北京動乱編- 救援遅延
PCの修繕記念。本日2話投稿!!
そのために更新順番に変動が生じます。これまでの通り5の倍数更新を継続しますので
14日夜
「敵襲だ!!」
第2次救援隊である2000名は10日鉄道移動中に線路の破損を確認。翌日の11日朝より修繕に入ると同時に昼間先の線路の状態を調べる偵察に入った。
その状況は悲惨というに等しかった。数百メートル単位で破壊されている場所もある。
「玄人の仕事ではないな・・・」
後方でその状況を聞いた田中の発言である。鉄道線路を破壊するプロであれば線路の鋲を外して緩めておく。鉄道車両が走れば緩んだレールが外れて鉄道だけでなく走行中の車両は脱線する。これを線路に戻す時間まで時間がかかる上に対外的には整備不良で通る。
線路をはがすよりも簡単かつ効果は絶大・意図した攻撃でないことにもできる。そして素人が見ただけでは線路には異常がないようにも見える。偵察で鉄道線の破壊を察知しずらくなる。
悲惨な鉄道。そのすべてを修繕もしないといけないので足止め時間がかかることは確定した。そして修繕したその先も破壊されている。その結果、シーモア隊は遅々として前進できていない。
14日夜ついに義和団の襲撃がシーモア隊に襲い掛かった
「敵兵力・装備は!!」
「兵力不明・装備はおそらく刀剣類・マスケット現在応戦中。」
「この暗闇では狙いも付けられない。あちらが明かりなしでは闇雲に打ち返すだけになる・・・」
「ですがそうしなければ相手側が圧倒的に有利な状況です。」
「そうだな。まともに仕掛けているかそれとも歓声を上げているだけかもわからん。」
「ですが、歩哨のイタリア兵との連絡が取れません。おそらくは・・・」
「そうか・・・迎撃を急げ。半数は寝ておけな。われらの目的は北京救援。そのためには鉄道を直さねばならん。昼間の作業は重要だ。それに支障を出すなよ。」
「了解!!」
島村隊
島村隊合計600名〈入港艦からの海兵300名、日本からの警官隊など300名〉は3つの列車に分かれて出発した。いずれの車両も各艦から移設させたノルデンフェルトを3門有している。
2000名のシーモア隊ですら4つの列車で派遣された。島村隊は相当に多くの車両を持って移動した。それ相応の補給物資を積載している。
仮にシーモア隊に合流できた場合、補給物資を引き渡して引き返す運用をする兵站部隊としての活動をも目的にしていた。史実ではこの物資輸送にはシーモア隊の車両の一部を天津に取りに行かせた旨の記述が17日に密偵が北京に届けた15日付の手紙に記述がある。
交戦状態になればシーモア隊の弾薬はあっという間になくなることは目に見えていた。ゆえに他の列強の弾薬等の物資も搭載していた。
だが、うち1編成にはとある特別車両が接続されていた。飛行船の曳航や飛行船の燃料を輸送する車両だった。
「昨日〈14日〉襲撃があったらしい。」
島村隊は確実に接触できる通信手段でもあった。
「で、今回運ぶのがその仏さんなんだと」
だからこそ別のものも運ばされることもある。今回の場合、14日夜の襲撃で死んだ5名のイタリア人哨兵である。
「天津に連れて帰れば遺骨だけでも連れて帰られる可能性があるんだと。」
兵士たちはそう話す。
この時はまだ鉄道は無事だった。
「ジェリコー艦長!!いつ後方の鉄道が破壊されるかわかりません。前方の鉄道線も修繕中にその先が確実に破壊されている。到着にどれくらい時間がかかるか分かったものではありませんぞ!!」
田中義三はシーモア隊への合流に成功したとたん英国士官にかみついた。その窓口になったのはジョン・ラッシュワース・ジェリコー大佐だった。英中国艦隊旗艦戦艦センチュリオンの艦長だった。
彼はのちに第1次世界大戦中の英主力艦隊司令官として世界史でも有名な海戦に参加することになる。
「我々の目的は北京の救援だ。我々が引けば北京の民間人は全滅してしまう。北京の様子もわかっておらんのだ。」
「艦長。北京の様子を探るための手はありますよ。」
田中義三は親指で空を指さした。その先には飛行船があった。
14日 北京
北京は昼夜逆転の状況になっていた。夜間は義和団の襲撃による戦闘行為、日中は襲撃の心配性が少ないのでその間に公使館区の人間は兵士や人員を出して中国人キリスト教民の救助を行う。だがそれもあまり進まない。しっかり護衛をつけなければ襲われてしまう。
それでも逃げ出した次々と収容されていった。
史実では14日夜に起きる惨劇を契機に公使館区の人間が本格的に教民救助にあたる。このことより公使館区だけで増加する中国人を受け止めることが困難になっていた。そして英国の報道記者が柴五郎に掛け合ったことにより、柴五郎が中国人受け入れスペースの確保に動く。交渉の結果、公使館区1の大面積を誇る粛親王府〈女スパイ川島 芳子の実父愛新覚羅 善耆宅〉に収容した。
この世界では13日の衝突以前より、日本兵を含む多くが中国人教民の収容を行っていたのですでに開放されていたが。
14日夜の惨劇・・・それは史実では全く手出しできずにただただ見守ることしかできなかった事態であった。史実では13日の反撃で義和団には大きな被害がなかったので史実での直接的な原因は14日日中、南壁警護に当たっていたドイツ兵の暴発により多数の義和団が射殺されたことであろう。その復讐が南壁の南側・・・公使館区に聞こえるように行われた。
男性のものと思われる怒号、婦女子の悲鳴交じりの声。虐殺だ。
「縄梯子を下ろせ!!一人でも多く助けるんだ!!」
声を聴き、状況確認のため城壁に上がってきた柴五郎は先に襲撃を受けたとの報告があったベルギー大使館方面に安藤大尉を含めた義勇兵向かわせる命令 〈陸戦隊は昼間の教民護衛に動員していたので避けた〉を出したのちに南壁上で叫んだ。
その声は英語であったために南壁警護を担当していた米国兵がまっっ先に動いた。彼らもこの状況を何とかしたかったらしく、士官もその命令に追従した。
柴についてきていた公使館員がすぐに走る。他の箇所への増援要請だ。縄梯子や通常のはしご、ただの長い木の棒らしきものが到着すると城下に垂らされる。
中国人教民が救いを求めて上がってくる。ものによっては重みに耐えられず壊れる。
『ギャー』
城壁上の兵が叫ぶ。
「義和団の奴らも上がってくるぞ!!殺せ!!」
城下から人間を助けるということは城下から敵も上がってくるということだ。だが上にいるのも兵士。高低差の利、増援を含めた数の利ですくに殺される。
「紅巾が見え次第、殺せ。いざとなったら縄梯子を切り落とせ!!」
指揮官が叫ぶ。ここも見捨てる判断だがや無負えない。より多くの教民を救うには清国官兵で構成される城門警備兵を撃破もしくは説得〈脅?〉して不慣れな城外に出るしかない。だが1兵たりとも失えぬ籠城戦。ハイリスクハイリターンだった。
夜が明けて城壁外には惨劇の跡地が広がる。千を越える中国教民の遺骸があったという。
史実ではこのことがきっかけで教民救助が進むことになる。
半分本音はこの話の量が少なかったので2話投稿なんだけどね。




