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14.あなたが選ぶ人

 金の枠で区切られた天井画の下で、赤や青や白のドレスが入り混じり、布の色が真っ先に目に入った。


 建国千年を祝う夜会とあって、天井近くまで吊るされた燭台が、金糸の刺繍も宝石も明るく照らしている。


 婚約の儀を終えてから、こうした大きな夜会に並んで出るのは初めてだった。

 私はフォレスト様の腕に手を添えたまま、入場の列を進んでいた。


 扉の前では名前の読み上げが続き、そのたびに視線がこちらへ流れてくる。


「緊張しているか」

 小さな声で問われ、私は小さく頷いた。

「これだけの方々がお集まりですから」

「そのうち慣れる。今日は顔見せだ。挨拶は俺も一緒にする」


 そう言われ、私は足元を確かめながら歩を進めた。


 大広間の絨毯を踏み出すと、いくつもの視線が私たちに集まった。


 キーナン侯爵家の跡継ぎと、その婚約者。そう紹介される立場になったのだと、頭では分かっている。

 それでも、煌びやかな衣装に身を包んだ令嬢たちを見渡すと、自分だけ別世界から紛れ込んだような気がした。


 フォレスト様は、慣れた様子で招待客たちに挨拶を返していく。

 しばらく二人で各卓を回った後、フォレスト様は年長の公爵様に呼び止められた。

 私はそのあいだ、夫人方の輪へ加わるよう促された。


「キーナン侯爵家ご子息のご婚約者様ね」


 そう声を掛けられ、笑みを作る。

 家名と名前を尋ねられ、返す。


 夫人方への挨拶が一通り済んだ頃、私は飲み物を取りに壁際へ下がった。


 給仕から杯を受け取り、大広間の様子を改めて眺める。音楽、笑い声、談笑。どこもかしこも華やかだ。

 気が張るし、私はこういう華やかな場を心から楽しめない。

 しかし、苦手意識を持っていては、侯爵夫人は名乗れない。


 少しずつ慣れていかなければ。


 そんな決意をしたところで、視界の端に深い紺色の礼服が見えた。


 柱の影に入りながらそちらへ目を向けると、フォレスト様がいた。

 人の流れから半歩だけ離れ、誰かと向き合っている。



 その相手を見て、足が止まった。



 銀髪を高く結い上げ、青い宝石を散らした髪飾り。白に近い桃色のドレスは、裾まで細やかな刺繍が光を拾っている。

 肩や首筋の見せ方も計算されていて、どこから見ても絵になっていた。


 ──マリーナ様。


 離縁しても、彼女の美しさは少しも色あせていない。

 むしろ、それさえ飾りにしてしまったかのような、完成された華やかさがあった。


「キーナン様。お噂はかねてより耳にしておりました」


 よく通る声が、音楽の合間に入ってくる。

 甘さを含ませた調子だが、はっきりとした響きだ。


 フォレスト様は、礼儀として頭を下げた。


「ああ、ご挨拶が遅れました。エヴァンズ子爵夫人……いえ、今は呼び方が違いましたか」

「どうぞ、マリーナとお呼びくださいませ。ご婚約の報せは存じ上げております。おめでとうございますわ」


 マリーナ様は、扇を傾けながら笑った。

 周囲の男性たちの視線が、自然とそこへ引き寄せられていく。


 あの顔で見上げられ、あの声で話しかけられたら、多くの人間は足を止める。

 柱の陰から見ている私にまで、それが分かった。


 胸に、鉛の塊みたいな感覚が落ちた。

 ぞわぞわしたうすら寒さが背中をなでていく。


「ありがとうございます」


 フォレスト様の声は、普段通り落ち着いていた。

 冷たく聞こえるが、彼は割と誰にでもあの態度だ。


 彼が「では」と会話を切ろうとしたところで、マリーナ様が袖をつまんで引き留めた。


「何か?」

「ご婚約のご挨拶だけで終わるのは惜しいと思いましたの。キーナン様ほどのお方でしたら、ぜひ改めてゆっくりお話ししてみたいですわ」


 それを聞いて、フォレスト様は視線を落とした。


「ご挨拶だけで十分ですよ」


 フォレスト様は、さらりとした口調だった。


「まあ。そんなにきっぱりおっしゃらなくても」

 マリーナ様が、冗談めかして笑う。

「もしかして、婚約者様へのご配慮ですか? キーナン様は、お優しいんですのね。では、三人でのお茶会ならいいのでしょうか? わたしがお手配しますよ」


「手配は不要です」

 フォレスト様は、声の調子を変えなかった。

「俺は、一度決めた相手以外に期待を持たせるつもりはありません」


 フォレスト様の声音は、仕事のときと同じだった。いや、それよりも温度が低い。

 大広間のざわめきは続いているのに、ここだけ空気が変わったように感じた。


 フォレスト様は、淡々と告げる。


「俺にはもう、並んで歩く人が決まっています」


 さっきまで私の中にあった不安が、別の形に変わった。

 その言葉が、自分に向けられたものだと分かったからだ。


 マリーナ様は、変わらない笑みを意識して作っているように見えた。


「まあ……キーナン様ったら、深読みが過ぎますわね。わたしは、ただお話ししたかっただけですのに」


「仕事柄、甘い言葉だけ並べるのは苦手でして」

 そこでようやく、フォレスト様は軽く頭を下げた。


 会話を終わらせる形だと、誰が見ても分かる言い方だった。


 扇の影でマリーナ様の指が力を込めるも、すぐに笑顔を整え直し、礼儀正しく腰をかがめた。


「……建国を祝うよき夜でありますように、キーナン様。失礼いたします」

「あなたも。良い夜を」


 それ以上、フォレスト様は視線を向けなかった。

 マリーナ様は踵を返し、別の輪へ歩いていく。


 その背中を、近くの令嬢たちが視線で追い、扇の陰でささやきを交わしている。


「ねえねえ、今の、聞いたぁ?」

「聞こえたわ。キーナン様、随分とはっきりと……あんな美人でも、ああいう扱いをされるのねえ」

「そりゃあ、離縁の話を聞いたら、ね。それに、あの方、頭のいい殿方とは長く続かないんじゃなくてぇ?」

「ふふ、やだあ、あなたってば辛辣。でも、正直スカッとしたわね」


 さえずりは、すぐ別の話題へ流れていった。


 私は柱の陰で、杯を握りしめたまま息を吐いた。


 フォレスト様は、誰の見栄えが良いかよりも、どのように立つ人間かを見ている。

 私は、そのことを自分の耳で確かめた。


 杯の中身を飲み干し、私は柱の陰から一歩踏み出した。

 何事もなかった顔で歩き、フォレスト様のそばまで進む。


「フォレスト様」


 声を掛けると、彼は自然にこちらへ向き直った。


「大丈夫か?」

「ええ。ご挨拶は滞りなく」

「そういう意味じゃない。……疲れた顔をしてる」


 手の甲で頬を撫でられ、くすぐったさに笑うと、彼は表情を緩めなかった。


「無理してないか?」


 ここで、さっきの会話を聞いていたと打ち明けるべきか、短く迷ったが、やめた。

 今は、その言葉を自分だけの支えとして抱えていたい気持ちのほうが勝っている。


「平気です」


 そう言うと、フォレスト様は「そうか」と頷く。


「だが、疲れて見える。あまり長居はしないほうがいい。顔を出すべきところを回ったら、早めに引き上げよう」

「はい。……でも、いいのですか?」

「いいに決まってる」


 差し出された腕に手を添える。


 床に映る影は二つ並び、同じ方向へ伸びていた。

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