第一話: 猫好きの終わりと始まり
俺・三浦圭人は今日は仕事のちょっとした用事で街に出ていた。と言っても、仕事は地主であった祖父から相続した土地の運用で、今日の用事もそう長くかかるものではなかった。
俺のことを待っている(と思いたい)かわいい猫ちゃんたちのことを考えながら、軽い足取りで駅へ向かっていた。
そんな時だった。
自販機の陰から突然現れた黒い影が道路に向かって飛び出した。
真っ黒な影に見えたそれは、猫だった。
対向車線には大きめの白い乗用車。
どうやら運転手は黒猫に気付いていないようだった。
俺はとっさに車道へ飛び出し、驚いて固まってしまった黒猫を抱え上げ、歩道へと投げ飛ばした。
直後身体に大きな衝撃が走り、黒猫が無事着地したのを見届けながら俺は十数メートルほど撥ね飛ばされた。
乗用車のボンネットに出来た大きな凹みとアスファルトにべったりと広がった赤い液体を認識した途端、再度身体中に激痛が走った。
痛みが薄れるとともに意識も薄れゆく最期に、
(あぁ、俺の人生はここで終わるのか......。乗用車の運転手には...少し申し訳ないな......。残された猫たちはどうなるだろうか......。猫...そうだ......なれるかな......生まれ変わったら...猫に.........)
そんなことを考えながら俺・三浦圭人の一度目の人生は終わった......。
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(ここは......?無限に広がる、何もない、白い、空間......?)
目を覚ました圭人は周りを見渡し、自身の居る空間を認識するとともに頭がクリアになっていくのを感じた。
(あれ、俺たしか車に撥ねられて......死んだはずじゃ......?)
(それにこの空間はいったい......?)
「やあ、三浦圭人クン。気分はどうだい?」
突然背後からかけられた声に驚きながら圭人は後ろを振り向く。
直前には何もなかったはずの空間に、軽薄な笑みを浮かべた若い男が立っていた。
「といっても死んだ直後に気分が良い訳ないよな笑 何があったか覚えているかい?」
(死んだ...?やはり俺は死んだのか......。ならば、これはいったい......?)
「うん、そうだ。キミは死んだ。何があったかも概ね覚えているようだね。
ここは...そうだな、いわゆる死後の世界だ。神の領域と言ってもいい。」
(!? 俺の考えていることが分かるのか!?)
軽薄な男に自身の思考を読まれたことに驚きつつ、圭人は質問に返答する。
「はい、気分は...特に違和感はありません。記憶は、たしか、道路に飛び出た黒猫を助けてそのまま......。
そうか、ここは死後の世界なんですね。あの、神の領域と言うのは、」
「へぇ、死んだ直後だっていうのに随分冷静だね。それに魂も安定している、と。面白いね。」
男は圭人の言葉を遮り、またも笑みを浮かべながら続ける。
「そう、ボクはガトディオス、いわゆる神様さ!といっても司っているのはキミら人間じゃなく猫だけどね。それも、こことは違う世界の。」
「猫の、神様......?それに、こことは違う世界の......!?」
(こことは違う世界の、それも猫の神様であれば、俺がこうして死んだ後に話している理由はなんだ......?)
そう思考を巡らせていると、ガトディオスと名乗った神はすぐにその質問に答えてくれた。
「キミは生前多くの猫を保護し、そのほとんどの猫は保護される前の生活と比べて大幅に豊かに暮らせるようになった。そして最後にキミはあの黒猫を助けて亡くなった。あの子はあそこで車に轢かれて亡くなる運命だったんだ。だがキミは、その運命を捻じ曲げあの子を救った。
そう、あの子はボクにとっても重要な存在でね。だがボクではその運命に干渉することは出来なかった。その窮地を命を投げ出して回避してくれたのが、キミだったわけだ。」
ガトディオスは猫の神様と名乗った。そして生前多くの猫を助けた圭人がその神様にポジティブな感情を抱かれるのは当然の帰結という訳だ。
そのことを証明するようにガトディオスは続けた。
「人生をかけて多くの猫を助けたキミが、最後にはその命を賭して重要な存在でもあった黒猫を救った。そんなキミがただ死んで輪廻の輪に戻るというのは、ボクには少しばかり味気ないように思えてね。だからボクは、キミの新しい人生を少しだけサポートしてあげたい、って思ったんだよね!」
「そんな、俺は好きでやっていたことですし、最後に助けた猫が重要な存在であったのも結果的な話です。報酬が欲しくてやった訳じゃ......」
ガトディオスは俺の次の人生をサポートしたいと言い出した。いや、ここに招いた時点で考えていたことだろう。あるいはもっと前から......。
だが俺は見返りが欲しくてやっていたことではないし、何よりも俺が一番気にしているのは俺の次の人生などではない。そんなことよりも、あの子たちのことが......。
「いや、ボクがあげると決めたんだ。撤回はしないよ。貰えるものは貰える内に貰っておくのが吉だぜ!
それに、キミの懸念もボクなら解決できるかもしれないよ?」
「!? それは本当ですか!? でも、先程は俺の世界に干渉することは出来ないと...」
「本当だとも。生死にかかわる運命を捻じ曲げるような大きな干渉をすることは出来ないが、キミの懸念を解決するくらいなら何とかなるさ。」
それが本当であれば、あの子たちのことが解決するのであれば。俺はやっと次について考えることが出来る。
未練はあるが、同時に猫の神様であるガトディオスが提案してくれた話ならばと、猫好きとして高揚する気持ちがあるのも事実だ。
その気持ちも察してか、ガトディオスは話を続ける。
「キミにはボクの世界に転生してもらう。その際にボクの力の範囲内で三つだけ、キミの要望を聞いてあげよう。さあ、キミは何を望む?」
俺が話を了承したわけでもなしに、既にガトディオスが俺を彼の世界に転生させる前提で話が進んでいる。しかしここまで来て断れる訳もないし、何より俺の気持ちは固まった。
新たな人生に向けて俺は、ガトディオスの方へ一歩踏み出した。
「ありがとうございます。その話、謹んで受けさせていただくことにします。一つ目の願いはもちろん、あの子たちのことです。俺が保護してまだ里親が見つかっていなかった猫たち、そして俺の唯一の永遠の家族だった飼い猫のブランコ。あの子たちがこれから先幸せに暮らしていけることを望みます。」
「そう来ると思っていたよ。既にキミの世界の猫神と協力して彼らがこの先幸せに暮らせるよう手は打ってある。安心するといいさ。」
「ありがとうございます!」
これで俺が抱えていた唯一の懸念は解消された。
ここからが俺自身に関する要望だが......。
「二つ目の要望はどうする?」
「そうですね......あの子たちのことばかり考えていたからすぐには......あっ、そうだ。俺は昔からずっと、猫になりたかったんです。あの子たちと同じ世界を見てみたかった、そうすれば皆のことがより分かるかもしれないって。俺自身が猫に転生することは出来ますか......?」
「ふむ、猫に転生か。種族を越えた転生はよくあることだ。お安い御用だよ。」
どうやら種族を越えた転生というのはままあることなようだ。猫になりたいという願いはどうやら難しいことではないようだ。
それにしてはガトディオスの笑みに含みがあるのは気になるが......神様が簡単に気持ちを悟らせる訳がない。まあ気のせいだろう。
「本当ですか!ブランコたちと同じ世界を見られるなんて、夢のようです......!」
「同じ世界と言ってもキミのいた世界とは違う世界だけどね。」
「それでもブランコたちと同じ目線で世界を見られるというのは、楽しみで仕方ありません!」
「......同じ目線、ね。
さ、それじゃ最後の要望はどうする?」
またも言い方に含みを感じたが、昔からの夢が叶うという逸る気持ちには勝てず三つ目の願望を答える。
「...? そうですね......、野良の猫になってすぐに野生動物に殺されてしまっては転生させてもらった意味がないので、その世界で生き抜けるだけの力が欲しいです。ちょっとだけ、周りの人や生き物に対抗できる力を貰えれば、と......。」
「随分乗り気になってきたね笑 でもその要望は元々ボクから授ける予定だったから、もう一つ別の要望を聞いてあげるよ。」
「すみません...あの子たちの心配が無くなったことで、ちょっと浮かれているのかもしれません......。」
「いやいや、ボクが言い出したことなんだから謝る必要なんてないさ。それより最後の要望を改めて聞こうじゃないか。」
三つ目の願いは願うまでもなかったことだったようで却下されてしまった。
しかし三つの願いと言われても、いざ本当に言われるとこうも出てこないものかと思いつつ、最後の願いを考える。
どうせなら生前に思い残したことを次の人生(猫生?)で片付けられないかと考えたが、最も大きな思い残しは一つ目の願いで既に解決している。
(何か思い残したこと......俺は生前よく頑張ったよな......。学業はそこそこ良い学校に行ってそこそこ良い成績で卒業したし、仕事も祖父からの遺産とはいえ収入はそこそこあって保護した猫たちにかかるお金を差し引いても満足に生活できていた。運動は得意というほどではなかったけど神様が授けてくれるらしいし......。
一人で成せることは大体......あっ。)
「神様、最後の願いが決まりました。」
「ガトディオスと呼んでくれていいんだよ?」
「あ、はい。ガトディオス様、最後の願いです。俺に、家族と呼べる仲間をください。俺は生前早くに両親を病気で亡くし、唯一残った人間の家族だった祖父も俺が高校生の時に他界しました。ブランコは勿論家族でしたが、外では仲が良い友達もおらず、独りで過ごす時間が長かったんです。次は、対等な立場で信頼しあえる仲間が欲しいと、そう願います。」
「そうか...分かった。良い仲間に沢山出会えるよう【良縁の加護】を授けるよ。」
今度は含みを持った笑みではなく、純粋に、少し悲しそうな顔でガトディオスは笑ったように見えた。
「これで三つの願いは揃ったね。キミの次の人生に幸福が訪れることを神の領域からささやかに祈っているよ。」
「本当にありがとうございました。ブランコたちのこと、どうかよろしく頼みます。」
「ああ、任せておけ!最後に、ボクはキミを気に入っているんだ。たまに教会に顔を出してボクに会いに来てね!」
「教会に行けば神の領域に来れるんですか!?」
「限られた者だけだけどね。
おっと、時間だ。それじゃあボクの世界を楽しんでね!すぐに死んで死後の世界に戻ってきたりするなよぉ?」
「はは、そうならないように頑張ります......笑」
そうなってしまう未来を想像し苦笑いを浮かべた途端、淡い光が俺の全身を包んだ。心地好い感覚で意識が溶け始めたことに少しだけ不安を覚えたところで、遠くなった耳にガトディオスの声が聞こえた。
「だい....うぶ、新し...らだに...わせ......意識...作り変.........るんだ。...んしん......て、か...だ......ゆだね...........」
遠くなる意識だが、今はその光に、身体を............
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神の領域に一人残ったガトディオスは含み笑いを顔に取り戻し呟いた。
「圭人クン、ボクの世界楽しんでくれよな。
......サプライズへの反応も、期待しているよ......。」