翼もがれても
駅前に着くと、セーターの中が汗でぬれていた。彼は堂々とマンションに入り最上階に向かった。外とは打って変わって、廊下はしんと静まりかえっている。傘立てすら無い、あいも変わらずの玄関先でチャイムを押す。なにも起こらない。もう一度押す。むなしい反響がひびく。
腕まくりをして高速でチャイムを連打した。5分ほど経過して、ようやく扉が開いた。
「旭!」
勢いよく部屋に飛びこむ。
しかし目の前には、だれもいなかった。視線を下に動かすとオレンジ色の触手が扉の取っ手にかかっていた。
「鳴海、おまえ、賢い方法をとれぬのか」うんざりしたようにナポリタンは言った。
「ウルサすぎるぞ」
鳴海は懐かしさに目眩がした。笑いながら「それならもう少しはやく開けろよ。寒いんだよ」と言う。
ナポリタンは器用に扉を開けた。玄関を見渡す。廊下の電気は消えていた。
「旭は?」
ナポリタンはずるずると這っていく。
「なあ」
答えがない。後を追ってリビングに入ったが、すぐに足を止めた。目を疑うような光景が広がっていた。
リサイクルショップかゴミ捨て場か、それともジャングルか。見間違えるようなありさまだ。あれほどこざっぱりしていたのが、物であふれかえっていた。床にありとあらゆる種類の本や雑誌が散らばり、右側には囲碁板とギターとキャンプセットがリカちゃんハウスとベンチプレスの上に乱雑に置かれていた。左側には美術館案内のパンフレットとナンパの教習本とプラモデル、そして枯れた生け花のようなものが刺しゅう枠と一緒にひっくりかえっている。
背の高い丸テーブルと、ふたつのチェアだけがそのままだった。
ナポリタンはチェアに這いあがって「すわれ」と向かいの席を触手で示した。
黙って腰をおろし、机の上を見る。旅行会社の封筒が乗っていた。
「旭は幸福にならなかったぞ」
ナポリタンは、こともなげに言った。
「ぜんぶダメだったのか」
「そうだ」
「アンタの星と連絡は」
「とれないぞ。旭は不幸だ」ナポリタンは触手を二本あげて、肩をすくめるような動きをした。
「モウどうしようもないのだ」
部屋を見渡した。ごちゃごちゃした部屋は旭に不釣りあいだった。
この1カ月、彼がこの部屋で暮らしたのかと思うと吐き気がしてきた。そんなことをさせた自分に嫌気がさした。
机上の封筒を手にとる。なにも入っていない。
「どこ行ったんだ、アイツは」
「ハワイだ」
「は」
「ハワイだ」
鳴海はあんぐりと口を開けた。
「いつ」
「おとといだ」
「なにしに」
「星を観にいくと言っていたぞ」
「いつ帰ってくんの」
ナポリタンは沈黙した。それこそが解答だった。血の気が引いた。
「おい」
「我々、磁場を共有している。だが旭の感情によって統一がとれぬ」
「それは知ってる」
「旭、考えた。統一がとれない。ソレは異なるから」
ナポリタンはあくまで淡々と続けた。
「異なるモノへ対処する方法、ふたつにひとつ。歩みよる。ソレとも」
触手が鳴海の手から封筒をとって裏返した。
「排除する」
背筋が凍った。「ちょっと待てよ」と頭を抱える。
「我、止めた。だが旭は地球がなくなる、コマルと言った」
「待てよ。その気持ちがあるんなら、通信は統一できるんじゃないのかよ!」
彼は立ちあがって怒鳴った。
「そう言ってただろ。地球なんてどうでもいいと思ってたから、うまくいかないって」
「できぬ」
ナポリタンはきっぱりと告げた。
「旭は幸福ではナイ。こんな地球にいる意味がナイ。本当はソウ思っているのだ。でも地球が壊れるとコマル。だからコッチを選んだ」
鳴海はナポリタンをつかんだ。触手はぶにょぶにょして、以前よりもハリがなかった。
「旭、オマエに幸福になってほしいと考えた」
触手をつかむ手がゆるんだ。
「ワカルか、鳴海よ。旭はカワキを得たのだ。オマエたちが予想したとおり、幸福になるためのウツワを得た」
だが、とナポリタンはつづけた。
「青い鳥などいなかったぞ」
手のひらから触手が滑りおちた。床に落ちたナポリタンは汚れたモップにみえた。
「こんなに探したのだ。でもいなかった。幸福にならなかった。ダカラ旭は考えた。考えを尊重しろ。オマエは旭に、モウ関わるべきではないのだ」
ひざの力が抜ける。へたりこみそうになって机に両手をつく。
混沌とした部屋が鳥かごに思えた。ゴミの山は抜けおちた鳥の羽だった。部屋の真ん中に座り、ひとりで戦っている旭の姿が頭をよぎった。
「旭は」と口をひらく。
「友達かって聞かれて、どうしてわからないって言ったんだ」
「ナゼ、そんなコトを聞く」
「いいから話せ」
「……ワカラヌからだ。本当にワカラヌからだ」
触手がぴくりと動いた。
「ワカラヌ。だが旭はオマエと一緒にいたかった」
脳の血管がどくどくと鳴っていた。心臓が宙がえりした。
ナポリタンが「ほげえ」と悲鳴をあげた。鳴海は触手をむんずと持ちあげて「鍵!」と叫んだ。
「乱暴! 鳴海、乱暴!」
「家の鍵はどこだ!」
「ポストのウラだ!」と触手がふりまわされる。
ナポリタンを小脇に抱えて外に出る。鍵を出して扉をしめ、エレベーターへ走った。
「鳴海、ムチャだぞ! 旭、決意かたい。間に合うかワカラヌ。ソレに」
考えを読んだナポリタンが喚きちらすが、すべて無視する。
真夜中の駅前は閑散としていた。鳴海はひた走った。横から「無茶、無茶」とつぶやく声が聞こえる。
呼吸を乱しながら駅の裏まで走り、一軒家のチャイムにこぶしを叩きつける。すぐに女性が顔を出して、「あら久しぶり」と言った。彼女の横をすりぬけて、スニーカーをたたきに脱ぎすてる。背後から「あらあら」と呆れ声がした。
リビングにはクリスマスツリーが飾ってあった。
鳴海は引き戸にずんずんと近づいて、「報酬をもらいにきた」とすごんだ。すると五本の指が芋虫のように現れた。
「あれは成功報酬だけど」と低い声が言う。
「君、失敗したでしょ」
「旅行券じゃなくて航空券を準備してほしい。ハワイへ行ける一番早いやつ」
無言が続いた。
「旭にも準備してやったんだろ。じゃあ俺にも渡してくれ。それが報酬でかまわない」
ユウキは諦めた声で「いまさら」とつぶやいた。
「気持ちはわかるよ。でも旭は決めたんだ。ぼくたちが止める資格は」
「御託はいいから、早く」
「鳴海くん、わかってくれ」
「わかんねえよ。アンタ、旭のおじさんだろ! なんであんなもの」
「彼がどんな気持ちで行ったかわからないのか!」
怒声が響いた。ナポリタンがびっくりして鳴海の背中に隠れた。
「ぼくだって、こんなことしたくなかったよ。でもしかたがないだろ。彼は幸福になれなかった。地球が滅ぼうが滅ぼかなかろうが、どうでもいいって言ったよ。だけど旭は」
声が涙ぐんだ。
「決めたんだよ。もしぼくが拒絶したら、彼はその場で死んでしまいそうだった。それなら、最後に好きなようにさせてあげたいだろ。ぼくらが邪魔することなんて」
鳴海は戸口に手をかけた。ユウキの指が弾かれたように引っこんだ。
「わかったよ」
彼は決然と言った。
「アンタはアンタの思うとおりに、旭は旭の思うとおりにすればいい。だから俺にもやらせてほしいんだ」
手を下ろすと、腕がこわごわ現れた。
「……旭はそんなこと望んでいないかもしれない」
「それは正直どうでもいい」
「無責任だよ」
「無責任だ。でも俺は止めたい」
見えない視線が体をなめまわすように眺めた。なぜこの男性が、この部屋から出てこられなくなったのか考える。想像がつくはずもなかった。
がたん、と音がした。
長い影が本棚の前に立っていた。「ダーリン?」と女性が驚いた。
突き出された封筒は、ぶるぶると震えていた。
「本当は」
男性は限界まで顔を背けていた。
「本当はぼくが行こうと思っていた。でも勇気が出ない。ユウキって名前なのにね、あはは」
鳴海はあっけにとられた。その男性は背が高くてやせていた。後頭部しか見えなかったが、旭と雰囲気が似ているように思えた。
「は、早くとって」
慌てて封筒を受けとる。男性はウサギがやぶの中に隠れるように姿を消した。
「プライベートジェットだから、担当の子にはぼくから言っとく。いますぐESTAとって、パスポートだけ持ってって」
「ユウキさん」
「一昨日、昨日、今日、明日って発着場をとったんだ。ばかにならない値段だよ、ホント」
「ありがとうございます」鳴海は頭をさげて「絶対に連れ帰ってきますから」と言った。
うずくまる気配はなにも答えなかった。かすかな泣き声が聞こえた。
すると女性がずかずかと鳴海に歩みよって、首ねっこをつかんだ。ライオンの親が子供を運ぶ時のような手軽さだった。鳴海はぎょっとして彼女を見上げた。美しい顔に壮烈な笑顔が浮かんでいた。
「わたし、ダーリンを守りたいの。アナタと一緒。だからごめんねえ」
彼女は鳴海を玄関へ投げて、リビングの扉をぴしゃりと閉めた。口をぽかんと開ける。なにが起こったのだろう。
「むう」とナポリタンが唸った。
「異星人」
「い、異星人?」
「宇宙はヒロイな」
触手はしっかりと封筒を握っていた。




