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恋をしたいと願うなら  作者: 佐伯春
須藤紗耶香と三菱冬華達
18/42

第十八話 それでもワタシは生きていくから

帰り道、須藤紗耶香スドウサヤカは『三菱冬華ミツビシトウカ』という人物について思案を巡らせる。


(とっても可哀想な子、愛されずに生きてきて、唯一の心の拠所だった人間が自分の元から離れてしまう、永遠に・・・、彼女は気丈に振舞ってきたけど、それは正しいことじゃないのは確か)

(せめて彼女の慕ってたあの男の子、春斗ハルト君について分かればいいんだけど・・・)


「女同士でおかしいと思います!!」


寒空に未知の存在を浮かべる。


「男」


(そうよね、普通の人はそう思う。でもね冬華、アナタにもいずれわかる時がくるわ。その時本当に好きなのが男なのか、女なのか選べばいいし、選ばなくて一人でもいい)


(あの子って、誰かに似てるわよね?史夏)


(私は彼女を自分と同じ人間になってほしくない、笑って好きな人と過ごせる人間になって欲しいから)

(まだ高校生だけど、せめて母親のように護ってあげたいわ)

(そんな魅力が彼女にはあるのよね)

(まずは仲良くなって、冬華のトラウマを少しづつ癒してあげないと)


ビューっと吹く風の冷たさに、ふと郷愁を感じる。


あれから一年経ったのか、最初の出会いもこんな寒い日で、星空を見上げてた。


あの時手を伸ばした星はもうないけど、胸の内に確かに秘めてある。



(あれから半年近くアナタを求めてるの)


(動画も写真もプレゼントも全然足りない。早く会いたいよ、史夏)





お昼休憩、今日も総菜パンをカバンから取り出そうとすると、


「冬華!」


と声がかかる。



「あんまり食生活が悪いとよくないわ、私とお弁当食べましょう」


「あっ、ありがとうございます・・・」


「冬華ちゃんだっけ?私の唐揚げどーぞ!」


「すいませんすいません」


「いいからいいから、そんな他人行儀な感じじゃなくていいのに~」


「冬華さんがお元気そうでよかったです、色々話は聞いていましたので」


「・・・・・・(スン)」


「ガッ、ガ~ン!?」


いつもの食事メンバーに今日は一人加わったが、まだ馴染めていないようだ。


「冬華、冴姫もお友達で先輩でしょ?仲良くしてあげなさい」

「紗耶香先輩、なんかお母さんみたいですね」

「そうかもね、この子の分のお弁当まで作ってきちゃったし」

「わっ、わたしはいいんですよ別に!気にしてないですから」

「・・・・・・(スン)」

「全くねぇ・・・」


彩は過去の事を慈しみながらアドバイスを送る、


「冬華ちゃん、自分が言うのもなんだけど、つっぱらなくていいんだよ」

「並々ならぬ事情があるのは紗耶香先輩に聞かされたからさ」


「私は少し前にね、先輩をすっごく困らせちゃったのよ、意地になってて」

「それがズルズル続いてて、元の関係には戻れないのかなっていつも考えてた」

「でもね、先輩が謝るチャンスを、やり直せるチャンスをくれたの」

「今はまだ許せなくとも、いつか許せる時がくるハズだから」


「だから冴姫先輩と仲良くしてほしいなって思う、すっごくいい人だから」


「彩と私と冴姫が今もこうしているくらいですもん、冬華もきっと大丈夫よ」


俯く少女の表情は暗い。


(分かってはいるんですよ、紗耶香先輩。冴姫ちゃんが悪くないってことも)

(でもね、今までそうやって生きてきたから)

(この振り上げた拳の下ろし方が分からないんですよ)

(仲良くしてねって一言、たったそれだけが怖いんです、ワタシ)


自念の葛藤から思わず涙が零れる冬華、一度受けた傷は治りづらい。


「あっ、ごめんねいきなりいっぱい言いすぎちゃったよね!」

「違うんです違うんですワタシは・・・!」

「しょうがないわよ、これで拭きなさい」

「ありがとうございます・・・ズビッー!!」

「冬華さん・・・」

「冴姫も、そんなに落ち込まないの。いつかきっと上手くいくわ」

「・・・そうですね」





「それで、なんで冴姫先輩と冬華ちゃんって仲悪いんですか?」


「・・・あの子の家とわたしの家、昔から交流があるんです」


「ですが冬華さんの両親はその、かなり厄介で・・・」

「あの子の存在自体もウチの家ぐらいしか知らされてませんでした」

「昔は遊ぶことも多かったんですよ?妹ができたみたいで楽しかったなぁ」


「彼女のおばあ様が亡くなった時に預かっていたのがウチの病院で」

「あの両親がわたしやお父様にバレないように、医者に圧力をかけていたんです」

「治せる病だったのに、手も足も出ない、お金が必要だと彼女を騙して・・・」


「それを知ったのはお亡くなりになってから少しして」

「良心の呵責に耐えられなかった医師の密告で判明しました」

「ですがあの両親は知らぬ存ぜぬの一点張りで」

「挙句には身内じゃないから関係ないと言い始めて・・・」

「当然冬華さんはそのことを知らないので」

「ウチの病院、ひいては関係者である私達のことを恨んでいるのだと思います」



「それって逆恨みだし、事実なら冬華ちゃんに伝えたほうがいいんじゃ・・・?」


「そうですね。ですが彼女にとっては乳母が死んだという事実は変わらないです」

「ならいっそこのままわたしを憎んでいてくれた方がいいのではと」


彩はその言葉に冴姫のほっぺを引っ張りあげる。



「いたひむぎゅぎゅぎゅ!?」



「あのですねぇ、史夏ちゃんの件もそうですけど冴姫先輩って不器用ですか?」


ハッとあの時のことが明滅する。


「真実は伝えたほうがいいって学んだんでしょ?」


「両親が間接的にとはいえ最愛の人の死に加担しているわけですから」

「全部その馬鹿親に押し付けてやればいいんですよ!」


「鳳凰院冴姫は一切悪くないですよって!」


「それで少しづつ前みたいに仲良しに戻れたら終わり!」

「私も協力しますから、今度本当のこと伝えましょう?」


彩の優しい言葉に救われる。


「今度はあの時の二の舞にしない為にも、頑張りましょう!」


「・・・はい!」





「今日もまたアナタの家、行っていい?」


放課後のベンチ、雑談をしていた二人はそろそろ帰ろうとしていた。


「いいですけど、お家の方は大丈夫なんですか?」

「ウチは大丈夫よ、成績が悪くならなければなにも言ってこない」

「そうですか、なら紗耶香先輩がいいなら・・・」

「よし決まり!それと私のことは紗耶香って呼んで」

「えっ、でも・・・」「いいからいいから、その方が嬉しいわ」


「・・・じゃあ紗耶香で」

「はい!よくいえました!」



「冬華の家の近くのスーパー寄っていい?」

「?、なんでですか?」

「なんでって・・・夕食作ってあげようかなーって思ったのよ」

「あっ、ありがとうございます!いただきます!」

「それじゃあ好きな物ある?」


「えっと・・・」


冬華の頭の中には乳母が作ってくれた様々な思い出の料理が浮かんでいた。


「じゃあ・・・今日はカレーライスがいいです」

「カレーライスね・・・わかったわ」


夕刻の混み合う店内で、じゃがいもや人参や豚肉など、必要な物を手に取る。



(とりあえず二人分ならこれぐらいでいいのかしら・・・、分からないわ)



最近では母の仕事も忙しく、負担にならないよう自分で軽い食事も作る。


しかしそれはあくまで自分用で、普段から誰かに振舞うこともしない。


彼女の味の好みはなんだろうか?甘党?辛党?野菜の切り方や大きさは?


考えると少し楽しくなってくる。



私の為じゃない、誰かに食べてほしい料理。



レジに向かい、支払いを済ませる。

彼女が払おうと財布を取り出すが、それはさせない。



「なんかこういうのいいわね」


「なにがですか?」


「最近は誰かと帰ることも少なかったし、こうして隣に人がいるのが懐かしくて」


「そうですか、ワタシはいつも誰もいなかったから、新鮮です」


「・・・ならこれを当たり前にしていきましょう」





「あれ・・・もしかしてハル君?」


冬華の家に着く直前、彼女は道路の向こう側に懐かしい姿を認める。


それは忘れもしない自分を助けてくれていた恩人であり、想い人であり、



拒絶してしまった人だ。



「声かけにいけば?」


「・・・今更どんな顔して挨拶なんてできるんでしょうか?」


少し想いを声にのせれば、彼にはきっと届いてしまうだろう。


それを彼女の根底が邪魔してくる。


「そうね、でもいいじゃないの別に」

「え?」


「今この機会を逃したら、確実に後悔することになるわよ」


彼女の眼は憂いを帯びていて、自分にも言い聞かせているように感じた。


「いきなさい、大丈夫だから」


「あっ!」


紗耶香に背中を後押しされ、自然と一歩、前へ踏み出せた。



信号は丁度青に変わり、舞台が整う。



後はワタシ次第、ここまで来たら後戻りはできない。



「・・・・・・」



心臓の鼓動が早くなり、前が霞んできて、苦しさに包まれる。



(ワタシは・・・)



決意に満ちた顔を上げて、一歩。また一歩を踏み込む。




「春斗君!」




ハッキリとした声は人々の往来をものともせず、確かに届いたようだ。




「ん・・・とっ、冬華!?」




振り返る彼の顔は変わらずあの時のままだ。強いていうなら背が伸びた位。



「ひっ、ひ、久しぶり!ハル君、元気だったかな・・・ワタシのこと覚えてる?」


「覚えてるもなにも、忘れるわけないじゃん!俺は元気だけど、その・・・」


「最後に会った時とか、あんな感じだったしさ、心配してた、冬華のこと」



その言葉が胸に染み渡る。



「てかその制服・・・女子高に通ってるんだな、知らなかったよ」


「ごめんね、なんにも言わないで・・・、本当にごめんなさい」


嬉しさと切なさが入り交じり、今にも逃げ出したくなってしまう。


「俺さ、この近くの学校通ってて、ここ通学路なんだ」

「もしよければさ・・・その、また今度ゆっくり話せないかな?」


「・・・・・・」


彼の要求に応えていいのだろうか?



紗耶香に頼りたくなるが、踏みとどまる。



違う、これは自分で解決しなければならないのだ。



「あっ、あのうん、いいよ、ワタシもハル君と話したかったし」


「よかった!それじゃあ連絡先交換しようぜ!」


取り出されたスマホに彼は色々と入力してくれた。


「・・・」


紗耶香の時とは違う、また頭の中がポーっと温かくなっていく。


(ハル君と喋れてるだけで嬉しいし、心地いいなぁ)



「はいこれ!それじゃあ俺もう帰らないといけないからさ、またスマホ」




「「カシャッ!!!」」




突如わざとらしく鳴ったシャッター音に嫌な予感を感じる。




「なーに人の彼氏に色目使ってんのよネクラ女?」




そこに現れたのはかつてのいじめっ子だった。





三人は路地に入って、修羅場を再開する。


「なんでアンタここにいんの?ストーカーでもしてたわけ?」


彼女は春斗の横に立つと、ワタシを糾弾し始めた。


「高校生になれたんだ?その割には相変わらず地味だし、モテないでしょ?」


嘲笑交じりの侮蔑に流石の春斗も非難し、言い争いが始まった。




が、




今大事なのはそこじゃない。




「ハル君、今その子が彼氏って・・・」




震えた指で相互の確認をしながら禁断の質問をしてしまう。




「いやっ!これは違うんだよ!デタラメ言うのもいい加減にしろよ!!」


「なーにが違うのよハル?アタシ達初体験も済ませてラブラブなのに酷くない?」


「ばっ?!お前いい加減にしろよ次から次へと!」



そんなことを言い合っていた気もするが、私の頭は混乱を起こし、


彼に対して築いてきたイメージが崩れ去っていくのを感じていた。




眩しかったあの勇気も一緒に遊んでくれて笑い合った声もなにもかも、





この女に奪われてしまった。





よりによって一番渡したくなかった奴に、知りたくもない事実を突きつけられる。




ショックで膝から崩れ落ちてしまったワタシに春斗は心配の言葉をかけるが、




もう余計なお世話だった。




「・・・すごいね、ハル君は」



「え?」



小声でそう呟くワタシ、この先は言ってはいけないと理解かっていても、


どうしても無理そうだ。



「ワタシのことをずっとイジメてた子を好きになって、付き合ってるんでしょ?」


「だから誤解なんだってば!嘘なんだ!それはこいつが勝手に!」


「そんなこと聞きたくない!ワタシを守りたいなら、傷つけたくないのなら!」



彼女をキッと睨みつけ、春斗に命令する。



「こいつをもっと拒絶してよ!思いっきりワタシの為に殴ってよ!」



あまりの気迫に気圧されたのか、呆気にとられる二人。


「ワタシこいつにどれだけ苦しめられたか知ってたよね?!」

「小学校中学校全部コイツ等とその仲間達と色んな奴に無茶苦茶にされた!」

「貴男だけはワタシを見て、いつもいつも庇ってくれた!それなのになんで!?」


「それは・・・」


「それは春斗コイツがアンタのこと好きだったからに決まってるでしょう?」


「ッ!?・・・ホント?」


またもや明かされる真実に脳内がパンクを起こす。



「だからアンタと春斗、両方に手を引かせたの」


「惨めだったわよね、好きな子に想いも伝えられずただ見守るだけなんて」



そんなことになっていたとは露知らず、ワタシはなんてことを・・・。


茫然自失の少女に手を後ろで組んで嬉々として小躍りしながら接近する悪魔、



「付き合ってるっていうのは嘘。でも初体験を捧げたっていうのは本当マジ


耳元で放たれた矢はワタシの柔らかい部分を貫いていく。



「それ以上冬華に何も言うんじゃねぇ!」



春斗が引き剥がすが、もうなにもかも遅すぎた。



「しょうがないでしょ?事実なんだから?」


「アタシは付き合いたいって思ってるのに、春斗は忘れられないんだよね」


冬華コイツのこと」



「だから連絡先なんて交換しちゃってさ~、マジムカつくんだよね~」


「さっきの写真、みんなにバラまくから覚悟しといてね?」


「それじゃあお二人さん、仲良く思い出話でもしてくださいな♪」



「アタシは先帰るからね~。あっそれでさ春斗」




「またヤリたくなったら、後で家来てよ、鍵?持ってるでしょ?」




振り向きざまに見せた顔はこの世の者とは思えないほどの邪気を放っていた。





「冬華・・・ごめん、俺どうしたらいいか・・・わかんねぇ」


「・・・」


「お、俺はアイツのことなんかこれっぽっちも好きじゃないんだ!」


「でも逆らえなくて・・・、今でも初恋はお前なんだよ・・・」



苦しそうに顔を歪ませる彼を、ワタシはただ見つめることもできない。



「中三の時、すげぇ辛かったんだよ、守り続けたかったんだよ、けどダメだった」


「俺にも言えない事情があってさ、怖くて逃げて、冬華を不幸にさせたんだ」



「今日だってさっき声かけてくれてすっげぇ嬉しかったさ!」


「元気そうな笑顔がみれてさ!あの時よりもずっと可愛くて!」


「でもさ、俺にはもう好きになる資格もないよな・・・」




「なんで・・・」


「なんでいつもワタシってこんな酷い目に会うんだろうね」


「冬華・・・」



少女は少年にハッキリとした意思を伝える。



「ワタシもハル君のこと好きだったよ」


「でもね」


「少しでも貴男のことを信じたワタシが馬鹿だった!」



泣き顔でぐしゃぐしゃになるなんとも形容しがたいエガオ。



「ワタシもハル君のこと忘れられなかったけど、もう忘れるね!」



「なんでだよ?!俺だって理由ワケがあったんだってば!信じてくれよ!」


「今からでも遅くないって!前みたいに遊びにいったり、話したりしようぜ?」



「ごめんなさい、もういい。初恋は綺麗なままでしまっておきたい」




「ワタシ、アナタに出会えてよかったよ!」




今日一番の冬華の笑顔は、最悪のカタチとなって最高だった人間に現れた。




彼女の魂から、愛が潰える。





「・・・・・・」


遠目から彼女達の闘いを見届けた紗耶香は、あの日の自分達に重ね合わせていた。


傍から見れば只の痴話喧嘩だろうが、当人達にとっては違う。もっと大切なこと。



(もし神という存在がいるのならば、とんでもないサディストだわ)



一体彼女に何をさせようというのだろうか?



冬華がなにをした?何故不幸な目に会うのか?希望はないのか?



その答えは自分にも分からないし、こんな理不尽は試練と呼べない。




大切だった者に背を向け別れを告げた彼女は、私の元へ戻ってくる。




「・・・もういいの?」


「はい、悩み事はもうなくなりました」


「そう、それじゃあ行きましょう」



一瞬、春斗カレの方を見る。ただ突っ立っていて、手を震わせていた。





「今から作るから、ちょっと待っててね」


制服にエプロン姿で髪を纏め上げる紗耶香の姿は、新妻といっても過言ではない。


その様子を見た冬華はおもむろに立ち上がり、後ろから抱き着く。


「いいわよ、アナタが満足するまでずっとそうして。私は何処にも行かないから」



(この人も・・・優しすぎる)



今まで寄り添える優しさに甘えていた冬華は、失う恐怖に怯えていた。


二度失った悲しみに、三度目のワタシは耐えられるのだろうか?


そんな不安が頭の中をグルグルし、抱擁が強くなる。



「困ったわね、これじゃあご飯作れないわ」



狭い廊下に面した台所に、二人でいると動けない。



紗耶香は無理矢理体を回転させて、冬華を胸の間にうずめさせる。


「ぎゅむ!?」


密着しすぎてて、思ったよりも苦しかったであろうか?



「・・・」  「・・・」



長い沈黙とか細い息遣いだけが場を保つ。



「あら?もしかして・・・」


抱き着いた少女はそのまま眠っていたようだ。


「まったくもう・・・よっ!」


少女を抱きかかえて、無理やりベッドまで運ぶが、体力が落ちたなぁとしみじみ。


(筋力落ちたわね・・・久しぶりに運動しようかしら)



白いシーツの上に寝かされた彼女の寝顔は、まるで天使の様で純真無垢だ。


「おいしいカレーを作れるように頑張るわ」


乳母の仏壇を一瞥し、まずは米を研ぐことから始める。





(あれ、ワタシ寝ちゃってた?)


心地の良い調理音と辺りに広がるスパイスの香りが鼻腔をくすぐり、目を覚ます。


ぼやける視界に映る人影が、一瞬ありもしなかった母親の姿に空目する。


(ああそっか、紗耶香がご飯作ってくれてるんだ)


寝ながら腕をそっと伸ばしてみると、その姿が大きくこちらに向かってくる。


「起きた?さっき寝ちゃったからベッドまで運んだのよ、感謝してよね」

「後カレーもうすぐ出来るから、先顔洗ってきちゃってよ」


こちらの顔を覗き込む少しムスッとした彼女の顔が眩しくて、


「あ・・・れ?」


まるで雪解け水のように純粋な涙が頬を伝い、枕に流れシミを作る。


彼女は呆れたように、私の顔を優しく拭いてくれて、


「ホント泣き虫なんだから・・・まぁでも私もそうだったから」


暖かな微笑で語りかけてくれる、思い出を咀嚼するように。


「いつかその涙が、キレイで尊いものに変えられるよう頑張りましょう」


「うん・・・ありがとうね」





「!?、このカレーおいしい?!おばあちゃんの味がする!」


提供された商品に満足してくれたようだ。


「実は台所の棚に、こんなものが入ってたのよ」


紗耶香は子供が自分の宝物を親にみせる時の様に、イタズラな顔で取り出す。


真新しいノートには表紙に『レシピ』と一言だけ書いてあって、

その字に見覚えがある。


「これはアナタに向けられた贈り物、読んでみて」



ページを開いてみると、分かりやすい絵と文書がズラリと並んでいて、


それはどれもワタシの好物ばかりだった。


「おばあちゃん・・・」


嬉しさと懐かしさでまた泣いてしまいそうになるが、グッと堪える。


「そこにカレーのレシピも詳しく載ってた」


頬杖をついた紗耶香は嬉しそうに本の中身を教えてくれた。



「今度は煮物にも挑戦してみるから、期待しててね」


「うん・・・」


冷めないうちにカレーをパクリパクリと食べ進めるが、



(あぁ、もうダメだ・・・)



脳裏に浮かぶのは乳母と楽しく暮らしていた平熱の日々。



当たり前が突然消え去って、初恋は過ぎ去って、それでもワタシは生きている。



「そんなに勢いよく食べたらダメよ、ちゃんと噛んで味わいなさい」



しかしそれは難しいお願いだ。



食事というのは不思議なもので、そこに本人がいなくても、キチンとしたレシピ、

愛情、食卓を囲む人間、それだけであの日のことが鮮明に蘇る。



「本当に・・・本当に美味しいから・・・」



「・・・それは作り甲斐があったわ」




冬華と紗耶香の慎ましやかな時間が過ぎていく。




次回は21or0時更新

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