第一話
「……なにこれ?」
手渡された紙を眺めた後、少女は率直に思い浮かんだ疑問を口に出す。
「今まで見た事もないような物語を読みたいと言ってたじゃない。だから私が作ってあげたの。嬉しいでしょう?」
「この絵は義母さんが描いたの?」
「そうよ。素人にしては大した物でしょう。頑張って書いたわ」
ふふんと鼻を鳴らしながら得意気な顔を浮かべる女。少女はもう一度薄い紙に目を落す。
猛々しい表情を浮かべた女剣士が、魔王と思われる怪物を討ち取る場面が描かれている。絵の方は驚くぐらいの力作だが、物語は六行で完全に終わってしまっていた。
少女は確かに珍しい物語を読んでみたいと言った事はあるが、これは物語でもなんでもない。子供の自分でも三分で書く事が出来る。勇者が魔王を倒すというありふれた伝記。この紙から読み取れるのは、少女は勇者になった、魔王と魔物をやっつけた。これだけ。
「どこが見たこともない珍しい話なのか教えて。まぁ、私を馬鹿にするという目的なら達成できてるけど」
「だってこの世に一つしか存在しない話よ。私が一番好きで、一番嫌いな話。その複雑な葛藤をしっかり表現できているかしら」
「全然表現できてないわ。もっと膨らませて本二冊分くらい書いてみたらどうなの。三秒で読み終わったわよ」
「余計な部分を大胆に削ぎ落としたのよ。紙が勿体ないから。実に経済的でしょ」
指を伸ばして、少女の額をつんつんと小突いてくる女。その顔にはしてやったりという悪戯めいた笑みが浮かんでいた。
またいつものようにからかわれていると感じた少女は、紙をくしゃくしゃに丸めて床へと放り投げた。義母の力作の絵は皺くちゃになってしまったが、罪悪感は全く生じない。
猛々しかった女剣士の表情が、歪んで苦しげに見えているような気がしたのは目の錯覚だろう。何しろ自分は目が悪い。そして義母は頭が悪い。
「私の為にわざわざ作ってくれてどうもありがとう。義母さんの気持ちは確かに受け取ったわ」
「分かってくれたら良いのよ。気が向いたらまた書いてあげる。それじゃ私は忙しいから行くわ。貴方も勉強ばかりしてないで、たまには外に出なさい」
「はいはい」
「後、カーテンは開けなさい。それ以上目を悪くすると――」
「うるさい、さっさと出て行け!」
「それじゃあ、お勉強頑張ってね、カタリナ“ちゃん”」
捨て台詞を残し、笑みを浮かべた女は鼻歌交じりに退出していく。
カタリナ“ちゃん”と呼ばれた少女は反射的に丸めた紙を投げつけるが、標的は素早くドアを閉めてしまっていた。
大きく深呼吸をして精神状態を整える。言われた通りにするのは癪だが、カーテンを開けて日光を部屋へと導きいれる。眩しい日差しが実に不快である。目が痛い。
くしゃくしゃに丸まった紙を暫くの間睨みつけ、やがて拾い上げる。
眼鏡の位置を直し一度溜息を吐くと、丸まった紙を机の引き出しへと乱暴に放り投げた。
◆
「ちょっと、何するのよ!」
力作をくしゃくしゃに丸められ、更に顔面に投げつけられた少女は顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。
力作といっても、鼻歌交じりに三分程度で仕上げたしょうもないものではあるが。
「申し訳ありません。ついうっかり。用件がお済でしたらお帰り下さい」
「まだ全然済んでないわよ! “申請書”を出したんだから、さっさと許可証を――」
少女が激昂するのを片手で遮り、受付の女は平坦な口調で語りかける。
「ここの窓口は、既にギルドで職業認定を受けた人の為のものなの。貴方みたいな田舎者のクソ餓鬼はお呼びじゃないのよ。迷宮に入ったら三分で死にそうだから、涙を拭いて今すぐ帰りなさい。しっしっ」
鼻で笑いながら、羽虫でも追い払うようにヒラヒラと手で追い返す仕草を取る女。
嘲りを受けた少女の顔は完熟したトマトのようになっている。
「こ、こんのクソ女が!」
「といった感じで言っても分からない馬鹿が多いから、ギルドへの紹介は常に行なっているの。“隣の”窓口でね。経歴や適正を見て、その人物に相応しい場所を紹介してあげてる訳。慈愛の心に満ちた星神様に感謝なさい」
少女が隣の窓口を眺めると、長い行列が出来ている。農民だと思われる男やら、筋肉剥きだしの男。スカした男女に、真面目そうな僧侶風のまで、多種多様な人間がいた。これが全部紹介状を書いてもらう為に並んでいるらしい。
並ぶのが面倒だった少女は、空いていたこの窓口に一直線にやって来たのだった。特に考える事なく。
「どうせ暇なんでしょ。アンタがちゃちゃっと紹介状書いてよ」
「そうねぇ。お願いできたら良いわよ。頭をしっかり下げて、私が思わず書いてあげたくなるような言葉遣いが出来たら。そうしたら考えてあげる」
このクソ婆と少女は心の中で思い切り毒づく。婆というほど年ではなさそうだが、糞みたいな性格をしている。丸められた申請書を投げつけてやろうかと思ったが、ここは我慢をするべきところだろう。迷宮に入れなくなるのはまずい。
――だって、お金がないのだから。
「……お、おねがい」
「全然聞こえないわ」
「お、お願い、し、します。ギ、ギギ、ギルドだかなんだかの紹介状を、か、書いて、ください」
「うーん仕方ないわね。そこまで面白い顔でお願いされたら書かない訳にはいかないわよね。今日一日は貴方の面白い顔で楽しめそうだから、暇つぶしに書いてあげる。ほら、そのゴミみたいな申請書をさっさと寄越しなさい」
我慢我慢と頭を冷やし、少女は投げつけたくなる欲求を耐え、丸まった紙を広げて手渡す。
「どれどれ。貴方の経歴はと。『勇者をやってました。魔王を殺して世界を平和にしました』か、すごいわねぇ。で、名前は記憶喪失なのでなし、ふんふん。だけど名無しは嫌なので名前は勇者で良いと。記憶喪失なんて大変ねぇ。心底同情するわ、貴方の頭の出来に」
「……それはありがとう」
「お礼はいらないわ、皮肉だから。それじゃ妄想癖の強い自称勇者さんには戦士ギルドへの紹介状を贈呈してあげましょう。どうせ魔法なんて使えないでしょうし。あそこは腕利きからゴミ屑まで多種多様だから。まぁほとんどゴミなんだけど。……はい、出来たわ」
適当に書きなぐった紙を封筒にいれると、再び少女――勇者の顔に投げつけてくる。そしてとっとと出て行けと追い払う仕草を再び取ってきた。
「ち、畜生、覚えておきなさい!」
勇者は悪党が良く使う捨て台詞を吐いてみた。負け犬感で心が包まれていくのを感じる。なるほど、かつて倒してきた屑どもはこういう気持ちだったのだなと実感できた。
「はい、次の方どうぞ」
いつの間にか、勇者の後ろに次の申請待ちの男が並んでいた。苛々した様子で男は勇者を押しのける。
「ようやくか。邪魔だ、さっさとどきな!」
「い、いたっ!」
この野郎と頭に血が上るが、お腹が空いているので怒るのは我慢した。これ以上体力と気力を消耗したら、倒れこんでしまいそうだった。
やれやれと溜息を吐きながら、勇者はなんたら教会の建物を出る。
その際に、入り口に置いてあったチラシを手に取った。情報収集は大事だ。
働いていない頭を使って流し読みするが、パッと見では理解できない。
「……なになに、って無意味に長いし細かいわね」
細かい字でびっしりと書いてあるチラシを、嫌々ながら目を通していく。もっと絵や色使いを増やすべきだと勇者は強く思う。非常に読みづらい。
破りたくなるのを我慢して読み進め、大体の理解を得る。
――チラシの内容を要約すると。
・なんたら教会から許可を貰うには、このアートの街に存在する『ギルド』に所属しなければならない。
・ギルドは戦士やら魔術師やら色々存在する。自由に選ぶ事は原則できない。希望があるときは教会に申告すべし。
・これらギルドから一定以上の実力を認められることで『職業認定証』を授与される。
・『職業認定証』を手に入れ、なんたら協会から『探索許可証』を貰うと自由に地下迷宮を冒険できる。
・迷宮で魔物を狩り、決められた部位を持ち帰ると、それがお金になる。
・宿をお探しの際は『極楽亭』へ。美味しい食事と素晴らしい銘酒が貴方をお待ちしています。ウチに泊まれば地獄の迷宮探索も捗ります!
――以上である。
「最後のは宣伝じゃない。しかも極楽亭って。泊まったらそのまま息を引き取りそうな名前だし」
どこかで聞き覚えのある名前だと思いながら、チラシを懐にしまう。
取りあえず情報を頭に入れておいて、勇者は目的地へと歩き始める。チラシに地図が載っていたので、大体の場所は分かる。街に入る前に拾った、そこそこ頑丈な木の棒を杖代わりにして。
今の勇者の格好は、とても『勇者』を名乗れるようなものではない。貧相な布製の普段着に、そこらへんに落ちてた木の棒である。 おそらくそこらへんの農夫の方がマシな装備をしているだろう。鉄製の農具を持っている分だけ。
しかもお金がない。お金がないからご飯も買えない。お金を稼ぐ手段が戦う以外に思いつかない。かといって人間に襲い掛かったら魔物と同じである。そこで迷宮に入ることにした訳だ。魔物を殺せばお金が手に入り、おなかも膨れる。そして世界は平和になる。良い事だらけで、何の問題もない。
勇者が魔物に対する殺意を高めていると、どこからか声を掛けられた。
「あ、あのー」
「ああ、だるい。面倒くさい。息をするのもだるい」
「す、すいません」
若い長身の女が隣から声を掛けてくる。勇者は気にしないで歩き続ける。
「気のせいか空耳まで聞こえてきたわ。そろそろお迎えかしら。どうせ死ぬなら極楽亭が良かったわ。地獄行きはゴメンよね。死んでからも地獄の魔物をぶち殺し続けるかと思うと心が憂鬱になるし」
ぼそぼそと語りかけてくる女の声を無視して、さらに前進する。困ったときは前進あるのみ。今までもそうしてきた。
これからもそうすると決意を新たにしていると、残念な事に正面へと回りこまれてしまった。
「すいません! その、もし良ければ、私と一緒にギルドに行きませんか?」
「なんで? というか、アンタ誰?」
勇者が品定めをするように若い女を見る。善人そうに見えても、実は――みたいなことは本当に良くあったのだ。だから基本的に疑ってかかるのが正解である。
「えっと、先程教会でお見かけしたものですから。それで、これから私もギルドに所属申請を出しに行くので、よかったらと思いまして。一人だと色々と不安ですし。あ、私も『戦士』ギルドへの紹介状なんですけど」
人の良い笑顔で提案してくる若い女。裏がありそうな感じは見受けられない。話していても特に何かを企んでいる様子はない。この女は見た目通りの人間のようだ。勇者には大体分かるのだ。そいつが発する臭いで。血に飢えた腐った奴らは、隠していようが何をしようが、臭うのだ。我慢ならない程に。思わず脳天から臭いの元を叩き切ってやりたくなるくらいに。
「……なんで私が戦士ギルドだと思うの? 単純で、脳みそが筋肉で出来てると思ったりしてるわけ? そうよね、私は脳筋女よね。考えるより手が先に出ちゃうから」
「と、とんでもありません。戦士ギルドと先ほど聞こえたものですから。それに今の戦士ギルドは勢いがあるんですよ! 剣士ギルドを追い抜くのも時間の問題だって評判です!」
「いや、だから、私は勇者――」
「ええ、ええ、分かります。誰しも皆『勇者』に憧れるものですから。その想いと高い目標を持って、鍛錬に励むことが大事なんです。貴方はそれが良くわかっているんですね! 素晴らしいです!」
若い長身の女は拳をグッと握り締めて力説している。
『あ、この娘は疲れる人間だ』と勇者には一瞬で分かってしまった。この手の人間は体力だけでなく、精神力を消耗することが多い。本人ではなく、主に関わる人間のである。
もう一度容姿を眺めてみる。勇者より頭一つ分背が高く、成人男性と比べても同程度の身長。重厚で造りがしっかりとしている銀色の鎧。家紋らしきものが入った盾、それに長剣を腰に携えている。理想的な戦士といえるだろう。
髪は金髪の馬の尻尾型。その目は理想に燃えて力強く輝いている。
「……まぁ良いわ。アンタが案内してくれるなら助かる。この街、大きすぎてまだ把握出来てないのよ。どんだけでかいんだって話よね」
川に挟まれた平野部に存在する、高い城壁に囲まれた大都市。水害が起きたら大変だろうとどうでも良い感想を抱きつつ、勇者は何の目的もなく最初にこの街へと訪れたのだ。物が行き交い、人の往来激しく、うるさい程に賑わいがあり、栄えている様子を窺うことが出来た。
「それはもう! このアートの街は『地下迷宮』を囲んで築き上げたものですから。地下から魔物の侵攻を防ぐ為の最終防衛線でもあるんですよ。迷宮に行けば、結界を見る事もできますし。――なんて、今更説明するまでもないですよね」
説明をした後で、アハハと照れ笑いを浮かべている。この場所には詳しくない勇者にとっては興味深い話だった。
『地下迷宮』の行き着く先には何が待っているのだろう。何故こちらから元凶を狩りにいかないのか。発生源が分かっているなら対処方法はいくらでもあるはずだ。そして何故迷宮を封鎖しないのか。
考えをめぐらせたところで勇者のお腹が鳴った。思考するための気力ははもうないようだ。
「あ、ギルドに行く前に軽く何か食べていきますか?」
「……お金が、ないのよ」
「少しでしたらありますから、一緒に食べましょう!」
ニコニコと眩しい笑顔で語りかけてくる。まるで慈悲深き女神のようだった。
「……アンタ、良い奴ね」
「お付き合いしてもらうお礼です! あ、申し遅れました! 私、マタリ・アートと申します。どうぞよろしくお願いしますね!」
ペコリと頭を下げてくる。その際に纏めて垂らしている後ろ髪が馬の尻尾のように揺れる。
「……アート? どっかで聞き覚えがあるような」
街の名前も確かアートだったので、勇者は思わず聞き返す。
「あ、はい。私も一応アートの一族なんです。ただ、正式には認められていないですから。それに、最早アートの名もお飾りみたいなものです。……過去の栄光に縋りついているだけなんです」
表情を曇らせて呟くマタリ。先程までとはうってかわって、背中に影が差している。アートの一族が何かはさっぱり分からないが、勇者は一応慰めてやることにした。奢ってもらうお礼である。
「ふーん。まぁ色々と大変みたいね。とにかく元気出しなさいな。そんなに落ち込んでると、運気が下がるわよ。そうしたら良い事はないし、良い物も拾えないわ」
そう、呪いの装備を拾ったり、腐ったパンを拾ってしまうだろう。それは恐ろしいことである。勇者が今まで使ってきた装備は、魔物から分捕ったものなので、色々と痛い目にも合ってきた。握ると手が痺れる剣だの、被ると締め付けられる兜だの。そんな例外はあっても、人間が作る武具よりも頑丈で優れているのだから魔物も侮れない。
そのお礼として、勇者は魔物たちを彼らご自慢の武具で殺してやったのだ。
「ご、ごめんなさい。そうですよね。ちょっと愚痴を吐いてしまいました。元気を出していきましょう!」
テヘッと笑い、舌を出す。可愛らしい仕草だ。血塗れの自分には似合わないだろうと勇者はなんとなく思った。
「じゃあ案内してもらえる? 私はアンタの後について行くから」
「勿論です! さぁ行きましょう。私達の栄光への第一歩ですから!」
再び調子が上がってきたらしいマタリ。それに引き換え勇者は腰が曲がっていく。元気印の娘に付き合わされて最後の気力が吸い取られてしまったようだった。崩れ落ちないように木の棒を支えにして、足に力を入れる。
「そういえば、大事なことを忘れていました。貴方のお名前を聞いても宜しいですか?」
マタリは手を叩き、笑顔で顔を近づけてくる。
勇者はさてどうするかと考える。適当な偽名を述べるか。しかしすぐに考えを改める。
――名前など必要ない。自分は勇者なのだから。人間である前に、勇者。魔物を殺すためだけに生きる物。そんな人間に名前など必要なかった。名前で呼ぶ者など誰もいなかった。
「勇者よ。私の名前は勇者。昔のことは記憶喪失で忘れた。だから、アンタの好きなように呼んで構わないわ」
「き、記憶喪失ですか。で、でも名前がないと」
勇者の言葉に、思わず戸惑いの声を上げるマタリ。そのマタリの肩を勇者は気楽にポンと叩き歩き出す。
「そのうち思い出すでしょ。だからどうでも良いわ。さ、早く行きましょう」
「ま、待って下さい! ゆ、勇者さん? な、名前本当にそれで良いんですか? もっと可愛い名前にしたら――」
「本人がどうでも良いと言ってるからそれで良いじゃない。記憶が戻るまでの辛抱よ。第一、名前なんて『それ』が誰だか識別できればどうでも良いのよ」
「そ、そんなものでしょうか。だって名前ですよ」
納得がいかない様子のマタリに、勇者はひどく冷たい口調で告げる。
その視線が余りに冷たかったので、マタリは二の句が継げなかった。
「――世の中、そんなものよ」
◆
マタリに連れられて、勇者は酒場を改築したような建物へと案内された。
酒の絵が描かれた看板の上に、『戦士よ来たれ!』の張り紙が何枚も貼られている。飲んだくれの親父しか来ないような気がしたが、勇者は突っ込むことはしなかった。
喧騒と、剣戟が交わされる音がここにいても聞こえてくる。それなりに繁盛しているらしい。ギルドとやらがどんなものかは知らないが、どうやら飲む事だけが仕事ではないようだ。
マタリが先陣を切り、勇者はパンを齧りながら中へと入る。右手にパン。左手に木の棒という重装だ。
中には予想通りの酔っ払い、それに人相の悪い野盗崩れのような奴らがうじゃうじゃといた。女子供はどうみても場違いという印象だ。マタリは臆する事無くその中を突き進み、カウンターの向かいにいる青いシャツを着た男へと話しかけた。
その壮年の青シャツ男は日焼けした隆々とした肉体を持ち、頬に走った切り傷が特徴的だ。野盗の頭と紹介されても違和感はない。
「あ、勇者、さん? こちらの人がロブさんと言って、戦士ギルドのマスターです。紹介状を――」
「ふん、そんなもの見るまでもない。こんな糞ガキを入れなきゃならんほどウチは落ちぶれちゃいねぇ。いくら掃き溜めでも、な」
マタリの言葉を遮り、ロブは勇者を睨みつけると、苦々しい表情で吐き捨てる。
勇者も苛々した様子でパンに齧りつく。無言で紹介状を投げつけると、ロブは乱暴に掴む。
「教会の紹介状だから一応確認だけはしてやる。気が済んだら帰れよ。あー何々、名前は自称勇者、経歴勇者を少々、特技は自称魔物殲滅、教会からの特筆事項、『ゴミはゴミ箱へ』だとさ。あの教会のアマ、ふざけやがって」
わざとらしく読み上げた後、紹介状をゴミ箱へ叩き込んだロブは、勇者に一言だけ告げる。出口を指差しながら。
「――帰れ」
「嫌よ。魔物を殺さなきゃお金もらえないんでしょ。お互い時間の無駄だからさっさと探索許可証をちょうだい。腐るほど殺してきてやるから」
「お前、人生を舐めているだろう」
「私は常に前向きに生きてきた。何があろうと諦めなかった。だから私は生きている。人生を舐めたことなんか一度もないわ」
「それじゃあ聞くが、その格好はなんだ。これから地下迷宮に挑もうって奴が、普段着にそこらで拾ってきた木の棒一本ときたもんだ。ここはダンスを教える場所じゃないんだぞ。もっとおめかししてから来い」
勇者が周りを見渡すと、ギルドにいるほぼ全員が好奇の視線を向けてきている。不愉快極まりないが、ここは我慢のしどころと勇者は耐える。
耐えなければ迷宮に入れない。魔物を殺すため。そしてお金を貰うため。どちらが主目的かは分からないが。
それにしてもと勇者は呆れる。酒場を改築した建物だとは分かっていたが、中は本当に酒場そのものだった。
迷宮に挑む戦士の寄り合い所のようなものだろうに、酒を提供しているのだから。戦士ギルドではなく、酒飲みギルドに改名しろと勇者は強く考えた。
とはいえ、ここにいる人間の面構えはそこそこのもので、それなりの腕をもっていそうではある。こけおどしではないだろう。この青シャツも、一流の実力者のはずだ。どうしたらさっさと認めてもらえるだろうか。景気良く一発殴ればよいだろうか。
思考の渦に入り込んでいた勇者に、先程から好奇の視線と笑い声を上げていた男達が声をかけてくる。
「おう、自称勇者のお嬢ちゃん。色々と事情があるんだろうが、ここは遊び場じゃないんだ。もし稼ぎたいなら、その身体に見合った場所に行くと良いぜ」
「ま、その貧相な身体じゃ、幾らにもならんだろうがな!」
「ハハハッ! いやいや、奇特な趣味の奴もいるかも知れんぞ! 世の中には小さい方が良いという奴もいるらしいからな!」
「ハハハ、そんな奴本当にいるのか? 良かったな嬢ちゃん! 変態共の人気者になれるぞ! アート一の娼婦目指して精々頑張れよ!!」
酒を煽りながら、馬鹿笑いを上げる男達。
――この男達はギルドでも古参の部類で、新人の度胸を試すために毎回似たような軽口を叩いている。その中でも今日は最も強烈に煽りを入れている。世間知らずのガキを教会に押し付けられ、自分達のギルドを馬鹿にされたような気がしたからだ。――若者の死体が一体増えるのを止めようとする親切心がないわけでもなかったが。
マタリは顔を真っ赤にしている。下品な言葉に免疫がないようである。青シャツを着たロブは表情を変えずに、先ほどと同じ言葉を繰り返した。
「――という訳だ。現実って奴を理解したら、とっとと帰りな。俺もそんなに暇じゃないんだ。マタリは手続きがあるから残ってくれ」
「ロ、ロブさん!」
「俺も遊びでギルドを運営している訳じゃない。死体になると分かっている奴を、迷宮に送り込むわけにはいかん。それぐらい分かるだろう?」
「……は、はい、でも」
再考を促すマタリを、ロブが一喝する。
「でもじゃない。お前もアートの一族だったら分かるだろう。それに、相棒を選ぶなら、もっとマシな奴を選べ」
「ご、ごめんなさい」
完全に言い負かされたマタリは長身の背中を丸めている。そして勇者に向かい申し訳なさそうに頭を下げた。
マシではない扱いをされ、死体最有力候補に挙げられてしまった勇者はさてどうしたものかと考える。
(……もう面倒くさいから、勝手に迷宮に乗り込むか。だんだん腹が立ってきたし。第一、魔物を殺すのに許可なんて必要ない)
勇者の思考が危険な方向へと流れ始めた時、火に油を注ぐように古参の男が近寄ってきた。
「ほらほら嬢ちゃん、突っ立ってないでさっさと出ていきな。俺で良かったら、この後相手してやっても良いんだぜ?」
「ハハハ、お前そういう趣味があったのか!」
「ワハハハ! この変態親父め!」
「なぁに、最初の客になってやろうと思ってさ。料金も弾むぞ?」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、小柄な勇者の肩に手を乗せる男。
いやらしい手つきで身体をまさぐろうとしたその瞬間――。
勇者が男のみぞおちに正拳を叩き込む。男は鉄製の頑丈そうな鎧を着込んでいるが、衝撃は殺せていない。
利き腕ではない左の一撃。その重い一撃に男はグェッと蛙が潰れるような声を出し、うずくまる。
更に勇者は木の棒を使って男の顎を跳ね上げる。そのまま振り下ろしでもう一撃。
鋭い連撃が叩き込まれるが、勇者はまだ手加減をしている。これが魔物なら既に跡形もなく粉砕しているだろう。
「木の棒の味はどう? 殺すのに得物なんて何でも良いのよ。防具も関係ない。殺すか殺されるか。大事なのはそれだけでしょ。で、頑丈な鎧を着込んだお前は、粗末な木の棒一本の私に殺されようとしてるの。ね、分かったでしょ」
木の棒を両手で持ち、男の背骨に当る部分に押し当てる。勇者が力を加えれば、男は死ぬ。
「グェッ、ま、待て、待ってくれ」
「よく考えると、お前が死ねば一つ席が空くんじゃないかしら。そこに私が入るの。ねぇ、どう思う? 良い考えだと思わない。ね、そう思わない? 私は良く考えるとそう思うな。うん。人間を殺すのは心が痛むけど、魔物を殺すためだから仕方がないか」
ぶつぶつと壊れたように独り言を呟き、やがて納得するとケタケタと勇者は笑い声を上げる。
「だ、だ、誰か! た、助けてくれッ!!」
男が周囲に助けを求めるが、誰も動こうとしない。動けないのだ。小柄な少女が出す威圧感で、身動き出来ない。壊れたように笑う無防備な少女。だが、動けない。
分かってしまうのだ。刃に触れれば血が出る。それは当たり前だ。この少女を止めようとすれば、きっと殺される。次に這い蹲るのは自分だと、脳裏に刻み込まれてしまう。だから動けない。
「お別れは済んだ? 心配しないで良いわ。私が助けてあげる。貴方の分まで、私が魔物を皆殺しにしてきてあげる。世界は平和になり、きっと救われるわ。とても素敵でしょう? 勇者が魔王を倒す日は近いわ。だから、安心して犠牲になってちょうだい。尊い犠牲の上に平和は築かれる。偉い人も言ってたし。だから心配いらないわ。それじゃあさようなら」
平坦な口調で畳み掛けた後、勇者は世界平和を誓った。そして男の背中に足を掛け、背骨を粉砕しようとしたとき――。
「――そこまでッ! 先程の件は謝罪する。数々の無礼を許して欲しい。我が戦士ギルドに加入することを認めよう。だから、そいつを放してやってくれ」
部屋中に響き渡るほど大きく手を叩き、勇者に向かって謝罪するロブ。その音で、勇者の瞳から狂気が消えていく。踏みつけた男を見下ろすと、興味なさそうに足を退ける。
目的は魔物を殺すこと。それには迷宮に行かなければならない。そのためにギルドに入る。それが達成できるなら、この男を殺す必要は特にない。だから解放した。それだけだ。
激しく震え、咳き込む踏みつけられていた男。周囲で固まっていた人間が助け起し声をかける。
「だ、大丈夫かジャバ!」
「お、おい呼吸がやばいぞ」
「聖職者ギルドに行って治療を受けさせろ! こいつの相方がいたはずだ。急げ!」
ジャバと呼ばれた急病人を連れて、戦士ギルドから飛び出していく古参達。勇者はどうでも良さそうに見送った。
「ゆ、勇者さん、い、今のは、や、やりすぎでは」
顔を青くしたマタリが勇者に近づき声をかける。あまりの気迫に彼女もまた身動きが取れなかったのだ。竦んで足が動かなかった。
「本当に殺すつもりはなかったわよ? 人を殺したら人殺しだもの。そうでしょう」
「…………」
納得していないマタリに勇者は適当なことを語ることにした。魔物を殺すためだから仕方ないと言っても納得しないだろうから、それらしい事を言えば良いだろう。
「人間にとって、一番大事なのは誇り。飢えようが人を殺そうが、それを失わなければ立派な人間よ。それをなくした人間は――」
「失くした人間は?」
「哀れな獣になる。そして血の味を覚え、溺れ、外道に堕ちた者。それが魔物。だから、誇りを傷つけられたら戦わなければならないの。私はそうしてきた。魔に堕ちない為に。貴方も人間でありたいなら、良く覚えておきなさい」
と、勇者は偉そうな事をしゃべりつつ、テーブルの上においてあった料理をパクついた。誇りを失わなければつまみぐいをしても問題ない。そういうことだ。
「は、はい」
マタリは心に刻み込むように深く頷いている。そして誇りという単語を何回も繰り返している。強く影響されているようだった。
どういった顔をしたものか悩みながら、ロブは一度息を吐いた後、声をかけた。
「ご高説ご立派なことだ。まるで歴戦の兵みたいな喋りだったぜ。お前は一体何者だ?」
「勇者」
「そうかいそうかい。とにかく、我ら戦士ギルドへようこそ。一応歓迎する。お前の名前は――」
「勇者」
「……勇者のお嬢ちゃん。名簿には適当に書かせてもらうぞ。どうせ新入りの名前なんて覚えてもすぐ忘れるしな。腕を磨き、協会の為に役立てるよう励むことだ」
「はいはい」
勇者は肉を噛みながら適当に返事をした。
「――結構。本来なら手続きが色々あるんだが、今日はこんな有様だから、明日また来てくれ。これは迷惑料兼、歓迎の印と思ってくれて良い」
ロブは勇者に銀貨を一枚手渡した。宿で泊まって、ご馳走を食べて酒を飲んだくれてもおつりが来る程度の価値がある。
金の出所はロブの手持ちからだ。最初にゴミ扱いした非礼の詫び料も入っている。
「どうもありがとう」
「宿はいろいろあるが、極楽亭がオススメだ。同業者が多数滞在しているからな。そして何より、戦士ギルドご用達だ。お前らが泊まると、俺に小さな幸せが訪れるってことだ」
分かったら今日は出て行けと、押し出すように勇者達はギルドを追い出されてしまう。
巻き添えをくらって追い出されたマタリに、勇者は声をかける。
「ごめんね。アンタまで巻き込んじゃって」
「い、いえ良いんです! それに、先程の棒さばき、実にお見事でした。体術もキレがありましたし、将来は武闘家を目指されるんですか?」
両手を合わせ、本心から感動したと言わんばかりに勇者を見つめている。
そういった視線に慣れていない勇者は視線を逸らして返答する。
「い、いや。私は勇者だから。武闘家にはならないのよ。だって勇者だし。勇者が武闘家なのは変でしょう」
「そうなんですか? 才能は抜群といった感じでしたけれど。まぁとにかく、極楽亭に向かいましょうか!」
結局極楽亭かと勇者は呟く。もっとマシな名前をつけろと思うが、たとえば安楽亭とか。眠ったまま楽になれそうではないか。
勇者がぼけーっと考えていると、マタリは既にかなり先へと駆けていた。
「勇者さーん、おいていきますよ!」
「やれやれ。どうなることやら。まぁ、なるようになるかな」
今までもなんとかなった。だから、これからもなんとかなる。
勇者は深く考えるのをやめ、馬の尻尾髪を揺らし、元気に手を振っているマタリの下へと走り始めた。