27 忍者の指導と挑戦 / 神威
北海道を魔物たちの支配から取り戻すため、23歳から40歳までの剣道有段者たちが全国各地から集められ、特別な訓練が開始された。しかし、剣道の有段者といえども、現代で真剣を使う機会はほとんどなく、その扱いは全く異なるものだった。彼らは竹刀に慣れ親しんでいたが、真剣の重さや鋭さ、さらには実戦における緊張感に対する適応が必要だった。
そのため、真剣の扱いに長けた現代忍者たちに指導が命じられ、涼音も指導員として横須賀の訓練場へと派遣されることになった。彼女が現地に到着すると、剣道家たちの鋭い目と威圧感が場を支配していた。だが、その中には、真剣の重みを理解しきれず、扱いに戸惑っている者も多く、彼らはすでに汗をにじませ、思い通りに剣を振るうことに苦戦していた。
その中に、一際自信に満ちた表情を浮かべた一人の男がいた。彼の名は綾瀬、剣道五段の腕前を持ち、長年の鍛錬に裏打ちされた堂々とした風格が漂っていた。綾瀬はその真剣を手に持つと、他の者たちが苦戦する様子をどこか冷ややかに見つめ、時折満足げに頷いている。涼音が訓練場に入った瞬間、彼はその目を涼音に向け、鋭く見据えた。
「あなたが指導員の…涼音さんですか?」
綾瀬の声には、自信が漲っていた。彼は涼音の忍者としての佇まいを評価するようにじっと見つめ、微笑を浮かべながら口を開いた。
「俺は剣道を始めて20年以上、この道を歩んできました。正直、忍者の指導がどれほどのものか、試させてもらえませんか?」
その挑戦的な言葉に、周囲の剣道家たちも興味深げに視線を交わし、静かに場が張り詰めていく。涼音はその視線を受け止め、微笑みを返しながら、静かに綾瀬に答えた。
「いいでしょう。綾瀬さんが本気なら、全力でお相手します。ただ、これは遊びではありませんから、覚悟はしておいてください」
涼音の落ち着いた口調には、冷たくも柔らかな威圧感が込められていた。彼女の言葉を聞いた瞬間、綾瀬はその雰囲気に少し驚いた表情を見せたが、すぐに自信満々な笑みを取り戻し、真剣を構えた。
「ふっ、言うじゃないか。あなたが忍者とやらとしてどれほどの腕か、この場で確かめさせてもらいますよ」
二人は互いに構え、静かに距離を詰めていった。周囲の空気が一瞬にして凍りつき、全員が息を呑んで見守る中、涼音と綾瀬の間に緊張感が漂う。
綾瀬の目つきは確かに戦いに集中しているように見えたが、どこか鋭さを欠いていた。視線がふと涼音の顔に移ると、その眼差しにわずかな揺らぎが生まれた。
彼は、涼音の整った顔立ち、鋭くも美しい瞳、そして忍者としての凛とした佇まいに、心の奥で何かがざわめくのを感じていた。
(こんな美人が指導員だなんて…しかも、俺と勝負することになったとはな…もし、俺が勝てば…)
心の奥でそんな考えがちらりと過った。勝負に勝つこと以上に、涼音との関係がこれをきっかけに特別なものになるかもしれない、そんな甘い期待が彼の中で膨らんでいた。
しかし、その想いを悟られないようにするため、必死に表情を引き締め、真剣な顔を作ったものの、その内心が生み出すわずかな甘さが、彼の動きに微かに表れていた。
涼音はその揺らぎを感じ取り、冷静な目で綾瀬を見つめ返す。涼音の表情に変化はなかったが、その鋭い眼差しが綾瀬の心を見透かすように彼に向けられると、綾瀬は一瞬、息を呑んだ。
一瞬、静寂が場を支配したかと思うと、次の瞬間、綾瀬が鋭い突きを放って涼音に迫った。その動きは一瞬の隙を突くもので、剣道家としての技術が冴え渡っていた。しかし、涼音はまるで風に乗るかのように軽やかにそれをかわし、一歩下がると同時に真剣を素早く振り上げた。
その刃が光を帯び、綾瀬の間合いに一瞬のうちに迫った。綾瀬は驚きの表情を浮かべながらも必死に防御を試みたが、涼音の動きは彼の予測を超えていた。彼女の剣が空を切り裂くように迫り、刃がギリギリで綾瀬の肩先を掠めた。
「これが…忍者…!」
綾瀬は息を呑み、涼音の動きに圧倒されていた。
彼の中で生まれていた自信が、一瞬にして崩れ去るのを感じた。涼音はその表情を静かに見つめ、剣を下ろしながらゆっくりと近づいていった。
「綾瀬さん、真剣の扱いはただの技術ではありません。力だけではなく、心の集中と冷静さ、そして覚悟が必要です」
涼音の言葉に、綾瀬は唇を噛みしめた。
そして、彼女の指導がただの力任せの戦いではなく、真剣を持つ者の心得を伝えるものであることを理解した。涼音の動きとその言葉が、彼の心の奥深くに響き渡り、彼の中にあった自信がさらに強固なものとして形を変えていくのを感じた。
その後、涼音と綾瀬の指導の下、集まった剣道家たちは真剣の扱いを学び、さらなる修練を重ねることとなった。
北海道の大地を取り戻すために、彼らの戦いはまだ始まったばかりだったが、忍者の教えにより、真剣を手にした彼らの姿は徐々に戦士としての覚悟を備えたものに変わりつつあった。
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訓練場の片隅で、誰にも気づかれることなく静かに様子を見守っている存在があった。それは、涼音の霊刃に宿る亜神・神威である。
神威の視線が、真剣の重みに戸惑いながらもそれを扱おうと奮闘する剣道家たちを冷ややかに見つめる。竹刀を振るうことに慣れ親しんだ彼らの剣先には、戦場で必要とされる「本物」の鋭さが欠けているように見えた。鋼の冷たい重みを己のものとし、刃に意志を通すためにはまだまだ多くの鍛錬が必要だと、神威は心の中でそうつぶやいていた。だが、その中にひときわ自信に満ちた表情で立つ剣士、綾瀬の姿が目に留まる。
「ほう、あの男…自信と誇りを抱えておるな」
神威は心の中で小さく笑みを浮かべた。彼の眼差しには、かつて神威が共に戦った歴戦の戦士たちと同じ、誇りと気概が宿っているように映った。だが、戦場で真価が問われる場面では、それが裏目に出ることも多い――そう神威は知っていた。涼音が綾瀬の挑戦を受け入れる瞬間、神威はその行く末に深い興味を覚え、視線を鋭く注いだ。
涼音が凛とした佇まいで綾瀬の挑戦を受けると、二人の間に張り詰めた緊張が走る。その瞬間、神威の中で古い記憶が呼び起こされるかのように、心がわずかに熱を帯びた。まさに、かつて戦場で交わした無言の対話のように、二人の間には見えない刃が交錯しているように感じられる。綾瀬の鋭い目つきに見られる揺らぎ、そして涼音がそれを見透かすような眼差しを向けた瞬間、神威の刃が微かに震えた。
神威はまるで戦場での観客のようにその勝負を見守り、涼音の手に握られた己の刃が、何を示すのかを待っていた。