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記憶の澱  作者: ゆゆみみ
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束の間の平穏

 残りの夏休みの間には、戸賀崎さんと出会うことも無く、記憶障害も起こらず、平穏な日々を過ごしていた。

 何度か病院で薬を調整していたから、その成果でもあるのかもしれない。学校生活をきちんと送れるのかという不安は、幾分も和らいでいた。

 

 始業式の日、僕は少し早めに学校に向かって、窓際の自席で外の風景をぼんやりと眺めていた。徐々にクラスメイトが登校してくるが、友達と呼べる友達がいない、というよりも症状が発覚するリスクを考えて作っていない僕の元を訪れる者はいない。


「おはよ!」


 溌剌とした声が教室内に響く。同時に教室の至る所から挨拶の言葉が返される。

 僕はその声の主──戸賀崎さんに視線を向けた。交友関係の広い彼女の元には、男女問わず多くのクラスメイトが集う。戸賀崎さんはその輪の中心で楽しそうに笑っていた。

 不意に視線が合う。何となく気まずさを感じて目を逸らそうとすると、対する戸賀崎さんは満面の笑みを浮かべた。


「おはよ! 三嶋くん!」


 輪の中心から高く上げた手を振って、戸賀崎さんは一際大きな声を出す。予想外のことに、何も反応出来ずいると、周囲の戸惑いを押しのけて僕の机まで近づいてきた。


「酷いなー、挨拶くらい返してよー。……ねね、あれから何か面白いことあった?」


 軽い口調。そんなにも僕らは仲良くなっただろうか。いや、それが戸賀崎さんの距離感なのかもしれない。


「え、あ、おはよ。ええと……特には何も、ないかな」


 周囲の注目を浴びていることもあって頭も回らず、僕は苦笑いと共に何の面白みもない回答を返すことしかできなかった。

 それでも、それなのに、戸賀崎さんは口角を上げた。先程とは、どこか質の違う笑み。


「そっかそっかー。じゃあ、二学期がたのしいものになるといいね?」


 それだけ言って、戸賀崎さんは輪の中へと戻っていった。それと同時に周囲の視線も外れ、嫌な緊張から解放されたことで小さく息を吐く。

 戸賀崎さんの前では、二回も起こして(・・・・)しまったが、今のところは特に疑問に思ったことはなさそうだと感じ、今度は安堵の息を漏らす。


「おっす、三嶋。朝から辛気臭い顔してどうした?」

「えっ……?」


 不意に落ちてきた声に素っ頓狂な声を上げる。声の主は、僕の前の席に座っているクラスメイトだ。もちろん、名前は知っている。小林くん、だ。

 けれど、こんな風に気軽に挨拶をする仲では決してなかった。単に席が近い、それだけで何も接点はないはずだ。ましてや呼び捨てで呼ばれたことなど一度もない。


「どうかしたか?」

「い、いや……なんでも。大丈夫」

「そっか」


 こちらが聞きたいくらいだった。けれど、最初からそうであったかのように、小林くんはただ純粋にこちらの様子を不思議がっているようだった。

 前を向いたその背中に視線を向け、夏休み前を思い出す。しかし、何も思い浮かびはしない。それこそ、夏休みに入る前だってこんな風に挨拶をしたことはない。

 こんな風に、突然距離は縮まるのだろうか。あまり交友関係の広くない僕にはよく分からなかった。小林くんは社交的で友達が多い。多いだけでなく、その中心にいるタイプだ。戸賀崎さん同様、そういう人間は急に距離を詰めてくるものなのだろうか。

 考えても答えが出る訳もなく、僕は頬杖を付いて再び外の風景へと視線を移した。夏も終わる。それでも蝉たちはまだ元気に鳴いていた。


 程なくしてホームルームが始まった。学校は、日常の象徴だ。僕たちにとって、今の世界とは家と学校という二つに大別される。大学生になったら、或いは社会人になったら、もっと世界は広がるのだろうが、今見える世界は酷く狭い。

 だからこそ、その世界の片方を崩す訳にはいかなかった。時折、足元に広がるのが薄氷だと気づいて恐怖する。僕にとっては、この世界は容易に崩れ去るものなのだから。

 まだ、保ててはいる。高校生活もちょうど折り返しを過ぎたところではあるが、何とかやっていけそうな気はしていた。


 ふと、視線を感じた。挙動不審にならないように目だけで周囲の様子を伺うと、横に二列離れ、少し後ろに座っている戸賀崎さんと目が合った。にっこりと、屈託のない笑みを返され、僕は顔に熱が上がるのを感じて慌てて視線を逸らした。

 別に、戸賀崎さんのことが好きな訳では無い。けれど、あんな美少女に笑顔を向けられたら誰だってこうなる。

 もう一度、視線を向ける。今度はまっすぐ前を見据えている姿が目に入り、先程は偶然だったのだろうと判断して視線を担任へと戻した。





 ──少女は、人知れず微笑む。


 これからを考えると、鼻歌を奏でてしまいそうになるほどだった。

 蝉たちも、たのしそうにさえずっていた。

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