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第十話

「レケン様、シダモ様がお帰りになられました」


 書斎に篭っているアート家当主、レケン・アートに対し扉の外から声が掛けられる。アート家に残った数少ない従者の一人だ。


「……シダモ? 応接間に通せ。すぐに行く」

「かしこまりました」


 レケンは返事をすると魔道書を引き出しにしまい込み鍵を掛ける。

 アート家当主のみに受け継がれる『結界術』に関する魔道書。結界に関する全ての知識が集約されている。

 魔法の才に恵まれたレケンは、二十代半ばという若さで完全に使いこなす事に成功していた。もともとの才能に合わせて本人の必死の努力が実ったのだ。

 星教会から正式にアート家当主と認められ、地下迷宮を覆う『大結界』の管理を父から受け継いだレケン。当主継承から間もなく、病に伏せていた父は安心したようにこの世を去った。

 本来アートの街は、結界の管理者であるアート家が支配する中立都市であった。だが偉大な祖先G・アートが死去すると、庇護していた星教会が徐々にアート一族の権力をそぎ落としにかかったのだ。後継の当主達を豪奢な生活に溺れさせ、愚鈍なお飾りに仕立て上げると、アート家を名目だけの支配者へと追いやった。

 やがて星教会の隆盛と共に完全に支配権を奪われた挙句、その下に甘んじる結果となってしまっている。

 貴族の地位にあるのは教会のお情けといえるだろう。人々からは、没落貴族と嘲笑の対象になっていることをレケンは知っている。

 誇り高きレケンにはそれが我慢ならない。魔物の侵攻を防ぎ、大陸の平穏を守ったのは一体誰なのか。現在も結界が維持されているのは誰のおかげなのか。我々アート一族あってこそではないか。

 星教会もそうだ。弱小宗教だった時代に庇護してやったのは我々だ。邪教の集団と訝しがられていた輩が、大手を振って布教できるようになったのはG・アートの威光があってこそだ。その連中が勢力を増したからといって我々を見下すなどと許せたものではない。

 レケンの心は、権力への執着、嫉妬、怒り、恥、復讐などの暗い感情が激しく渦巻いている。


(忘れてしまったというのなら、もう一度思い出させてやる。誰がこの街の支配者かということを。誰のおかげで安穏の日々を過ごせているのかを思い知らせてやるッ)


 応接間にレケンが入ると、席に着いていたシダモ・アートが立ち上がり頭を下げる。

 レケンの弟のシダモは、ユーズ王国の地方へと移り住んでいた。

 レケンは手だけで応じると、上座へ進み腰を下ろす。


「お久しぶりです、兄上」

「ああ、お前も元気そうで何よりだ」

「……兄上は、少し痩せられたのではないですか? それに顔色も」


 シダモが指摘すると、レケンは自分の頬を撫でる。


「少々働きすぎたからな。当主になると心休まる時がないのだ。担うべき重責も果たさなければならない。だが、アートを継ぐ者として更に邁進する必要がある」


 レケンの頬はこけ、目の下には深いくまが刻まれている。肉体は痩せ細り、顔も青白い。二十代半ばとは思えない程、老けて見える。

 レケンは無理をしてきた。結界術の早期習得のために魔素ポーションを濫用して、強引な修行をおこなった。睡眠時間を削減し、勉学にうち込み当主の座に相応しい人間になろうとした。人脈を増やすために各国貴族や星教会幹部との交流を繰り返し、神経と自尊心を限界まで磨り減らしてきた。

 レケンの身体と精神は確実に蝕まれていた。それでも思ったように結果が出ず、焦っていた。


「少し休まれた方が良いかと。無理をしても結果は直ぐには出ません」

「心配は無用だ。……それより、お前の方はどうなんだ。ユーズ王国に仕官したと連絡をもらってはいたが」

「はい、今はユーズ王国第三軍に配属されています。ヤルダー将軍に目をかけていただき、若輩ながら参謀の末席に加えて頂ける事になりました。とはいえ、雑務担当ですが」

「謙遜をするな。実にめでたい。お前は魔法の才には恵まれなかったが、頭はよく回る。その調子で励むと良い」

「ありがとうございます」

「久々に良い報せを聞けて、私も嬉しいぞ」


 レケンが表情を緩める。病的な青白い顔に僅かだが血色が戻る。

 暫く世間話や近況を語り合った後、シダモが真剣な表情を浮かべて話題を切り替えた。


「……兄上、姉上の姿が見えないようですが」

「シダモ、あれはもう一族の者ではないのだ。二度と姉などと呼ばぬよう注意しろ。どこにでも人の耳がある」

「母は違えども姉上は姉上です」

「あのように汚らわしい妾の血を引く者は、我々一族の汚点。私が敬愛する父の、最悪の置き土産だ。あれのことは二度と口にするな」


 レケンは厳しい口調で叱責すると、シダモが口を噤む。

 レケンはシダモから視線を外す。唯一の身内に対してもこの態度。いつから自分はこんな人間になってしまったのだろうか。

 幼き頃はこうではなかった。レケン、シダモ、マタリの三人はとても仲の良い兄妹だったのだ。三人で協力して家を盛り立てていこうと誓い合っていた。


「……申し訳ありません」

「……シダモ。もうここへは戻ってくるな」

「兄上、何を言われるのです」

「お前にはお前の居場所が出来たはずだ。おそらく、あの汚らわしい者にも、いずれは出来るはずだ。アート家のことは当主である私に任せておけば良い」

「あ、兄上?」


 レケンが言い切ると、シダモが息を呑む。レケンの顔には鬼気迫るものが浮かんでいる。


「良いな? それと出来るだけ早くこのアートの街を去れ。これは兄からの最後の命令だ」


 冷たく言い切ると、レケンは立ち上がり応接間を後にする。引き止めの言葉を発するシダモを、視界へと入れないようにして。

 シダモとマタリがこの家からいなくなった後、レケンはほとんどの従者に暇を出した。

 シダモはユーズ王国軍に仕官し、自分の能力を活かして居場所を見つけ出した。

 マタリも自分の力で生き抜く事が出来るまでに成長した。マタリの面倒をみていた家政婦に、生活資金を渡していたのはレケンだ。人間一人を養うなど、いくらお人好しな家政婦でも出来ることではない。

 この先、どのような道を進んでいくかはマタリ自身が決めるだろう。没落したアートの名に囚われる事なく。


「……もうすぐその時がくる。最後の堰を切るのは私の仕事だ。私だけに許されることだ。激流を乗り切り、再びアート家を建て直してみせる」


 そのために誇りを捨てて、憎むべき星教会の一派と交流を重ねてきた。奴らが我々を利用して勢力を拡大してきたように、今度は自分が奴らを利用してやるのだ。もう間もなく、その核となるべき術式が完成する。決起の時は近い。

 レケンが拳を強く握り締める。


(星玉さえ手に入れれば恐れる者など何もない。イルガチェフの屑に従うのもそれまで。事が成れば、星教会など根こそぎ叩き潰してくれる!)





「今日はこれくらいにしておく? 地下九階まで来たし、そろそろ時間も時間でしょう」


 勇者が少し前を進んでいるマタリに声を掛ける。

九階までくると仮許可証の徒党の数も増え始め、定点狩を行なっている集団も多くなる。この辺りで経験を積み、仮許可証からの卒業を図るのだ。仮許可証の三時間では十階を越えるぐらいが精々といったところらしい。ネズミも多いが、首狩兎や血吸い蝙蝠が主な獲物となる。定点狩ならば奇襲の心配はないので、油断しなければ恐れるに足りない。

 定点狩ではなく、移動しながらの勇者達は警戒が必要となる。行けるところまで行ってみようというのが今回の目標だったから。

 マタリは奇襲に備え、盾を構えての警戒歩行を行なう。七階ぐらいまでは全速力で駆け抜け、その後は慎重に進む方法を取っている。

 迷宮に挑み始めてから二週間程。稼ぎも上々。慣れて来た頃が一番危ないのだが、勇者がマタリを庇いながら進んでいるので大きな問題も起こってはいない。マタリも少しずつ経験を積み、戦士としての才能を開花させ始めてきた。魔物に対する恐怖心が取れ、自分の思うように戦う事が出来始めている。こればかりは場数を踏む事しかない。

 どことなく焦りが見えるマタリに対して、勇者は長い時間を掛けて腕を磨けばよいと判断している。


「え、ええ。そうですね。今日はこれぐらいで良いかもしれません。次は十階まで行きたいですね」


 マタリは剣を収め、懐中時計で時間を確認している。

 勇者の腹時計によると、残り時間は後三十分程度である。


「大体道も分かってきたし、次は行けるんじゃない?」

「はい、行けると思います! 」

「よし。じゃ、時間まで休憩しましょう。小腹も空いたしね」


 勇者は血の付いた剣をぐるぐる回して振り払った後、鞘へと納めた。

 通路脇の、適当な段差に勢いよく腰掛ける。腰袋から手拭を取り出し、血に塗れた顔をふき取る。


「――ふぅ。少し疲れましたね」


 その様子を見たマタリも一息ついて、そのまま座り込む。警戒しながらの移動で疲労が溜まっている。

 重鎧ということもあり、常に気を張るというのはかなりの重労働である。

 勇者は気を張りすぎるなと忠告しているが、真面目なマタリにはそんな器用な真似は出来なかった。


「アンタは気を張りすぎなのよ。もうちょっと肩の力を抜くと良いわ。焦らなくても良いから」


 勇者は腰の小袋から、小さく刻んであるパンを取り出し口に放り投げる。

 味はついていないが、噛み応えがある。渇きが増すのが欠点と言える。


「べ、別に焦ってはいません。力を抜くのは、中々難しいです」

「もう少し経験を積めば大丈夫よ。そのうち吹っ切れるから。そうすれば心に余裕が出来る。私もそうだったからね」

「ゆ、勇者さんもですか?」

「そりゃ私だって最初は未熟で弱かったわよ。最初から強い奴なんているわけないでしょ」

「そ、そうですよね」


 マタリが小さく頷く。だが何か言いたげな表情をしている。勇者はどこかで見た事のある表情だなと思った。妙に既視感がある。

 あれはどこだったか。いつだったか。誰だったか。名前は。


「勇者さん、だ、大丈夫ですか?」

「ん、ああ、食べる?」

「いえ、いえ、私は結構です。今は何も食べたくなくて」

「そう、じゃあ良いわ」


 落ち込んでいる様子のマタリを尻目に、勇者はムシャムシャと咀嚼を続ける。

 歯応えはあるが味気ないので、非常食の干し肉も口に放り投げた。塩味が口の中に広がると、喉が渇きを訴える。

 勇者は竹筒を取り出して水をガブ飲みした。


「ふーっ。これがお酒だったらねぇ。流石に迷宮で酒飲むのはあれだけど。帰ったら一杯飲むとしましょう」

「あ、あの勇者さん」

「ん、なに?」

「そ、その……」

「言いたい事があるならはっきり言え」

「あ、い、いえ」

 マタリが言いよどむ。だがその表情を見て、勇者は少しだけ思いだした。何故忘れていたのだろう。

 今まで何度も悪夢として見てきたというのに。最近昔の記憶が混濁してきている気がする。勇者はこめかみを押さえる。

 マタリが思っているのはこんなところだろう。

 ――歳は自分より下、体格も自分に比べて貧相。それなのに迷宮の魔物を全く苦にしていない。攻撃魔術に治癒術まで使いこなしている。剣の腕も自分より上。自分は教わるばかりで何の役にも立っていない。では、何故一緒にいるのだろうか。

 顔を見れば何を思っているかくらいは分かる。自分を卑下するものがありありと浮かんでいる。

 この後に続く言葉も分かる。思ったよりも早かったのか、それとも長かったのか。

 勇者はどちらだろうかと考えながら、次の言葉を無言で待った。

 勇者が思い悩むマタリを眺めていると、通路の奥から何かがトコトコと近づいてくる。

 迷宮のネズミを一回り大きくしたような大きさ。猪ぐらいの体格だろうか。

 ――ネズミの天敵、いわゆる『猫』である。ニャーとなき、人間を小馬鹿にする癖のある肉食獣だ。


『ニャー』


「あ、あれ、猫ですよ。こんな所にも猫っているんですね。ちょっと大きいですけど、可愛い顔してますね」

「ちょっとって大きさかしら」

「こっちに来ますよ!」


 悩む姿から一転、マタリが能天気な声を出している。どうやらマタリは猫が好きらしい。

 現金な奴だと呆れながらも、勇者は猫を観察する。

 人懐っこい顔を浮かべながら、顔を手で擦っている。大きさがもう少し小さければ、普通の猫と何ら変わりはない。

 勇者が手にしている干し肉を見つけると、猫はニャーと甘えたような鳴き声を上げた。


「――猫、ねぇ。もしかして、この干し肉が欲しいのかしら。ねぇ、欲しいの?」


 勇者が干し肉をブラブラと猫の方に掲げる。猫は目を細めてニャーと再び鳴いた。


「勇者さん、それあげちゃ駄目ですか? 私、猫大好きなんですよね!」


 ニコニコと嬉しそうなマタリ。マタリは犬より猫派らしいが、そんなことはどうでも良い。ここがどこだかすっかり忘れているようだ。一人で来ていたら確実に三日以内で死んでいる。

 勇者は思わず頭を抱えそうになったが、これも性格かと堪えた。そして無表情でマタリに冷たく告げる。


「駄目に決まってるじゃない。というか、今すぐその猫もどきを殺しなさい」

「え、ええ!? ど、どうしてですか」

「こんなクソみたいな場所に普通の猫がいるわけないでしょう。良く考えなさい。油断したら最後、頭から齧られるわよ」

「た、確かにそうですけど。うーん」


 マタリが信じられないというような表情で猫を見ている。猫もどきはつぶらな黒目を大きくして首を傾げている。

 勇者は外道から頂いたダガーナイフを抜き、猫もどきに切先を向ける。


「いつまで可愛く『猫』を被っていられるかしら?」

『…………』

「まずはそのうざったい髭を切り落としてやるわ。そうしたら腐った本性現すでしょう?」

『……グルル』


 猫の口が少しずつ歪んでいく。つぶらな瞳に赤いものが混じっていく。


「ゆ、勇者さん。猫が脅えてますよ」

「良く観察しろ。こちらの隙を伺っているのが分かるはずよ。意識を集中して、猫もどきの殺気を感じ取りなさい」

「は、はい!」


 マタリが言われたとおりに目を凝らし、観察を始める。直ぐに何かを感じ取ったらしく、慌てて剣と盾を手に取った。

 勇者はこれでも気付かないようなら、マタリを二度と迷宮に連れてこないつもりだった。手足をへし折り、しばらく戦えない状態にしてから、二度と拭うことの出来ない恐怖を植えつけるつもりだった。恨まれるだろうが、魔物の餌になるよりかは幾分はマシだろうと考えていた。


「こ、この猫――」

「どうみても魔物でしょ。こんなの相手に油断するなんてお人好しも程ほどにしておきなさい。喰われてからじゃ遅いわよ」

「す、すいません」

「……さて、その猫被りは中々だけど。アンタから血の臭いがするのよ。それに魔物独特の腐臭がね。耐えられないほどの臭い。ほらっ、さっさと正体現しなさい!」


 勇者がダガーナイフを投擲する仕草を取ると、『猫』は後方に一回転して本性を現す。


『グルルルルルッ!!』


 歯を剥き出しにして、鋭い鉤爪を構える猫もどき。上層部に出現する強敵、地獄猫だ。相手を油断させてから牙を剥く。迷宮の掃除屋であるネズミを、餌とする程の素早さと膂力の強さを持つ。鉄鎧を引き裂く鉤爪には特に注意しなければならない。


「マタリ、私が援護するからアンタが討ち取りなさい。素早い敵にも対処できるようにならないと駄目よ。逃がすと邪魔臭いから、狙い澄まして一撃で仕留めろ。――準備は良い?」

「は、はい! いつでもいけます!」


 盾を正面に構え、剣を後ろに引いている。これがマタリの基本の構え。盾で押さえつけ、剣で仕留めるのが得意な連携。

 勇者は、まだまだ荒削りだが、マタリはこれから伸びると判断していた。何より体格に恵まれている。戦士としての才能もある。剣筋や足捌きなどが、駆け出しの割りに目を見張る物が時折ある。

 一流の戦士の姿を間近で見てきた勇者には分かるのだ。後は戦士向けの獰猛な性格になれば良いのだが、それが一番困難だろうとも思った。この人の良さでは聖職者の方が向いていそうである。

 猫もどきが先手を打ってマタリに飛び掛ろうとするのを、勇者が視線で牽制する。凄まじい殺気を籠めたそれは、猫もどきの身体を一瞬だけ竦ませた。

 勇者は即席で練り上げた火炎弾を放つ。燃え盛る小さな火球が猫もどきの顔を覆い尽くす。


『ギニャア!!』


 火傷による激痛を堪えきれずに、顔を抑えてもがき始める。

 その隙を逃さず、マタリが突撃を開始した。


「ハアアァァッ!!」


 盾で相手の頭を痛打し、もがいている魔物の体勢を更に崩す。

 露わとなった腹部に振り下ろしの剣が突き刺さる。猫もどきが最後の抵抗とばかりに爪を走らせ、マタリの腕を引き裂く。


『ギニャアアアアアアアアアッ!!』

「クッ! このッ!!」


 鎧によりダメージは軽減されたが、血が滲み出る。痛みはあるが、剣は決して手放さない。腹部から剣を引き抜くと、止めを刺す為に猫もどきの頭部へ突き入れた。

 脳髄を抉るように、マタリは剣を小刻みに動かし続ける。血飛沫が迸り、マタリの鎧を赤く染め上げていく。

 猫もどきは喧しく悲鳴を上げていたが、やがて事切れ、身動き一つしなくなった。


「ハァッ、ハァッ!」

「良い攻撃だったわ。特に刺した後のグリグリ。あれは効くのよねぇ。私もやられたけど、脳に直接来るのよ。笑い事じゃないけど笑っちゃうくらい来るのよね」


 アハハと軽く笑い飛ばしながら、勇者がマタリへと歩み寄る。負傷した腕を取ると、素早く治癒術を掛ける。


「――ッ。ゆ、勇者さん?」


 負傷した箇所に触れられたマタリが顔を顰める。


「傷はすぐ治せるわ。千切れていても私ならくっつけられる。アンタが痛みに慣れるかは知らないけれど」


 癒しの光がマタリの右腕を包み込み、傷をたちまちに回復させる。

 そこまでの重傷ではないようなので、これで何も問題はないと勇者は告げた。


「き、傷が塞がっていく」

「傷跡は残らないわよ。心配しなくても大丈夫」

「…………」

「どうかしたの? 押し黙っちゃってるけど。ああ、治療料金は取らないわよ」


 勇者が下からマタリの顔を覗き込む。先程の悩んでいる時の顔が浮かんでいた。


「あ、あの。さっきも言おうとしてたんですけれど」

「……うん?」

「勇者さんはどうして私と組んでくれるんですか? そんなに強い上に、魔法も使えて、治癒術まで扱えるのに」

「…………」

「だ、だから、その。もしかして、私はただのお荷物なんじゃないかな、なんて」


 アハハと自嘲気味に笑うマタリ。だがその言葉は、彼女の本音なのだろうと勇者は思う。

 今回は『化け物』呼ばわりされないだけ、マシなのだろうか。マタリは視線を逸らしている。


「……どうしてアンタと組んだのか。うーん、なんでだったっけ。私にも良く分からないわ。成り行きってヤツかしら」

「そ、その、もし迷惑なら言ってくださいね! 私の事は気にしないでも大丈夫ですから。今までも一人でしたし、慣れています」


 マタリは悲しげな笑みを浮かべる。勇者がいなければ、マタリも一人で行動していたのだろう。没落したという彼女の出身が影響するのかもしれない。


「……一人より、二人の方が良い時もあるのよ。敵の攻撃が分散するし、お互いの隙をかばい合うことが出来る。それに自分が足手まといだと思うなら、鍛錬すれば良いだけよ」

「……でも」

「『でも』じゃない。魔法が使えないなら、剣術をひたすら磨けば良いのよ。アンタは筋が良いから、経験を積めばきっと強くなれる。私が保証するから間違いないわ」


 ――そこまで語ってから勇者は疑問に思う。どうして私はコイツを引き止めるような事を言っているのだろうと。

 こんな世間知らず、どうだって良いじゃないか。一人で突き進んで、勝手に野垂れ死ねば良いのだ。その隣に、もう私はいないのだから。知ったことではないはずだ。


「…………」

「……それに」


 勇者が一瞬言葉を詰らせる。


「それに?」

「万が一私が動けなくなっても、アンタがいれば、きっと助けてくれるでしょう?」


 勇者は無意識に、胸へと手をやる。何故か分からないが、焼けるように熱い。鼓動が激しく脈を打っている。

 剣はもう突き刺さっていないのに。心臓を抑えていた手を眺めてみたが、やはり血痕はついていなかった。


(あの時、誰かが傍にいてくれれば私は変わらなかっただろうか。それとも、やはり、こうなってしまったのだろうか)


 逃げ続けた日々。疲れ果て、最後に逃げ込んだ思い出の場所。再び彼らは現れた。そして。

 ――世界が赤く滲む。

 

「ゆ、勇者さん?」

「……それでも嫌なら、アンタの好きにしなさい。元々正式な徒党じゃなかったんだし。去る者は追わないわ。それが私の主義だからね。私も慣れてるから大丈夫よ。またいつもに戻るだけだし」


 勇者はマタリから離れると、魔物の死体の側へ行きダガーナイフを力任せに振るう。猫もどきの尻尾を斬り飛ばすと、乱暴に皮袋へと突っ込む。

 それを見たマタリが、慌てた様子で近づいてくると、もの凄い勢いで頭を下げる。

 勢いに押された勇者が、思わず目を見開く。


「弱音を吐いたりしてごめんなさい! しばらくはお荷物かもしれませんが、きっとすぐに追いつきます! 私も絶対に強くなって見せます!!」

「そ、そう。が、頑張ってね」

「はい! なんだか吹っ切れました。私はこのまま剣の道を究めることに決めました! 頑張ります!」

「そ、そうなんだ。そりゃ良かったわね」

「はい、ずっと悩んでたんです。本当にこのままで良いのかって。勇者さん、本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします!」


 そう言うと、マタリはがっしりと勇者の手を強く握り締めた。先程までの落ち込みが嘘かのように勢いづいている。

 勇者が思わず顔を顰める。握り締められた手が悲鳴を上げているのだ。


「ちょ、ちょっと痛いんだけど。――って、本当に痛いのよこの馬鹿力が! ほら、とっとと離れなさい! 暑苦しいわ!」

「痛みは慣れれば大丈夫って――」

「こういう痛みには慣れてない! 握手で人を苦しめる馬鹿がどこの世界にいるのよ!」

「ご、ごめんなさい。あ、でもちょっと待ってくださいね」


 地獄の万力握手から開放された勇者。次に待っていたのは頭部の拘束。一回り大きいマタリの手が勇者の頭をがっしりと掴んでいる。

 凹んでいたかと思ったら猪のように暴れだし始めた。


(本当に掴めない性格ね、このアホ娘。……私の頭は何故かきっちり掴まれているけど)


「ちょっとだけ、顔に血が着いてます。綺麗にしますから、動かないで下さい。すぐに終わりますからね」

「ちょ、ちょ――」


マタリが布でゴシゴシと勇者の顔を拭き始める。顔が面白い形にグニグニと形を変えられていく。もう少し加減とやらが出来ないものであろうかと勇者は他人事のように思った。


「――はい、これで大丈夫です。いつもの生意気そうな勇者さんに戻りました!」


 悪気のない暴言とともにマタリが勇者の頭部を解放する。


「あ、アンタね。やり方ってものがあるでしょう! 顔を拭くぐらい自分で出来るわ!」

「ご、ごめんなさい」


 すっとぼけた顔で頭を掻いているマタリ。


「本当は悪いと思ってないでしょう。顔にしっかりそう書いてあるわ」

「そんなことありません!毎日欠かさず、顔と歯は洗っていますから!」


 マタリは両手を前に出し、とんでもないと身体でアピールしている。

 勇者の精神力が消耗した。気分は幾らか楽になった気もするが。


(やはり解散しておくべきだったか。頭痛の種が増えた気がしてならないわ)


 勇者は背中を曲げて深い溜息を吐く。


「はぁ、なんだか疲れたわ。今日は酒を嫌と言うほど飲んで、ぐったりベッドで休むわ。当然、全部アンタの奢りで」

「そ、そんな。割り勘にしましょうよ。私達は仲間なんですから!」

「やかましい。一人で大騒ぎした迷惑料よ。私は小食だから、安心して良いわよ」

「……嘘ばっかり」

「何か言った?」

「いえ、何も言ってません!」


 マタリが首を横に振り、慌てて否定する。その姿が面白かったので、勇者は思わず吹きだした。

 

 



「……おい、寝るなら部屋に行ってくれ。他の客に迷惑だ。今が稼ぎ時なんでな」


 極楽亭のマスターが不機嫌そうに注意してくる。一応小声なのは気を遣っているらしい。


「……私に言わないでよ」


 心外であると勇者は口を尖らせる。理不尽だと。

 理不尽とは、隣で涎を垂らしながら幸せそうに寝ている猪娘のことである。

 極楽亭に戻ると、散々飲み食いした挙句、ご機嫌な様子で今までのことを語り始め、気が済んだら爆睡する始末。

 勇者がいくら揺り動かしても、全く起きる気配がない。頬を抓っても効果がない。金色の馬の尻尾を引っ張っても反応がない。


「お前の仲間だろうが。最後まで面倒を見ろ。飲み食いした代金を、きちんと払ってからな。お前ら景気良いらしいから、ツケはさせねぇぞ」


 新調した鎧のことをマタリから聞かされていたマスターが、しっかりと釘を刺す。

 勇者は尻尾から手を離し、肩を竦める。


「おかしい。私が奢られるはずだったのに。何で私が奢る羽目になっているのかしら」

「そういう運命なんだろう。諦めろ」

「いや、私は運命なんて信じない。自分の道は自分で選び取るのよ。だからこうするわ」

「どうするんだ」


 マスターの問いに、勇者は空のグラスを差し出す。


「もう一杯ちょうだい」

「お代わりはもう駄目だ。お前、自分も寝てしまえば何とかなると思ってるだろう。俺の目は誤魔化されないぞ。今すぐ金を払って部屋に帰れ。その嬢ちゃんを連れてな」


 警戒するような目つきで、こちらを睨みつけてくる。まんまと料金を踏み倒された間抜けな過去でもあるのだろうか。

 勇者はからかってやろうかと思ったが、隣の猪を見てそろそろ戻るかと考え直した。


「はいはい、分かったわよ。今日はもう帰るわ。はい、代金。お釣りはいらないわよ」

「偉そうにしてる割には丁度の代金じゃねぇか。全く」

「こういうのは気分でしょ」


 勇者はカウンター席から降りると、前のめりでくたばっている猪娘を引き起こし、肩を担ぐ。意識がない分だけ体重が掛かってくる。


「……お前ら、そうやってると姉妹みたいだな。酒癖の悪い姉を介抱する小生意気な妹って感じだ」

「うるさいわね」


 勇者が睨みつけると、マスターが怖い怖いとおどける。


「……はは、そう怒るなよ。微笑ましい光景だったから感想を述べただけだぜ」

「はいはい、それじゃあね」


 勇者が歩き出そうとすると、マスターが背中から声を掛けてくる。先ほどまでとは違い、幾分か真面目な口調で。


「一つだけ警告しておいてやるか。賞金首の何人かが、お前に興味を持ち始めたって話だぜ。精々気をつけるんだな」

「へぇ。一体どんな腐った奴等なのかしら? また面白い見世物が見れるかもね」


 腐臭を放つ屑共の相手をするのかと思うと、言葉と裏腹に思わず憂鬱になる。だが、生かしておくのは更に気分が悪い。腐臭を放つ奴らは見つけ次第即座に駆除しなければならない。それが勇者である自分の使命である。


「なんだっけか。人形術師に、標本術師だっけか? 試し切りのなんたらとかいうのもいたような。賞金首なんてのは、どいつもこいつもイカれてる奴等だが、その中でも更にぶっ飛んでる奴らしいぞ。俺もリモンシーから聞いただけなんだが」

「ああ、あの性格の悪い、厚化粧の」

「アイツの前でそれは言うなよ。この前なんて態度の悪い客に、笑顔でナイフぶん投げてたからな。あのアマとんでもねぇ」


 思い出したマスターが顔を青ざめさせる。


「ネチっこそうだから言わないわよ。まぁ、そいつらは見かけたら全員ぶっ殺してやるから心配しないで良いわ」

「はっ、本当に頼りになるこった。早死にしないように気をつけろよ。お前は生意気だが、良い客だからな」

「それはどうもありがとう」


 マスターに手を上げると、勇者は階段をゆっくりと上がり始めた。マタリはまだ目覚める様子がない。緊張が解けたのか、今日は一段とはしゃいでいたようだ。心につかえていたものが吐き出せたのかもしれない。

 これからは遠慮なく猪戦士として本領を発揮していくのだろう。

 それを想像した勇者は、きっと自分は散々に引っ張り回されるのだろうと思った。だが、何となくそれも悪くないとも思った。

 多分、一人でいるよりは、楽しくなりそうな気がしたから。


戦士→猪戦士に進化しました

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