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米西戦争編-4 上陸と戦病

 ついに!!この戦争で縁を結ぶ人物が判明します!!(うち一人)

 6月22日 キューバ 

 サンチャゴ港東南東約22㎞ ダイキリ村 

 米陸軍はサンチャゴ港に逃げ込んだスペイン艦隊を撃破するために陸上からの攻撃を行う必要があった。故に陸上部隊を派遣した。第5軍団遠征軍総数2万5千のうち約7割1万6000が第1陣だった。全軍が輸送できないのは輸送能力の不足が原因だった。

 しかも騎兵部隊はでもできるだけ多くの兵士を送り込むために軍馬の輸送を制限、歩兵部隊としての活動を余儀なくされた。

 その騎兵隊の有名株である第1合衆国義勇騎兵(連)隊 (ラフ・ライダーズ)も歩兵だった彼らはこの戦争に合わせて募集された志願兵だけで編成されていた。募集人数の10倍以上集まった内、訓練中の負傷・戦病・練度・輸送力不足で2~3割の脱落者を生んだ。

 その志願者の中には元海軍次官セオドアルーズベルトの名もあった。しかしこの世界ではさらに2人

田中義三・荒木貞夫の名前があった。

「田中――こっちは大変だったんだぞ――」

 荒木貞夫は第1派の数時間遅れて上陸してきた田中義三と柴五郎少佐に挨拶をすると田中に愚痴る。彼らは米艦隊に気球運用に対しての教練という名目で旧式戦艦テキサスに乗艦していた。ゆえに本体とは別に上陸した。2人は気球の運用についてすべてを米海軍水兵に投げてきた。

 田中義三と荒木貞夫は極めて異例な流れで第1合衆国義勇騎兵(連)隊 (ラフ・ライダーズ)の現場部隊への配属が認められた。通常他国の戦争に観戦武官として見学するという状況であるはずなのに彼らは参加しているのだ。

 参加が認められた原因は兵站。第1合衆国義勇騎兵(連)隊 (ラフ・ライダーズ)には兵站に関しての専門家がいなさ過ぎた。特に田中は日清戦争では兵站の現場にいた人間だ。荒木も士官学校で最低限の教育は受けている。志願兵も元退役軍人以外では兵站を任せられる人間がいない。

 これは他方面でも影響があっただろう。最新鋭の医療物資など退役軍人は知らない。ゆえに他部隊よりも傷病による犠牲者が多かった可能性は十分ある。後世、第1合衆国義勇騎兵(連)隊 (ラフ・ライダーズ)の活動についてセオドアルーズベルトは戦死者よりも戦病死が多い(それが普通だが)ことをわざわざ語ったほどだ。

「なんだよ。指南書は置いてあっただろ。」

「だけどよ、周りは俺が兵站の練達者と思って話してくるんだぜ。」

 本当に口が砕けている。

「仲がよさそうだが、邪魔になっておるぞ。」

 柴五郎はたしなめる。

「失礼しました。」

 柴五郎はたしなめるだけで終わる。士官学校時代のことはすでに自己紹介の際に聞いている。田中の理解者がいなさ過ぎて理解者になりかけの荒木とは仲が良すぎることを理解している。

「それにしても指南書内容多すぎだぞ。とっさに書いたもんじゃねぇだろ。お前まさか読んでいたのか?太平洋の海の上で書いていたんじゃねぇか?」

 歩きながら第1合衆国義勇騎兵(連)隊 (ラフ・ライダーズ)の建屋 (徴用)に入る最後の発言はそれだった。3人は挨拶をして連隊司令部建屋に入る。

「田中義三少尉。ただいま着任いたしました。」

 挨拶の対象はレナード・ウッド大佐。第1合衆国義勇騎兵(連)隊 (ラフ・ライダーズ) の連隊長。隣にいるのはセオドアルーズベルト中佐。隊の創設にもかかわった次席指揮官である。

「君の着任を歓迎する。君には着任前から多くの兵が助けられた。君がいてくれたらと思ったが、気球の使い方を知るのが君しかいないのであれば仕方がない。」

 どうやら歓迎しているようだ。

 田中義三はアメリカにつき次第、旧式戦艦テネシーに搭載された気球の訓練を柴五郎と共に指揮した。そのために当の本人の提案である2名の若手尉官を第1合衆国義勇騎兵(連)隊 (ラフ・ライダーズ)参加させることは遅れた。

 先に着任できた荒木は田中に渡された指南書をもとに補給の差配をした。それと同時に戦病の治療に当たった。マラリアの本を読ませたがために素人よりは役には立った上に資料は軍医に回し読みされた。更には日本から持ち込んだ物資の蚊取線香が威力を発揮する。(もともと第1合衆国義勇騎兵(連)隊 (ラフ・ライダーズ)の訓練地である米南部ではマラリアの有病地が存在した。) マラリアの蚊による媒介が1897年に英国軍医ロナルド・ロスによって実証されたことから蚊の駆除が実施されたのだ。蚊取線香はその代表格だった。

 さらに高価なマラリア治療薬キニーネの調達に資金を多少提供(気球製作所からの餞別)、苦いキニーネを吐き出してしまう患者向けにゼラチンカプセル(1846年には現在のカプセルの原型が開発されている。こちらは米国で商品を探してもらった) も調達した。

 その影響で史実よりも助かる患者が増えていた。治療期間分訓練が不足しているので大半の兵士が練度不足として本国残留組にはなっているが。

「私の友人が資料集めしてくれていたので私の成果だけではありませんし、かつての上官がマラリアで亡くなっていなければ私は調べることすら考えなかったでしょう。」

「そうか…ならばその友人と上官に感謝するか。」

「まあ、当時下士官だった私にとってその上官は雲の上の存在である師団長でしたが…雲の上に行かれましたが。」

 冗談を言ったつもりだが滑ったらしい。笑っていい内容ではない人の死である。その場が凍る。

「そうだな…感謝するしかない。頼むぞ。」


 柴五郎

 柴五郎は史実でも米西戦争の観戦武官に派遣された人物であり、第1合衆国義勇騎兵(連)隊 (ラフ・ライダーズ)の参加が認められた2名と違い。派遣軍全体を見学する役目がある。ゆえに彼は他の観戦武官と共にいる。でもそこでも彼は浮いた。彼がすでに米国に戦果を与え、その代価に様々な情報を得ていた。それは他国にもう一つの戦争に対して一歩先んじていることに等しい。

 だがそれ以上に他国の観戦武官は見学の機会を捨てていた。現地のあまりにもひどい環境に多くの観戦武官が米本土に帰還した。

 今回の第1次上陸には現地を見て帰還する人間もいる。無論、危険を口実に第1次上陸作戦に参加していない人間もいる。

 日本も次の戦争を控えている。その点では戦争前のアメリカと同じ。準備を怠ることはできなかった。


 交渉過程ではメイン号爆沈では日本人も犠牲になっていますのでそれがある意味口実に使われています。

 ちなみに雲の上に行ってしまった上官はかつての近衛師団長。皇族軍人 北白川宮能久親王 のtことである。田中が士官学校入学のために台湾を離れてからマラリアに罹患病死している。

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