第9話「前例がない、という理由で拒否されるなら」
王国監査官マルクス=ヘルツが去ってから、三日後。
グランデル領に、一通の公文書が届いた。
「……“改善は認めるが、拡張は認めない”」
エリスが読み上げると、執務室に重い沈黙が落ちた。
「つまり」
ガルドが低く言う。
「これ以上、勝手なことはするな、という意味だな」
「はい」
エリスは、書面を机に置いた。
「現状維持を求めています」
「新規施策、新規契約、新規人員受け入れの制限」
「事実上の――足止めです」
レオン=アルヴェインは、表情を変えなかった。
(来たか)
王国の選択は、予測どおりだった。
否定できない。
だが、広げさせたくもない。
だから、“止める”。
「理由は?」
レオンが尋ねる。
「“前例がないため”」
エリスの声には、わずかな苛立ちが滲んでいた。
「前例がないことは、理由になりません」
レオンは、静かに言った。
「理由になるのは、“違法かどうか”だけです」
彼は、机の引き出しから一冊の法典を取り出した。
使い込まれた、王国法大全。
「王国法第七章」
「辺境統治における領主権限」
指で、該当箇所を示す。
「“領主は、治安・食糧・人口維持を目的とする場合、王都の事前承認なく施策を行える”」
ガルドが、目を見開いた。
「……それは」
「はい」
レオンは頷く。
「拡張ではなく、“維持”です」
エリスが、すぐに理解した。
「人口流入を、“増員”ではなく“流出防止”として扱う」
「商取引の拡大を、“新規事業”ではなく“既存生活基盤の安定”として扱う」
「そのとおりです」
レオンは続ける。
「王国が制限できるのは、“新たな権限の行使”だけ」
「既存の裁量権の範囲内であれば、口出しはできません」
沈黙。
それは、法の隙間だった。
だが――隙間ではなく、“意図された余白”でもある。
「つまり……」
ガルドが、ゆっくりと言った。
「王国の言うことを“破らずに”」
「やりたいことは、全部やれる」
「はい」
レオンは、淡々と答えた。
「前例がないのは、使われなかったからです」
その日のうちに、指示は出された。
- 人口流入者は「元領民の帰還」として登録
- 商人との新契約は「既存取引の再開」として処理
- 治安組織の再編は「警備体制の最適化」として実施
すべて、法の文言どおり。
すべて、合法。
エリスは、書類をまとめながら、思わず呟いた。
「……ここまで、考えていたんですね」
「考えていません」
レオンは、首を振った。
「“確認していた”だけです」
「法は、こういう時のためにあります」
数日後。
王都。
監査官マルクス=ヘルツは、追加報告書を手にしていた。
「……止まっていない?」
部下が、戸惑いながら答える。
「いえ……むしろ、拡大しています」
「ですが、すべて……合法です」
マルクスは、深く息を吐いた。
「……見事だな」
それは、敗北宣言に近かった。
王都では、再び議論が巻き起こる。
「止めろ」
「止められない」
「なら、どうする?」
答えは、まだ出ない。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
辺境グランデル領の成功は、
もはや“偶然”ではない。
王国は、公式にそれを否定できなかった。
そして。
「……次は、直接来るぞ」
ガルドの言葉に、レオンは静かに頷いた。
「ええ」
窓の外では、領都の灯りが増えていた。
人が集まり、動き、未来を描いている証だ。
(ここまで来たなら)
レオンは、次の数字を見ていた。
これは、領地経営ではない。
すでに――“勢力形成”だ。
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