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天秤の片側に薄めたカシオレ・2


 9月3日。鳴海はTシャツの襟をはためかせて風を送った。冷房が効いていない。半個室の席を予約した。雰囲気の良い店だったが、いかんせん蒸し暑かった。

 右隣の女子がカシスオレンジを飲みほした瞬間に「次なに飲む?」とメニューを渡す。場慣れしているのか「ええ、どうしよっかなあ」と肩をよせてくる。彼女に笑いかけながら、横目で旭を観察した。


「青山くん法学部なんだっけ」


「そう」


「えーすごいねー」


「そうかな」


「法学部って弁護士になる人、意外と少ないんでしょ? 青山くんはどこに就職するの?」


「就職しないから」


 彼女の顔をブリザードが通りすぎる。鳴海は視線をそらした。こうなることは予測していたが胸が痛む。

 居酒屋に集まるのは、イベントサークルのコネを使って集めた男女8人だった。男1人と女2人は気心の知れたサークル仲間で、残りの面子とは初対面だ。


 合コンは欲の集積地である。鳴海は電車のなかで旭にそう伝授した。


「あれは戦争よりも狩りに近いんだ。男女ともに自分のスペックをかけて戦うわけだが、基本は協力しあう。でも場合によっては、ガチになって裏切るのもアリ。最終的にそいつの持ち物がモノを言うからな。わかるか」


 旭はよく理解していないようだった。バッグの中をのぞきこみ「必要最低限しか持っていないけれど大丈夫だろうか」と言う。


 鳴海は説明をやめて「とりあえず」と言葉を叩きつけた。


「今回、アンタは無理に戦わなくていい。まず欲を感じることに集中しろ。かわいい女の子がいっぱい来るから、彼女たちに意識を集中するんだ」


「集中」


「そうだ、集中しろ」


「わかった」彼はうなずいた。「集中する」


 言われたとおり旭は集中していた。他の男子へ標的を変えた隣の女子を、光線でも放ちそうな眼力で見つめつづけている。

 鳴海はメニューで顔をおおいたくなった。どうしたものかと考えていると、一人の女子が「ちょっとごめん」と席を立った。すると女子全員が次々と外れていく。男たちは愛想を振りまいて見送った。


「鳴海、どの子いくんだ」と斜向かいの友達がたずねた。


「いや、俺はいい。監事に徹する予定だから」と言い、旭に目をむける。彼は空っぽのビールジョッキを片手に、一番手近なキャベツをつまんでいた。

 鳴海は肩を落として店員を呼び「ビールでいいのか?」と旭に聞いた。彼は小さくうなずいた。もしかして飲酒すら初めてなのではと嫌な予感がした。


「四年だから遊んでやろうって子が多いよなあ。緊張感がない」と1人がつぶやいた。


「なんだよ緊張感って。ありがたい話だ」


「ありがたい?」と旭が首をひねった。


「ありがたいだろ。遊ぶ気もないのに来られるほうが困るよな」


 どこからどう聞いても、場を白けさせる旭への皮肉だったが、彼はどこ吹く風で、鳴海に顔をむけて「遊ぶ気ってなに?」と聞いた。


「いい思いをする気ってことだ。ここにいる男は全員ワンチャン狙いなんだよ。俺以外」


「おまえもそうだろ」


「俺は彼女いるから」と手をひるがえす。


「ワンチャン」


「……犬のことじゃないぞ。ようは性欲を満たすためだ」


「それは露骨すぎる。今日はさっぱりした子が多そうだから、それ以降も狙える」


「付きあうつもりは?」と口がはさまれる。


「ない」ともう一人が即答する。


「いまさら彼女作ってどうすんだよ。どうせ就職したら別れる」


 旭は虚無を顔にうかべている。鳴海はそれを見て落ちこんだが、気をとりなおして、

「隣の子、けっこう可愛かったよな?」と聞いた。


「ワンチャンみたいだった」


 

 男衆が吹きだした。鳴海はテーブルに沈没した。


「そうじゃない。そうじゃなくて……」


 たしかに彼女はトイプードルに似ていたと思って絶望する。3歳児に性欲や見栄、嫉妬心を覚えさせるのは無理があったのもしれない。


「もういい」とあきらめると、旭は再び虚無の塊に戻ってしまった。


 その後、鳴海はなんとか場を盛り上げようと苦心した。旭は仏像のように動かなかった。非協力的な態度に腹がたったが、最初の作戦なのでしかたがないと自分を納得させるしかない。


 流れが変わったのは会計の後だった。

 居酒屋の横で二次会の話し合いをしていた時だ。鳴海は疲れはて、まっすぐ帰宅するつもりでいた。集団からはぐれている旭に声をかけようと一歩踏みだし、立ちどまる。なんと女子から話しかけられている。


「旭くん、おうちはどっち方面なの?」


「東京都」


「あ、ええっと、じゃあ私と同じ路線かな? そしたら一緒だね。わたしもそっち方面だから。ちょっと学校から遠いんだけど」


「遠い」


「そうなの。片道2時間もかかるんだよ」


「大変だ」


「そ、そうなの。大変で……でも旭くんもけっこう大学遠いよね。モノレール乗らないといけないし」


「そうでもない」


 彼女は顔を引きつらせたが、めげなかった。「二次会行く?」との言葉を聞き、鳴海はガッツポーズを作った。

 旭は答えなかった。どうしたんだと視線だけでふりかえると、目が合った。


「鳴海くん」


 嫌な予感がした。


「二次会には参加するべきなのか」


 鳴海を見る彼女の目に力がこもった。気が遠くなった。


「さ、さあ? 俺は明日早いからやめとこうかな。旭は行ってこいよ」


 あらんかぎりの自制心を稼働して笑顔をうかべる。

 旭は鳴海から視線を外した。わかったと言うのだろう。そう鳴海は思った。目の前で固唾をのんでいた彼女も、きっとそう思っていた。


「行かない」


 三人のあいだを酒臭い風が吹いた。鳴海はあぜんとした。


「行かない。集中して学んだ。目的は達した」


 彼女は言葉を失っていた。鳴海は慌てて旭の背中をたたき「行ってこいよ!」と言ったが、時すでに遅い。去りゆく彼女の背中を見て、ひざに両手をつく。


「だああ、もう! 行けよ、せっかく良い感じだったんだから!」


「学んだ。もう十分」


「いや、なにを学んだんだよ」


「欲望のあり方。君が教えたかったことをぼくは理解した」


「理解したようには見えないんだが。というか理解していたら断るはずがないんだが!?」


 鳴海は髪をかきむしって、深いため息をついた。


「もうちょっと主体性を持てよ。たしかにバイト代もらってやってる仕事だけど、アンタ自身の問題でもあるだろ?」


「主体的にしている。学んだ」


 旭があまりにも動じないので、無性に腹がたった。


「学んでねえだろ、さっきの行動のどこが主体的なんだよ!」と声を荒げる。

「合コンだって立派な社交場だろ。そういう場所にきちんと参加できるってことは、ひとつのスキルでもあるんだぞ」


 まくしたてても、彼の表情はぴくりとも動かない。なにも響いていないようだ。鳴海はよけいに苛々として、

「それとも地球なんてどうなってもいいから、あえてそうしてんのか?」と目を三角にした。


「俺は正直、アンタの幸福なんてどうでもいいよ。でも地球が終わると困るんだ。ここまでやってきたことが全部パーになる。これはアンタだけの問題じゃないんだぞ」


「それは理解している。だから学ぶ」


「じゃあ今からでも二次会行ってこいよ。あの子に欲ってもんを教えてもらえ」


「だから、それは必要ない」


「なんでだよ」


「欲のあり方を学んだから」


「はあ?」鳴海はこめかみに筋をたてて「性欲もかよ!」と言い捨てた。


 通行人が半笑いをうかべて通りすぎた。やってしまった、と鳴海は赤くなった。


「それが無いと学んだ」


 きっぱりと旭は答えた。


「だからこれ以上、この学びに時間を割くのは無意味。幸福につながらない。目的は達成されない」


 言い捨てて歩き去っていく。鳴海はしばらく立ちすくんだが、くるりと反対方向にむきなおり、二次会に合流するべく繁華街をずんずんと歩きだした。


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