日清戦争 -28 平壌の戦5
「白旗だと?」
平壌城に白旗が上がり戦闘は中断した。
欧州の国際法では白旗=降伏を意味する。降伏とは戦争において軍隊、あるいは個々の戦闘員が敵に対する戦闘行為をやめて、その支配下にある地点・兵員・戦闘手段を敵の権力内に置く事とされており、この場合、平壌城を明け渡し、すべての将兵が捕虜となる状況だ。
そのためには日本軍を入城させる必要がある。が、門を開けない。大雨が降っていることを理由としているそれは不当な行為である。
そもそも諸説あるが、中国後漢時代には降伏のための白旗という風習があったという者もおり、同時期のローマが他の方法で降伏の意思を示したことを考えると、彼らは古代中国からの文化すら犯していることになる。
この白旗の降伏という概念自体は日本における8世紀の書物に記述があり同時にないものもあるので、中国から伝わった文化である可能性が考えられるだろう。
ただし、日本ではその文化は貧乏な長い平和(あまり、外敵の影響を受けない) によって忘れ去られたのか、その降伏方法が日本での内戦(戦国時代・源平合戦・足利幕府黎明期の本質) に合わなかったのか知らないが忘れられてしまったのだろうが。
「偽りだな。」
立見少将がそう判断する。
「また清国を叩き潰さねばならん理由が…」
田中がつぶやく
「田中君。今はそのようなことを論じている余裕はない。城内へ突入する。」
田中の独り言に立見少将はたしなめると同時に副官に突入を命じる。
「少将。逃げ出すであろう敵に対して待ち伏せを提案します。我々にしかできないことです。」
田中が意見を出す。
「若造!!気球隊の解散に伴い、一時的に司令部付きとなったが、貴様に意見を出す権限はないぞ!!」
副官が叫ぶ。
「ならば独り言を。」
田中は意に介さない。
「敵の撤退方向はおそらく北。待ち伏せできるのは朔寧支隊、元山支隊の両隊、第5師団主力の一部のみ。特に第9旅団は全く待ち伏せにかかわれません。ならば第9旅団には城内突入を担当してもらい、我々は逃げ出す敵兵を殺すことに集中できれば…今後が楽になるでしょうね。」
「随分と大きな独り言だな。」
立見少将も独り言を述べる。
「砲兵を撤退経路の街道に直接置き、榴散弾の近接射撃なら薙ぎ払えることでしょうしね。」
「突入は中止だ。突入は他部隊に任せる。第5師団本隊、第9旅団両司令部に伝令を走らせろ。」
この判断はある意味正しかった。
史実では朔寧支隊、元山支隊の両隊からも城内突入を行っていたためにその分待ち伏せに注力していなかったといってもいいだろう。この世界線では北部戦線は全ての兵が待ち伏せに投入された。これは史実以上の損害を清国にもたらすことになる。
気球による観測射撃を含めて史実から1000名程度の清国軍死者の増大。というのが平壌戦の結末だった。




