米西戦争編-3 閉塞と逃走
米西戦争初の大規模な戦闘はフィリピンで行われた海戦である。1898年5月1日に発生したこの戦いはマニラ湾海戦と呼ばれるこの戦いは米艦隊の完勝であった。米国には死人すら出ていない。
マニラ湾防衛においての重要拠点は太平洋戦争時代にも要塞があったコレヒドール島である。4月30日深夜。この要塞を迂回しながら米艦隊はマニラ湾への侵入に成功。明け方に停泊中のスペイン艦隊を襲撃すべく動く。
だが、スペイン側もその動きを察知していた。いや読んでいたというべきか。スペイン側の指揮官は自軍の戦力が劣っていることを理解しつつも先手を打つべく動く。朝の5時15分ごろスペイン側は陸上から砲撃を開始する。だが砲は旧式、練度不足から脅威にはならない。
だからこそ米艦隊はすぐに反撃をしない。有効射程に入り「準備ができし次第砲撃を開始」した。
その距離5400ヤード。およそ5000mといったところだ。そのまま艦隊の停泊地に向かっても砲撃を敢行。
その時点で勝敗は決まっていた。一方的な蹂躙だ。木造の旧式艦すら混じるスペイン艦隊に勝ち目はない。
午前11時ごろにはスペイン艦隊は撃沈もしくは自沈で全艦が沈没していた。
米主力艦隊 観戦武官搭乗船 運送船セグランサ
「米国にとって最悪ではないが最良ではない。そしてその状況は米艦隊が生み出したものではない。」
秋山真之は海上における戦局を評価した。
米艦隊は開戦以来、艦隊を二分してスペイン艦隊を探していた。米艦隊の編成は戦艦3、旧式戦艦1、装甲巡洋艦2だった。もう1隻の戦艦オレゴンは太平洋から回航中であり、まだ戦場海域への到着はしていない。戦艦4、装甲巡洋艦2を均等に分ければ戦艦2、装甲巡洋艦1。双方に交戦の意思があれば米艦隊は装甲巡洋艦4隻で編成されるスペイン艦隊に互角以上の戦いができるだろう。
スペイン艦隊に損傷を与えて戦中の戦線復帰を困難にさせる。それができれば最良だ。
だがスペイン艦隊はこの哨戒に見つかっても問題ない。スペイン艦隊は米国艦に勝る唯一の性能である速力を生かし逃げればよかった。ゆえに接敵しても交戦状態になるとは限らず、米艦隊は戦力以上にスペイン艦隊を警戒した。これについて資料によっては過大評価を表現しているものもあるが、作者はそうは思わない。追跡を逃れているうちにキューバに向かう輸送船を襲撃して米国を疲弊させる。という戦略をとることもできた。それが最悪だ。
そして、何もしなければ後者になる可能性が高い。
そして、現場指揮官はスペインの方が優秀だった。上記のことを理解していたのだ。だからこそ哨戒を大きく迂回した。これで哨戒の行われている海域を脱した。
その状況を米国有利も持ち込ませる状況になったのはスペイン本国の無能さだった。スペインの艦隊をキューバの要塞港サンチャゴに入港、待機命令を出したのだ。
現場指揮官の迂回行為は本国からの命令を守るための行動だった。ゆえに米艦隊は要塞港サンチャゴへスペイン艦隊が逃げ込むことを防げなかった。
これはキューバを見捨てないという意思を示すために本国が命じたことであったがそれはのちの歴史を考えると皮肉でしかないだろう。
だがそれはアメリカ艦隊にとってはある意味好機だった。サンチャゴに入港したことは各種情報網からアメリカに伝わった。独立派のスパイは無論、キューバ見捨てないという砲艦外交的な効果を狙っていたのであれば新聞報道をしないわけにはいかない。サンチャゴへの入港をアメリカに隠匿することはできない。アメリカ艦隊は急行。サンチャゴ港からスペイン艦隊が出られないように布陣した。
スペイン艦隊による輸送船の襲撃の可能性はこれで無くなった。陸軍は安全にキューバに陸軍を送り込める。少なくとも当面は。
だが、少なくとも艦隊の半数は常にサンチャゴ港に張り付ける必要が出た。
6月3日
その日戦史に刻まれる異様な作戦が決行された。閉塞作戦である。
投入されたのは老朽・故障気味の給炭船メリマック。
作戦そのものは失敗した。閉塞には湾口に対して横向きで沈む必要があったが、防衛側の砲撃により操舵機構を故障させられたことにより湾口に平行に沈没した。スペイン艦隊は通常よりも時間がかかるが、出航できないわけではなかった。
6月6日
米艦隊は手持ちの艦隊を総動員しての砲撃を敢行した。史実でも行われたこの砲撃で投じられた弾数は2000発以上。
使用されたのが射程のある各艦の主砲級の砲撃と仮定するのであればわかりやすい。第2次世界大戦期の戦艦の主砲弾は1門あたり100~120発を搭載し、100発ほど射撃すれば砲身の内部が削れ、命中精度に影響を及ぼすので砲身内部を取り換える必要があった。更に残弾ゼロで帰還することは追撃を受けた時に抵抗できないことを意味するので通常少なくとも1~2割の砲弾を残す。120発ならおそらく20発ほどを残して帰還するだろう。
この時代も同様であると仮定すれば2000発は20門の砲撃に相当する。当時の主力艦のほとんどは2基の主砲塔を搭載している。そしてその多くが連装砲。各艦4門の砲を有する。当時、遠く太平洋から回航した戦艦オレゴンは到着してすぐのために整備や休息を必要としたので砲撃に投入できる艦は戦艦3、旧式戦艦1、装甲巡洋艦2隻。
このうち旧式戦艦の主砲は単装2基2門。装甲巡洋艦1隻は連装・単装各2基の6門ただし、舷側に向けられる門数は5門。もう1隻は連装4基舷側6門
主砲級の砲は28門だ。サンチャゴ港の閉鎖を考えれば100発全てを使用することは交戦能力の喪失に近いので避けたい。2000発というのは各門71~72発を射撃したことになる。手持ちの艦隊では総力戦に等しい砲撃だった。
だが史実、この砲撃はあまり効果がなかった。せいぜいスペイン側に物資の豊富さを示す効果があっただけだ。それもそのはず照準射撃はできなかった。距離、地形を考慮しても見込みで砲撃するしかなかった。
だがこの世界では違った。砲撃観測に必要なものが旧式戦艦テキサス後部甲板に持ち込まれていた。観測気球だ。それを指揮したのは英国駐在武官で、急遽観戦武官として派遣された柴五郎少佐と田中義三少尉だった。彼らは米将兵を指導しながら気球を指揮した。名目上の指揮官はいたが経験がないので事実上の指揮を執ったのは彼らだ。
これに伴い砲撃方法も見直された。主導は秋山真之。曰く『着弾観測能力から全艦一斉射撃は困難。交代での射撃なら可能。砲弾の無駄撃ちは避けるべき。』
というのもだった。ゆえに射撃は史実を超える熾烈なものとなった。
目標は要塞砲及び湾内の補給設備など。特に湾口のサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は狙われた。後年、修復できる程度の荒廃具合だったために修復されて世界遺産として登録される古城はこの世界ではほぼ完全なる破壊を見た。それは同時に第2の閉塞作戦が行われれば砲撃による妨害があまりできない状況になるのと同義であった。
6月22日 サンチャゴ攻略のために米陸軍部隊が上陸。7月1日にはサンチャゴ要塞外郭陣地まで進出。
そして7月3日サンチャゴのスペイン艦隊は信じられないような行動をする。サンチャゴからの脱出だった。本国からの脱出命令だ。妥当ではあるが遅すぎた。だが既にサンチャゴ要塞が陥落寸前であればせめて艦隊だけでも生かすことは妥当だ。
それは同時に植民地キューバを見捨てるという判断と同じだった。むしろ、米国はそのように世論を先導するだろう。
そしてそれはスペインにとって最悪の状況を生んだ。結果から言えばスペイン艦隊は全滅した。史実では文字通り。この世界では事実上である。
スペイン艦隊は脱出命令を受けてから脱出の機会をうかがっていた。足の速い装甲巡洋艦だけで編成されるスペイン艦隊は米艦隊のほとんどを振り切る自信があった。ただし米艦隊にも足の速い2隻の装甲巡洋艦は存在した。この2隻をどうにかしないと逃げ切れない。
だがうち1隻は問題ない。艦隊は砲撃を定期的に行っていることと長期の作戦からローテーションで補給に入っている。装甲巡洋艦1隻が補給のために封鎖艦隊から離れている間に脱出作戦を決行すれば脅威は装甲巡洋艦1隻。あとは脱出さえすれば問題ない。振り切れる。
しかし、史実スペイン艦隊には2つ、この世界では3つ齟齬が発生した。
1つ目は海兵を陸戦に投入していたことによる海兵の収容遅れ、2つ目は閉塞船メリマック号が湾口を狭めており、出航に際して時間を消費したうえに陣形の乱れ(各艦の艦列が伸びた) により各個撃破を生じさせてしまったこと。これらは本来、前日の夜陰に紛れて逃走する予定が白昼堂々の強行突破になってしまったという戦術的な失敗を生んだ。
だがこの世界には3つ目の齟齬が存在した。旧式戦艦テキサスに搭載された気球による空中観測だ。
先の2つの齟齬により生じた齟齬はスペイン艦隊を死地に送り込み、史実では生還できた艦は存在しなかった。しかし、3つ目の齟齬は結果的にスペイン艦隊…いやスペイン将兵を救うことになる。
気球の観測により史実よりも圧倒的に早くスペイン艦隊脱出の情報を知った米艦隊は観戦武官の進言により戦い方を変えたのだ。ある一点に集中砲火を浴びせるため艦隊を動かし、その時を待った。
そして気球がスペイン艦隊を監視。キルゾーンに入り次第、米艦隊の主砲は一斉に火を噴いた。指定されたキルゾーン。それは閉塞船メリマック号の前方。目標はスペイン艦隊先頭艦インファンタ・マリア・テレサだった。次々と降り注いだ主砲弾は同艦に大規模な火災をもたらした。
乗員の多くが火に飲まれた。操舵艦橋に直撃を食らい、操舵手が舵を面舵に切りながら斃れる
メリマック号の左舷側を通過しようとしていた時にそれが起きた。すぐに艦首が座礁。艦首が止まったので艦尾は艦首を支点として回るように旋回。艦尾がメリマック号に接触してようやく止まる。そしてその場で停止してしまった。
艦首は座礁、後部が旋回していた衝撃で裂け、そこから大規模な浸水が拡大してその浅い湾口部に着底してしまった。艦のほとんどが水面上に姿があるのでそこがすでに航路ではないのは明らかだ。
サンチャゴ港の湾口はさらに狭まった。スペイン艦隊は自分で自分たちを閉じ込める形になった。さらに進めば集中砲火が待っている。これでは脱出は無理だった。それは米国もわかっている。ゆえに砲撃を停止している。
スペイン艦隊の脱出作戦は中止された。艦隊は旋回させるだけのスペースもないので機関を逆進。そのまま湾内に戻っていった。ほぼ完全に閉塞された(閉じ込められた)艦隊は艦隊としての意味をなさなかった。ただ浮いているだけの棺桶とさほど変わらない。これは事実上の全滅といっても過言ではなかった。




