日清戦争後 -04 指導者逃亡
今月25日臨時更新を予定。
コメントお願いします。ほんと。燃料です。
5月29日。近衛師団をはじめとする派遣軍が台湾北部澳底上陸を開始。近衛師団はろくな抵抗を受けなかった。日本に協力する台湾人もいたためであるが大きな原因は指導者の一部が逃亡したためだ。
史実においては6月3日、いまだ近衛師団が完全に陥落させていない台湾北部の港湾都市、基隆沖の『西京丸』にて樺山資紀台湾総督と台湾割譲の全権委員李 経芳との間で割譲に関係する書類手続きを行うことになるがこの世界線ではいまだ台湾割譲に際しての反乱に対する損害賠償交渉がいまだ終わっていないので書類作業はない。清国側の抗議だろう。
台湾軍は残った部隊に北部の拠点都市付近の死守を命じていた。派遣軍はこれをあっという間に撃砕。北部の港湾都市基隆は6月3日。陥落した。
だが、近衛師団による占領の報告が入ると「西京丸」をはじめとする各船が基隆に入港する。
田中義三の動くは再びここからである。
田中義三は派遣軍の中では存在が浮きまくっていた。18歳で下士官の最高位である曹長。士官学校への入学が決まっている。若すぎるのだ。
そして彼自身、表立って前線での指揮経験がないのだ。すべてが支援業務による戦果。前線で血を流している人間にとってみればそれは悪感情を生む。
特に、この日清戦争で実戦経験を積んでいないのに優秀な兵士が全国から集められた近衛師団という状況ではなおさらだろう。
ゆえに今回はある人物が彼をかばう。
台湾総督の樺山資紀だ。彼とは平壌戦・黄海海戦の後、樺山が平壌にやってきたときに面識がある。名目は従卒。だが彼は兵站の現場指揮も兼務したので実質的にはそちら方面での助言もある。ただこれはさらに他者との差を浮き立たせて『存在が浮く』という意味では悪影響だっただろう。
「軍夫の運用に関しては朝鮮半島と同じようにという指示は出してある。輜重の連中聞きに来たようだな。田中君。」
この気遣いもある意味悪影響だった。近衛師団の精鋭たちも実戦を経験していないことを皮肉られたととらえるだろう。
「いいえ。聞きに来てはいません。ま、輜重担当士官にはその手引きを渡して置いていますが…実施できればこちらでも現地人には食料以外。日本人には食料を任せてもらう形になるかと。朝鮮半島よりも海が近い上に海上輸送も有効に機能していますので。兵站の負担は少ないです。特に北部の7拠点都市である台北と港湾都市基隆間には鉄道すらあります。」
当然、彼らは反発する。そして田中との接触を避けるだろう。手引き書を作成して渡したことはいわばその責任逃れの行為だったろう。
「そうか。だが、予想される戦闘規模は最悪、戦争を仮定して行動をしてくれ。むろん、台湾人による襲撃も考えておいてくれ。」
「了解です。」
清朝 首都 北京
日本国と清朝の間の講和交渉は完全には終わっていなかった。のちの世にいう3国干渉によって割譲されなかった領域に対しての保障金の交渉が清朝首都北京で行われている。
「厄介なことだ…この時期に台湾独立というのは…」
その交渉の日本側代表である林董は交渉すべき内容が増えたことに対して愚痴を言う。
「ですが公使。こちらからも強硬にとる口実を作ってくれたのです。それを感謝しましょう。」
今回の交渉はもともと日本側に不利だった。既に決まってしまった威海衛以外の占領地からの撤退を交渉カードにすればそれすなわち、日本側が下関講和条約を破る行為になる。せいぜい、威海衛からの撤退の延期程度だ。
賠償金の担保としている占領している領域が広ければ撤退の履行を交渉カードにできたのだが、それは先回りで威海衛だけに限定されてしまった。
だが、下関条約で決められた台湾の割譲が履行されないという清国側から条約を破る行為があれば同等の処置をしても非難されるものではない。すなわち撤退を予定した地域からの撤退の延期。このカードを切る口実ができる。
「だが占領し続けるのも金がかかる。その金、清国から搾り取れる保証はないのだぞ。」
「陸軍では占領地内…特に田庄台付近での住民の慰撫に努めているようです。時間稼ぎはあの地域の親日化に対して有利です。次の戦争…ロシアとの戦争への布石となるでしょう。長引く行為に対してはわが方有利です。何しろ長引けば長引くほど賠償金請求額が増えてゆくのです。その請求の口実もあります。不誠実に対してそれなりの不利益を得るべきです。」
「田中君。占領政策に関してどう思う?」
「費用に関しては清国に押し付けましょう。どんどん使って住民から切り崩すべきです。住民に紛れられると面倒ですから。」
田中はあえて言葉を選ぶ。『ゲリラ』という言葉を使わないためだ。まさに彼が警戒していたことそれがゲリラ戦である。
「住民に対して強く当たるのは上策とは言えません。彼らは将来の日本国民です。将来にわたって禍根を残すことになりますし、清国に送ってもそれ自体が次の戦争の大義を生みます。適切に対処すれば日本は清国の前近代的な統治から台湾を解放したと列強に喧伝できるかと。」
6月4日 基隆
「伏せて下さい!!」
総督座乗船『西京丸』は入港こそしたが樺山が上陸したのは翌日の4日となった。そこでは早速と言わんばかりの手荒い歓迎である。残党による襲撃。史実において台湾の引き渡しに関する署名が『西京丸』船上で行われた理由である襲撃がこの世界戦では実際に行われた。
樺山をかばう田中がうめき声を上げる。
「若造!!」
「かすっただけです。行けます。」
樺山は拳銃を取り出し、射撃する。
「総督!!やたらめったらう撃たないでください。流れ弾が国民に当たります!!」
「追うんだ!!待ち伏せに注意しろ!!国民を巻き込まないように」
6月5日 台湾 廈門沖合
ドイツ商船アーター Arthur 号
及び日本国海軍所属 防護巡洋艦 筑紫
「日本の軍艦だ!!停船命令の旗旒を確認」
「日本の臨検線に引っかかったんだ!!」
「日本は台湾への武器流入と役人の逃亡を監視しているはずだこの船は台湾から出港したので役人が乗っているかの確認をするはずだ。」
臨検を受けるドイツ商船アーター号の船内はあわただしく動いている。
「まずい…このままでは…」
老婆の姿をした人間はその様子を見て狼狽している。彼は歩き出す。
「隠れるにいい箇所は…」
防護巡洋艦 筑紫乗り組み 秋山真之
「臨検とは何をするのでしょうか?秋山少尉殿。」
手漕ぎタッカーで商船に向かう兵士たち。その中で水兵が臨検要員の指揮官である秋山真之に聞く。
「今回の任務は特に人間の調査を優先する。何しろ逃亡する清国系の役人を捕縛することが任務だ。船員、船室すべてが確認対象だ。」
「なるほど…。」
「油断するなよ。あの船が役人に買収されていた場合なおの事難しい。船倉や機関室などにかくまわれている可能性もある。ま、その証拠が出た場合、拿捕して沖縄方面に回航することが決まっている。」
「それは…難儀なことで。」
「むろん、筑紫は封鎖任務を継続する。あの船に遂行している暇はないので我々が船員を脅して回航させる必要があると心得ろ。その旨を伝えるための手旗を忘れるな。」
「了解!!」
ドイツ商船アーター Arthur 号
「タッカーの接舷、係留を完了。臨検要員。縄梯子で乗船します。」
秋山等は船に乗り込み船長とあいさつする。
「臨検の内容は乗員乗客の確認であります。乗客の方々は自室にお戻りください。名簿と照らし合わせながら確認を実施したします。乗員の方々も交代で確認します。
抵抗しても撃沈することはありませんが、この船から当該人物の脱出が確認された場合、裁判沙汰になりますのでご注意ください。ですがここで当該人物が逮捕できた場合、貢献次第では懸賞金を差し上げる手はずになっております。」
と話す。なおこの懸賞金も清国への請求対象である。
しばらく探すと、怪しい人物が出てくる。部屋に返したはずなのにいない人間。それは老婆だった。
「怪しいな。探せ。」
判断は早い。手旗で2隻目のタッカーを呼び寄せ人員を増強。捜索が行われている。
その時、それは起きた。銃声だった。
「なんだ⁉」
「吉永一等水兵が撃たれたぞ!!」
「確保するんだ!!撃った人間を!!」
「秋山少尉!!」
「やましいことがなければ凶行には及ばん。やましいから抵抗するのだ!!」
しばらくして犠牲者を出しつつも怪しい人間は取り押さえられた。老婆に化けていたが、抵抗した際にその変装が解けたために姿が変わっている。性別は男性。素性は誰何に答えないのでわからないが、犯罪者である旨は確実。犠牲者の遺体と負傷者と共にタッカーは離れる。彼らを収容したころには夜を迎えていた。
水兵たちのその男への扱いは酷かった。仲間を殺した人間だったのだ。その扱いはある程度見て見ぬふりをされた。
例えばアーター号からタッカーへの乗り換えには本来縄梯子を使用するが罪人として手を前向きに縛られている(だがある程度自由には動く) 以上、縄梯子は使えないので舷側から突き落とされて水面に落下。そこからカッターに引き上げられた。
この男をいち早く『筑紫』に移乗させる必要があったことがあっても負傷兵や遺体がアーター号船長の厚意によって貸してもらえた荷物用のデリック(クレーン) を使って慎重にカッターに乗せられたのと比較して雲泥の差だった。
だがこの行いに対して日本は幸運にもある証言を引く出すことに成功する。このような扱いに耐えかねたその男が扱いの改善を求めて自分の身元を明らかにしたのだ。自らの名前が唐 景崧であり台湾民主国の指導者であるということを。
この世界での唐 景崧は不運であった。巡洋艦『筑紫』の名前をご記憶にある諸氏においては想像できるやもしれない。この船、日清戦争初期において朝鮮半島で引責自決した士官と負傷したとある軍人と、その負傷の原因となった事件の主犯が乗船。主犯が謀殺された船です。
緘口令は敷かれていたが、人の口には戸が立てられない。実はその後。この噂は艦の水兵皆に影響を与え、その手の非道に際しての手際が良くなってしまった。特に旧式、設計思想と運用思想のミスマッチから前線ではなく、後方で運用。特に台湾方面へ進出した際に海賊に対しての取り締まり行為によって『地獄の筑紫』の異名をつけられることになる。そのまま台湾封鎖に参加した。
今回の件、軍法会議になった際に
『艦の乗員はみな家族、家族が目の前で殺されては正気を保てない。
誰何にも姓名所属を答えなかったのでこの時点ではただの犯罪者の可能性があるので捕虜には該当しない。よって捕虜にふさわしい対応をする必要性がなかった。
結果的に自ら黙っていた姓名と所属に関しての情報を引き出した。ただの犯罪者としての釈放の可能性を封じることができたことは成果である』
を主張。半ばグレーゾーンだったが史実よりも早い艦の退役に伴いうやむやにされた。
退役の前倒しについては今、記述するタイミングではない。
 




