日清戦争 -25 命令混乱
先に発砲したのは清国側だった。清国軍旗艦定遠の発砲に伴いすべての艦が砲撃を開始した。だが距離が遠い。命中弾はない。ただし命中した場合の損害は大きい。巨砲の恐怖の中、日本艦隊は速力を上げる。
清国艦隊の各艦は建造されてから10年以上経過している10年間新鋭艦の購入をしていない。それは砲撃に大きな影響がある。近年導入された煙の少ない無煙火薬の採用されていない。
ただし、いまだ日本艦隊は発砲してない。そのため敵艦隊の状況はわかるはずだった。
双方ともに炭化の進んでいない石炭を使用していたことだった。炭化が進んでいない石炭は大量の煙を出す上に火力が低い。その影響は日本艦隊のほうがひどく、煤煙と単縦陣という陣形の関係で正面視界。特に遠方視界が悪化する。
これは連合艦隊司令長官座乗艦 連合艦隊総旗艦松島 に影響をもたらした。松島は主力艦隊の旗艦として主力艦隊の先頭を行く。だがその前には連合艦隊指折りの高速艦のみで編成された第1遊撃隊が行く。その煤煙が遠方視界を悪化させている。そのため、連合艦隊司令長官 伊東四郎祐亭中将 よりも第1遊撃隊司令 坪井航三少将 のほうが距離を考慮しても正確に状況をつかめる状況になった。このことは彼が戦闘の支配権を握った要因の一つとなったともいえるだろう。
日本艦隊は速度を上げる。この時代の艦は急激な速度変化はできない。さらに日本艦隊の中でも速力に差があった。
新鋭の高速艦だけで編成される坪井航三少将の第1遊撃隊4隻は伊東四郎祐亭中将の本隊を置いてきぼりにする形になる。本隊6隻の主力となる艦艇は第1遊撃隊の艦艇よりは古く、機関の調子が悪い船もあり、速力はそれほど高くはなかった。
特に本隊列後方の2隻は隊列から千切れそうになる。その状況を悪化させる出来事が発生する。坪井少将は取り舵 (進行方向左側) を行った。
この行動については諸説ある。
元々日本艦隊は左舷砲を使用して清国艦隊左翼をたたく予定だったが、坪井少将の独断により清国艦隊右翼をたたくことにしたというものである。
ただし、日本艦隊の布陣は命令違反を否定する。日本艦隊は進行方向左…左舷方向に非戦闘艦艇を移動させた。これは左舷方向での砲撃戦を考えていなかった証左ともいえる。この非戦闘艦艇の『戦闘時』における役割は通報艦。
この通報艦という役割は当時の情報伝達技術の薄さに起因する。無線すらない時代の船舶における命令伝達手段は旗であった。これを旗旒信号という。しかし、艦隊を複数艦で組む場合、僚艦の陰になったり、蒸気機関の煤煙により遮られたり、砲煙により遮られるなど、旗艦からの旗旒がわからない場合がある。すべての艦が同じ旗旒を上げたとしても艦隊の中で伝達のムラが生じるほか、伝言ゲームみたいになり間違った旗が掲げられることによる命令の混乱が考えられる。このスキを突かれての敗北もあり得る。
そこで旗艦が上げる旗旒と同じ旗旒を上げる船をすべての艦から見える位置に置き、命令や情報を伝達する必要がある。その役割に充当されたのが通報艦という船である。このすべての艦から見える位置というのは単縦陣であれば隊列の外。通報艦の安全性を考慮すると非戦闘側ということになる。
しかし、今回、通報艦を相当した2隻の艦船に問題があった。
1隻は徴用された貨客船 西京丸。音の語呂がよいが、その実は自衛火力しか持たない船である。だが通報艦としては十分。これだけ見れば問題はない。
それ以上に問題だったのは積み荷だった。この船の積み荷 それは 日本海軍軍令部長 樺山資紀中将。本来、戦場での指揮をする立場ではない人間が、現場のだれよりも偉い人間である。
さらに元は陸軍軍人。海の戦を知らない人間である。
命令系統の混乱はもちろん、海を知らない発言をすることは目に見えていた。
ただし、敵側である清国海軍旗艦に乗船する外国人軍事顧問団の事実上の団長がドイツ陸軍軍人ハッケネンであったこと自体は皮肉であろう。
もう1隻は小型の砲艦赤城。小型、低喫水であることから今回、敵がいるかもしれない地域の浅瀬を偵察するために第3遊撃隊から借りてきた艦である。第3遊撃隊所属。それがこの間の弱点だった。
この時期の日本艦隊は4つの部隊に分けていた。
高速艦で編成される第1遊撃隊。建造時期からしても最新鋭。
中速艦のうち艦齢、砲力、船体規模、防御性能等を考慮して編成された本隊及び第2遊撃隊
日本海軍の戦術思想に合わない設計の艦(代表例 巡洋艦 筑紫)や低速艦を寄せ集めた第3遊撃隊である。
砲艦赤城の弱点。それは低速。最大速力が10ノット程度である点。艦隊行動は艦隊に所属する艦のうち最低速艦にそろえる必要性が高い点を考慮すると、それは足手まとい以外何者ではない。
なお、この海戦に参加した日本艦艇でこの艦を除く最低速艦は本隊後方の2隻。比叡と扶桑13ノット、最高速であるのが先頭を走る 防護巡洋艦吉野 最大23ノットである点を考慮すればより分かりやすいだろう。
清国海軍からの砲弾が降る。だが雨のようにとはいかない。発射に分単位の時間がかかっている。
しかし、その1発は日本艦にとっては致命的な打撃を与えることもある力を秘めていた。




