日清戦争 -27 窮地三隻
黄海海戦初期において孤立したのは本隊後方の2隻。扶桑と比叡。そして戦力外の砲艦赤城。
この3隻方向に清国艦隊は突撃を敢行する。日本側が単縦陣による中距離における速射砲による砲戦を目的としていたのならば清国側は近接しての一撃に威力のある砲撃と艦首衝角とそれに伴う移乗戦闘であった。
日本側の優位な間合いを維持することが勝利条件の一つだった。
しかし、伊東中将の本隊はその間合いを維持する努力を怠った。第1遊撃隊とほぼ同一の位置を航行したのだ。単純に考えなしに第1遊撃隊に付き従ったともいえるかもしれない。
さらには伊東中将率いる本隊の単縦陣への理解、練度不足という一面もあるだろう。
単縦陣という戦術はその性質上、後衛艦が前方の状況を把握することが難しい。前衛艦の陰に隠れるということはもちろん、この時代の艦艇が煤煙の多い石炭を使用していたということも前方視界を悪化させる。
そのため通常航行中は単縦陣を組まないことも多い。
しかし、第1遊撃隊は通常航行中でも単縦陣を使用した。単縦陣の練度向上にはこれ以上のことはない。
本隊は遊撃隊よりも単縦陣に関してすべての面で劣っていたともいえるかもしれない。
窮地3艦のうち初めに標的になったのは比叡だった。3隻のうち先頭を走っていたため最も敵に近かったのだ。
比叡はこの海戦に参加した艦(赤城を除く)で最も戦力価値の低い艦である。旧式艦であり、同時期に建造された扶桑のように改修が行われたわけでもない。
他の艦よりも若干装甲が厚い程度の特徴しかない。
そのような船に砲弾と艦隊が集中した。
この時、比叡の取った判断は日清両軍を驚愕させた。比叡は右から迫る清国艦隊に対して面舵…右に舵を切った。敵陣突入中央突破して友軍への合流を目指す。戦闘能力を考慮すれば決してありえないできるわけがない。
一方その真後ろの扶桑は取り舵。左に舵を切る。敵陣突破の危険を避けるが、その間にも搭載砲は敵艦を撃ち続ける。
この扶桑、旧式化し、日清戦争開戦前に大改装を受けたが、その性能はこの時期の日本で一番の装甲の厚さを誇る。清国の大戦艦定遠・鎮遠の購入まで極東最強の軍艦だった船であり、後には日本初の戦艦と評される。だがその実は戦艦というには低性能だった。設計的には未熟さが目立つ。だが比叡よりは戦力として期待ができるだろう。扶桑は比叡が敵の注目を引いてくれている間に窮地を脱する。いや窮地に陥る寸前で離脱できたというほうが正しいか。
比叡は敵弾に打たれ続ける。初期、清国側はその行動に驚きと混乱を生じるが、その混乱はすぐに比叡に対する攻撃に傾く。各艦が体当たりを仕掛けようとするが、比叡は回避する。だが砲撃は防ぎようがない。まさにハチの巣になった。それにもかかわらず比叡の砲撃は衰えない。双方ともに被弾多数。そして比叡に大火災が発生する。
比叡のこの海戦での死傷者は日本艦隊で2番目に多い。なお、4番目が赤城である。ただ、赤城が4番目なのはもとの乗員数が少ないことに起因する。
比叡の大火災は弾薬庫の隣の区画まで進んだ。弾薬庫に誘爆すれば爆沈は避けられない。だが、弾薬庫への注水は弾薬供給の途絶を意味する。弾薬庫外の弾薬を使用し尽くせば打てる弾はない。
大損害を受けた時点で足手まとい。弾薬庫以外に機関室にも火の手は迫る。
艦長は弾薬庫への注水を命じる。戦闘能力を放棄することだった。戦えない以上、生き残ることだけ考えるしかない。比叡は戦場からの離脱を始める。
次に窮地に陥ったのは低速の赤城だ。赤城は他艦と比してきわめて低速。清国艦のどの船よりも遅い。そしてどの船よりも小さい。
そんな小さな船1隻に清国艦隊が襲い掛かる。巨弾がうなりを上げる。周りに巨大な水柱が上がる。
その中、命中弾。その断片が艦橋を襲い、艦長を絶命させる。
次席指揮官たちの奮闘は赤城の延命にしかならないはずだった。
清国の艦隊がなぜか赤城への攻撃をやめ始める。理由はわからない。他部隊との交戦、比叡との戦闘などで乱された陣形の再編成なのか、より戦略目標の高い相手への攻撃を優先したのかわからない。だが赤城にとっては九死に一生というほかない。
次に窮地に陥ったのは樺山軍務局長の乗船する西京丸だった。
西京丸は独断で戦闘参加した。このことが大きく影響している。そのため、他部隊との連携を全く考慮した行動がとれなかった。
さらに本隊が窮地寸前で離脱できた扶桑との合流のための行動をとったために西京丸が孤立したのだ。
西京丸は砲撃を受ける。西京丸は元貨客船。防御力は軍艦よりはるかに低い。
西京丸は逃げ出す。最悪なのは逃げ出す際に第1遊撃隊の隊列の中に突入。隊列を乱させた。
ただし、西京丸は離脱後、結果的に囮の働きをする。清国艦隊の別働隊…主に小型、低喫水の水雷艇の類だ。
清国艦隊はこの海域に陸上部隊輸送の護衛を行うために進出していた。
これらは揚陸作業の支援や護衛を清国艦隊本隊よりも陸に近い海域で行っていたために支援を切り上げて交戦海域への進出に若干の時間を必要としていたために交戦海域への到着が遅れ、その矢先、西京丸の逃走経路とぶつかったのだ。
西京丸は再び窮地に陥るが、日本艦隊としては別働体の到着が西京丸との交戦によって遅延することは幸運だったともいえよう。更に西京丸自体が思いのほか粘り、別動隊の水雷兵装の射耗を促進させたことによる戦闘能力低下も好都合だった上に清国別動隊の射撃ミスも重なり、西京丸との交戦で弾薬欠乏により水雷艇の交戦能力を失うことにもつながる。
清国艦隊に戦線離脱するほどの大損害を受けた艦はいまだにいない。日本艦隊は3隻の戦線離脱。
だが、日本にとって非常に幸運だったのはこれらの船が足手まといの艦や比較的低性能な艦ばかりであったこと。
非情な言い方をすれば「邪魔者が消えた」という状況。特に比叡の行動は結果的に比叡よりも戦力として期待ができる扶桑の戦線復帰を援護した。
さらに第1遊撃隊は窮地にあった艦を救援するという名目で本隊の戦列から離脱。ある程度の自由行動をできる状況になる。日本艦隊はこれで全力で戦える。
本番はここからだ…!!




