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士官学校編-3 飛行船の日

 ちなみに作者…友達のいる学生生活というものがよくわからないので学生時代の話は上手く書けません。なので一気に時代が進みます。

 なぜわからないかって?それはすごく暗い過去があるのです…教員からのいじめで小6以前の記憶がほとんど消し飛んでいたり…

 ということでお許しくださいお許しください。


1896年9月8日 士官学校

 田中義三が士官学校へ入学してからおよそ1年が経過した。田中は優秀とは言えなかった。得意分野が偏りすぎていたためであるが、一部教官からは士官学校の教育では測れないと評された。科目以外の部分では優秀さを示したためである。ただし、不得意科目も呼び出しをギリギリ食らわない程度の成績だった。

 卒業まで残り2カ月彼は士官学校の校舎の屋根の上から空を見ていた。講義はサボっている。

「田中。そろそろ下りたらどうだ⁉教官にどやされるぞ!!」

 下からは講義が終わって様子を見に来た荒木貞夫が声をかける。だが田中はそれに気が付く様子はない

「田中!!」

 何度も声をかけても返事をしないことにしびれを切らしてはしごを使って上がってくる。

「見てみろよ。ようやくこの日が来たんだ。」

 士官学校は丘の上にあるので遠くまで見える。当時は高層建築がないので遠くまで見える。

「望遠鏡なんてどこから持ってきたんだ?」

 荒木が肩に手を添えてようやく田中は返事をする。

「研究費で買った備品。」

 いわゆる予算流用に近い。

「そんなもの持ち出していいのか?」

 荒木は驚きの声を上げる。だが田中は冷静だ。

「研究のためにどちらにしても必要だったから購入したんだ。だけどまだ使わないから貸してもらった。」

 なんだかんだ喧嘩した仲。ある程度相手の思考が読める。

「早めに買ってもらったのだな。」

 荒木は顔を顰める。だが、田中が昨晩話していたことを思い出す。

「自走気球の初飛行日だったか?」

 にこにこしながら聞いてくる。

「そうだ。まだ係留索を外した様子は見えないが組み立て完了後の気球は見える。」

 双眼鏡を覗きながら応答する。

 史実において山田猪三郎の飛行船は1910年9月8日に初飛行したがこの世界では14年早まっている。

 山田猪三郎の名が表に出たのは防諜のためである平壌で戦死した初代の遺児である二代目島津源蔵がかかわれば注目されすぎる。注目されれば計画の真の目的が露見されかねない。それならば二宮の名前でいいと考えるが当の二宮はとある事情から飛行船で自分の名前が出るのを拒否した。

消去法で山田猪三郎の名が飛行船の開発者として名を残すことになる。実際、彼は民需用の気球に関しての商売をすることになっているのでここで名前が出るのは宣伝の意味としても絶大だった。

「貸せ。」

 荒木が望遠鏡を奪う

「壊すなよ」

 下手に抵抗すれば望遠鏡が壊れる恐れがあるからほどほどに抵抗して明け渡す。

「見えるな確かに。でっかい袋みたいなやつがある。

 で、お前何をしたんだ?」

「何ってただ情報協力をしただけだよ。特に動力関連の購入には一肌脱ぎました。」


 彼のやったことは極めて多岐にわたった。どちらかというと軍人ではなく商人に近かったともいえる。


当時の主要動力は蒸気レシプロ機関だった。のちに艦艇に採用される蒸気タービンは日清戦争後の時期から民間での運用が始まってきたものでこの時代は黎明期に近い。この2種類が蒸気機関の種類ともいえる。その違いは蒸気を生み出すまでは同じ。その蒸気のエネルギーをどうやって取り出すかということになる。

 蒸気レシプロ機関はガソリンエンジンで燃焼させるシリンダーへ高圧蒸気を注入、放出を繰り返すことでピストンを動かす。あとはガソリンエンジンと同じ方法で回転エネルギーを取り出す。

 蒸気タービン機関は高圧蒸気をタービンに直接当てて風車を回すように回転エネルギーを取り出す。

 だが同時期にはガソリンエンジンの開発もできていた。こちらも利用に関しては黎明期と言える状況だった。

 だが、その未来を示す出来事は日清戦争直前と最中の欧州で発生していた。

 世界で初めてといえる自動車のレースが行われた。1894年7月25日(日清戦争の開戦は22日) に行われたレースでは2,4着だった車両はガソリンエンジンだった。

 そのレースでは1,3着だった車両が蒸気機関だったが所詮は蒸気機関。操縦手と石炭の給炭係が必要だった。それを口実にガソリンエンジンの普及を目指す人間に2人乗りの蒸気機関自動車は失格扱いになった。

田中はそれを知らなかった。(前世の本人は自動車オタではないので通常は知らん) だが、常識論として蒸気機関車が2人で操作しており、なおかつ扱いにくいということは知っており、自動車の便利さを知っていた。

 ゆえに蒸気機関の搭載を拒んだ。蒸気機関の扱いに2人の人員を割くことは飛行船の重量増加を生じさせるので無理だと。1人で扱える機関を搭載すべきと。

 皮肉にも自動車レースと同じ結論を出していた。

 理由を説明すると二宮は賛成票を投じた。そして二宮はガソリンエンジンを提案した。従軍中にガソリン動力のオートバイについての新聞記事を見ていた。一人で扱えることを上げて結果、ガソリンエンジンの採用が決まった。

 そして恩賜金100円ではガソリンエンジンの購入には不足だった。ゆえに軍や銀行関連に協力を要請した。だがその協力は尋常ではなかった。

 各国への特許申請や各国の企業情報の収集・その他交渉事への協力などだった。

 当初、誰もその意味を理解していなかった。だが、その動きを理解したものは感心した。銀行は不足分の資金を当面、融資してくれることになる。

 一言で言うなら不足分の資金を気球で稼いだのだ。いくら気球があったとしても売れなければ意味がない。山田猪三郎の気球製作所が今後の利益を享受できるきっかけが必要だったということもあった。彼が行ったものは現代でいうアドバルーンの開発だった。気球の民間利用の一例としての策だったがこれが上手くはまった。史実においてもアドバルーンは実は日本の発明品である。

更にこれを世界に認知させるために利用した出来事が1897年5月10日から行われたブリュッセル万国博覧会だった。これに出品したのだ。

 そしてこれも田中の策。特許申請と各国の企業へエリアごとに分けたアドバルーンの独占販売権の売却(交渉は銀行の担当) だった。この時の利益は融資金額を軽く上回った。これによる販売益を飛行船の開発に振り向けた。これを見て銀行の上層部が引き抜きを画策したほどだったという。

「これが成功するかどうかに今後の気球開発に予算が付くか決まる。位置が位置だから要人の方々もご覧になられる。」

「お前は金策が上手いな。あれをほとんど無一文からたった1年で作り出したとは思えん。」

 なお、史実においてアドバルーンの存在が有名になった出来事が荒木とかかわりのある2-26事件であったことは皮肉である。


 東京市 大崎 山田猪三郎

「まさかここまで大きくなるとはな…」

 山田寅次郎はここ1年での変化…特にここ半年での動きにはまいっていた。

 山田猪三郎は飛行船開発に際してエンジンの調達とブリュッセル万国博覧会への出席のために欧州に行った。その過程が恐ろしくなった。特に田中が恐ろしかった。かかわって1年で気球での商売を確実に軌道の載せたのだ。商売人としての才能は驚きを禁じ得ない。エンジンの調達に関しては『ガソリンエンジンの使用法の研究』を名目とした。別に間違っていない。ただ想像の斜め上…いや想像の直上(飛行船は空にいるから) を行っただけのことだ。

 だがブリュッセル万国博覧会に際しての交渉は驚きだった。初日から群衆ができた。商人たちはそれが宣伝に使えることを瞬時に理解して同じものを求めた。そしてこれの製造権の販売と独占権の販売が行われると知ると商談の嵐になる。

 当人は飛行船の開発のために初日だけ出席して帰国の途に就いた。だが帰還中の寄港地で知らされる電報は心臓に悪かった。現地に残った交渉担当の銀行員が成立させた商談による成果が知らされてゆくのだから。

 気球の製作拠点の新設もめどがついた。大型になればなるほど東京は狭い。東京は民需・軍需用の気球生産が主体になるだろう。

 飛行船は新拠点だ。新拠点の費用もアドバルーンの売却益から出した。

「機関始動。」

 たった一基のエンジンが後方のプロペラを回し始める。

「体重を後ろにかけろ!!」

 小型且つエンジンが低出力であるために前後のバランスを乗員自身の前後させて操作する。昇降舵は役に立たない。当然、左右の方向舵はほとんど役に立たない。多少大きなものだったために昇降舵よりは役に立つ代物だったが。実質はただひたすらまっすぐ飛行するしかできない代物だった。だが後方を若干下げた状態で加速すれば若干高度を上げることができる。

「方向ヨシ。風向きヨシ。係留索を離せ!!飛べ!!」

 地上を指揮している石黒が叫ぶ。

 この日飛行船はただまっすぐ飛行するだけだったが、日本で初めて飛行船が空を飛ぶ日となった。


 アドバルーンの商談に銀行を絡ませたのは自分が仕入れる商品で、粗悪品を掴みたいと思う人間は居ない。という心理を利用したものである。銀行にとって融資は仕入れに等しい。その融資が焦げ付き、粗悪品になることは避けたいだろうから。融資を焦げ付かせないように行員たちは全力をもって商談することになるという事情がある。まあ、気球製作所に商談を任せられる余裕がなかったという一面もある。

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[良い点] は?何処まで事実かわからんが、くそ教師は晒して教育機関から消えていただかんとならんでしょ。いちゃいけない
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