第2話「辺境グランデル領は、数字の上では死んでいなかった」
王都を出る馬車は、静かだった。
車輪の軋む音と、馬の蹄が土を踏む音だけが、淡々と時間を刻んでいる。
護衛は最低限。
形式的なものだ。
レオン=アルヴェインは、窓から外の景色を眺めていた。
王城の白い塔は、すでに視界の彼方に消えている。
「……思ったより、早かったな」
追放の宣告から、わずか三日。
王国は、彼を引き留めることすらしなかった。
(引き留める理由が、理解されていなかったのだから当然か)
感情は、すでに整理されている。
怒りも、悲しみもない。
あるのは、状況の確認だけだった。
グランデル領。
辺境。
荒廃。
捨て領地。
王城で囁かれていた評価が、頭の中に浮かぶ。
だが、それらはすべて主観的な言葉だ。
(主観は役に立たない)
レオンは、目を閉じた。
――視える。
土地の広さ。
耕作可能面積。
人口推移。
税収。
治安指数。
流通経路。
数字が、重なり合い、立体的に組み上がっていく。
(人口、三千弱。王国平均の三分の一)
(税収は低いが、徴税率も低い)
(治安は悪いが、犯罪の種類が単純だ)
(物流……詰まっているが、道はある)
結論は、ひとつ。
(死んではいない)
むしろ――。
「……手を入れれば、伸びる」
思わず、そう呟いていた。
向かいの席に座る老騎士が、ちらりと視線を向ける。
名はガルド。
今回、形式的に付けられた護衛隊長だ。
「何か?」
「いえ。ただの独り言です」
ガルドはそれ以上、踏み込まなかった。
無口で、実直。
数字には興味がなさそうだが、人を見る目はある。
それは悪くない。
やがて、馬車は舗装路を外れた。
揺れが増す。
「ここからがグランデル領です」
御者がそう告げる。
窓の外には、荒れた土地が広がっていた。
雑草に覆われた畑。
手入れされていない水路。
崩れかけた柵。
確かに、見た目は惨状だった。
だが。
(放棄された土地が多い。逆に言えば、再利用できる)
(人口密度が低い。治安悪化の原因は集中管理の欠如)
(水源は近い。管理すれば農業は回る)
王都の誰一人として、ここを「可能性」とは呼ばなかっただろう。
「……本当に、何もない場所だな」
ガルドが、ぽつりと呟いた。
レオンは、否定しなかった。
だが、肯定もしない。
「何もない、のではありません」
静かに言う。
「正しく使われていないだけです」
ガルドは驚いたようにこちらを見たが、すぐに小さく笑った。
「辺境送りにされて、そんなことを言える人間は初めて見た」
「感情で見れば、そうでしょう」
レオンは淡々と続ける。
「ですが、感情で領地は立て直せません」
馬車が、領都の門前で止まった。
小さな街だ。
城というより、砦に近い。
門をくぐると、住民たちの視線が集まる。
警戒、諦め、無関心。
期待は、ない。
(当然だ)
これまで、何人もの貴族がここに来ては、
何もせずに去っていったのだろう。
「領主様……で、よろしいのでしょうか」
一人の男が、恐る恐る声をかけてきた。
代官だろう。
疲れ切った顔をしている。
「ええ。レオン=アルヴェインです」
そう名乗った瞬間、
男の表情に一瞬だけ浮かんだのは――落胆だった。
(……無理もない)
若い。
地味。
武勲もない。
彼らが期待する「救世主」には、見えない。
「まず、現状を把握したい」
レオンは、即座に言った。
「帳簿を見せてください。全部です」
「税、人口、兵、備蓄、治安報告。隠さずに」
代官は、目を見開いた。
「ぜ、全部……ですか?」
「はい。時間がありませんから」
なぜなら。
(この領地が立ち直るかどうかは、最初の選択で決まる)
レオンは、街を見渡した。
崩れかけた家屋。
痩せた人々。
だが、その奥に――動ける余地がある。
「……やりましょう」
誰に言うでもなく、そう告げる。
ここからが、本番だ。
王国が切り捨てた男は、
数字の上で“死んでいない土地”に足を踏み入れた。




