欧州奇行編-3 飛行船伯爵
オランダ ロッテルダム港
田中義三は船上の人となっていた。そこでこれまで書類地獄に自ら追い込んだことにより疲労困憊。自室で爆睡している。
船がオランダ ロッテルダム港に入って港を降りるときにも疲れが浮かんでいる。
「通訳のヘンドリックです。船着き場まで案内します。」
言語は英語だ。東洋人だが英語が話せる旨は英語で伝えてある。(チップとともに珍しい舶来品の日本酒を渡してご機嫌を取りつつ)
ロッテルダムに来たのは乗り継ぎのためだ。
ロッテルダムはライン川の河口に位置する都市だ。リエージュ方面のマース側およびそれと繋がれる運河網によりフランスセーヌ川系統の水運ルートにも接続がある。こういった河川水運と海上水運の荷役場所としての意味合いの強い河口都市である。
ここからはドイツ西部の主要都市に多く行ける。むしろ主要都市がこのライン川沿岸に作られたという方が正しいだろう。
だからドイツの港湾都市を経由するよりも最短距離でフリードリッヒスハーフェンに向かえる。
最も行きやすい方法はおそらく、ライン川を限界まで遡ってスイスのシャフハウゼンまで向かう。
このシャフハウゼンはライン川上流の急流に存在する都市である。ここで上流と下流の船の荷役を行うために作られた都市で、その上流側にはボーデン湖という湖があり、フリードリッヒスハーフェンはそのボーデン湖湖畔に存在するのでここも船で行けばいい。
だが彼自身は途中のドゥッセルドルフで下船する。船は遅い。時間が必要だし、協力者との合流もある。ここからは鉄道移動することになっている。鉄道のほうが早くフリードリッヒスハーフェンに到着できる。
「飛行船旅行助成会社の協力者のカール・バークです。商談もあるとか。」
ドゥッセルドルフで合流する協力者は案内人であると同時に交渉相手だ。田中が日本のために必要であると考えて手配しようとしているものの量産にはどうしてもその素材が必要だった。カール・バークはその提供をしている工場の持ち主だ。
「ハイ。一言でいえばアルミニウムの生産。それに対して協力してほしいのです。その用途は多岐にわたりますが、当面は日本でも飛行船を作りたい。」
田中はそういうがカール・バークは怪訝な表情を見せる。
「戦争のためか?」
問いに田中は肯定のために首を縦に振る
「軍人らしいな。」
田中の身分の一つにそう答える。
「戦争は技術を進めます。それに・・・ツッペリン伯の飛行船は資金援助すらつかないというお話ではないでしょうか?」
それは事実だった。ツッペリン飛行船は試作1号ともいえるLZ 1は史実1899年から1900年にかけて建造され、1900年7月2日初飛行した。
その後、LZ 1の買い手などはつかず、結果一時的に計画が数年凍結されるほど資金に陥った。
ここで年月を考えてみると、1899年3月ごろ。史実であればいまだLZ 1の建造が開始されているかすら怪しい時期だ。
だが、この世界ではツッペリンの建造はほぼ1.5年早まった。田中が提案したアドバルーンのライセンス生産の内、ドイツ内製造をツッペリンが引き受け、その利益分が研究費に投入されたためだ。この流れは山田たちに酷似している。なお、日本は政府との協議を踏まえ、ロシアにはアドバルーン製造を認めていない。そもそもそんな大きな市場は存在しないという国柄もあるが、次の戦争に備えてという観点も大きい。
ただし、完成品の輸出入は禁じておらず、距離もあり、ドイツはロシア向けのアドバルーン製造も担っていた。
だが、それも長くは続かない。単純に利益を求める企業は利益を圧縮して安値販売することもできるが、飛行船開発費分コストのかかるドイツ製は次第に価格に押されている。開発費を継続的に自前で供給できる状態ではない。
なお、日本はライセンス契約や一括売却で開発費用を手に入れていたのでそもそもあまり自前でアドバルーンの製造はしていない。そもそも製造能力に限界もあるのだが。
「まあ、飛行船については問題ない。公開飛行の時期も悪かったが、この国の要人は飛行船に見向きもせん。そろそろ倒産と解体が待っているだけの船だ。伯も文句は言うまい。日本に行くことは何を言うかはわからんがね。」
カール・バークは肩をすくめる
「だがアルミ精錬は問題だ。大量の電力がいる。」
「日本は水力発電にきわめて好適な国です。降水量は多く、標高は高いところが多い。高低差を利用しての発電は有効です。そして未開発ですので余剰はありすぎるほどです。」
「わかったよ・・・電力問題さえそちらで解決してくれるのなら協力はする。原料の輸入も協力する。まあ、もらうものはもらうがな。」
「しばらくは精錬されたアルミも各国から購入すると思います。よろしくお願いします。」
ドイツ フリードリッヒスハーフェン
フリードリッヒスハーフェンはライン川が流れ込むボーデン湖湖畔の都市である。このボーデン湖は現在ではオーストリア、ドイツ、スイスにまたがる国境の湖である。
この湖上が飛行船の実験場だ。
史実よりも1年半早いドイツ高官への飛行船のお目見えは失敗している。あとは会社の清算を考えるだけだった。
その中で彼は来た。世界の反対側に近い遠く日本から。
「田中義三と申します。ツッペリン伯。日本で研究を継続しませんか?」
単刀直入だった。それは渡りに船ではある。飛行船事業は倒産寸前だ。彼自身は元軍人。飛行船を軍事転用することに関して抵抗はなかった。
「実績なき兵器は評価されません。確実に起きる戦争が日本にはあるのです。実戦で戦果を示せばドイツ本国の方々も納得してくださるでしょう。」
止めはこの言葉だった。日本行きを了承。すぐにLZ-1の解体を開始。完了後すぐにライン川を下る。ロッテルダムで傭船した船に飛行船とアルミ精錬の関連機材、発電機などを積載、日本に向かうことになる。
日本でのアルミ精錬は1934年から。この時期のアルミ精錬開始は極めて速い。なお精錬方法自体は1886-87年ごろに確立されているので純度などを無視すれば国産化はできると判断いたしました。飛行船程度ならば多少純度が低くてもあまり問題はないかと・・・
まあ、作中アルミに関しては物資制限をかけまくる予定ですが。




