていないイカれた奴ばかりだからだ。

 ――この店の主人もその中に入るのだが。


「では、ご確認下さい」


 店主が瓶に入った結晶を見せる。黒光りする宝石のような物が詰め込まれており、怪しい輝きを放っている。

 これが魔物から抽出できる、魔素の結晶だ。冒険者達はこれを集める為に、地下迷宮へ潜り魔物を狩り続けているのだ。

 武器や防具の製造時に特殊な技法で練りこむ事で、効果を発揮する素材。溶かして調合することで、魔力を回復する魔素ポーションにもなる。魔道具の材料としても珍重されている。量が多ければ多いほど効果が増す為、どれだけあっても困る事はない。

 星教会が勢力を拡大した最大の理由がこの魔素である。これを用いた武具や道具が素晴らしい効果を発揮した為、大金で取引されるようになった。その原材料となる魔素はこの地下迷宮でしか取れない。独占している星教会には莫大な利益がもたらされたのだ。


「ここで換金されていきますか? それとも持ち帰られますか?」

「小煩い衛兵には会いたくないから、金に換えてくれ」


 店主が魔素の結晶を量りにかけて金額をはじき出す。店主が価格を提示すると、男は問題ないと頷いた。

 金を受け取ると、さっさと出て行こうとする男を、店主が小声で呼び止める。


「何か、面白い話はありませんか? ここにいると、中々耳に入ってこないもので。世間の情報にとんと疎くなってしまうのです」


 男は無視しても良かったのだが、いつも利用している店なので、少しなら構わないだろうと判断した。


「特に変わった出来事はないな。相変わらずの腐った素晴らしい世の中だぜ。……そういえば、罠師のサルバドが殺られたらしいが」

「……ほう。あの手練が、ですか。それはそれは」


 興味を示す店主。男は話を続ける。


「駆け出しの小娘が殺ったってんで、酒場はその話題で盛り上がってたな。俺はそいつを見てないから、なんとも言えねぇが」

「小娘? 駆け出しの小娘があのサルバドを殺ったのですか? それは中々素晴らしい」

「情報屋の話じゃ、自分で勇者を名乗ってるそうだ。随分と勇ましいこったな。もしくはただの馬鹿か。まぁ馬鹿にサルバドは殺せねぇか」

「勇者! 年若き少女が勇者なのですか! ああ、それは更に素晴らしいですね!」


 店主が歓喜の声を上げると、男は一歩だけ距離を置いて話を続ける。


「……アートの末娘と一緒に行動しているらしいが。まぁ、勇者を名乗る割にはまだ『仮許可証』らしいがよ」

「ふむ、なるほどなるほど。ということは、まだ当分は迷宮上層部にいるというわけですね。それはとても素晴らしい情報です」


 男から聞き出した情報を、刻み込むように何回も繰り返す店主。


「なんだ、やたらと食い付くじゃないか。アンタにしちゃ珍しい」


 店主とこんなに長話をした記憶がないので、男が疑問に思い尋ねる。


「いえね、その勇ましい少女がどんな顔をしているのか、私は非常に興味があります。あのサルバドを討ち取るほどの実力です。きっと優れた才能に満ち溢れているのでしょう。本当に、本当に素晴らしいことですよ。では、その少女の目の輝きはどんなに美しいのでしょうか。私は、とても気になります。ああ、本当に素晴らしい。なんと素晴らしいのでしょう!」


 素晴らしいと連呼しながら頭を掻き毟る店主。フードが外れると、初老の白髪交じりの男の顔が露わとなった。目は完全に常軌を逸している。


「……俺はどうでも良いがね。まぁ賞金の金貨を持っていることは確かだから、それには興味あるな。ご相伴に与りたいもんだ」

「――金? 金ですって!? 端した金などどうでも良いのですよッ! 私が気になるのは、その素晴らしい少女の眼ですよ眼ッ! どんなに美しい眼をしているのか、それだけが何よりも大事なのです! ああ、とても気になりますねぇ。どんな形でどんな色をした目玉なんでしょう。是非この手にとって隅々まで観察してみたい。本当に相応しいかどうかこの舌でじっくりと舐めてみたい。ああ、困りました。到底我慢できません」


 興奮した店主が唾を飛ばしながらまくしたて、皺の目立つ掌で目玉を弄ぶような仕草をする。まるでそこに実物があるかのように。

 動揺した男が思わず口を開く。


「お、おい」

「フフ、是非お会いしたいものです。出来うるならば今すぐにです! ああ、気になって気になって、居ても立ってもいられないッ!」


 絶叫すると、店主は忙しなく身体を動かし始める。

 男は気味悪く思い、さっさと引き上げることにした。狂人の戯言に付き合っている時間はない。長居するには、ここの臭いがキツすぎることもある。我慢するのもそろそろ限界が来ていた。


「……満足してもらったところで、俺は帰らせてもらうよ。また頼むぜ」

「非常に素晴らしい有意義な情報をありがとうございました。次は、色々とおまけさせてもらいますよ。期待していてください」


 急に真顔に戻り、紳士風に微笑む店主。先ほどまでの狂人じみた様子は完全になくなっていた。


「……そいつは、楽しみだ」

「またのご来店をお待ちしています」


 男が店を後にすると、店主は小走りに奥の部屋へと戻る。ここは店主が材料置き場として使っている部屋だ。香と何かが入り混じった臭いで充満しており、普通の人間ならば確実に咽てしまうだろう。

 鍵を外すと、静かに扉を開け人形制作室へと入る。光が完全に遮断されており、蝋燭が一つだけ灯されている。部屋は広めに作られており、様々な器具や魔道具が製作台に乗せられ、『材料』も至るところに散らばっている。これらは全てある『人形』の製作に使われている。

 薄暗い部屋の中央には、血文字で呪文が記された特殊な魔法陣が描かれている。

 その魔法陣の上に、店主にとって特別な一体の『人形』が丁重に置かれている。

 部屋の端には、人形制作時に使われた『材料』の余りが無造作に置かれており、異臭を放っている。香の臭いはそれを隠すためのものだ。

 まだ手のつけられていない材料の塊が虚ろな瞳で立っている。材料を抜き取った後、気が向けば人形として再利用する。気が向かなければそのまま廃棄処分である。壊れてしまった場合も残念ながらそのまま廃棄となる。入手する材料の部位によっては、確実に壊れてしまうから仕方がない。

 材料の塊の数は三十体に及び、等間隔で整列されている。店主はつまらなそうにそれらを一瞥する。これらには全く興味が湧かない。どうでも良い。

 店主は製作途中の、特別な『人形』を強く抱きかかえる。決して誰にも奪われないよう力を篭めて。


「フフフ、もうすぐです。もうすぐ完成です。私の可愛い娘。私の、ただ一人だけの最愛の娘。既に彼女の魂はここにいる。鼓動も感じる。ですが、まだ完成ではない。まだ、まだ駄目なのです。ああ、早くその可愛い声を聞きたいものです。それはきっと、とても素晴らしい日になるのでしょうね」


 じっと一時間程間抱き続け、ようやく満足した店主は、慎重な手つきで再び魔法陣の上へと寝かせる。

 手を中央に組ませ、愛おしそうに優しく髪を撫でる。店主の顔が優しく綻びる。


「ああ、いけません。食事の時間じゃないですか。あまりの可愛らしさに忘れるところでした。さ、抽出したばかりの魔素ですよ」


 店主が抽出したばかりの魔素を取り出し、掌に魔力を篭める。一言呪文を発すると結晶が溶け、澱んだ瘴気が人形へと流れ込んでいく。

 店主はこの無意味とも思える作業を、三年間、毎日欠かさず行ってきた。


「ふふ、後は『眼』です。色々な目玉を試してみましたが、相応しい物が中々見つかりませんでした。我が娘に似合う、素晴らしい眼でなければいけません。ですが、ようやくその手掛かりを掴むことが出来ました。年若く勇しき少女の目玉ならば、きっと素晴らしいものに違いありません。ああ、こうしてはいられない。すぐにでも情報を集めなくては。情報屋から話を聞きだし、自分の『眼』でしっかり確認することにしましょう。忙しい忙しい」


 早口で独り言を呟く店主。頭を乱暴に掻き毟ると、準備を整えはじめる。

 愛用の杖、壊れた材料から取り出した触媒。更に、自作人形の召喚札を数十枚用意する。


「それでは行きましょうか。再び素晴らしき日々を取り戻すために」


 魔術師としての身なりを整えた店主は、人形制作部屋を上機嫌で後にした。

 

 ――彼の名は魔術師ラス・ヌベス。またの名を人形術師ラス。

 物を動かしたり、強化する基礎術を得意とした。手製の人形を己の得物とし、まるで人間の如く巧みに使役することから、いつしか人形術師の異名を取るようになった。優れた才と弛まぬ努力が彼を人形術師として大成させたのだ。また、何人もの魔術師を育て上げてきた優れた教育者でもあった。ギルドからの信頼も厚く、次期ギルドマスターの有力候補として名前が挙がっていた程だ。

 だが、ある時を境に彼は精神を病み、狂い、善良だった性格は完全に豹変した。自ら外道に堕ちたのだ。

 やがて、数々の悪行を見かねたギルドから賞金を掛けられた上で除名されてしまった。

 追っ手を返り討ちにした彼はスラム地区に身を潜めた。闇鑑定士として生計を立てる一方、街や迷宮で材料を集め、魔素を溜め込んで何度も実験を繰り返してきた。

 数多くいる賞金首の中でも、実力の高さとその残虐性から一際恐れられている人物である。






「今日はネズミじゃなくて兎狩りって感じだったわね。これなら結構な額になるんじゃない?」

「はい! とても効率よく狩れましたから。今日は贅沢な馳走でも大丈夫ですよ」

「よし、換金したら早速美味い物を食べに行くわ。もうお腹ペコペコよ」

「美味しい店なら任せてください! この街は私の庭みたいなものですから!」

「まぁ、そりゃそうでしょうね。アンタの地元だし」


 迷宮帰りの勇者とマタリ。今日は他の徒党の真似をして定点狩を行なってみたのだった。どうも首狩兎の出没する場所というのは決まっているらしく、無闇に移動するよりも待ち構えた方が狩りやすいと分かった。

 最初は素早さに翻弄されていたマタリも、今では安定した戦いが出来ている。勇者が指導、実践してみせ、それをマタリが取り入れていく。拙いながらも、連携した戦闘も行なえるようになっていた。


「あー、まだ結構血が付いてるわね。手拭だけじゃやっぱり無理みたい」


 門番に怒られない程度には汚れはとれているが、どうみても一戦やらかしたと分かる。まだ血の臭いもする。この街ではそれほど目立つことはないが。何しろ完全武装で冒険者が往来するイカれた街である。


「帰ったらしっかり洗わないといけませんね。武具の手入れは大切ですし」

「それに、またマスターにどやされるしね」


 極楽亭のマスターは綺麗好きであり、汚い格好でうろうろされるとイライラするらしい。この前は強引に酒場の中にある水場へと連行され、鎧の上から洗い流されてしまった。次からは裏から入って自分で洗えとキツく言いつけられて。

 完全に整ったちょび髭だけあって、お洒落にはうるさいのだろうと勇者は思った。


「あ、戦士ギルドにも水場があるので、洗って帰りましょうか」

「そうしましょう。綺麗になってから美味しいものを食べたいわ」


 髪に付着していた返り血を勇者は拭う。


「そういえば、勇者さんは兜をつけないんですか?」

「兜は重いし、蒸れるし、視野が狭くなるから私はいらない」

「私はお金がなかったので、兜までは買えなかったんですよね。視野が狭くなるなら、このままで良いでしょうか」

「いや、アンタは絶対につけた方が良いと思う。そうすればどっかの壁に頭打って死ぬ事はなくなるから」

「か、壁に頭打つほど間抜けでは。しかもどっかの壁ってどこなんですか」


 マタリが否定するが、勇者は相手にしない。猪突猛進が信条のこの猪には、兜は必要不可欠だろう。

 渾身の一撃をかわされて、うっかり壁に激突しないとは言い切れない。

 それに普通の人間は頭部を攻撃されたら死んでしまう。覆っておくのに越したことはない。

 しかも頭突きが強くなるオマケつきだ。

 勇者が兜を必要としないのは、視野のこともあるが、その方が戦いやすいというのもある。

 急所を曝け出しておけば、相手が狙ってくる場所を読みやすくなる。頭部を狙うのは意外と大変なので、相手がどこに狙いを定めているかを判断しやすくなるのだ。

 万が一頭部を潰されても、回復すれば良いだけなので全く問題がない。だから勇者は兜をつけない。


「よし、次の目標はアンタに似合う兜を探すことにしよう。どんなゴツい奴が良いかな。やっぱり一本角とか着いてた方が良い?」

「い、いえ、地味で目立たない奴でお願いします。角はいらないです」

「最低でも羽は欲しいわよね。買い物する楽しみが増えたわ」


 勇者は聞く耳を持たずに色々と思案し始めた。


「わ、私の話も聞いてください……」


 嘆息するマタリを尻目に、勇者はずんずんと歩いていく。もう間もなく戦士ギルドへ到着する。あそこは酒も提供しているので、軽く一杯やっても問題はない。今日はもう戦うことはないのだから酔っ払っても大丈夫である。


 ――と、ギルドの前で座り込んでいた少年が、勇者達に気付いたらしく、手を振りながら走ってくる。

 誰だろうと勇者が目を凝らす。マタリは先に判別できたらしく、手を振って応えている。

 以前、勇者から財布をスリとろうとして失敗した少年だった。確か、名前はコロン。


「……何かしら。いきなりナイフで刺してくるつもりかしら。この前の仕返しに」


 勇者が物騒なことを呟くと、マタリが笑いながら否定する。


「それはありませんよ。だってあんなに良い笑顔浮かべてますよ」

「笑いながら人を刺す人間を一杯見てきたからね。警戒もするわよ」


 勇者は不意の攻撃に備えて身を堅くしていたが、心配は全くの杞憂だった。コロンは勇者達の前で急停止すると、子供らしい元気な声で挨拶してくる。


「や、勇者とマタリの姉ちゃん! 極楽亭に行ったんだけど、今は地下迷宮だって酒場のおっさんが言ってたからさ。ここにいれば会えるかなと思って」

「何か用? また食べ物に困ってるとか?」


 勇者が率直に尋ねると、コロンは違う違うと首を大きく横に振る。


「今は全然困ってないよ! 新しく仲間になった奴が凄くてさ! 食べ物を一杯くれるんだ。俺達全員でも食べきれないほど。だから、今まで迷惑かけた人達に配ろうと思って。だから、はい!」


 コロンが大きな皮袋を差し出してきたので、勇者は取りあえず受け取る。

 中を開けると、緑色の球体が入っていた。何かの実のようだ。特徴的なのは実の外側に網目が掛かっている事だろう。

 横から覗き込んだマタリが驚きの声を上げる。


「あ、これベルタメロンじゃないですか! 凄い珍しい高級品ですよ! 私も一度だけしか食べたことがないです」

「そんなに高いの? もしかして美味しい?」

「ええ、高いだけあって凄く美味しいんですよ! 甘くてとろみがあって、それでいて果汁が一杯です。ああ、また食べたいなぁ」

「目の前にあるじゃない」

「スプーンですくって少しずつも良いし、豪快に齧っても良いんですよね。ああ、懐かしいなぁ」


 マタリが遠い世界に行ってしまったので、勇者はコロンに話しかける。


「アンタ、本当にこんなもん貰っていいの? 売って生活費にした方が――」

「ううん、今は本当に困ってないんだ。それに、そいつがちゃんと謝らなくちゃ駄目だって何回も言うんだ。悪い事したら謝るのは当たり前だって。だから、ごめんなさい!」


 コロンが深く頭を下げる。


「何だか良く分からないけど、もう良いわよ。実際に何か取られた訳じゃないし」

「そっか、ありがとう! じゃ、俺そろそろ行くよ。結構遅くなっちゃったし!」

「新しいお仲間さんとやらに宜しく言っといて頂戴。何だか高そうなもん貰っちゃったからね」

「顔は怖いけど、姉ちゃん達ならきっと仲良くなれるよ! じゃ、またな!」


 コロンは手を振ると、また駆け足で去っていった。

 自分の世界から戻ってきたマタリが笑顔で呟く。


「きっと面倒見の良い裕福な人が、彼らの世話をすることになったんじゃないでしょうか。新しい孤児院が出来たのかもしれません。まだまだ世の中捨てたもんじゃないですね!」

「まぁ、スリが減れば迷惑する人間も減るし、アイツらも捕まって酷い目に遭わされることもなくなる。……めでたしめでたし、万々歳の結末か」


 勇者は少しだけ心が軽くなった気がした。人間、まだまだ捨てたものじゃないのかもしれない。ほんの少しだけ、そう思った。


「いつか遊びにいきたいですね」

「探索許可証取ったら、暇つぶしに行ってもいいかもね。なんか美味しいもの貰えそうだし」

「私達もお土産持って行きましょう!」

「ちょっと物騒な兎の肉でもいいかしら」

「あの兎の肉は絶対にお腹を壊します!」


 軽口を叩きながら、ギルドに入る二人。

 部位の換金を終えると、ロブに頼んでベルタメロンを切ってもらう事にした。その間に二人は水場に行き、汚れを洗い落とす。武具の手入れを行い、綺麗さっぱり汗を流し落とした。

 戻ると綺麗にメロンが切られており、冷えた酒も用意されていた。メロンでは酒のつまみにはならないが、話のネタにはなる。


「ほー、それでそんな豪勢なもん持って帰ってきたって訳か。奇特な金持ちもいるもんだなぁ」

「一つなら食っても良いわよ。なんか甘すぎて胸焼けしてきた」

「そいつはありがとよ。……あのガキ共はちょっとやりすぎてたからな。いつか酷い目に遭うと思ってたんだ。説教しようとすると逃げやがるし。だがまぁ、しっかり詫びをいれりゃ、軽く殴られる程度で許してもらえるだろうよ」


 ロブが均等に切られているメロンを手に取り、齧りつく。

 マタリは自分の分を予め確保するという用意周到ぶり。メロンの七割方はこの女が持っていった。意外とやる女だと勇者は認識を改めてた。食い物に関して怒らせると危険な人間の予感がする。


「本当に美味しいですねぇ。私、幸せです」

「本当に幸せそうで羨ましいわ」


 勇者が呆れていると、ロブが突然入り口に向かって大きな声を上げる。怒鳴りつけたというのが正しいか。


「おい、エクセル! てめぇ、ここ三日顔見せなかったが一体どうしたんだ! 心配するだろうが」


 今帰還したばかりの、エクセルと呼ばれた青年がこちらへと歩いてくる。鎧を纏い、兜を脇に抱えて。

 ロブは腕組をして眉をへの字にしている。


「いやあ、その、ちょっとした事情がありまして」


 エクセルが愛想笑いを浮かべながら茶髪の頭を掻く。ロブが訝しげな視線で睨みつける。


「……また女の問題か。懲りない奴だ」


 ロブが頭を抱える。


「いや、新しい子じゃないですよ! 僕の徒党のいつもの三人なんですけど」

「三股もかけてれば十分だ馬鹿野郎! 面倒なことになる前に一人に絞れって言っただろうが!」

「いや、僕は全員に真剣です」

「うるせぇ! 迷宮で後ろから刺されても知らんぞ!」


 ロブが厳しく怒鳴りつけると、エクセルが萎縮する。


「ア、アハハ、いや、この前、刺されそうになったんですけど」

「当たり前だ! ……それで、話はちゃんとつけてきたのか」

「いや、じ、実は、その、あれです、子供が出来ちゃった、みたいでして」


 エクセルの消え入りそうな声に、ロブが疲れた顔で嘆息しながら尋ねる。


「……誰だ。魔術師のねーちゃんか」

「い、いえ」

「じゃあ、剣士の?」

「い、いや」

「じゃあ聖職者のクソ真面目なアイツか。ありゃ色々とまずいんじゃねーか」

「……ぜ、全員です。三人とも、お、同じくらいの予定日らしいです」


 アハハと苦笑いするエクセルを、ロブが白い眼で見つめる。勇者とマタリは軽蔑した視線で一瞥する。

 他人の人生だから別にどうでも良いが、どういう感想を抱くかは全くの自由である。

 勇者はエクセルを最低の男だと強く認識した。


「前から思っていたんだが、お前、剣の腕は一流だが、人間としては本当に最低だよな」

「は、はっきり言い過ぎじゃないですか」


 エクセルが顔を引き攣らせる。勇者は核心を突いていると心の中で同意した。


「まぁお前の人生だから好きにしろ。俺は知らん。お祝いだけはしてやるよ。本当におめでとう。だが俺の妻と娘には絶対に近寄るなよ。娘はまだ五歳なんだ。近づいたらぶっ殺すからな」


 ロブがそっぽを向いてメロンの残りを齧り始める。


「えーっとですね」

「知らん。聞きたくない」

「結局、今更誰か一人には絞れないので、全員と暮らす事にしたんです」

「俺は知らん」

「で、お金が必要になってきたので、僕一人で賞金稼ぎの徒党に参加することにしたんですよね。流石に彼女達は戦いには連れて行けませんから」


 迷宮探索中に子供を作っておきながら良く言えたもんだと、勇者は心の中で突っ込みを入れた。


「俺は知らん。……って、賞金稼ぎだぁ? お前、頭は正気か?」

「勿論正気です。短期間で大金を手に入れるにはもってこいです。幸い、僕の名前はそこそこ売れてましたので、すんなり参加できたんですけど。何か助言なんかあれば聞きたいなぁなんて。頼りになるのはロブさんくらいしかいなくて」


 勇者がちらりと横を振り向く。

 エクセルが自分の愛剣に手をやっている。剣は中々造りが良さそうで、鎧も値が張りそうなものを身に着けている。

 エクセルの身体は性格の割に、しっかりと鍛錬が積まれているように見えた。体格も悪くない。ロブが一流と認めるのだから、中々の使い手であるのは間違いないのだろう。

 勇者はまぁどうでも良いかと正面に向き直り、冷えた酒をあおる。


「はぁ、仕方がねぇな。一応ここまで面倒見てきちまったからな。賞金稼ぎは本気でやるにしても準備や覚悟がいるんだ。迂闊に挑んで失敗したらタダじゃすまねぇ。イカれた賞金首に散々嬲られた後で確実に殺される。奥で話してやるからついて来い」

「あ、はい。お手数かけてすみません、ロブさん」

「……こんな大馬鹿野郎が嫁三人貰って、ガキ三人の親父になるのかよ。全く世も末だな」


 ロブとエクセルが連れ立ってギルドの奥へと入っていく。中は鍛錬場やら事務室があるらしい。そこで何かを説明するのだろう。

 勇者はメロンを食べ終えてご満悦のマタリに視線を送る。途中から不愉快な話を遮断していたようだ。


「マスターロブが言うには、世も末らしいわよ、マタリ。アンタもああいうのが好みなの? 顔の造りは確かに良いけど」


 若く、剣の腕も確からしいエクセル。更には顔がいわゆる美男子というやつだ。貴族の服が似合いそうな感じである。


「ああ、私はああいう人は駄目です。もっと頼りがいがあって、背も高くて、剣の腕もあって、私を引っ張っていってくれるような――っていきなり何を聞くんですか!」

 顔を赤らめてマタリが激昂する

 猪を引っ張るのは大変そうだと思いながら、勇者はまぁまぁと誤魔化すように宥める。


「なるほど。参考になったわ。で、今までそんな英雄みたいな奴いたの?」

「勿論、そんな人いないですよ。お伽噺の世界にはいましたけど」


 マタリが遠い眼をする。


「世の中、そんなもんよね」

「そんなものです」


 勇者が口元を歪めてグラスを掲げると、マタリも笑顔でグラスを掲げる。軽く打ち鳴らすと、一気に酒を飲み干した。

 

ラスさん登場。一見すると渋い初老の紳士。

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