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記憶の澱  作者: ゆゆみみ
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変化

 それから数日間、何事もなく過ぎ去った。


 (たま)に小林くんがノートを見せてくれとせがむことと、それに対して戸賀崎さんが遠くから意味深な視線を向けてくるくらい。どうやら、戸賀崎さんはこちらに視線を向けていることを隠すつもりはないらしい。にこにこと、人畜無害そうに見える笑顔で、微笑ましい光景を見ているかのようだった。


 変化といえば、それくらい。今までと比べれば──友達と言える関係かどうかは別として、気軽に話せる存在が出来たというのは孤独に生きてきた僕にとっては大きな変化だ。それ故に、病状が発覚するリスクもあるためにある程度の距離を取るように心がけていくつもりではある。


 ──僕には一生、心を許せる友人というのは出来ないのだろうか。


 そう考えると、何とも言えない感情に襲われる。けれど、それも慣れたもの。僕はもう、諦観の中で生きる他なかった。誰も好き好んで、こんな定期的に記憶が飛ぶような人間と関わりたいとは思わないだろう。

 期待して、それで裏切られるのは、僕には耐えられそうになかった。僕はそこまで強い人間でもなければ、割り切ることが出来る性格でもない。それならば、初めから期待など抱かなければいいのだ。それが一番簡単な答え。僕は、それでいい。少なくとも、姉さんや先生という理解者はいるのだから。それが友人、という関係性ではないとしても。


 それから更に、数日が経った。

 僕はいつも通り早くに登校をして、頬杖を付いて外の様子を眺める。


「あ、いたいた。おーい、三嶋ー」


 その声の主は小林くんだ。教室に入るなり大きく手を降って自分の存在をアピールしつつ、僕に向かって近づいてくる。


「お前昨日、どうしたんだよ? 別に来ないなら来ないでいいけど、連絡くらい寄越せよなー」


 何を言っているのか分からず、僕は振り向いた姿勢のまま硬直する。

 昨日、昨日は普通通りに過ごしただけだ。何もイレギュラーなことはない。何も。


「ん? 覚えてないのか? ほら、四人でカラオケ行こうって言ったろ?」


 そう言って、小林くんは親指で背後を示す。その先にはいつも彼と一緒にいる二人組の姿があった。


「えっ、あれ……? そうだっけ……?」


 記憶を辿る。昨日の記憶だから若干朧気になっている部分はあれど、そのような約束をしたならば確実に覚えているはずだ。


「なんだ、忘れちまったのかよ。結構乗り気っぽかったのになー。ま、いいや。今度都合が会う時に行こうぜ」


 小林くんは爽やかな笑顔でそう言って、僕の前の席に腰掛けた。

 小林くんの言葉は軽やかだった。さっぱりとしたスポーツマンタイプで、女子人気が高いのも頷ける。しかし、それ以上に問題なのは、|僕にはその記憶がないことだ《・・・・・・・・・・・・》。

 

 その日の授業は、まるで頭に入らなかった。脳内はぐるぐると混乱している。今の所、少なくとも最後に明確に起こした(・・・・)のは、夏休み中に戸賀崎さんと出会った時だけだ。その後は記憶の連続性も保たれているはずだし、何より特有の靄がかかったような感覚もない。

 底冷えのする、感覚がした。もしかしたら、と思う。もしかしたら、今までのような前兆が起きず、記憶障害が起きてしまったのか。或いは、単純に話半分で聞いていて、本当にただ忘れてしまっただけかもしれない。

 けれど、一度抱いた疑念はそう簡単には消えてはくれなかった。


「あれ? 三嶋くん? まだ残ってたんだ?」


 気づくと、夕暮れの中で一人教室に残っていた。ホームルームが終わり、他のクラスメイトは部活に行ったり帰ったりしたのだろう。


「……なにか、悩み事? おねーさんで良ければ聞いてあげよっか?」

「おねーさんって、同い年じゃん」


 いつの間にか、戸賀崎さんが隣になっていた。急な登場に思わず心臓を跳ねさせるが、胸を張って堂々と言いのける戸賀崎さんに、思わず小さく吹き出してしまった。こういうムードメーカーな所も、きっと彼女の魅力の一つなのだろう。


「とりあえず、大丈夫。自分の問題だから」

「そう? でも何かあったら言ってね。なんか三嶋くんって放っておけないタイプというか……」


 僕は苦笑いを返す。そんなに、僕は頼りなく見えるのだろうか。それにしても夕暮れの差す教室で男女が二人というのは、なかなかに風情のある、ある意味青春めいた情景のような気がした。

 戸賀崎さんは僕の返答に満足していないのか、じっと目を細めてこちらを見つめている。それを真正面から受けるのは気恥ずかしくて、目を若干背けながら苦笑いを浮かべ続けた。実際、戸賀崎さんに相談したところで解決する問題ではないのだから。


「ふぅん、ならいいけど。でも何かあったら頼ってね? 力になれそうなことがあれば協力するからさー」


 雰囲気が重くならないよう、あっけらかんを言う。きっとこれも彼女の魅力の一つなのだろう。困った人を助ける、それは誰しも出来ることでは無いはずだ。


「うん、今は本当に大丈夫。ちょっと、考え事をしてただけ」

「そっかー。分かった。深堀りしてもあれだし、私はもう行くねー」


 ふりふりと小さく手を振って、戸賀崎さんは教室から去っていった。夏に出会ったことで、僕のことを少し気にかけてくれているのだろうか。病状について伝えることは出来ずとも、戸賀崎さんといい小林君といい、二学期に入ってから友人といえるかまでは微妙だが、誰とも話す機会のなかった僕にとって二人の存在はとても大きい。


 再び、窓の外を見る。オレンジ色の陽光の中、運動部の声が遠くから響いている。

 

 ひぐらしの鳴き声が、夏の終わりを感じさせた。

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