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日清戦争 -23 平壌戦後

 平壌 

「忙しい…ま、物資があるのはうれしいが、また輜重兵か…」

 田中義三は気球隊の解体に伴い、その任を解かれた。そして第9旅団に戻された。当人は「返品」と皮肉って周りをしらけさせた。当時返品という表現が乏しかったためである。

 そこからさらに出向。平壌で鹵獲された物資の管理を行っている。

 日本軍は清国軍を平壌から敗走させることに成功した。正確には清国軍が勝手に自壊したような状況であり、日本側も苦戦。戦闘時に最も被害を与えることができる追撃ができていない。

日本軍は既に疲労の極みにあり、負傷者も多数。物資も不足していた。その結果、平壌に駐屯している。

 幸いなのは清国軍が大量の物資をそのまま残して撤退してくれたこと。物資の処分すらしていない。

「雨で燃やせなかったかもしれませんからほんと恵みの雨ですね。」

 田中は兵站担当士官との雑談で柏手を打ちながら冗談を言う。

 が、冗談を言っている暇があれば仕事しろとの一言。戦場を終えた各兵士と違い、戦後が戦場となる兵士も多かった。


 そしてもう一つの戦場は野戦病院だ。野戦病院も平壌市内に移転したが、野戦病院では大きな問題があった。

「物資がない…」

 というものだった。清国軍の残留物資には医薬品などはほとんどなかった。清国軍には近代的な野戦治療という概念がなかった。当然、野戦治療に必要な物資はない。

 その上捕虜となった清国兵のほとんどが負傷兵。その負傷兵たちの治療も衛生兵や軍医たちにのしかかった。

 史実以上に野戦病院が充実していたのが物資の不足を加速させる。負傷者の命は救えたが、その分、物資は消費する。

「こんにちわー輜重兵の田中です。池田軍医部長殿はいらっしゃいますか?」

 そこに来たのは輜重兵に回された田中義三だった。

「軍医長は…」

 疲れた顔で出てきた衛生兵。双方が顔を見て驚愕の表情を浮かべる。

「二宮さん!!」

「田中!!」

 ある意味運命のいたずらかと思える再会だった。


 軍医部長室 (徴用したただの民家の一室)

「それでは受け取ります。そういえば今、輜重兵は鹵獲物資でかかりきりではなかったですか?」

「それでも負傷者のための物資の管理もしなくてはなりませんので。あと、私はある意味面識があるのと、傷の具合も観てもらえとのことです。」

「それもそうだな。それにしても腹部の重傷で戦場復帰が早すぎる。だが傷の直りが早すぎてもう復帰できると内地が判断したのだからほぼ問題はなかろう。」

 周りが苦笑する。

「ま、患部は見せてもらおうか。どのように治っていいるか見てみたい。」


 こののち、治った患部を喜びの表情と共に触る軍医達ドン引きする田中であった。


 次回黄海海戦 1話では終わらねえ。


 参考にした知り合いの実話。

 自転車の乗って走っているときに側方から来た自動車にはねられ、意識不明の重体(骨折だけでも肋骨複雑骨折、頭骨裂けるように骨折)、奇跡的に目覚めても片目失明が確定した知り合い

 きわめて奇跡的な回復で仕事復帰(ただし従来通りの分量は不可能だが) できるようになったが、お礼に病院に行ったらおどろかれ、治療に参加した医師非番含めて全員が飛んできて患部触られまくったらしい。

 というか瞼を上げる筋肉の神経断絶で失明なのに別ルートの神経で瞼が動くってどうゆうこと⁉


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