遊ぶことを思い出したら
「親と連絡取っていないのか?」
鳴海がたずねると、旭は紙パックのストローから口を離し「とっていない」と言った。そして12ポンドの球を手にレーンへ向かう。
ふたりはユウキの家を出た後、隣町にあるボーリング場で遊んでいた。
旭に知らない世界を教えるためだ。様子見をするために、手近な遊びを試している。
「鳴海よ、ゼンブ倒れたぞ」
ボールリターンにへばりついていたナポリタンが触手をレーンに向けた。ストライクだ。鳴海は口をへの字にして、真顔でもどってきた旭をねめつけた。
「本当にはじめてだよな」
「はじめて」
「あっそ」
本気を出して投げてみるが、6本しか倒れない。鳴海は勝利を早々に諦め、次投でもストライクを叩きだした旭を見守った。
「あれかな。数学的素養というか、そういうのも関係あるのか? 軌道とか重さって物理だもんな……」
「ナニをブツブツ言っているのだ、鳴海よ」
「いや、アイツ運動神経良かったんだな。そういう印象なかったんだが」
「インショウでモノゴトを決めるな」
正論に肩をすくめる。すると戻ってきた旭が、
「運動は苦手。ドッジボールとか」と話した。
「ドッジボール? そういや小学生のとき、よくやってたな」
旭はまばたきをして、こくんとうなずいた。
「これはボールをぶつける相手が逃げない。おもしろい。こんな競技がある」
「それならよかったけど。存在くらいは知ってただろ」
「知っていた。でも実際にやるとむずかしい。精密な行動が求められる」
「アンタはこういうことのほうが好きなんだな。ひとりで黙々と向きあえるっていうか」
「そうかもしれない。考えたことがなかったけど」
「音楽なんかも、ひょっとすると得意かもしれないな」
「おんがく」
「観察が得意だろ。それに計算もいけるんじゃないか?」
「得意じゃない。不得意でもないけど」
「ようはできるんだろ。数理的能力が高いやつは音楽もできる。得意なことをすると楽しいぞ」
旭は眉尻を下げた。
「いやなのか?」
「いやじゃない。でも音楽をする。どうすればいい」
圧倒的スコア差で終わったゲームモニターを閉じ、館内マップを見る。カラオケルームも施設利用料に含まれている。
「歌うか」
鳴海が立ちあがると、旭は目をカッと見開いた。
「歌を知らない」
「知らない?」
「なにを歌えばいいのかわからない」
困惑する旭に、なるほどとうなずく。
「なら教えるよ。俺もあんまり得意じゃないけど」と頬をかきながら提案する。
「それで曲を覚えて歌ってみればいい」
旭はかすかにうなずいた。
案内された部屋は狭かった。鳴海は悩んだ末に一番好きな曲を入れた。正直なところカラオケは苦手だ。普段は可能な限り盛り上げ役に徹し、良い塩梅のところで退散している。
だが今回は思いきって熱唱した。するとナポリタンが踊るように触手を振りだした。旭は曲を覚えようとしているのか、厳しい顔つきでテレビを凝視している。
歌唱後、心の底から宇宙の片隅に消えたかった。
「音楽は宇宙に近しいのだぞ」とナポリタンが言った。
「そうかよ」
「大学生はこういうことをする?」旭が不思議そうにたずねた。
「するよ、でも仲良くないと無理だな。恥ずかしくて死ぬ」
実際に心臓がバクバクと鳴って死にそうだった。ほてった顔を手であおぐ。
「たしかに恥ずかしそう」
「そう思うならアンタも恥をかいてくれ」
マイクを渡すと、旭はすくっと立ちあがった。入れたのは鳴海と同じ曲だ。
ぎこちなく始まった歌は、壊れたキーボードで演奏しているように聞こえる。おそろしいほど音程が正確だが、どのように発声するのか知らないのだろう。
曲が終わると旭は「恥をかいた」と真面目な顔で言った。鳴海は吹きだした。
「そう思うならちょっとは照れろよ」
「照れている」と耳を指さす。たしかに少しだけ赤かった。
「ツギの曲入れろ、鳴海よ」とナポリタンが急かした。
そうやって二時間ほどカラオケで歌った。旭はすぐに曲を覚えたが、ひやひやする歌い方は直らなかった。店を出たとき鳴海の腹筋は激しく痛んでいた。旭の無表情には、わずかに憮然とした様子が見てとれる。
「笑われた」
「すまん、面白くて」
ふたりは駅前広場を歩いている。人通りが多いため、旭はナポリタンを背中に乗せた。
「でも、これでわかったな。アンタにはいろんな才能がある」
それは心から思ったことだった。
「旭、モノゴトにたいするバランス感覚がある。我、気づいている」
「数理能力が高いんだろうな。さっきも言ったけど」
旭はふいと顔をそらして「そう」と言った。
「うん、じゃあ次はどうするか……」
商業ビルの背中から夕日が差しこんでいる。一日はまだまだ長い。街は娯楽施設で溢れているし、どれも彼が経験していなさそうな物ばかりだ。
「アンタはどうしたい?」
彼は心ここにあらずだった。鳴海はおとなしく言葉を待った。
「アンタ」
ふいと旭はふりかえった。
「え、あ、なんだ」
「アンタではないと思う。青山旭には青山旭という名前がある。君は佐々木鳴海」
鳴海は目を白黒させた。旭は人波に視線をもどす。
「気にしていたのか」
「べつに気にしてはいない。アンタではないと思っただけ」
「ええっと」もごもごと口を動かす。「旭?」
「なに」
「これでいいのか」
「かまわない。鳴海くん」
「……ゲーセンでも行くか」
「うん」
ナポリタンが鳴海の頭を何度か叩いた。「なにするんだよ」と睨むが、なにも言わずに旭の背中にしがみついているる。夕日とナポリタンが入り混じって、空はオレンジ色のパレードだ。
「早く」
旭が催促した。