粉っぽくて食べられやしない
某日、両家の顔あわせは新宿の個室和食店にて、つつがなく行われた。
鳴海はがちがちに緊張する両親を心配していたが、加奈子がなにかと気を回して安心させていた。
吉田家の人々は由美が説明したように非常に気のよい人々に思えた。父親は商社で営業をしていたがすでにリタイアしていた。母親はよく喋るタイプで敏江とすぐに気があった。
由美も落ち着かない様子だったが、対面にいる吉田と何度も視線を交しては、口元をほころばせていた。隣席の鳴海はやれやれと肩をすくめ真鯛の刺身に舌鼓をうった。
2時間後、佐々木家の面々は電車に揺られていた。両親を角の席に座らせて、姉弟3人は彼らを囲むように立っていた。
「心配して損した」
鳴海が感想を述べると、由美は「心配かけてごめんね」と謝った。
「でもいい人たちだったでしょう?」
「うん、嘘じゃなかったね」加奈子も笑った。
「理解のある人たちで本当によかった」
「結婚式はしないの?」と敏江がたずねた。
「しないわよ。むだにお金ばかりかかるし、その分を新婚旅行に使うの」
「なあんだ、残念ねえ」
「賢いだろ。結婚したらなにかと入用になるだろうし」
そう言って鳴海は車窓に顔をむける。
家族の楽しそうな会話が聞こえる。新婚旅行はできればヨーロッパがいい。できればフランスかスペイン。でも家具や家電に貯金を残しておきたい気もする……。
窓に映った顔がにやけていた。あわてて口元を引きしめ、携帯を取りだす。メッセージが届いている。彼は表情をこわばらせた。
「鳴海、どうかした?」と加奈子が話しかけてきた。
「いや」携帯をポケットにしまう。
「大丈夫」
心臓が早鐘を打っていた。身体の向きを変えて画面を家族から隠し、メッセージを確認する。
――今、最寄り駅にいます。家に行ってもいい?
彼は混乱した。理央に家を教えた記憶はない。返信するべきか否か迷っていると、携帯が振動する。
――ごめん、家のまえで待ってるから。
車窓に視線を戻す。風景はどんどん移り変わり、目的地へ近づいている。
「あのさ」と口を開く。
「せっかくだから買い物でもしてきたら?」
家族全員が不思議そうにした。
「どうしたの急に」と由美がたずねる。
「いや、たまには羽伸ばせばいいのにって思って。俺はこの後、用事があるから無理だけど」
加奈子が「なんかやましいことでもあるんじゃないの」と疑いの目を向ける。
「ちげえよ。いいから、たまにはさ」
両親は顔を見合わせていた。
「そういえば」哲夫が思い出したように言った。
「今朝気づいたんだが。ネクタイの先っぽがな、ほら」
彼は襟からネクタイを引きだした。先端から糸が飛びでている。
「あら」と敏江が声をあげる。
「ひさしぶりに新調しようかと思うんだが」
「まあ、まだ家に帰るには早いなあとは思ってたけど……私も久しぶりに買い物したいし、デパート行こうか?」
加奈子が腕時計を見て、乗り気そうな様子をみせた。
「そんなに良いのじゃなくていいがな。めったに着けないし」
哲夫は笑いながら息子にちらりと視線を送った。鳴海は安堵の気持ちをこめて、軽くうなずいた。
途中下車した両親と姉たちを見送った後、鳴海はどぎまぎしながら自宅に向かった。
無人の駅を降り、明暗の激しい路地に入る。『誠に勝手ながら十月二十七日は臨時休業とさせていただきます』と黒いマジックで書かれた紙が風にあおられている。薄暗がりに立ちすくむ小柄な影を発見する。
理央は、不安げにあたりを見回していた。スーツを着た鳴海を発見し、表情がゆるむ。
「研修?」
鳴海は無愛想に首を横にふった。
「どうしてわかったんだ」
「その、鳴海の同級生だったって子に、たまたま会ったの。それで」
理央はおずおずと言った。自宅を勝手に突きとめたことを恥じているようだったが、切なげな目つきに鳴海を責める心が現れていた。
「レストランだったんだ。知らなかった」
「言ってないから」
彼女はワンピースの袖をぎゅっとつかんだ。鳴海は周囲に目を走らせた。妙な噂がたっても困る。舌うちして店の戸を開ける。
「入って」と声をかけると、彼女は気まずそうに入店した。
「適当にすわって」
ジャケットを脱いで、裏手に投げいれる。扉をぴしゃりと閉めカウンター席に腰かける。
理央は視線をさまよわせていた。お世辞にもきれいとは言いがたい店内だ。壁にはクモの巣のようなヒビが入り、テーブルにもガタが来ている。
「それで?」鳴海は腕ぐみをして理央をねめつけた。
「わざわざこんなとこまで来て、なんの話」
「なんの話っていうか、最近会えてないから」
「メール送ればいいだろ」
彼女はうつむいてしまった。被害者のような態度に苛立って「安心したろ?」とあてつける。
「こんなボロ屋にだれかを連れこめるはずもないし」
彼女はぎくりと目を上げた。
「べつにそんなこと言ってないよ」とぼそぼそ話す。
「勝手に調べたのは悪かったと思う。でも心配だったから」
「心配だったら人のプライベートはガン無視か」
「だから悪かったってば」
鳴海は眉間をもみながら、ため息をついた。
「悪いけど帰って。一応、今日は休みってことになってるから。客入れてると思われたら困るんだ」
「……わかった」
理央は乱暴に立ちあがった。椅子が変な音をたてたので、鳴海はよけいに腹がたった。先んじて戸を開け、彼女が去るのを待つ。
「やっぱ浮気してるでしょ」
戸をくぐりざま、鋭い言葉が投げつけられた。思わず彼女の腕をつかむ。
「なあ、俺のことばかにしてる?」鳴海は口元を引きつらせた。
「ぜんぜん反省してないよな」
「反省? 反省ってなに? 鳴海、わたしの気持ちをぜんぜん考えてくれないよね」
「それと浮気とどう関係するんだよ」
「もう好きじゃないんでしょ」
「だから、それとこれはべつの話」
「もう好きじゃないんでしょ!」
甲高い悲鳴に、びっくりして手を離す。
「家の場所教えてくれないのだってそうじゃん。遊びだから教えてくれないんじゃん。時間あるくせに、ぜんぜん会ってくれないし」
理央の目尻に、みるみるうちに涙がたまっていく。
「すごいさみしかったのに、ひとつも連絡くれないし。あげくにそんな態度ってひどいよ。家に来ただけじゃん。そんなにわたしのこと嫌いなの?」
「理央」鳴海は声のトーンを落とした。
「ちょっと冷静になれ」
「嫌いなら嫌いでそれでもいいよ。でもちゃんと言ってよ、言わないとわかんないよ」
「嫌いじゃないよ」
「じゃあなんで? なんで会わなくなったの? なにが嫌だったの?」
彼女はパニックを起こしていた。ハンドバッグを頼りなさげに握りしめて、子供のように袖で目元をぬぐった。
幽霊が肩にのしかかっている気がした。なにかを言わなくてはならない。だが心の中には、もう言うべき中身が残っていなかった。
理央は泣きつづけていたが、やがて「なんでなにも言わないの」と疲れたようにつぶやいた。
「ねえ」
鳴海は黙っていた。
「ねえってば」絶望したように彼の肩をゆさぶる。
「なんでなにも言わないの。やっぱり浮気していたの?」
「そうだよ」
言葉は意図するより前に出てきた。鳴海にとっても不愉快な響きだった。理央はぽかんとしていた。
「合コンも行ったし、このあいだも相席居酒屋に行った。なんにも起こってないしそのつもりもなかったけど、理央からしたら浮気だろ。ほら正直にぜんぶ話した。さっさと帰ってくれるか?」
最低なことを言った。そう思えるほどに現実感が戻ったのは、理央が泣きながら彼の左頬を叩き、がたつきのひどい扉を無理やり開けて、外へ駆けだしたあとだった。
鳴海は戸を力づくで閉めて、席にへたりこんだ。重々しいためいきをついて立ちあがり、自室に向かう。スーツからTシャツに着がえて寝転がった。携帯を意味もなくいじったあとで、ふいと耳に当てる。着信音が一定のリズムで聞こえる。
「はい」
落ちついた声色が聞こえた。鳴海は顔をあげた。出ると思っていなかったのだ。
「……旭か」
「鳴海くん」
彼は黙っていた。
「変。どうした」
無表情な声色が掠れて聞こえる。鳴海はぼんやりした頭で、なにも考えずに口を開いた。
「今、暇か?」
「うん」
「うち、来ないか」
「うち」
「俺の家」
「いいの」
胸のすく思いがした。
「いいに決まってんだろ」
そう吐いた瞬間に罪悪感と、遠足を待ち望むときのような期待感が生まれた。体を起こして、誰も見ていないのにも関わらず人差し指を立てる。
「リストに入れてなかっただろ。友達の家へ行く」
一拍おいて「友達の家」と旭はくりかえした。
「うん。いまちょうど家族いないし。まあ、いてもいいんだけど。来いよ」
「わかった。家をでる」
「了解。待ってる」
「待ってて」
電話が切れた。
鳴海は携帯をもった手を投げだして目を閉じた。浮遊感が身体を包んでいた。
「よし」
跳ね起きて1階へ駆け下り、キッチンへ向かった。冷蔵庫をのぞく。少し考えてから牛乳と卵を取りだし、棚に残っていたホットケーキミックスと混ぜる。優しく甘いにおいがした。
シンクに目をとめる。店の厨房をきれいにしている反動か、こちらは水垢だらけだ。掃除をしようかと思いたつが、すぐにどうでもよくなった。旭はそんなことを気にしないと分かっていたのだ。




