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天秤の片側に薄めたカシオレ


 鳴海と旭はテーブルを挟んでにらみあっていた。むやみに背の高いテーブルだった。チェアも脚が長く座席が小さい。ユウキからもらった物らしい。

 尋問部屋のように殺風景な家だった。

 旭の住むマンションは駅のコンコースと直結している。部屋は最上階の一番奥、3LDK。大きな窓がついていて、駅前が眺望できる。

 鳴海はチェアの脚に足先をひっかけて尻がすべるのを防いでいた。ふうっと深呼吸をして、携帯の画面にうつった文面を読みあげる。


「現在の自分の境遇に十分な安らぎをや満足を覚え、あえてそれ以上を望もうとする気持を抱くこともなく現状が持続してほしいと思うこと。はい」


「げんざいのじぶんのきょうぐうにじゅうぶんなやすらぎやまんぞくをおぼえ」


「満足か?」


「満足している」と旭は答えた。


「現状が維持してほしいと思うのか」


「さあ」


「さあじゃ困るんだよ」


 鳴海は足を床におろした。座り心地が悪すぎる。


「自分のことなんだから、自分が一番理解できるはずだろ。これによれば欲求の満足と継続イコール幸福だ。自分が満たされるようなことを考えろよ」


 画面をせわしく叩きながら話す。検索エンジンで調べた『幸福』の定義がつらつらと書かれている。


「幸福の定義はこのとおりだ。現状を維持したいと思わないなら、心の底では満足していないんじゃないか」


「そうなんだ」


「それを考えるのは俺の役目じゃない。アンタの役目だ」


「なるほど」


 旭は考えこんでしまった。鳴海は肩を落とした。足元にナポリタンが這いずってきて、気味の悪い笑い声をあげた。


「抽象的概念の定義、サカシゲだ。だが解決はしないな」


「うるせえな」と足蹴にする。「アンタ、ずっとこいつのそばにいたんだろ。もう少し情操教育をほどこす気になんなかったのか」


「ソウ言っても、旭はムカシからこうだぞ」


 鳴海は渋い顔をした。たしかに小学校のころから旭は変人として有名だった。口数が少なく、なにが起こっても表情ひとつ変えない。児童たちは不気味な彼を遠巻きにして六年間を終えた。

 あれから十年後の現在、鳴海は彼のことを知ろうと質問を繰り返す。

「家族は?」と聞くと「イギリスにいる」としか答えなかった。らちが明かないのでユウキにたずねると、彼らは旭の奇行に耐えかねて、父親の出張を機に海外へ飛んでしまったらしい。


「俺が仮の保護者なわけ。姉さんたちからすると変人同士仲良くやれってことだと思うな。あははは」とユウキが笑うと、妻か彼女か愛人か不明な女性も「アハハハ」と笑った。


 親のカードで生活していると聞いて鳴海は鼻白んだが、生活の様子を見て考えをあらためた。冷蔵庫の中にはヨーグルトとバナナしか入っておらず、カップヌードルの詰まった段ボールがキッチンを占領している。

「昼飯は?」と聞くと「パン」と答える。淡泊すぎる生活だった。

 また、旭が大学の同級生であることも判明した。

 比較的地元に近いマンモス大学のため、意外には思わなかったが、法学部であると聞いて驚いた。よくよく話を聞くと父親の母校らしい。同大学の法学部は頭ひとつ抜けて有名なので、鳴海はつい「法学部なら就活は楽だったろ?」とやっかんでしまい後悔した。


 旭はぼんやりと「就職」とつぶやいた。


「決まってないのか」


「決まってない」


「……就活はしてるよな? それとも卒論がひと段落ついたら始めるとか」


 旭はなにも答えない。鳴海は天をあおいだ。常識的な考えもなければ、未来にたいする人並みの不安すらないらしい。


「あんたな、そんなんでどうやってこの先食べていくんだよ。いくら親が金持ちでも、そんな甘えた態度じゃダメだろ」


「方法が分からない」


「就活セミナーとかあるだろ。そういうの行ったか? 説明会は?」


「教授に行けと言われた。だから行った。就職活動は止めるべきだとキャリアセンターと人事役員と隣の席の学生に言われた」


 それ以上突っこんで聞く勇気はなかった。

 旭は社会から相当に逸脱している。この絶望的事実だけが、一週間で判明したすべてだった。鳴海は途方にくれた。エイリアンを幸福にする方法など思いつくはずもない。


「ヒントはねえのか、麺類」


 退屈そうに窓に張りつくナポリタンをにらむと、タコのように触手を動かし、

「我はワカラヌと言っている」とうそぶく。


「ただ幸福の定義、満足とするならば、旭には満足するウツワがないぞ」


「器? どういうことだ」


「地球人にツキモノのアレがないのだ」


「アレ?」


 下品なことが頭をよぎり、旭をちらりと見る。


「本当に鳴海は愚かなのだな。アレとは欲のコトだ。業のコトだ。旭、業がホトンドない。我と磁場を共有した影響かもしれぬな」


 せきばらいをして「理解したよ」と言う。たしかに旭には欲がない。欲を満たす器がなければ満足もないと、そういうことだろう。


「あのさ、アンタ彼女とかいないのか」と真剣にたずねる。


「彼女?」


「だから男からしたら、その、彼女欲しいだろ?」


 沈黙がおりてしまった。


「そういう欲もないのか」とおっかなびっくり質問する。


「そういう欲ってなに」


 鳴海は言葉をうしなった。旭は眠たい幼稚園児のようにうつろな瞳をしていた。


「食欲と睡眠欲はあるよな。服を買いにくるんだから、衣食住を満たすつもりはあるわけだ」


 ぶつぶつ言いながら、こめかみをたたく。


「わかったぞ。アンタは3歳児みたいなものなんだ。つまり必要なのは、あれがしたいとか、これがしたいとかって欲を発見することだ」


「おお、鳴海。サカシク見えるぞ」


「そういうことだよな?」とナポリタンに人差し指をむける。


「欲を発見させる。我賛成。しかし方法が問題。どうやるのだ」


 鳴海はうなった。欲とは自然に発生するものではないのだろうか。特に学生なんて欲の権化のようなものなのに。

 旭をねめつける。悟りをひらいた僧のような顔だ。


「わかった。欲を学ぼう」と宣言する。

「とりあえず行動しないことには始まらないからな」


「欲」と旭がつぶやく。「学んで身につく?」


「知らない。でも学ぶ姿勢がなければ、どんなことも絶対に身につかない。モチベーションが大事だろ。わかるか?」


「なるほど」


「まず観察だ。対象を知る必要がある」


 鳴海は野球監督のようにあごに手を当てて、きらりと目を光らせた。

「あいにくアンタには適正があるし」旭の顔面をじろじろと見て、あくどい笑みを浮かべる。


「まかせとけ。欲まみれの場所に連れていってやる」


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