日清戦争後 -05 台北の安全
6月6日(午前深夜) 辜 顕栄
「まずい…まずい…」
台北を拠点に商売をしている商人である辜 顕栄は馬車を走らせている。馬車は本来荷馬車だったがその荷台には複数の人間が乗っている。男女老若男女問わない。家族関係がある人間も多いようだ。幼い子は母親と思われる女性と共にいる。その後ろにも同様の荷馬車だ。
その馬車は何から逃げるようだった。
基隆 台湾総督樺山資紀
「田中君。確か君が海軍の出動を提案したのだったな。」
樺山資紀は機嫌がよかった。
「はい。朗報ですか?」
「ああ。巡洋艦『筑紫』が台湾民主国の頭目唐 景崧を捕縛した。何しろ大金を持っていたそうだ。おそらくは公金。」
「あー頭目逃げたんですね。ま、これで敵軍への情報戦が有利になりますね。『てめえらの上は不利になれば給料もって逃げ出す』と流すだけで台湾軍の連中は士気がガタ落ちするでしょうから。これで降伏を誘いやすくなることでしょう。」
田中義三はにこにこしながら答える。だがそれを打ち破るのが駆け込んでくる伝令兵。
「台北からの脱出民です。遁走する台湾軍。台北にて大規模な略奪行為が行われた模様です。」
「総督…降伏を認めるわけにはいかなくなってしまいましたね…。とりあえず北京には知らせるべきですね。完全に賠償金上乗せですね。」
田中はあきれ顔で樺山に一言いうしかなかった。
清朝 首都 北京
「なんとも情けないことですね。指導者たる人間が公金を横領して逃げ出すとは…情けないことですな。」
林董が会議では笑っている。かなり煽っている。
だが事実である。
「しかも清朝の役人だったとは…我が国は意図された反乱であると判断いたします。」
と続ける
「彼は召喚命令に背いた人間であります。我が国とは関係はすでにありません。反乱はわが国とは無関係です。」
「今回の召喚命令は重要な事態です。召喚命令に背いたのであれば召喚命令を逮捕してでも守らせる必要があるのにそれを怠った。逮捕をしなかったというのは明らかな非であります。それに伴い日本は大きな被害を受け、現時点も拡大中である。」
会議は平行線をたどる。そして会議は本来の目的である遼東半島の話題に至る。
「そもそも現時点で遼東半島からの撤兵ができないのは台湾での反乱が原因である。台湾問題が解決しない限り撤退は応じられない。」
というのが日本と林董の主張であった。
その会議の終盤台湾の基隆からの連絡が入る。
「本当に情けない。貴国が台湾をまともに統治できず、役人を統制できなかったことから更なる犠牲が生じた。台北市で略奪事件だ。犠牲者もいる。台湾軍主力である広東州系の傭兵たちが主犯だ。台湾民衆は日本国民。同胞への略奪行為はしっかりと償ってもらうぞ。」
それだけ言うと林董はこの日の会議を終えた。
近衛師団 司令部
「総督府よりも要請だ。逃げてきた台北商人辜 顕栄らからの要請だ。台北の治安を回復してくれとのことだ。どのような動きを取るべきか考えてもらいたい」
近衛師団長である皇族軍人北白川宮能久親王が師団の参謀たちに聞いている。だがまともな答えはない。皇族という立場からかある意味遠慮があるようだ。
「君はどう思う?」
北白川宮能久親王が話にならないとみて意見を聞いたのは総督府より要請内容を伝えに来た田中義三だった。彼は司令部において行われている会議に立ったまま参加している。
「台北では敵軍残党による略奪が横行しております。我々は台北を解放する必要があるが、市街地戦に持ち込んではいけないかと思われます。」
「どうしてかね?」
「最悪彼らが台北を焼くこともあり得るからです。そのようなことになれば治安回復どころの騒ぎじゃなくなることでしょう。敵軍を確実に威圧して台北から出て行ってもらう方策が必要かと思います。」
「少数の兵士を分散させて各個に治安維持させてもよいのでは?」
「お味方の各個撃破を誘うだけです。それに敗残兵が火付けに回る可能性が大きくなります。」
「どこを占領すべきか?」
「私は台北の地理はわかりません。地図も見たことがありませんが、城の類があればそれを落としてしまうがよろしいかと。」
「拠点を作れということか。ならばいい目標がある。」
北白川宮能久親王は立ち上がり地図に向かう。
「我々は台北城の占領を実施する。直ちに進軍を開始せよ。」
二宮忠八
「手紙?」
いまだ戦場にとどまっている(賠償金上乗せ交渉のために駐留) 二宮忠八は焦っている。
田中が残した戦場新聞で国内状況はわかる。「臥薪嘗胆」対ロシア戦争への意欲に国内は一色に染まっている。それは次の戦争が早いことを示していた。自分の飛行器がロシアとの戦争に間に合わないのではないか彼の焦りはその思いが脳裏を占めていたためであった。
「差出人の住所は広島…第5師団司令部の住所だな。」
田中はすぐに自分の野営地に移動して封筒を開く。
「また封筒。差出人は…田中義三…あいつか!!」
故郷に帰り次第、つてを頼り探そうとしていた人物からの手紙。それに嬉々としてかぶりつく。
「当面の開発拠点は京都ということか。奴自身も狭すぎると考えているようだな。いいところはあるかな?」
台北 6月7日未明 近衛師団所属 先鋒5000名
「総員突撃。台北城に巣食う残敵を掃討。台北に拠点を確保せよ。」
近衛師団の先鋒5000名は6月6日台北の郊外に野営。明朝、台北城へ攻撃を開始する。
1夜明けさせたのは、台湾軍への撤兵を促す目的もあったが、現実問題、強行軍による疲労が見えたという一面もある。
台北城という存在は2000年代の現代には存在しない。だが遺構は残っている。道路拡張のために門以外の城壁が撤去されたことにより門だけが残っている。
そして、かつて場内であったと思われる地域は現在の台湾の国家中枢部にあたる総統府や日本でいう国防安全司法外交などを司る省庁・裁判所・迎賓館などの所在地に当たる。現在でも台湾の中心都市である。
当然当時も中央施設である。指導者は近衛師団が現れる前に逃げ出し、指導者は日本海軍に捕縛されている。台湾軍は台北の中央施設群を焼いて撤退したために夜間、その炎が近衛師団野営地から見えていた。
そのような状況ではまともに抵抗勢力は存在しない。その日のうちに城内は占領した。城外の市街地が安全かどうかはわからないので希望する民間人を収容。翌日から逐次領域を分けて確実に治安の回復に移行していった。
次回25日午前零時の予約投稿を予定




