第6話 天国と地獄
「平日の昼間だから人少なくて快適ね」
初めてズル休みした私と史夏は、普段あまり行かない街に繰り出していた。
流石に学校には一報いれたが、あの嘘をつくときのドキドキは嫌いではない。
親にもしっかり「今日は休む」と連絡した。返事はまだないが。
「これからどんどん気温上がるし、服一緒に選ぼ♪」
「えらい上機嫌ね?」
「だってあの日から、買い物デート楽しみにしてたから!」
「それは嬉しいわ」
実際ここ数日、様々な心の変化が起きたと思う。
前までは一人でどこかに出かけた時私以外の人々を見ると、
その目線は前ではなく、隣の人間に向けられていて、楽しそうであった。
私はそれをなるべく気にしないように前だけを見て歩き続けた。
そんなものはまやかしで、一人でいる方が気楽だと言い聞かせて。
今は違う。
この子といるともっと楽しいし、思ったことを口に出すとそれに答えてくれる。
いつもは通り過ぎ眼中にない景色も、この子といると趣の異なる世界になる。
「あっ!あそこがジュエリーショップ!早く行こっ!」
「ちょっとそんなに引っ張らないで!」
史夏に無理矢理腕を引っ張られる紗耶香の姿が、ガラス張りの建物に反射する。
(あぁ・・・今一人じゃなくて、史夏と一緒にいるんだな)
代り映えのしない毎日に、新風が吹く。
「これ欲しかったのよ」
一つのペンダントをまじまじと見つめる。
「それ、アタシと同じやつ?」
「うん、ずっと気になってた」
「なんだか紗耶香、嬉しそうな顔してるね!」
「えっ、そうかしら?」
特に表情を作った訳ではないが、そんなに頬が緩んでいたのであろうか?
「じゃあお揃いのペンダントつけよう!」
(綺麗―――)
届かない星に手を伸ばした日もあった。
でも伸ばしていただけで、取ろうとはせず、なのに諦めて、眺めていた。
「つけてあげるからちょっと待ってて!」
「うん」
今、一番星はこの手の中に、胸の中にしっかりと振ってきて、掴みとれた。
私はこの星を、手放したくないと祈りを込めてみる。
ずっと、ずっと。
それからは服屋や雑貨屋を回ったりした。
史夏といると自分が入らない店に連れて行ってくれるので、新鮮な気分になる。
「紗耶香、めっちゃスカウトされるね」
「そう?確かに何人かに話しかけられたけど、興味ないわ」
「その考えが羨ましいよホント・・・、でも」
「うん?」
「そんな人がアタシの彼女なのが、一番羨ましがられるよね!」
「ふふっ、そうかもね」
彼女は今まで付き合ってきたどのタイプとも違くて。
貴賤なく、忌憚なく話しあってくれる。
「お腹空いてきたし、どこかはいろっか」
「オススメがあれば」
史夏が案内してくれたのはテラス席がある素敵なカフェだった。
「ここだったらゆっくり喋れるし、なにより気持ちいいんだよね~」
彼女の横顔は綺麗だ。澄んだ瞳をしている。
「くくっ」
「なに笑ってるの?」
「アナタが遊園地で見せた顔、面白かったわぁ~」
あの日のことを今でも思い出し、笑ってしまう。
「なっ!あれは不可抗力だよ!」
「あとあの時の涙で濡れてた顔」
「ハァ、なにそれ?」
少しムッとしてしまった。
「冗談よ、でもね」
「もうアナタに、あんな顔してもらいたくないから、私頑張るね」
「えっ、ああ、うん・・・なにそれカッコつけ?」
「そう、私なりのカッコのつけ方、それよりなにか頼みましょう」
「そうだね」
私はパスタを、史夏はピッツァを頼む。
待っている間、前から疑問だったことを聞いてみることに。
「史夏は・・・その、彼氏とかはいっぱいいたの?」
「うーん、まぁ隠す事じゃないけどさ、ウチの家兄妹がいるんだけど」
「アタシ末っ子でさ、小さい頃から年上っていっても家族だけど」
「触れ合う機会が多かったのよ、後は親戚とか」
「それでいつからか甘え上手になって、人たらしってゆーの?うまくなってさ」
「学校とかでも教師とか先輩とか同級生に色目使ってさ、デートとかしてさ」
「んで色々買ってもらったりしたんだよね。でもそれがバレてめっちゃ怒られて」
「高校からは心機一転、真面目に過ごそうかと思ったんだけど」
「紗耶香と出会ってフマジメな生徒になったってわけ」
少し遠い目で過去を語る彼女はなにか思い出したくない事もあるようだ。
「でも紗耶香が思ってるようなことはしてないよ」
「実際殆ど遊び感覚でやってたからさ、お金で気持ちは動かなかったし」
「結局財布にして、遊んでポイして、最低な女だったなアタシ」
「私も似たようなものだし、似た者同士お似合いじゃない?」
「・・・そうだね!ありがとね、そう言ってくれるのすっごく救われる」
にひっと頬が上がりこちらまで笑顔になる。やはりその表情が一番似合ってる。
「こんなオシャレなカフェで楽しく過ごして、食後にコーヒーまで飲んじゃって」
「セレブになった気分だわ」
イタリアンを堪能した後は、食後の珈琲で一服していた。
「海外旅行も行ってみたいね!」
「ウチの両親、よく海外に仕事に行ってるからさ、ちょっと憧れるんだよね」
「そうだったの、ご兄弟は?」
「今はお姉ちゃんは家出てて、お兄ちゃんも今年かな?家出ると思う」
「だから家に人いなくてさ、寂しい日が多いんだよね~」
「私の家もそんな感じ、シングルマザーで大忙しで、もう慣れちゃった」
「紗耶香の親は何のお仕事してるの?」
「美容関係よ、自分でモデルもしたりしてる」
「へ~、だからあんなに親子揃ってキレイなんだ」
「肌もホントスベスベもっちりだし、羨ましいな~」
「ブランドの試供品くれるから、そういうのがいいのかしらね?今度あげるわよ」
「マジ!?やった!アタシもそんなにケバいメイクはしてないけど、出費がね」
「そういえば・・・」
「私の音声、まだ録ってある?」
「え?あぁうんまぁ」
「怒ってないわよ別に。今度受け取りに行きましょう、賞金」
「そうだね・・・。でもいいの?」
「いいわよ貰えるのなら、一度誰が犯人か見てみたいし」
「さて―――」
「そろそろいこっか」
「う~~~ん!疲れた~~~イテテ」
買い物袋を持ちながら身体を伸ばす史夏だが、どこか具合でも悪いのだろうか?
「大丈夫?少し持つわよ?」
「ううんいいの!・・・紗耶香は筋肉痛ないの・・・?」
「わたしは―――ッ!そういうことね、運動部ナメないでちょうだいね」
「スタイルいいもんね~、引き締まってたというか締りがよかったというか」
「いつから彼女はおじさんになったのかしら」
「ごめん、デリカシーなかった・・・」
「まぁいいけどね」
夕刻、街灯がつく頃、この雑踏の中、彼女が一番輝いて見える。
「今日はとっても、思い出に残る一日になったわ」
紗耶香は左手を伸ばし、スルリとした細く長い指先で私を誘う。
「おいで」
その手をとると、急に引っ張られ、抱き寄せられる。
「ちょっとあれ見てよ!」「すっごい大胆!!」「素敵だわ~」
「紗耶香・・・?」
周りの人の声も、環境音も、何もかも聞こえなくなり、心臓の鼓動だけ感じる。
「急にごめんね?少しだけ、本当に少しだけこのままでいさせて」
囁かれた声は耳から全身を伝わり、ただただこの状況に身を任せられる。
(ああ、そっか、この人が)
(アタシにとっての、白馬の王子様だったんだ)
あの時確かに割れてしまったガラスの靴はもうないけど。
今私には、とけない魔法がかかってる。
「じゃあまた明日、学校でね」
「うん・・・、怒られるかな?」
「大丈夫よ、私達病人だったから」
「そうだね・・・ねぇ、あのさ!」
言おうとした刹那、口を塞がれる。
柔らかく甘い接吻。これだけは何度やっても、飽きない。
紅潮した紗耶香の口元から、少しだけ吐息が漏れ出ている。
それが艶めかしくて、もっと欲しくなってしまう。
「今日はもう終わり。私も一緒に我慢するから」
「だから明日また、ね?」
「うん・・・」
昨日からずっと一緒にいて、こんな時間まで過ごしたのに、まだ足りない。
「帰ったら連絡するから、ゆっくり休んでね」
「紗耶香もね」
ワガママは言えない。
「じゃあ、バイバイ」
「うん」
私は紗耶香の姿が見えなくなるまで、見届けた。
「ただいまー」
「おーお帰り!史夏!お前今日学校サボったろ?!」
「ごめんなさーい、反省してまーす」
「待て」
「また男じゃないよな」
兄に部屋までのルートを塞がれる。
「昨日は家に帰らなかったみたいだし」
「違うよ、友達と出かけてた」
「ホントか?俺も親父達も嘘は嫌いだからな」
「ホントだよ。もう前みたいなことはしてないから」
兄は荷物を一瞥する。
「まぁサボりもほどほどにな」
なんだかんだでこの人は私に甘い。
「それよりそんな関係の友達出来たのか、よかったな!」
「まぁ、それも長く続くか分からんけどな~」
「?、どういうこと?」
「あれ?親父とお袋なんも言ってない?」
(楽しかった?うん、最高に楽しかった)
史夏と別れた紗耶香は、足早に家に向かっていた。
(学校サボって史夏と出かけるのがこんなに楽しいだなんて)
(ちょっと癖になりそう)
フフフっと思い出し笑いする。
(こんな毎日がこれから待ってるなんて、素敵ね)
そう思いながら家の前に着いた時。
「紗~耶香せ~んぱ~い」
後ろから声をかけられ、ビクリと振り返る。
「やっぱり紗耶香先輩だ♪」
彼女との因縁は、簡単には断ち切れそうにない。
「ただいま」
「お帰り!今日アンタ学校サボったの?」
「うん、ちょっとね・・・」
「そう・・・あの子、史夏ちゃんと?」
「うん、ごめんなさい」
「サボりはよくないけど、反省してるならよし!」
「別にお母さんは気にしてないわ、楽しかった?」
「楽しかったわよ、あのさ、ちょっと川沿い散歩してくる」
「今から行くの??」
「ごめん、遅くならないようにするから、先寝てて」
そのまま踵を返し、荷物だけおいて出て行ってしまった。
(史夏ちゃんかしら?)
楽しかったという割には、表情は曇っていたように感じられた。
「先輩遅いですよ」
「ごめんなさい」
この家のマンションには、屋上に上がるための小さな部屋があり、
彩と紗耶香は昔からそこで談話などしていた。夜は人もこない。
「先輩こないだ勝手に帰っちゃって、私寂しかったですよ」
「・・・用件は何?」
「今日も学校も部活もサボってたし、誰となにしてたんですか?」
「ごめんなさい彩、アナタには申し訳ないけど、もうやめてちょうだい」
「私達付き合ってるのに?」
「それは・・・違うわ」
「昨日あんなにキモチちよく確認しあったじゃないですか?」
前日の様に、彩に詰め寄られる。
「私、史夏とまた付き合うことにしたの」
「だからアナタとは付き合えないし、前みたく仲のいい友人でいられない?」
必死に説得を試みるが、
「これなんですか?」
彩が取り出したのは、先程史夏と別れる時に撮られたと思われるスマホの写真。
「先輩のことず―――っと探してたんですよ」
「そしたらこんなの撮れちゃいました」
「この写真どうしちゃおっかな~」
「強姦未遂の次は恐喝まがいのことするの?呆れた」
「アナタ、私の知ってる彩じゃないわ」
少女は壊れた人形の様に、首だけをこちらに向ける。
「先輩がこうさせたんでしょ?」
「この写真、結構よく撮れてるでしょ?優等生がサボってお忍びデートだなんて」
「こんなの学校にバラまかれたら不味いんじゃないんですか?」
「紗耶香先輩も史夏ちゃんも」
もはや彩の瞳に生気はない。ただ私達への復讐を糧に生きているのだろうか?
「何が目的なの・・・?」
最早わかりきっていることだが、彩に尋ねる。
「もう先輩と付き合うのは諦めました、そ・の・か・わ・り~」
「私の『玩具』になってくださいよ」
「ハァ?!何言って?」
「私の好きな紗耶香先輩って、多分もういないんですよ」
「もう愛情もいらないので、その外側だけ貸してください」
「大丈夫ですよ、私を満足させればいいだけですし」
「史夏ちゃんに気づかれないよう、呼ぶようにしますから」
「・・・そんなことで本当にアナタは満足なの?」
「いいんです、前にも言いましたけど、私先輩のこと大好きですから」
「私にとっての先輩の愛し方が、これなんです。これしか知りませんから」
「あんまり長くなるとアレですし、場所も場所です、手早く済ませましょう」
「紗耶香先輩は好きなようにしててください、私がリードするので」
「―――わかったわ、その代わり本当に史夏には内緒にしてね」
「モチロンですよ、私も細く長くこの関係、続けたいですから・・・」
そういうと、彩の両腕がスルリと首を通り、幼さを持つ顔がグッと近づく。
「今日って買い物してたんですか?」
「そうだけど、それがなに」
「荷物持ってたし、それに~」
首元のペンダントに目をつけられる。
「紗耶香先輩って、こんなにオシャレさんでした?」
「気に入ったから買っただけよ!」
彼女はペンダントまじまじと見た後、手を私の肢体に這わせる。
「黒タイツ素敵です、このおみ足も細くて長くてすべすべで・・・」
まるで擦るような手の動きが隅々までにも及んでいく。
「ほんとにッ・・・もうやめて・・・人きちゃうから・・・!」
「ほんなほとないれすよ」
遂に彼女の口がパンツのジッパーを器用に下ろす。
その間も必要以上な手ほどきは続き、
彼女自身も息を荒くしていく。
「お願いだから・・・そこだけはやめてッ!!」
もうこの声は彩には届いていない。
蛇のような動きが、丹田から臍に沿って上から下に舐めあげられる。
「ッッッ!!」
叫びたくなる嬌声を必死に抑えるが、
「喘ぎ声抑えないでもっと聴かせてください」
彼女の命令に仕方なく従う。
なんという恥辱だろうか。
それから彩は驚異的なテクニックで、紗耶香の弱いポイントを看破し続けた。
愛しの先輩の腰が抜け落ち、立てなくなった時、彩の心は満たされていく。
「ごちそうさまでした、先輩。ってもう聞こえてないかな」
彼女は余裕そうにスマホを取り出し、罠にかけられたウサギの撮影をする。
「これはあくまでプライベート用なんで、お気になさらず」
「それじゃあまた明日部活で会いましょう♪」
「またヤりたくなったら呼びますから、もちろん先輩からの連絡も可です!」
ビクビクと身体を震わす肉人形は、見送ることさえ出来なかった。
「・・・・・・」
数分後、やっと立ち上がれるようになった紗耶香は、
母に見つからぬよう惨めな気分で風呂場に入る。
「紗耶香?お風呂入るの?!」
「そう!明日も早いでしょ?!おやすみなさい!」
手早く着替えて浴室へ。
シャワーのハンドルをひねった時、ふとペンダントを外し忘れたことに気付く。
それを見た途端、どうしよもない嫌悪感が沸き上がってきた。
紗耶香は必死に、全身をくまなく入念に洗う。
(さっきの愛撫は本当に最低だった・・・!)
(昨日の感触がまた浮かび上がってくる―――!なんでこんなことになるの?!)
昨日の史夏との情事を思い出す。
優しくて、あったかくて、お互いが一緒に溶け合おうとしたから、
私達は心の奥底がリンクして、何度も絶頂を迎えられた。
彩のは違う。
私の為とは言いつつ、自分だけが満たされていく技術に変質してしまっていた。
もう私はあの子に何の感情も抱けなくなってしまっている。
(いつまで続くんだろう・・・)
泣きたい気持ちを抑え、なにも考えないことにした。
部屋に戻りスマホを開いても、史夏からの連絡はなかった。