北京動乱編-5 援軍入城
大沽
大沽は北京へ通ずる重要な港である。日本の京都を北京とするのであれば大阪に当たる重要都市天津の港湾部に相当する。
この港には義和団鎮圧に対する圧力をかけるために欧州各国は軍艦を入港させていた。特に英国はバーフラワー級戦艦などの強力な艦隊を配備して圧力をかけていた。日本は史実で唯一停泊していた乗員104名の砲艦愛宕から25名の兵士を抽出。北京に派遣した。だがこの世界ではさらに2隻が停泊していた。愛宕と同型の赤城と鳥海である。史実この2隻は義和団事件が本格化してから警戒活動に投入されていたが、この世界では史実以上に義和団の危険性などが理解されており、陸軍が袁世凱に肩入れしていたことが原因で義和団の動きを他の列強と比較し正確につかんでいたこと。ゆえに2隻が増派。北京動乱発生時点で大沽への入港が成功していた。
なお、愛宕と同等の2隻が派遣された原因はもともと愛宕が脅威度を他国より低く見せるために他国の艦よりも弱小の船であったこと。だからこそ同型艦を増派して外交的軋轢を生みにくいだろうという政治的判断のもとだった。
ゆえに乗員数も同数。そこから史実同様の割合で兵を抽出した。
結果、北京に派遣された救援隊は
イギリス82名、フランス78名、日本75名(史実25名)、アメリカ54名、ロシア51名、イタリア31名
以上5月31日北京入城
ドイツ、オーストリア=ハンガリー 合計84名
以上6月3日北京入城
合計455名(史実405名)
となった。
東京 1900年5月29日
「海軍から北京への救援部隊派遣ありがとうございます。増援艦の派遣から何から何までご迷惑おかけしています。山本大臣」
「いえ。陸軍からの正確な情報提供あってこそです。今後の予測などありますか?」
「ええ。海軍に助力をよく乞うている若手尉官が言うには動乱になるのであればこの1次派遣までが正念場。とのことです。敵は増援の北京入城を阻止すべく鉄道線・電信は破壊。北京は孤立無援になる。」
「その話は私も聞きました。こちらは常備艦隊司令長官経由ですが。こちらも事実上独断で曳航艦の出航を決めました。昼夜問わずの資材積み込みを命じています。明日には出航できることでしょう。」
「なるほど。各務原からも河川水運で名古屋港方面に物資輸送の手配をしているそうです。落ち合うのは名古屋港ということですね。」
「ええ。事前計画通りです。動乱にならなかった場合、運用実験という形で報道します。」
「とはいってもあの小僧の計画通りですか。」
「読みが激しすぎますか。まあ、読み外してもいいわけが付く方法を模索できているといったところでしょうか。」
「で、その当の本人はどうします?」
「予備役編入は先送りですね。その意味がないとのことですからね。」
北京 1900年5月31日
北京の外国人居留地は喧噪の中にある。救援部隊の来援である。外国人にとっては自分たちを守ってくれる味方が来てくれたのだから。
無論清国人や義和団員にとっては違う。また外国人どもに大きな顔をさせることになるのかという落胆や怒りの感情だ。
6月3日。遅れていた救援隊も北京に入る。その時点で鉄道輸送中の兵士…つまり鉄道線が破壊された場合、即応できる兵士がすべて消えた。
6月4日。再び鉄道線は襲撃される。今度は救援隊が使用した北京-天津間の鉄道だった。




