米西戦争編-6 地獄の入口
1898年7月1日
サンチャゴ港を東から攻めるとなると前哨陣地となる2つの丘がある。そのうちの一つがサン・フアン・ヒルである。現在の地図の上では市街地のほとりにあり、遊園地やホテル、動物園、史跡(この戦いの)などが所在する。
同日サン・フアン・ヒル北方エル カニーという地域でも野戦陣地への攻撃が行われることになる。
「熱気球…か。」
田中は空を見上げる。
「田中。気球なんだろ。あいつら自分で持っているのに何でお前が戦艦テキサスで教育に参加しなけりゃならんかったんだ?」
隣の荒木が聞いてくる。
「仕組みが違うからだね。あれは熱気球。あったかい空気が冷たい空気よりも軽いことを利用している気球で、僕が持ってきたのは水素気球。水素が空気よりも軽いことを利用している。」
説明している内容を付近にいる将校が聞いている。
「重要なのはあったかい空気よりも水素のほうが軽い。それにあったかい空気を作るために気球自体に燃料を積まないといけないからそれを持ち上げるために大きな気球が必要になってしまうんだよね。」
「つまり水素気球のほうが小さくて済むのか…」
「そ。陸上で運用する分にはそれでいいけど、船の上では空間を節約したいからね。それに熱気球の気嚢…あの袋は燃えやすい (耐熱布の性能が低い) から1回使用で使い物にならなくなる上に引火して墜落という可能性もある。予備をいくら積んでも間に合わんだろうし、墜落なんて最悪だ。」
荒木が考え事をしている。
「ま、水素も爆発して墜落死という可能性もあるけど。あと基本的に操縦だけ見れば熱気球のほうが楽だ。水素気球は基本的に離陸後の浮力増加が不可能(当時はガスボンベはあまり使用されていない)な例も多いからね。」
「お前だからあっちに行ってたのか。」
「半分正解だね。僕が持って行った気球には一応ガスホルダー(ガスボンベのこと) を用意したからそれによる上空での浮力補充の教育もあったからね。ま、圧が低いから気休め程度の容量しかないけど。」
そこまで言うと、砲声が聞こえてくる。
「砲声だ!!」
それに気が付いたのは砲兵将校の柴五郎だった。
「重いから高度を稼ぐことが困難。敵のそばで上げないといけない…だがそれは標的になることを意味する…それに偵察する場所は高所。より高さを必要とする」
田中がつぶやいた情報を聞くと情報からあまり口を開かなかった柴五郎が叫ぶ
「急ぎ離れるんだここにも着弾する可能性が高いぞ!!」
「では我々は隊に戻ります。」
「武運を祈る。生きて帰ってくるんだぞ。」
「保障…できないのが嫌なところです…派遣軍の頭があの無能ですから…」
エル カニー
「突撃だ!!このまま銃撃戦をしても埒があかん!!」
米兵が突撃を敢行する。いまだ黒色火薬を使用する単発ライフルのスプリングフィールドM1873を運用している部隊が多い(特に歩兵隊はその割合が多い。馬上での再装填を考慮して連発銃であるスプリングフィールドM1892は騎兵隊から優先配備されている場合が多い。)
そして最新の無煙火薬連発銃と最新砲で武装し、野戦築城の塹壕にこもって射撃をするスペイン軍。
明らかに射撃戦では不利だ。
だが、突撃は突撃で至難だ。第1次世界大戦の塹壕戦を見ればわかる。ここではその地獄が16年早く発現した。
それの結果は言うまでもない。死体の山だ。
「糞。マサチューセッツ州兵(正確には第2マサチューセッツ志願歩兵連隊)の連中を下がらせろ。旧式銃だけの編成の奴らは足手まといだ…」
幾たびかの突撃で死体の山を築いた新式銃を装備した兵士が突撃支援に回った以上、実際に突撃するのは旧式銃を持った兵士たちだ。当然、犠牲は彼らに集中する上に突撃に失敗して戻ってきて銃を捨ててしまっている。こんなポンコツいらないと判断した兵士も多い。そんな兵士たちの中で最も被害の酷い部隊を下げさせる。
「武器と無事な兵士を回収して部隊の再編成を急がせろ。伏せ撃ちの射撃戦で敵を削るしかないか…」
サン・フアン・ヒル
第1合衆国義勇騎兵(連)隊
セオドア=ルーズベルト大佐
「突撃しろ!!敵の射界の死角で態勢を整えてから再突撃だ!!将軍に伝えてくれ!!このままでは戦力は衰弱するぞ!!敵の失敗につけこむぞ!!」
遠征軍の指揮官であるウィリアム・ルーファス・シャフタ―少将がこの遠征軍の総指揮を執った理由は彼に政治的野心がなかったことに起因する。いや政治的野心を芽生えさせるだけの余裕がなかったというべきか。当時の彼は健康面での問題(痛風と肥満。体重は136kg越え)を抱え、年を取り(63)活躍しても先のない人間だった。
ゆえに前線になかなか出て来られない…ゆえに戦場の状況を把握しにくい。
さらに戦争経験は35年前の南北戦争とインディアンに対しての戦争と呼べる代物でないものだ。
さらに彼の経歴には後世から見れば傷がある。ヘンリー オシアン フリッパーという士官を不当に処断した。彼は米国初の黒人将校である。
「少佐!!そちらの上官は?」
ルーズベルト大佐は安全地帯…で隊を休ませると他部隊もそこで休みに来る。
「私以上のものはここにはおりません。生存しているかもわかりません。」
白人士官がいう。周りには黒人、白人問わず兵士がいる。装備もバラバラだ。
「大佐殿がここにいる中の最高位です。指揮をお願いします。」
指揮が取れるのは彼だけだった
「このまま釘付けにされていても戦力を消耗するだけだ…ここで息を整えて塹壕に突撃する。」
「大佐殿!!」
「速射性の高い連中は支援。他は突撃。先頭は私だ。」
「私も前に出ます。」
そこに声を上げるは田中だった。
「兵站担当の君は突撃する必要はないのだぞ。」
「この戦局…弾薬補充の余裕はありません。私の判断で輜重兵も前に出しました。」
「しかし君はレバーアックションを前線の兵に譲ったのではなかったか?」
「私は私物があるので大丈夫です。」
田中は背嚢を下す。背中から見慣れない銃を取り出して構える。同時に一部の輜重兵も背嚢を下す。
「皆、最後の弾薬補給です。支援をお願いします。」
輜重兵が銃弾を配ってゆく。
「銃を持っていない輜重兵は倒れた戦友の銃を拾え!!何もなくばナイフで相手をしてやれ!!」
輜重兵たちが持っている銃は前線に来るまでに拾った米兵の銃だ。無論新旧入り乱れている。それでも拾えなかった兵士はこの場で拾うことになる。
「止めても聞かなそうだな…」
「突撃する前に言ってくださいね。これで後方に信号を出します。荒木が見ていますので後方からも支援が来ます。」
「わかったよ…」
後方
「…生きて帰って来いよ…田中…」
双眼鏡で味方を睨む。そこで何かが複数回光る
「前線部隊が突撃を敢行する!!合図を出しますので支援攻撃をお願いします!!」
ルーズベルト
「突撃!!われに続け!!」
兵士たちは歓声を上げて走り出す。
「ガトリングだ!!ガトリング砲の音がするぞ!!」
「問題ない後方味方の支援攻撃だ!!」
兵士たちが走る。スペイン軍の応射で兵が斃れるが数は米軍が上回っている上に射撃数その少ない。連射可能な武器がないようだ。
更に支援攻撃で頭を上げられない兵士もいるようだ。
だが敵陣に近づけば近づくほど支援攻撃はできなくなる。その時に役立つのはより近い位置で支援しているラフ・ライダーズだ。速射性と狙い撃ちでスペイン兵は倒される。
兵たちが塹壕に飛び込む。ここからは肉弾戦だ。
塹壕内では長物は使いづらい。ゆえに案外スコップなどの鈍器が役に立つ。
だがこの時の塹壕戦はそんなものは用意されていなかった。双方ともに本格的な塹壕内格闘戦は経験不足だ。
「思ったよりも役に立つな。ショットガン」
田中は弾薬装填のために安全地帯に下がってつぶやく。
散弾銃…一度の多数の小弾丸をばらまく大口径銃である。戦場においては弾丸次第ではあるが最大射程50mだが主目的は多数の弾丸を一斉にばらまくことによる面制圧にある。それでも弾丸が小型であるために射程は短い。
だがそれが有効だった。小銃では一撃死を狙える部位は少なく、さらに接近した状況。そして歩兵が携行可能な小銃クラスのサイズで半自動装填(引き金を引くだけで発射→再装填が行われる)を実現した銃がない時代である。命中しない場合や急所を外した場合、反撃される可能性が高い。
その装填時間を嫌い、一撃したのちにはほぼ確実に身をさらす銃剣突撃に移行する。銃弾の装填は敵を倒し、安全の確保ができてからだ。
だが散弾銃は面制圧だ。一度に発射された複数の銃弾の内1発が急所に当たれば十分である。
さらにここに持ち込んだ散弾銃は最新のポンプアクション(ボルトアクションよりも装填が早い)方式のウィンチェスターM1897だった。
「すまないが装填に協力してくれ。」
ついてきた兵士に弾薬ベルトと散弾銃を渡すと、彼は見様見真似で弾薬を装填する。彼とともに来た兵士の所属はバラバラな臨時編成だったがうち一人はたまたま第1合衆国義勇騎兵(連)隊の輜重兵だったために装填方法のレクチャーを受けていた。
「その調子だ。そこの穴から5発装填して」
その間に拳銃を取り出す。拳銃はモーゼルC96 1896年末生産開始の半自動小銃である。特許回避のために銃の持ち手に弾丸を格納するのではなく、標準的なボルトアクションライフルと似たようにクリップ装填する。当時は製造技術の観点から着脱式弾倉 は戦場という過酷な状況で使用すると変形などのリスクが高かったことを考慮するとある意味妥当な選択肢でもある。
更には小柄な日本人は手が小さく、弾薬の詰まった太い持ち手の半自動拳銃が使いにくいこともましな要因ではあろう。
ただしこの当時、持ち手に弾薬が入っている自動拳銃は完成形までの開発が完了しておらず、持ち込めなかったという一面も大きい。
しばらくして米国軍側からの再び歓声が上がり始める。
「第2次突撃!!開始!!大佐に続け!!」
支援攻撃を完遂した第1合衆国義勇騎兵(連)隊の突撃だった。
塹壕内に入られた米兵の対処にスペイン兵の労力が取られている以上、応射は少ないと判断したようだ。実際少なく突撃する。
塹壕内で白兵戦をしている疲れた部隊に新兵力が投入されると拮抗していた塹壕戦は一気に米国有利に傾いた。
結局、その丘は落ちた。だがその丘はサンファン・ヒルの隣の丘である。だが2つの丘は双方支援し合って防衛するものであるのでサンファン・ヒルの防衛力は低下した。
それでもスペイン軍は携行弾薬が欠乏するまで戦い続けた。それは北のエル カニーも同様だった。
結局、米軍はスペイン軍の16倍の兵力を有しながら5倍近い死傷者を出した。
だが戦略的目標である要所の占領に成功したゆえに大損害を受けても勝利と言われるのだった。




