日清戦争 -11 責任と罪
1894年7月26日 夕刻
「すんません古志大隊長…」
しばらくして、田中の容態を聞いて現れたのが大隊長である古志だった。状況自体はほかの兵士から聞いたが、当の本人から聞こうとしたのだ。
「田中1等卒何があった⁉」
その様子を見て古志は向かってくる。
「逃げる人夫を押しとどめようとしたときに刺されました…反撃に刺し返しました…すんません…すんません…」
現代の言葉つがいづかいが混じりながらも伝える。意味は分かる。
「そうか…」
「どうなりましたか?物資と人夫、馬匹は。」
「馬匹ごと物資を奪われたもの多数。被害は食料に集中している。医療物資に関してはほぼ手付かずだ。人夫は負傷者以外逃げた。負傷者は君よりも重傷。確実に助けるためにわきの下を切開して止血。血流の止まった腕部は壊死する上に君が与えた傷により、腕が使いもにならん。切断するとのことだ。だが彼も君の処置を同じようにした影響で生きている。」
「そうですか…戦いの期日に間に合いませんか?」
「…」
「…ご迷惑をおかけしました。生き残ったことを人は幸運といいますが、私には生き恥をさらしているように思えます。」
古志がその先の言葉を遮るように言葉を紡ぐ
「私の責任だ。君は身命を賭して命令を守ったに過ぎない。よくやった。」
彼はそういうと席を外した。
古志が引責自決したことを知ったのは次の日…27日の明け方のことだった。
古志は史実でも同様の事件に逢い、引責自決した人物です。しかし、国内世論の影響を気にした軍部はこの死の真相をひた隠し、病死として処理した。
彼の死が…のちの世まで戦訓として語り継がれていたのであれば…餓島の悲劇…などは起きていたのでしょうか…語り継ぐべきは…英雄だけでなく…こういった人の存在や英雄が成功する陰で失敗し、屍をさらす人間のことも忘れてはいけない…




