表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/20

この震える星を捉えて


 飲み会組は1時間も遅刻したため、ゼミ合宿の詳細について話しあって解散したのは17時近かった。

 ナポリタンは立腹していた。


「星が爆発するのに悠長。鳴海、オマエこそどうでもよいと思っているのではないか」


 鳴海は反論できなかったが、さすがに日常生活をすべて放りだすわけにもいかない。


 駅のコンコースを渡りながら「思ったんだが、俺以外の人間に頼る気にはならなかったのか?」とたずねてみる。


「まず我、見える人間である必要。かつ旭の知っている人物。オマエだけ」


「……後者の条件が、前者の条件をぶっこわしてるな」


「ソノとおり。旭の知りあい、かつ我見える人間、オマエしかいなかったのだ」


「ユウキさんに見えればよかったのにな」


「ふむ、たしかにな。ユウキ賢い。だがヤツはムリだ。幸福から遠い」


 鳴海は意表をつかれた。すると「勘違いするな」と訂正された。


「意図、ちゃんと理解しろ。サルの進化系よ」と触手がひざの裏をたたく。

「オマエが幸福だとはミジンも思わぬ。我、幸福ワカラヌ。だがオマエは違う。ユウキも違う。旭も違う」


「違うやつばっかりだな」


「そうだ。だから難題。ムズカシイ問い。真面目に取りかかれ」


 マンションのセキュリティはナポリタンが解除した。エレベーターに乗りこむ。低い機械音の中で、鳴海は考えこんだ。

 幸福になるのは難しい。

 それは心にすとんと落ちる言葉だった。

 辞書の定義からすれば欲望の充足こそが幸福だ。その点からいえば自分は幸福だ。就職が決まり人生のモラトリアムを謳歌している。


「でもオマエは幸福ではない」


 そうかもしれない。不意に思う。

 エレベーターが静かに止まる。扉が開いて、無機質な廊下が現れた。

 



 チャイムを押すと旭が出迎えた。鳴海は「よう」と片手をあげた。

 廊下の左右に部屋があり、扉が開いていた。前に来たときは閉まっていた。ベッドとクローゼット、そして白い布がかけられた一メートルほどの物体が見える。

 のぞき見はよくないと思いなおして、リビングに入る。旭はチェアに腰をおろして固まっていた。


「アンタさ。ひまなときとか、なにしてんだ」


 すると彼はこちらを見つめ、口をゆっくり開いた。

 話しださない。

 心配になって「おい」と声をかけると、ようやく「その話だが」と言葉を発した。


「趣味、ある。でも時間が早い」


「時間?」


「そう。時間」


「趣味の時間が決まってるのか」


 旭に趣味があるとは意外だった。しかし明るい報告でもある。なにかをしたいと望むのは、欲があるからだ。


「君もやる」


「は?」


「君は言った。ぼくに主体性がない。君にぼくの主体性が伝達できていないのは、ぼくの不備。だから伝える」


 いたたまれない気持ちになって「それはすまん。言葉のあやだった」と謝罪する。

「ちょっと苛ついてたんだ。俺の作戦ミスだった。主体性うんぬんってのは、べつに気にしなくていい」


 そもそも宇宙人に主体性を期待していない。そう考えていると、旭が首を横にふった。静かな目だった。


「主体性がない。そう思う原因、君がぼくを人間だと認識していない点にある」


 鳴海はひるんだ。しかし旭の言葉は、あくまでも穏やかだった。


「ぼくは人間。ナポリタンと共有した磁場を持っているが、肉体と精神は地球人で人間。だから理解を望む。ぼくには主体性がある」


 人間だと認識していない。そのとおりだった。

 彼に向けていた目線、投げつけた言葉を思いだす。体から力が抜け、後悔が襲った。自分の考えていたことに愕然とする。

 旭はふいに立ちあがって、ダイニングキッチンに入った。

 鳴海はやかんに火をかける背中に歩みより、深呼吸をした。口を開けた瞬間、旭がふりかえる。


「晩御飯。君も食べる」


 鳴海は言葉をのみこんだ。

 カウンターの上にカップラーメンがふたつ並んでいた。足元の段ボールを見る。カップラーメンを段ボールにもどす。


「ちょっと待ってろ」


 ぶっきらぼうに言うと、旭は首をかしげた。


「ぼくがやる。座っててかまわない」


 再びカップラーメンを取ろうとする手をつかみ、気をつけの姿勢になるように身体の横につける。


「俺は買い物へ行く。だからすこし待て」


「でも空腹」


「カップラーメンは今日はやめだ。わかったな」


 旭は、かすかに悲し気な顔をして「空腹」とくりかえした。


「だから」鳴海は息をついた。「俺が作ってやるから」


 不服そうな彼をリビングに押しやって「おとなしくしてろよ」と言い残し、財布を片手に部屋を飛びだす。

 エレベーターを待つあいだに、また主体性を無視しているのではとの疑念にかられる。ナポリタンは「旭は加工したものを食べない」と言っていた。

 カップラーメンを食べるべきかもしれない。鳴海はひたいに手を置いて悩んだ。音もなくエレベーターの扉が開いた。


「知るか、そんなこと」


 つぶやいて、一歩踏みだす。




 旭は言いつけ通りに待っていた。ナポリタンが廊下を這って「ドコに行っていたのだ」と怒った。

「作戦会議するのではなかったか」


「するよ。でも腹ごしらえしてからな」


 てきぱきと準備を始める。冷蔵庫に食材がほとんどない一方で、料理道具があることは知っていた。家族で暮らしていたころの名残だろう。

 ナポリタンは不審がってウロウロしていたが、やがて「加工するのか」と質問した。


「なに加工する。タマゴ、牛乳、バター。生で食べられるぞ」


「オムライス」


 フライパンにバターを落とす。じゅうっと音をたてて、甘い香りが部屋にひろがった。


 20分後、テーブルにはオムライスがふたつ並んでいた。皿の端と端が触れあいそうだ。旭は黄色と赤の塊を凝視している。


「食え」


 鳴海はスプーンを手渡した。


「オムライスは食ったことあるよな」


「たぶん」


 旭は両手をあわせて「いただきます」と言い、おずおずと薄焼き卵を割った。ケチャップで味つけされたごはんが口に吸いこまれていく。

 鳴海は平然と食事をするふりをしながら、上目で彼の様子をうかがった。味見したときは美味しく感じた。ご飯が少しべちゃついてるが、総菜の白飯と家の火力にしては頑張ったほうだ。

 触手が鳴海のオムライスにべたっと触れたので「なにすんだ」と皿を退ける。


「フクザツな加工方法。混合を加熱、反応。複数の化学物質の調和」


「あのさ、加工じゃなくて料理って言ってくれないか」


「料理。料理は加工だ。反応と調和。興味深い」


 鳴海は憮然としていたが、その話に少しだけ感心した。


「鳴海はカガクシャなのだな」


 触手が左右に振れた。不意に気がつく。これがナポリタンの楽しさの表現なのだ。


「とすれば、鳴海の家はカガクシャ一家ということか」


「は?」


「飲食店ケイエイをしていると言ったぞ」


 鳴海は旭をちらりと見てから「ああ」と言った。


「知ってる」と旭がつぶやいた。


 オムライスから味が消えた。


「知ってるって、なにを」


「洋食軒まんじょく。君の家。君は家の手伝いをしている」


「なんで知っているんだ」と硬い声で問う。「だれかに聞いたのか」


「違う。行ったことがある」


 鳴海はいよいよ驚いた。


「いつ行ったんだよ」


「ずっとまえ。小さいころ家族で行った。父親と母親がほめていた」


 旭はオムライスを食べおえた。「ごちそうさまでした」と手を合わせ、

「おいしかった」と言った。


 小学生のとき、家が飲食店であることは鳴海の自慢だった。友達のほとんどはサラリーマン家庭だったので、父親の職業がとても特別に感じた。彼の作るハンバーグはチェーン店よりずっと美味しい。そう思っていた。


「つけあわせは」


 からっぽの皿を恨めしげに見ていた旭が顔をあげた。鳴海は外を見ていた。


「ナポリタン」


 肩の力をぬく。


「そっか」




 皿を片づけていると旭が動きだした。寝室からガチャガチャと音がしている。さきほど話していた趣味にまつわることだろうかと考えていると、外へ出ていってしまった。


「アイツなにしてんだ」


 テーブルの上に被さっているナポリタンにたずねると、


「準備だ」と返ってきた。


「なんの」


「セッカチだな、鳴海よ。余裕をもて」


 旭はすぐに帰ってきた。肩にトートバッグを下げ、毛布をかかえている。


「外、行く」


「外?」


「屋上に行く。寒いから」と毛布を渡される。


 旭に続いて鳴海も外に出た。ナポリタンもついてきた。

 彼らは非常階段をのぼった。立ち入り禁止の貼り紙がされた扉の前に、例の隣部屋にあった白い布をかけられた物体があった。旭はポケットから鍵を出した。


「どこで手に入れたんだよ、それ」


「もらった」旭は鍵を開けた。

「モラッタのだ」とナポリタンが笑ったので、それ以上は聞かなかった。


 音もなく扉が開き、物体をかついだ旭と鳴海も中に入った。夜風が前髪をかきあげた。

 無機質な風景だった。柵がないため足元が心もとなく感じる。防水シートの貼られた床はてらてらと輝き、アンテナは魚の口のようにまぬけな形をしていた。

 鳴海はこわごわと足を進め、屋上の端に近づいた。平凡な夜景だった。空には細い月がかかっており雲は一つもない。

 旭は屋上の中央に毛布をひき、物体から布を取りはらった。1メートル弱の天体望遠鏡が登場する。鳴海は機械の調整をする旭をまじまじと観察した。


「すわって」と旭が言った。


「天体観測か」


「そう。土星の環を観測する」


「そんなの見えんのか」


「簡単。あっちが南」


 旭は接眼レンズを覗きこんだ。鏡筒の位置を調整しハンドルをいじる。鳴海は隣にあぐらをかき、夜空と旭を交互に見た。


「ソラは広いだろう、鳴海」


 ナポリタンの触手が上にぐんぐん伸びた。


「実は果てのあるソラだ。だが広い広いソラだな。我、ココが好きだぞ」


「屋上のことか」


「読解力がナイ。コノ星から認識するソラのことだ」


「発見した」旭の声は、かすかにうわずっていた。「よく見える。そう思う」


 鳴海は望遠鏡の前にひざをつき、野生動物に触れるときのように、そっとレンズに目をつけた。


「なにも見えないけど」


「目が慣れていない。だんだんわかる」


 暗闇を注視しつづける。すると黄色いゴミのようだった光に輪郭が出てきた。


「ちょっと待って。ずれたかもしれない」と旭が肩を押した。調整をする指先は、いつものぼんやりとした動きと反対に素早かった。


「今度こそ大丈夫。そっとやる」


「わかった」


 鳴海はうなずいた。振動させないように、ぴったりとレンズに目を当てる。声にならない声がでた。そこにあるのは、理科の教科書で見たままの星だった。


「環がある!」と興奮して叫ぶ。


「そう。土星には環がある」


「見えるよ。環。あれが土星なのか」


「あれが土星」


「え、すげえ」


 あまりにもくっきりと見えるので、対物レンズに視線を向ける。すると「目に見えるモノ、信じないのはバカ」とナポリタンが嘲笑した。「紙をくっつけているわけではナイ」


 鳴海は耳を赤くした。


「わかってるよ。でも、こんなにハッキリ見えるものだと思ってなかったんだ」


「ちゃんとある。もっと良いレンズなら模様も見える」


 鳴海は再度、土星の存在をたしかめた。嘘の世界のようだった。優しいだれかが、近しい場所にそっと土星を置いて、自分に見せているような気がした。


「信じられないと思う。でもちゃんとある」


 旭は両手を後ろについて空を眺めていた。


「これは父親が購入した。3才のとき。ナポリタンと衝突するまえ。宇宙人がいたらいいなと思った」


 鳴海は目を見開いた。旭が笑ったのだ。


「ちゃんとある。ぼくの主体性もそう。認識しづらいと思う。でも存在する。それは君に伝わっただろうか」


 鳴海はなんとなく正座をした。「伝わった」とうなずく。

「土星はあるんだな。初めて見た」


「ある。見えていないだけ。見せることが重要」


「ありがとう」


 その言葉は自然にこぼれおちた。


「見捨てないでくれて、ありがとうな」


 屋上に風が吹きすさんでいた。旭のうつろな瞳に土星があった。

 言葉がさらわれたかもしれないと思ったが、それでもよかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ