ex.可哀想なわたしの話
わたしが可愛いことは、昔から知っていた。
鏡を見れば分かる。銀の髪は光を拾いやすく、睫毛は長い。少し目を伏せるだけで、大人たちは声を和らげた。
けれど、欲しいものをねだったことはない。
両親は田舎の男爵だった。
領地は小さく、暮らしは慎ましかった。
困っているわけではないけれど、贅沢とは縁がない。新しいドレスも宝石も、簡単には手に入らない。
欲しいとは言えなかった。
言えば、父は困った顔をする。母は申し訳なさそうに笑う。
その顔を見るくらいなら、最初から口に出さないほうがいい。
でも、だからといって諦めたわけではない。
この顔を、田舎の男爵家だけで終わらせるのは惜しい。
デビューすれば、王都の人間はわたしを見る。
その中で、一番高いところへ手が届けば、それでいい。
この顔で生まれて、田舎の小さな家に埋もれるなんて、そんな損なことがあるものか。
橋の事故で家族が死んだのは、確かに悲しかった。
でも、その気持ちは長く続かなかった。
泣けば慰められたし、黙っていれば「健気だ」と言われた。
王女様はわたしを気に入り、新聞はわたしの顔を儚げに描き、王都の人間はこぞって同情した。
『家族を失った美しい男爵令嬢』
王都は、そういう話が好きだった。
わたしも気持ちよかった。
だったら、黙っていればいい。
少し伏し目がちにして、聞かれたことにだけ答えていれば、向こうが勝手に扉を開ける。
そして、本当に扉は開いた。
ラフェド様が、わたしの前に来た。
あのとき、わたしは思った。ほらやっぱり、って。
だけど、彼はわたしの思い描いていた人ではなかった。
元婚約者との婚約解消で違約金もかかり、そのうえ詳しい理由は知らないけれど、伯爵から子爵にまで落ちたせいで、何も買ってもらえなかった。
こんなことなら、王子様のほうへ、もう少し強く出ればよかったかしら?
……ううん、次代の王であるあの方は、わたしには振り向かなかった。
ああいう方は、オールドミスのような雰囲気の令嬢のほうが落ち着くのだ。彼の婚約者は、若いのに襟の詰まったドレスばかり着ていた。
王女様は、わたしを飾って眺めるのが好きなお姫様だった。
中身は驚くほど軽くて、そのぶん扱いやすい。
わたしが、欲しいと言わなくても、何でも買い与えてくれたし、贈ってくれたし、譲ってくれた。
そのせいで損をした人たちは少なくなかったけれど、王女様は気にしなかった。
わたしが泣けば、ラフェド様の婚約者を悪者にしてくれた。
その人が一年引きこもったと知って、王女様が少ししょげていたのは、心底おかしかった。
だって、落ち込んでいると言いながら、今度は自分と仲の悪い令嬢を、わたしを使って貶めていたのだから。
ラフェド様と別れたのは早いと、影で言われていたのは知っていた。
けれど、わたしには長すぎた。
あの人は、欲しいものを何一つくれなかった。
そのくせ、足りないのは自分の甲斐性ではなく、わたしの頭の中身のほうだと言った。
……ああいう男は嫌い。
離婚してからは、商会の男と正式に付き合った。
最初は気前がよかったけれど、じきに違った。
出せるくせに、出し惜しむようになった男に、用はない。
ずっと最初のままでいられたなら、もう少し一緒にいてあげてもよかったのに。
その次は侯爵家の次男。
優しくて、懐具合も悪くなかった。
でも彼の母親が駄目だった。口を開けば作法の話ばかり。息が詰まった。
別れるとき、彼は泣いて縋ってきたけれど、見苦しいとしか思わなかった。
その次は騎士だった。
女に人気のある男に選ばれるのは、悪い気分ではない。
けれど、あの人はわたしに求めすぎた──静謐で、貞淑に、慎みを持ち、慈悲深く。
要するに、自分に都合のいい置物になれということだ。
そんなのは御免。
フォレスト・キーナンに声をかけたのは、その頃だった。
この人なら悪くない、と思った。
それに、ラフェド様の元婚約者より、わたしのほうがずっと見栄えがする、とも。
だけど、話してみると彼は意地悪で最低な男だと分かった。
この国の男は、どうやら期待するほどのものではないらしい。
そういうわけで、わたしは王女の輿入れについていくことを決めた。
◆
王女様は、嫁ぎ先で王子妃様になった。
わたしは、そのお話相手として連れていかれた。
異国の宮殿は、何もかもが大きかった。
廊下の窓は高く、壁には見たこともない色の織物が掛かっていた。
庭には香りの強い花が咲き、噴水の水まできらきらして見えた。
王女様──もとい王子妃様は、新しい国でも変わらなかった。
わたしを着飾るのが好きで、朝になれば布地を広げ、今日はどの色がいいかと楽しそうに選んだ。
首飾りも耳飾りも、わたしの肌や髪に合うものを先に見つけた。
人に見せるための人形を整えているみたいだったけれど、嫌じゃない。むしろありがたかった。
王子妃様は、わたしに嫉妬しない。張り合わない。怒らない。
自分が一番上にいると信じている人は、下に置いたものを恐れないのだ。
この国でも、わたしはよく目立った。
銀の髪は珍しく、白い肌も目を引くらしい。宴の席へ出れば、必ず何人かは足を止めた。
王子妃様は、そういう視線を見るのが好きだった。わたしが褒められるたび、なぜか自分の手柄みたいな顔をした。
何をしても許された。
少し遅れて部屋へ行っても、読みかけの本を閉じずに返事をしても、王子妃様は笑って済ませた。
「マリーナは気まぐれね」で終わる。
王子妃様の夫である第二王子様は、自国の王子様とはまるで違っていた。
あちらは近寄りがたく、こちらは人懐っこい。
よく笑い、よく喋り、人の顔をよく見る方だった。
わたしの名前もすぐ覚えたし、王子妃様の部屋へ来れば、まずわたしにも声を掛けた。
最初は三人でお茶を飲んでいた。
王子妃様が好きなお菓子の話をし、この国の言葉の癖を教わり、庭の鳥の名前を聞く。
第二王子様は気軽で、王子妃様は嬉しそうで、わたしは聞き役の顔をして座っていた。
けれど、三人の席というものは、思っているより退屈だった。
王子妃様は同じ話を何度もするし、第二王子様はそのたびに同じように頷く。
つまらない、と思った。
ある日の茶会で、わたしは卓の下へ小さく折った紙を落とした。
給仕が拾うより先に、第二王子様の靴先がそれを止めた。
気づいたのは、あの方だけだった。
紙には、たったの一行──『三人より、二人のほうが面白いお話もございますよ』
無視されても構わなかった。
王子妃様に渡されても、そのときは別の顔をすればいいと思っていた。
でも、第二王子様は違った。紙を読んだあと、何も言わずに杯を口へ運んだ。
その横顔は、楽しそうに見えた。
その次の週、廊下で呼び止められた。
王子妃様の部屋へ向かう途中だった。
「この国の庭は、もう見て回った?」
そう聞かれて、わたしは首を振った。
「いえ……」
「なら、案内しよう」
それが最初だった。
人目のある回廊。昼の庭園。図書室に近い小さな控えの間。
いかにも隠していませんという顔をした場所ばかり選んで、わたしたちは二人で会うようになった。
王子妃様は気づかなかった。
だから、逢瀬はやめなかった。
鍵を第二王子様から受け取ったのは、この国へ来て四ヶ月目だった。
庭の奥にある小さな部屋。
その鍵は、わたしだけが持っていた。
それから一年ほど、わたしたちはそこで会っていた。
昼のこともあれば夜のこともあった。
誰にも知られないまま、同じ扉を開けて、同じ部屋へ入った。
この楽しい時間は、永遠に続くかと思った。
でも、終わりはあっけなかった。
王子妃様の懐妊が公にされた日。祝いの席が終わったあと、侍女に呼ばれた。
行き先は、あの部屋だった。
扉を開けたとき、王子妃様が立っていた。
顔は赤く、目は泣いたあとのように腫れていた。
そして、叫んだ。
「恩知らず! 恥知らず! 阿婆擦れ! あなたなんか、連れてこなければよかった!」
あの、綿菓子みたいにふわふわした王子妃様が、そんな言葉を口にするとは思わなかった。
第二王子様は、その場にいた。
だけど、何も言わなかった。
わたしを庇うことも、言い訳をすることもなく、黙って立っていた。
わたしは国へ送り返されることになった。
◆
王都は、前と同じように見えた。
橋も、石畳も、店の看板も、何も変わっていない。
変わったのは、わたしを見る人の目。
王族に嫌われたわたしに、誰も話しかけてはくれないと知ったのは、暑気払いの宴の夜。
笑って輪へ入っても、人が散る。
声をかければ返事はあるけど、それだけ。
そんなものに負けるものかと思った。
この顔があるのだから、誰か一人くらいは振り向く──そう思って、わたしは何人にも声をかけた。
地方の成金を中心に狙った。
でも、見た目やら考え方やらが不愉快で関係は続かなかった。
そうしているうちに、呼ばれる場所は減った。
届く手紙も減った。
そして、ほとんど何も来なくなった。
そんな頃、ある宴の帰りに、大きな金貸しの老人から声をかけられた。
「うちへ来たら、衣食住を揃えてやる」
愛だの何だのという話ではなかった。
人前に出す女として囲う、その代わりに、みすぼらしい思いはさせない。そういう話だった。
……一度広い部屋と柔らかい寝台を知ってしまうと、元の暮らしには戻れない。
わたしは少し考えて、それから頷いた。
悪い話じゃないな、と思った。
だけど、それは束の間だった。
老人は、金の使いどころがはっきりしていた。
人前に出す夜しか、わたしに金を使わない。
ドレスも宝石も、そのときだけ。
しかも、連れていかれる先も、大した場ではなかった。
今のわたしは、好きに外へも出られず、退屈しのぎに男性使用人をからかうくらいしか楽しみがない。
ああ、本当は、もっともっと高いところから、人に見上げられているはずだったのに。
なんて可哀想なわたし……。
誰か、わたしを迎えに来てくれないかしら。




