第3話「最初に切ったのは、税でも兵でもなかった」
帳簿は、思ったよりも整っていた。
それが、レオン=アルヴェインの最初の感想だった。
「……意外ですね」
代官の執務室。
積み上げられた帳簿を一冊ずつ確認しながら、レオンはそう呟いた。
「帳簿そのものは、嘘をついていない」
数字は正直だ。
誤魔化す意図がある帳簿は、必ず歪む。
だが、ここにある数字は――素直すぎるほど素直だった。
「褒められているのか、分からんな……」
代官が苦笑する。
「褒めています。ただし」
レオンは、ページをめくる手を止めた。
「使われていません」
代官が、きょとんとする。
「数字は、記録されています。でも――判断に使われていない」
「だから、この領地は“何も決めていない”のと同じ状態です」
沈黙。
ガルドが、腕を組んだまま低く言った。
「つまり?」
「問題が起きたら、その場しのぎで対処する」
「先を読まない。準備しない。責任の所在も曖昧」
レオンは淡々と告げる。
「それが、今のグランデル領です」
代官は、反論しなかった。
できなかった、と言う方が正しい。
「……では、何から手を付けるおつもりで?」
問いは、半ば祈りだった。
税か。
治安か。
食糧か。
どれもが致命的で、どれもが後回しにされてきた。
レオンは、静かに言った。
「まず――人を動かします」
「人?」
代官が、目を瞬く。
「税でも、兵でもない?」
「この状況で?」
「はい」
レオンは、帳簿を閉じた。
「働いていない人間が、多すぎます」
「正確には、“働けるのに、役割を与えられていない”」
代官は、思わず声を荒げた。
「しかし! 仕事など……」
「農地は荒れ、商いは滞り、兵も余裕がない!」
「だからです」
レオンは、初めて代官をまっすぐ見た。
「だから、役割を再配置する」
室内が静まり返る。
「兵を、畑に出します」
「なっ……!」
代官とガルドが、同時に声を上げた。
「兵は、戦うための存在ですぞ!」
ガルドの反論は、真っ当だった。
「戦うためには、食べなければならない」
レオンは即座に返す。
「今の兵は、訓練も不十分で、士気も低い」
「その状態で剣を振るわせるより、土地を耕させた方が――」
言葉を区切る。
「戦力になります」
代官が、信じられないものを見る目をした。
「兵に……農作業を……?」
「はい。交代制で」
「農民には道と水路の整備を」
「盗賊上がりは、警備と見張りに」
淡々と、だが迷いなく。
「全員に“仕事”を与えます」
「賃金は、最低限ですが即金で」
代官は、息を呑んだ。
「そんな金は……」
「あります」
レオンは帳簿を指で叩いた。
「備蓄と名目だけで眠っている銀貨が」
「使わなければ、価値はゼロです」
ガルドが、低く笑った。
「……面白い」
「兵が畑を耕せば、食糧が増える」
「食糧が増えれば、治安が安定する」
「治安が安定すれば、税が取れる」
レオンは続ける。
「これは、博打ではありません」
「順番の問題です」
代官は、しばらく黙っていたが――やがて、深く頭を下げた。
「……やってみましょう」
「失敗すれば、責任は私が取る」
「いいえ」
レオンは、即座に否定した。
「責任は、私が取ります」
「そのために、ここに来たのですから」
その言葉に、代官の目が揺れた。
数日後。
街の空気は、目に見えて変わった。
畑に出る兵。
道を直す農民。
働く理由を与えられた人々。
「……動いてるな」
ガルドが、ぽつりと呟く。
「はい」
レオンは、数字を“見て”いた。
人口の流動。
食糧備蓄の回復速度。
犯罪件数の低下。
(……もう、回り始めている)
小さな変化。
だが、確実な変化。
グランデル領は、静かに息を吹き返し始めていた。
王都の誰も知らない場所で、
「無能」と切り捨てられた男は、
最初の一手を、正しく打った。
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