カイとコンドー(前編)
旅の余韻に浸る暇もなく、僕は居酒屋で働き始めた。
この年で他人に誇れるスキルもないしね。
そんなこんなで調理師、食品衛生、防火管理などの講習や試験を受けた。
もちろん時給を上げてもらうためだ。
母親のこともあるし福岡で一生を終えるつもりでいた……はずだった。
まるで時代遅れのドラマのような男が店に現れるまでは。
この頃になると僕はいくつかの店を掛け持ちしていた。
居酒屋チェーンや個人の飯店、なんせ我流だったからちょっとでもプロに近づけたかった。
アラサー未経験の男をホテルが採用してくれるなんて100%無理だもんね。
ランチが終わって夜の仕込みの手伝いをしていたら、一人の男が入店してきた。
夕方から営業開始なのに。
その人はカウンターに座ってメニューを見始めた。
店主はいないし、僕は割増料金を取ってやろうと企んでいたんだ。
「お客さん、この時間帯って割り増し入っちゃうんですけど」
返ってきたのは意外な言葉だった。
「じゃあ、スペシャルメニューだね。
ジャガイモある?」
しまった。そういう系統の人だったなんて、想定外だ。
「ありますけど」
「じゃあそれで」
僕は、まんまのジャガイモを出してやろうと思った。
でもちょっとまて……違うかも。
この身なりはただのサラリーマンじゃない。
このジャラっとしたアクセサリーは普通じゃない。
そして時折、差し込まれるカタカナ言葉。
もしかして、あっち系の方? 僕は店主じゃないんだけど。
やっぱり営業時間外なんですって、もう言えないしなー。どうしようかなー。
「んっ、だからジャガイモ……目の前にあるジャガイモでなんかメイクしちゃってよ」
なんだか……これ系の人に最近出会ったような気がする。
せとうちで一緒になった……あの人。ヒラノさんだ!
ちょっと念のため聞いてみよう。
「あのー、僕はここの店主じゃないですよ」
「えっ?」
「いやだから、オーナーじゃないってば」
「ふん……だから?」
良かったあっちじゃなくって、やっぱりヒラノさん系だ。
「すみません、ちょっと確認したかっただけなので。
今作りますね」
僕はそういって縦に四分割したジャガイモをスライスして、オリーブオイルで炒め始めた。
その人はうるさい人だった。
「それガレット?」
「違います、ガレットは水っぽくなるので表面積を減らすため、これぐらいが一番いいんです。
ガレットならチーズで固めてきつね色になるまで焦がした方が良いです。
それにナイフとフォークで食べないといけないから洗うの大変じゃないですか?」
「へー、じゃあ味付けは?」
「オリーブオイルに塩って旨いんですよ。
だから塩だけです」
本当は隠し玉あるんだけど君には出さないよ。
「へー、君の名は?」
「カイって言います」
「カイ君さー、オリーブ塩が飽きちゃったって言われたらどうするの?」
「じゃがバターみたいにチーズかければいいんじゃないですか?」
「そうすると君のロジックが破綻しちゃうじゃん。ダメだよそれ」
僕にそこまで料理に対する哲学はないよ、手に職なんだよこれは!
まさかこのおじさんまで『君は料理の才能があるね』なんて言うんじゃないだろうな。
二年先までそれは禁句だぞ。
「君さ……」
僕は言われたくなかったので遮った。
そして、彼に隠し玉を教えた。
「粉チーズです。粉チーズもパルメザンじゃないとパンチが効かない。
それを仕上げに大量に振りかけて一気に焦がします」
「君さ……料理の神に愛されてるかも」
ジュー……ジャー、カンカンッ。
そういうのも言われたくないものの一つだった。
「はい、どうぞ」
オリーブオイルの香りはすぐに揮発するという人もいるけど、
炒める前に材料にかけて染み込ませておけば香りは残ったりする。
ごま油もそうだけど炒め終わりに少しかけてあげれば香りは立つと思う。
その人は箸を止めることなく食べ続けた。
「甘くておいしいね」
「近くの農家さんからもらってるやつで、市場には出回ってないですよ。
市販のでやるなら粉チーズで味付けした方が良いですね」
「この発想、どこから来たの?」
「えっ?」
どこって思い付きだし、あえて問われてもね。
なかなか言葉にするのは難しかった。
ヒラノさんみたいな人、小豆島のオリーブオイルかな。
「せとうち」
「君やっぱり、面白い。
そのキーワードのチョイスはロナウドのキラーパス並みだね」
いや……カタカナ多いし、サッカー興味ないし。
「スゲーうまかった。ありがとう。いくら?」
お邪魔虫はヒラノさんでお腹いっぱいです。
もう来ないでください。
僕はそう思って……彼が一瞬で、たいらげた皿を見た。
本当に美味しかったんだろうな……そりゃそうだ。
農家の人が一生懸命作ってくれたジャガイモだから。
水っぽくなくて甘味が強い。じゃがバターにすると最高だ。
少し生の状態で食べるとエグみがあって、それも病みつきになるんだけど、
さすがにお客さんには出せないもんね。
「光熱費も上がってるんで千円はどうでしょう」
「わかった、また邪魔しに来るね」
いや、来なくていいよ。
僕はそう思いながら千円を受け取った。
彼は案の定、また邪魔しに来た。
しかも、僕の実家にだよ。
それから僕らは海外のセレブ相手に日本食をふるまうという
意味不明な旅を国内外ですることになる。




