1.我が町
この街に引っ越してきたのは25年前である。その時は事務所はビル街に在り、不動産屋をしていた。しかし、だんだん成果が落ちていき、高い家賃が払えなくなった。
20年前、60才の時事務所を自宅に移した。と言うか、自宅で細々と事業を続ける事にした。その時、ある女性も付いてきた。お互い伴侶と死別しており、同棲することになった。
彼女は何をする時もべったりとくっついていた。私が後から家に帰った時は、必ず玄関まで迎えに来た。マンションの狭い部屋であるにも拘わらずである。病院に行く時は必ず診察室まで同伴した。恥ずかしいから来ないでくれと言ったにも拘わらずである。
彼女の口癖は「いつまでも一緒にはいられないのよ」だった。
その彼女との別れは突然にやってきた。
彼女は息子の会社の経理を担当していて、毎日通っていた。ある時、彼女は道端で倒れていた。病院に運ばれて一命は救われた。脳梗塞であった。1か月の病院生活から老人ホームに移った。
「私が介護するので老人ホームから出せ」と強く言って息子と口論した。
その後、彼女は転所した。携帯電話で息子と口論したら、携帯電話が不通になった。彼女も息子も行方不明になった。ホームに抗議にも言った。
「あなたはキー・パーソンではないので教えられません」の冷たい返事だった。
私達は籍に入っていなかったので、息子が身元引受人なのだ。いつの事だったかよく思い出せない。それ以来完全な独身生活である。
私は町を観察した。わずか自宅の周りだけ。私も年を取ったが、周りも年を取っていた。マンションの真向かいに3軒の長屋があった。2軒の奥さんはいつも挨拶を交わした。真ん中の家の夫婦は挨拶をしない。家内工業で印刷をしている。静かな町にここだけ騒音を出している。その為、周囲と挨拶できないのだ。その関係のまま年を取っている。そこの息子も年を取っているが挨拶をしない。
マンションの並びの角地に駄菓子屋があった。数年前に店を閉めた。そこのおばあちゃんは1か月間ほど、閉めた店の前で掃除などをしながら、毎日通行人に挨拶をした。やがて見かけなくなると、家が取り壊された。
真向かいの角地には質屋があった。ここも取り壊されてマイホームが新築された。質屋の親父さんは毎日、植木の手入れを時間をかけて行った。わずか2船のプランターに対してだ。金はあるのにすることが他に無い様だった。いつからかその仕事が息子のものになった。その息子も年を取っていた。
50M離れて公園があった。その入り口の真向かい角に薬屋があった。そこの主人はいつも公園の掃除をしていた。他にも周囲の人たちが掃除をしていた。ボランティアなのか依頼されていたのだろうか?公園は植物園のようにいろいろな草花や木が生えていた。桃や桜、金木犀等の花を咲かせる木も有れば、梅やグレープフルーツなどの実を付ける木もあった。捨てられた種が大きくなったらしい。老人の憩いの場になっていた。
ある時公園は殆ど更地になり、その後グランドができた。高い網で囲まれた中で遊ぶ子供は殆どいない。周りのベンチに座る老人もいない。時を同じくして薬屋は店を閉めた。行政のすることは狂っている。金を掛けて何をするつもりだ。そう思っている私も年を取った。周りの出来事が走馬灯のように移ろいで行く。




