探偵
「お前…どうしてココに…?」
「どうして? と言われてもなぁ。ずっとここに居たぜ?」
悪びれる様子も無く淡々と告げる口元はわずかにつりあがっている。
「何? どう言うことだ? ココにはボクしかいなかったはず…」
「居ただろう? お前以外に黒猫が一匹」
確かに先ほどまでココにはボクと不思議な猫がいた。それを何故知っている?まさか…いや、そんな筈は無い。猫が人間になるだなんてどう考えても非常識だ!
「ココは非常識を研究する場所なんだろ?」
男はボクの考えていたことについて言葉を返してきた。この男、考えていることがわかるのか?
「まぁな。お前の考えは正しいよ。俺は人間の頭の中が読める」
「そんな非常識信じるものか! 大体お前があの黒猫だったという証拠も無いだろう!」
自分らしくもなく騒ぎ立てるように相手に詰め寄る。なんだか調子が狂っているようだ。
「結局はお前もココの連中と同じ価値観しかもっていないんだ。なるほど、これが『頭の固い人間』か」
男は右手を振り呆れた様子でボクを見つめる。
「いいぜ。証拠なら見せてやるよ。…目の前でな…」
そう言うと男は軽やかに体をくねらせ見る見るうちに黒猫へと変化した。
「…お、お前化け猫なのか?」
正直なところ頭の中は錯乱状態で言葉に出来たのは素直な感想だけだった。
「失礼な奴だな。俺は化け猫じゃないぞ!ただの特殊変異の猫だよ」
「特殊変異~? なんだそれ…もしかしてそれで納得させようとしてないか?」
黒猫の姿のままで会話している姿は明らかに化け物じみているのだが、これ以上混乱するわけもいかない。
「別に納得しなくてもいいけど、こういう生物がいるってことは確認しただろう?さて、話は戻るが俺に助手をやらせてくれ」
先ほどまでの楽天的な声とは違い、真剣な声で真っ直ぐボクを見据える。
「どうして、ボクがお前みたいな化け物を助手にしなくちゃいけないんだ! お前なんかと調査するぐらいなら一人でやったほうが大分マシだ」
そこまで言い張ると猫は姿を男に変えた。猫よりも幾分か重圧の感じる瞳でボクを睨み付ける。
「確かに普通の人間ならば俺みたいな奴と一緒には居たくないだろう。だがミステリーを好むお前ならと思ってこう頼んで来たんだが…無駄だったようだ。俺を助手にすればこの事件も簡単に解決できるのだがなぁ」
男は早口で言葉を捲くし立てると振り向きながらボクの様子を伺っている。
「どういうことだよ。事件が早く解決するって…」
「もともと事件を発見した、いや、持ってきたのは俺だ。そこら辺の奴よりは事件の真相を良く知っている。つまり、助手にするならこれほど都合の良い者なんていないはずだぜ?」
そういうことなら、話がわかる。だが…
「何ぐずぐずしているんだ? 別にお前じゃなくても俺の正体をばらさなきゃ誰だって助手になることは簡単だからな。どうする?」
脅しのつもりなのだろうか?その状況で断ることも出来ないことを計算に入れ、ボクを追い込もうとしている。どうするなんて答えは決まっているじゃないか。
「…分かった。お前を助手にしてやるよ。その前に聞きたいことがある。お前はどうしてこの事件に介入しようとしているんだ?」
とにかく理由を聞くことに越したことは無い。
「この前名前を書かれて死んだ『キバ ハジメ』は俺の元飼い主なんだよ」
飼い主?あぁ、猫の姿のときか…だから、名前が『クロ』なんだな。
「わかったか? つまり、敵討ちだよ。ご主人様のな」
「それはわかった。…早速事情を話して欲しいんだけど…」
こいつの持っている情報を知ってる限り吐いってもらわなくては助手にした意味が無い。
「おっと! ちょっと待ってくれよ。俺の情報なんて高が知れてる。まずは聞き込みから始めたほうが良いんじゃないのか?俺の情報はその後でゆっくりと…な?」
こいつ…最初から言うつもり無いんじゃないのか? そもそも情報なんてあるのかさえ怪しいのに…
「心配するな。それなりにちゃんと筋のある情報は持っているからさ。さぁ、行こうぜ!」
本当に言葉にしなくても答えは返ってくる。やはりこちらの考えていることが読めるらしい。クロはボクの様子を少し伺いながらドアの方へと足を進める。数歩進んだと思ったら刹那の差で猫の姿に変わっていた。まだ猫の姿のほうが行動しやすいようだ。確かに男の姿のままでは不法侵入はもちろんのこと事件の重要参考人として警察に引き出されるのがオチだ。
「ほらどうしたんだよ! 置いてくぞ? 探偵!」
猫のクロはそそくさと廊下を走り出した。
「ま、待てよ。って、ボクの名前は『探偵』じゃないぞ!」
どうやらボクのあだ名が決定してしまったらしい。
早速調査を始めたのだが良い情報は中々得られなかった。
「おい…どうするんだよ。全然情報ないじゃないか!」
ボクはあまりにも有力な情報のない調査に先が見えず、焦りが増していた。
「子供だな。調査というのはじっくりと年密に調べ上げることを言うんだ。早々情報が見つかると考えるとは片腹痛いね」
クロはまるで大人のような口調で軽く呆れた様子を猫の姿のまま声に出して僕を見上げた。
「うるさい! 大体猫のまま話すなって言っただろう!」
「はいはい。でも話さずにどうやってお前と会話するんだ?」
クロはさも自分が正論のように話し出す。それは確かにそうだが、そんなことは人気のないところで言うものだろう?何でわざわざ人気の多い東通路の真ん中で話すんだ?
「それは、ココが事件現場だからだろう?」
「それはそうだけど、このままだとお前の声が聞こえなくとも僕の声が聞こえてボクは不振人物扱いになるじゃないか! 少しくらいボクの身になれっていうんだ」
息の荒くして声を捲くし立てるとクロはさも面白くなさそうにボクの目の前を素通りして行った。
「おい! どこ行くんだよ!」
ボクは早々と立ち去ろうとしているクロを呼び止めた。クロは振り向いてこう言った。
「ココは人通りが激しいんだろ? だから人気のないところに行くんだよ」
クロは当然というような様子で走り去ってしまった。それをボクは唖然と見つめ。数十秒後にその後を追いかけた。
その様子を物陰から伺っていた人影にボクは気づかなかった。
「どうしたんだよ? いきなり動き出したりして…」
部室の廊下にでる階段を上ると唐突にクロに呼びかける。
「あそこにこちらの様子を伺う奴が居たんでね。取り合えず避難って事」
「え?」
こちらの様子を伺っていたって…いったい誰が?
「お前は声を出さなくてもいいぞ。お前の考えていることは分かる。俺の声は特別だからな。お前ぐらいしか聞こえない」
突然の申し開きに驚いているとにんまりと不気味な笑顔でボクを見た。
「何だ? わからなかったのか。俺の声は俺が話したい相手しか聞こえないんだよ」
「え? それじゃぁ馬鹿みたいにボクは独り言を廊下のど真ん中で喋っていた訳? 何でそれを先に言わないんだよ!」
ボクは紅潮した顔にさらに熱を加えるような怒りをクロに向ける。その間にもクロは不気味な笑みを浮かべ、ボクの様子が可笑しいかのように楽しげに見ていた。
「何で教えなかった、だって? そりゃもちろん慌てふためくお前の様子が可笑しいからだよ。」
悪びれた様子もなく、クツクツと笑うと部室のドアを器用に開け中に入ってしまった。
「つまり、面白がっていたんだな」
「そういうこと」
姿を見せず、声だけがボクに聞こえてきた。なんだか虚しく感じ、涙が滲んだ。
コツコツ…
妙な足跡が耳に届いた。その音には聞き覚えがある。
「鈴木君。ちょっといいかな?」
担任であるセキ先生はいつもの優しげな笑みを僕に向けた。なぜここに先生が居るのかこの時はわからなかった。けれど、直感的に何かあると感じていた。
「何か用ですか? ボクは今から部活なんですが…」
「部活と言っても君一人だろ? 少しくらい時間を割いてはくれないか?」
先生は静かに独特の穏やかな口調をして、痛いところを突いてくれた。
「…何ですか?」
渋々半ばやけくそに尋ねる。部室のドアを後ろで閉め自分の体でガードする。勘違いであろうと校内に猫を飼っていると疑われる訳にはいかない。まだ人間のときよりは大分マシだが…
「君が先日の事件を探っていると噂を聞いてね」
「ただの噂でしょう? 噂くらいで疑われるのは教師としてどうかと思いますが?」
面白くない顔をして見上げると先生は変わらずに笑顔だった。悪態を吐いたはずだが聞こえなかったのだろうか?
「そうだね。いや、注意するために来たわけじゃなかったんだが…これは失礼したね」
踵を返して立ち去ろうとする先生に何故か不信感を抱いた。注意するために来たわけじゃない?この先生は滅多なことがない限り嘘を言う人物じゃない。
「ちょっと待ってください。どういうことですか?注意しに来たわけじゃないなら何のためにこんなところまでボクを訪ねたりしたんですか!」
こんな辺鄙なところなど教師ですら足を踏み入れないような場所だ。
「…実はね…こんなこと生徒である君に危険なことを僕が頼める立場じゃないのはわかってるんだが、警察にはちょっと言えない事情でね」
まどろこしい言葉を並べ中々本題を切り出さない先生に苛立ちを覚え始めたとき、不覚にも後ろのドアに注意を怠っていた。それは今ここに出てはいけない人物を放つことになる。
「へぇ~どんな情報を話してくれるんだ?」
突然声をかけられ先生はたじろいだ。それもそのはず聞こえてきたその声は聞き覚えのある声だったからだ。それに姿が見えないんじゃ驚かないほうが恐ろしい。
「何だ?」
落ち着きを装いながら周りを見渡す先生の姿は滑稽だが笑う気にはなれなかった。むしろ冷や汗が背中をなぞりゾクリと身震いさせた。
「いい加減気づけよ。人間」
「おい! クロ。やめろ!」
声に出して制止の言葉を吐いたが時すでに遅し、先生は声の主を発見してしまった。
「えぇ! ね、猫がしゃ、しゃ、喋っている!」
当たり前の反応に少し安心しながら、ゆっくりと今の状況のヤバさに気づき始めた。声は確かに事件の重要参考人にされてる謎の男のものなのに姿は不気味な黒猫。大体、人語を理解し、ましてや話せる猫など見たことがなかったのだろう。まぁ当たり前だが、先生はパニックっているらしく慌てふためいている。
「なんで話しているんだよ! もしかしてセキ先生まで聞こえるように話しているのか?」
「よくわかったな。こいつは良い情報を持っていると感じてナ。ちょっと話してみたんだ」
呑気に語るクロは意気揚々としている。どうやら先生の反応が面白いらしい。
「ど、どうして、君は驚かないんだ?」
先生は化け物を見るような目でボクとクロのやり取りを見ている。
「あ、えぇっと…それは、なんと言うかちょっと訳有りで…」
苦し紛れの言い訳などこの状況で言えるはずがなかった。頭を悩ませながらこれまでの事情を包み隠さず先生に説明した。
「な、なるほどね。世界には不思議な体験をする人物も居ると聞いていたが、まさか自分がその本人になるとは考えてなかったよ」
少しどもりながら話す先生はいつもの穏やかさを取り戻したらしい。呑気に今の体験に感動している。
「な! 大丈夫だったろ?」
「何が大丈夫だよ。何も知らされないまま勝手に自分勝手な行動をお前がとったんだろ!」
憤慨して紅潮した顔にまた熱が溜まる。なんだか怒る回数が多くなった気がするのは勘違いではなさそうだ。
「まぁ、とにかく情報を聞かせてもらおうか、先生?」
我もの顔で堂々と振舞うクロにただ呆れてものが言えなかった。
「情報…と言えるのかどうかわからないんだがね、実は十年ほど前にこの事件とよく似た事件に巻き込まれて妻が亡くなったんだ」
衝撃的な告白にどう言葉を発していいのか分からなかった。ただそう話す先生の瞳には確かな悲しみの色を垣間見せた。言葉を淡々と紡ぐ先生の横顔をボクは見ているだけしかなかったのだ。
「そのときに妻が極秘に調べていたものをまとめた書類がなくなっていてね。もしかしたら今回の事件をとくカギが書かれてあったのではないかな」
「何を調べていたんですか?」
ボクはあまりその答えを聞きたくなかった。理由はただ不気味だったんだ。なぜかはわからないけど…
「死神についてだよ」
そう言葉を切った先生の顔には脂汗がしっとりと張り付いていた。その隅でひっそりと笑う猫が居たのをボクは気づかなかった。