10 木星プラント
「へえ、地球から火星へ向かう船団にミサイル攻撃か。怖い話だねえ」
木星燃料開発共同事業体の核融合燃料製造工場のオペレーター、野村忍は、机上端末でニュースを読み終えると、会社からのメールを開いた。
「おいおい、また期間延長かよ。会社は後任を送る気があるのかね。まあ別にいいけどさ……」
野村がいるのは、木星の衛星の1つ、カリストの研究基地だ。木星系の各種研究者に混じって、基地の一区画を間借りしている。
木星燃料開発共同事業体は、事務総局と日本の大手核融合燃料会社の共同事業体だ。
共同事業体は、常任理事国からの委託を受けて、木星や木星の衛星から採取、製造した重水素・ヘリウム3を、定期的に射出するコンテナ群で2年ほどかけて水星付近へ送る事業を実施している。
この木星系から水星付近へのコンテナ群の航路は、とある大昔の日本の小説家が書いたSF小説から着想を得たものであったことから、その小説家に敬意を表して「甲州航路」と呼ばれている。
甲州航路での重水素・ヘリウム3の供給は、今年4月から本格的にスタートしたが、共同事業体で木星系に常駐しているのは、野村を含めて10人しかいない。
そのうち6人は木星及び木星の衛星からの原料採取関連オペレーターで、3人はコンテナ群射出関連オペレーターだ。
そして、残り1人である野村は、重水素・ヘリウム3製造関連オペレーターだ。
各種工程の多くが自動化されていることもあり、常駐者の仕事は、システムの監視と、人間でしか対応できない一部の応急処置がメインだ。
最も自動化が進んでいる製造関連オペレーターの野村は、時間を持て余すことが多かった。
野村は、何気なく机上端末のカレンダーを開いた。
野村がカリストに到着したのは昨年10月。任期は今年4月までの半年だったが、10月までの1年に延長され、さらに先ほどの会社からのメールで来年4月までの1年半に延長されてしまった。
ちなみに、野村は核融合燃料の製造請負会社の社員だ。今回の事業には、再々委託先として参加している。
中堅会社とはいえ、地球だけでなく月や火星の工場勤務で豊富な経験があり、しかも独身貴族である野村の後任は、そう簡単に見つからないようだ。
「さて、今日は何をしましょうかね……」
ひととおりのシステムチェックを終えた野村は、暇つぶしに共同事業体の沿革についての資料を読むことにした。
……共同事業体が立ち上げられたのは、今から20年ほど前。将来的な核融合燃料の供給不足に備えるため、日本政府が甲州航路の整備を提言し、他の常任理事国の賛同を受けて、事業を事務総局に委託したのがスタートだ。
事務総局は小惑星等の採掘について豊富なノウハウがあったものの、木星からの原料採取についての知見が不足していたことから、それを長年研究していた日本の大手核融合燃料会社と共同事業体を創設して、常任理事国から事業を受託した。
それから10年ほどは木星や木星の衛星からの原料採取、重水素・ヘリウム3の製造の実証事業が進められ、2年前に甲州航路における小規模コンテナ群の試験射出。そして、今年の4月から本格運用を開始した……
「小規模コンテナ群の試験射出?」
そこまで読んだ野村は、ふと気になって、前任から引き継いだ過去の工場生産・備蓄量データを開いた。
過去の工場生産・備蓄量を見ると、2年前までに試験的に生産・備蓄された重水素・ヘリウム3の他、軽水素までが、コンテナ群の試験射出前後でほとんど払い出されていた。
そして、この払出量はかなりのものだったので、小野はてっきり大規模なコンテナ群の試験射出があったものだと思っていたのだ。
しかし、事業共同体の沿革資料では、「小規模コンテナ群の試験射出」とされており、重水素・ヘリウム3の生産・備蓄量についても、試験射出後に工場の本格稼働がスタートした時点からのものしか載ってなかった。
「おかしいな。試験射出前に試験的に生産した重水素とヘリウム3の多くはどこへ行ったんだ?」
気になった野村は、雑談がてらコンテナ群射出関連オペレーターの部屋へ向かった。
† † †
「コンテナ群の試験射出ですか?」
「ああ、2年前に甲州航路のコンテナ群の試験射出があったと思うんだけど、その前後の射出状況って分かる? ちょっと気になってさ」
「ちょっと待ってくださいね。前任の手持ちデータがあったと思います」
最近赴任したばかりのコンテナ群射出関連オペレーターである東南アジア系の若者が調べてくれた。射出前後は多少忙しいようだが、今日は暇のようだ。
「あ、ありました。これですね」
野村が若者の机上端末を覗き込んだ。共同事業体の沿革資料の記述のとおり、2年前に甲州航路へ向けて小規模なコンテナ群が射出されていたが、その直後6か月にわたり、断続的な射出が続いていた。
「この半年にわたる射出って何なんだ?」
「何ですかね……特に引継には残っていないですね。まあ何かの試験射出だとは思いますが」
「射出先って分かるか? ちょっとしたミステリーみたいで、暇つぶしにもってこいだ」
野村が笑いながら言った。若者も笑う。
「野村さんも暇ですねえ。まあ、私も暇なんで、ちょっと射出データを漁ってみますか」
そう言うと、若者が机上端末で検索を始めた。しばらくすると若者が声を上げた。
「あ、こんなところにデータが残ってましたね。コピーの消し忘れみたいですね。どれどれ……へえ、行き先は全て火星みたいですよ」
「火星?」
「ええ。射出速度等を調整していて、2年前の半年間で射出した全てのコンテナ群が今年の3月に火星周辺に到着するようにしてますね。何かの実験だったのかな。それにしてはコンテナの量が多いですけどね」
野村が机上端末のデータに表示されたコンテナの積載量を見ると、おおむね、行方不明になっている重水素・ヘリウム3、軽水素と同じくらいの量だった。
「そうか、火星に送られていたのか」
「これって結構な量ですが、どれくらいのものなんですか?」
若者が野村に聞いた。
「そうだなあ……重水素とヘリウム3は、発電に使えば、火星の年間消費電力量の20年分ってとこかな」
「え、それって凄い量じゃないですか?」
若者が驚く。野村が笑った。
「そうなんだよ。まあ火星の人口は地球に比べてかなり少ないしな。船舶の燃料に使えばもっと早く使い切っちまうが……」
「それに、なぜか軽水素も当時の全量が払い出されている。推進剤に使えば、大船団が火星から地球へ全速力で行ける量だ」
野村は首を傾げた。
「何だってこんな量を送ったんだろうな。軽水素なんて火星にいくらでもあるだろうに……戦争でも始めるつもりか?」
「ははは、まさか」
若者が笑った。野村も笑う。
「はは、そうだな。よし、俺も過去のデータを漁ってみるか。いい暇つぶしになりそうだ。ありがとな」
そう言うと、野村は自室に戻り、自席の机上端末でデータを漁り始めた。
結局過去のデータは見つからなかったが、なんと前任が恋人に送ったラブレターの下書きが出てきた。
野村の興味は一気にラブレターの方へ向かい、試験射出の話はいつの間にか忘れてしまった。
続きは明日投稿予定です。