フリーターからweb小説でデビューして作家になったけど打ち切られてニートになった底辺の私が、石油女王のお姉さんに見初められて勝ち組になるまで
『発売一週間でこの消化率だと厳しいですね。申し訳ないですが、打ち切りです』
編集さんからかかってきた電話を手に、私の目の前は真っ暗になっていた。
短大を卒業したあと、就職した私は、半年足らずでドロップアウトした。
理由は人間関係とか、やけに多い残業とか色々だ。
周囲の人たちや家族は、気持ちが落ち込んだ私を様々な言葉で励ましてくれたけど、私がいないところで、
『メンタル弱すぎ』
『それぐらいどこの会社に行ってもあるのにね』
『何で最近の子はそれぐらいで仕事やめちゃうのかしら』
と、馬鹿にされていることを私は知っている。
元から人間不信だったけど、仕事を辞めて実家に帰ってからそれはさらに加速していた。
それでもどうにか社会復帰しようと、次の仕事までの繋ぎに、とバイトを初めて――早四年。
迫る三十代。
募る焦燥感。
けれどいざ動こうとすると、自分の脚に絡みつく臆病心。
そうやってだらだら引き伸ばしているうちに、少しずつ時間は過ぎていって、そんな中でストレス解消のために始めたのが、小説の執筆だった。
バイト先の上司をモデルにした男をぶっ飛ばし、見たこともないイケメンと私が付き合う。
最初はそんな、私が作者だとは誰にも言えないような内容で書いていたけど、これが割と受けて。
その調子で作品を重ねていたら、ちょうど一年前――書籍化の打診が来た。
私は浮かれた。
初版うん千部、印税はうん%、単価は千三百円。
ざっくり計算しても、バイト半年分近くの収入が入ってくる。
しかもコミカライズまで成功すれば――なんて取らぬ狸の皮算用。
けど夢を抱けた分だけ、その頃の私は幸せだった。
「じゃ、じゃあ、コミカライズのお話は……」
『それなりに売れたらって話でしたし、無しで』
「え、ええぇっ! どうにかならないんですかっ!?」
『なりませんね』
「バイトも辞めたんですけど!」
『だから仕事は続けてくださいって言ったじゃないですか』
「それはそうですけども……」
これはいい機会だと思って、バイトは辞めた。
まあ、元からそんなに高い時給じゃなかったし、就職を考えればいつか辞めなければならなかった。
それが今のタイミングだっただけの話だから、さほどそこはショックじゃない。
何なら、この後に別のバイトを始めたっていいわけで。
でも、重要なのはそこじゃない。
割とうまく行ったつもりだった。
見たこともないぐらいポイントが入って、とんでもない数の人が見てくれて、感想でみんなが沢山褒めてくれて――ああ、これは私の最高傑作だなって思ってたのに。
実際は、一週間で打ち切りが決まるぐらいの売上。
その現実が、私の才能の無さが、苦しくて吐き気がする。
『そういうわけなんで、また機会があったらよろしくお願いします。それじゃ』
「あ、待って――」
編集さんは、以前の親身さなど微塵も感じさせないドライな口調で電話を切った。
実家の部屋に残された私は、唇を噛んで、胸を締め付ける苦しさと痛みに耐えた。
◇◇◇
それから三日ほど、私はふさぎ込んだ。
部屋から出るのは、親に「食事が出来たわよ」と呼び出されたときぐらい。
ネットを見てると、私と似たような境遇の人を揶揄して笑う書き込みばかり目について、それすらも怖くなった。
SNSに病んだような書き込みをしていると、心配してくれる人もいる。
それを唯一の救いみたいに感じて、縋り付いていたけれど、そのうちの一人が『そんな人だと思いませんでした、見損ないました』と書き込むと、救済は砂のように消えた。
砂上の楼閣というやつだ。
私には実力が無い。
だから、実態の無い自信など、誰かが指先で触れるだけで崩れ落ちてしまう。
薄暗い部屋で、布団を被って膝を抱えていると、ふいに、就職して一人暮らしをしていた頃を思い出した。
最初は希望に溢れていた。
会社の人も優しくて、研修は正直ダルかったけど、同期と一緒に楽しんでやれていた気がする。
けれど外部研修が始まって、自己啓発セミナーに参加させられると、少しずつ温度差が生まれてきた。
繰り返される自己否定。
大きな声が出せない私みたいなのは、特に罵倒された。
声の大きさって体質だから、そんなことされてもどうしようもないのに。
二日目、喉から来た体調不良で休みを訴えた私は、しかし同僚の冷たい視線でそれを取り下げた。
すでに彼らの目つきは一日目と変わっていて、何だか私は別世界に迷い込んだような気がしていた。
三日目、なぜか重い荷物を持って山に登らされる。
体力のない私は道中で嘔吐した。
みんな親身に心配してくれたけれど、親身すぎて気持ち悪い。
第一、心配するくせに、誰もが「頑張れ」とか言うばかりで休もうとか一言も言わないんだから。
けれど同僚たちの目はキラキラと輝いている。
仲間と協力しあうことは素晴らしいことだと。
ああ、やだなあ。やだ。だって私と仲が良かったあなた、そういうの苦手って言ってたじゃない。
最終日、心身ともに疲れ果てたみんなは、最後に教官から褒められて涙を流していた。
抱き合っていた。
私も抱きしめられた。
セクハラじゃん、死ねばいいのに。
そう思いながら私は、周りの人に合わせるために、引きつった笑顔を浮かべていた。
翌日、会社に戻る。
同僚たちの目はキラキラ輝いていた。
一人、曇った眼をしていた私に先輩が近づいてきて、肩を叩く。
『安心しろって、あんなの三日ぐらいで元に戻るから』
彼の言った通り、同僚たちの洗脳は少しずつ解けていって、三日ぐらいで元に近い形に戻った。
けれど元には戻らなかった。
ほんの少しずれた歯車は、たぶん私しか気づかないような違いだったけど、それがとても気持ち悪いものに思えて。
何より、それを誰もが『元通り』と思っている世界が恐ろしくて。
私は少しずつ、会社での居場所を失っていった。
そして暗く沈む。
海の中に。
ああ、いけないなあ、気持ちは沈んだら浮かばなければならない。
そう思っていたけれど、自分の気持ちだけじゃどうしようもなくて。
沈んで、沈んで、沈んで――ある日、底が破れた。
誰もいない場所に行こうと心に決めて、私は数日の間、行方不明になった。
それから警察に保護された私は退職の手続きをして、一人暮らしの部屋を引き上げて、実家に戻った。
最初は本当に、両親は心の底から心配してくれてたんだけど、私の調子が少し戻ってきたある日、ぼそりと母が呟いているのを聞いた。
『あれぐらいで仕事を辞めるなんて』
あれぐらい。
あれぐらい。
あれぐらい。
ああ、優しい母ですらそう思っているのなら、世界中の誰もがそう思っているんだろうな。
そう思うと、急に心は縮こまって、固くなって、誰も受け入れなくなった。
周囲の人は、「前より笑うようになったね」と言ったけれど、たぶんそれは違う。
私は諦めたんだ。
まともに生きていくことを。
一度沈んだ心が戻ることは無い。
ふとした拍子にまた沈む。
一度壊れた心が戻ることは無い。
戻っているように見えるのは、本人が元通りに振る舞おうと努力しているだけだ。
そう、努力しないとまともにならない。
ただ生きているだけで、苦しい。
「う……ううぅ……」
布団の中で、私は両手で頭を抱え、指で髪の毛をくしゃりと掴んだ。
「うああぁぁああああああっ! ああぁぁああああっ!」
そして叫ぶ。
布団のヴェールが私を外界から隔絶してくれるから、声は誰にも届かない。
私の苦痛は、どうせ届いても誰にも理解されないのだから。
だったら、誰にも心配をかけないように、“私はまともだ”と思ってもらえるように、こんなみっともない私は、私の中だけで閉じ込めておくほうがいい。
「ああぁぁあああああああああああっ!」
たまに、急に叫びたくなることってあるでしょう?
これはただの、そういうやつだ。
衝動的に、溜め込んだ心の膿を吐き出すように。
私はただ、その頻度が他の人より多いだけ。
その深度が、他の人よりも深いだけ。
けれど、たったそれだけの違いで。
『まともじゃない』と、みんなが私を指さしてくる。
――ブウゥゥゥゥンッ。
そのとき、スマホがブルルと震えた。
バイブレーションはいつもより長い。
数秒後、それが電話の着信だと気づいた私は、急いで布団から出てスマホを手にとった。
画面には『編集さん』と書かれている。
ボタンを押し、スピーカーモードで通話を開始する。
「も……もしもし?」
『知る人ぞ汁子先生ですかっ!?』
「あ、はい」
素面でそのペンネーム聞かされるとキツい。
『大変なことが起きました……その、私もまだ信じられないんですが……』
「どうしたんですか?」
『十万部』
「へ?」
『とある石油会社の社長から、十万部の発注が入りました……』
「え、ええぇぇええっ!? いたずらとかじゃなくてですか?」
『数が数なので、直接交渉したいとのことですが、今のところは本人としか思えません』
「どうしてそんなことに……」
『純粋に先生のファンだそうで。SNSでもフォローしてるそうですよ』
そう言われて、私はふと思い出した。
web版を更新した書き込み、そのリプライの部分に、
『書籍化おめでとうございます! 十万部買います!』
と書いたフォロワーがいたことを。
でも、そんな本気で十万部買う人なんて、いる?
いないよね? 普通はいない!
『印刷所の都合もあるので十万部を一気に刷るのは難しいですが、これがもし実現したら……』
「……したら?」
『続刊は間違いありません。帯にも『十万部突破』と書けますからね』
○万部突破帯――それはあらゆる作家が憧れる、夢のラグジュアリーアイテム。
誰もが羨む勝ち組作家の証明だ。
それが、私に?
私が万部作家に!?
『詳細は追って連絡します。先生は、続刊のつもりでスケジュールを確保しておいてください』
「わ、わかりましたっ」
そして電話は切れた。
私は、先ほどまでの鬱モードとは打って変わって、その場ですくっと立ち上がり、
「よっしゃあぁぁぁああああっ!」
勝利の雄叫びを実家中に響かせた。
「よっしゃよっしゃよっしゃ! 十万部っ! 十万部ぅーっ! あ、そうだ、フォロワーさんにお礼を……あ、でもどうしよう。お礼とか言っちゃっていいものなの? これ、どうしたらいい? どうする?」
小躍りしながらスマホを手に、SNSにログインする。
するとダイレクトメッセージが届いていた。
相手の名前は『石油女王』、例の十万部買いますの人だ。
「う、うひょぉぉおっ! 本人っ! メシア本人からDMがぁぁっ!」
思わずスマホを床に置いて平服する私。
しかしテンション高いな。
「見よ……拝みながら見よ……なになに、『宣言通り、十万部を注文させていただきました。先生の大ファンです。世界に存在するあらゆる創作の中で最も優れていると思っています。次の巻を、人生における他の何よりも楽しみにしています』だって……? あぁぁっ、あああぁっ! 尊いっ! 石油王って実在したんだぁーっ! ああぁーっ! でも石油女王だから女性だーっ! ありがとう石油女王ーっ!」
儀式化と言わんばかりに体を上下させながら拝む私。
やっぱりテンション高いな。
でも、憂鬱ってそんなもんだよね。
私の場合、原因は将来への不安とかだから。
お金が手に入って将来への不安が消えたら、意外とあっさりと戻っちゃうものなのよ。
だって十万部だよ? 十万部!
印税がうん%のままだとしても……おっほ!? おっひょ!? 桁数やっべ! やっべ!
こんなの何年の間、遊んで暮らせちゃうわけ!?
しかも続刊! そっちも石油女王さんが十万部買ってくれたら……うぇへへへへ……もう人生ドロップアウトしちゃってもいいんじゃね? ねえ?
いや税金とかもあるけど……そうだ、税金! どうしよう! 何か買ったり申請したりふるさと納税とかしないと!
「じゅるり……人生、何があるかわかんないよねぇ……」
その日はずっと、親から心配されるほど私はニッコニコだった。
でも内心、ぬか喜びに終わるんじゃないかって心配もあったんだけど――数日後、再び編集さんから電話がかかってきて、十万部の増刷が決定したのだった。
◇◇◇
それから数カ月後。
都内某所某ホールで行われた創作系の即売会に、私は参加していた。
並べる本はもちろん、書籍化した例の作品である。
一巻の横には、最近でたばかりの二巻も置いてある。
帯には神々しい『二十万部突破!』の文字。
そう、石油女王さんは二巻も十万冊買ってくれたのである!
ちなみに、その二巻がどこに消えたのかは謎だ。
でも二十万部突破効果のおかげか、出版社のほうの扱いも大きくなって、フェア特典も作られたり、あとは平積みにしてくれる書店さんもちらほらあるみたいで、知名度効果で石油女王さん以外の部分でも売れ始めている。
コミカライズも正式決定し、来月から連載開始予定だ。
最近はあまりに楽しみで、夜もぐっすり眠れている。
それはさておき、イベントのほうはなかなか静かなものだ。
最近SNSで知り合った作家仲間の人が会いに来てくれたり、あとは偶然立ち寄った人が立ち読みした末に買ってくれたりと、まったりと幸せな時間が流れている。
でも、こういう静かな幸せが楽しめるのも、金銭的に余裕があるからなのかもしれない。
そんな中、会場がにわかにざわつくのを感じた。
喧騒は私のスペースの右側から、徐々にこちらに向かって近づいてくる。
何だ何だと視線を向けてみれば――黒服にサングラスを身につけた、とても強そうな女性ボディガードを引き連れた、ド派手なドレスを纏った女の人が歩いているではないか。
コスプレというわけではなさそう。
あとめっちゃ美人。
服が綺麗とか、化粧がうまいとか、そういうのを差し引いても、まるでハリウッドセレブみたいな美しさである。
私みたいな地味めな女には縁遠い存在だ。
その女性が私のスペースの前を通り過ぎるのをぼーっと見つめていると――彼女は、あろうことか私の目の前で脚を止める。
そして、かけていた虹色に輝くサングラスを外すと、まつげの長い、きらきらと輝く瞳をうるませながら、テーブルに身を乗り上げ、私に顔を近づけた。
「お……おおぅ……」
さらに、そんな感情のこもった嗚咽を漏らすと、こちらの手を両手でがしっと握り、ぽろぽろと涙を流す。
「あ、あの……あのぉ、どなたです、か?」
「オゥ……ソーリー……あまりに、尊すぎて……オーマイガッ……こんな、女神がこの世に存在していいのかと、感動してしまいましタ……」
「え、えっ? えっと、誰かと間違えてません?」
「そんなことはありまセーン! あなたは、知る人ぞ汁子先生、デショウ?」
それはまさに私のことだ。
無言でコクコクとうなずくと、彼女は笑みを浮かべ自ら名乗る。
「ワタシは石油女王という名前で、あなたのSNSをフォローしている者デス」
その名を聞いて、私ははっとした。
「まさか、本当に、あの石油女王さんなんですか……?」
「ハイ! 先生がイベントに出席なさるときいテ、自家用ジェットを飛ばしてきまシタ! お会いしたかったデス、センセーイ!」
両手を広げて、私に抱きつこうとする石油女王さん。
「待ってくださいっ! 本がっ! 本が間にありますからぁっ!」
「オゥ、そうデスね、私としたことが。いかなる金銀財宝よりも尊いこの作品……少しでも傷が付いてしまえば大変なことデス……ん? こ、これは……まさか、センセイ……」
「どうかしましたか?」
テーブルのわきを通って通路に出ながら、私は石油女王さんに聞いた。
すると彼女はディスプレイしてあった本を手に取り、最初のページを開いてわなわなと震える。
「これは……センセイの、サイン……サイン本なのデスねっ! オーウ、まさかこんなお宝にであるなんテ! センセイ、これおいくらデスか?」
「定価なんで、1430円ですね」
「そんなわけがありまセーン! センセイのサインデスよ? この世で最も偉大なる作家のサインが書かれているのに定価などとッ! センセイ、悪いことは言わないので値上げするべきデス。ワタシなら何億出してでも手に入れマス!」
「いやいや、そこまでの価値があるわけじゃ……」
「あるんデスよ、センセイの作品にはっ!」
隔てる障害物がなくなったため、今度は私に直接抱きついてくる石油女王さん。
服装だけじゃなく、体つきもゴージャスだなぁ……それにすっごいいい匂いがする。
髪もサラサラだし、肌もすべすべだし、私なんかが抱きついてると恥ずかしくなってくるぐらいだよぉ!
「ワタシ、今日、センセイに会うのを心の底から楽しみにしてまシタ。あんなに心を震わせてくれたセンセイに、実際にお会いできるなんテ、夢のようなのデス……」
「わ、私も、石油女王さんに会えて嬉しいですよ」
「本当デスか!? オーウ、こんなに嬉しいのは、人生で初めてデース!」
大げさな……と言いたいところだけど、どうやら石油女王さんは本気みたいで。
しかし、こんなに抱きついたらボディーガードさんたちは、さぞ私を睨んでるんだろうなぁ――と思っていたんだけど。
何だか、頬を赤らめた感じで私をじっと見てるし、中には指をくわえて羨ましそうにしてる子もいる。
「フッフッフ……センセイ、気づいてしまったようデスね」
「何がですか?」
「実はワタシ、購入した本で布教しまシタ。まずはウチの会社の社員ゼンインに本を渡し、感想文を書いてもらったのデス」
「社内研修の課題みたいな扱いになってる……」
「すると、ほとんどの社員がセンセイの作品のトリコになりまシタ。今日、ここにやってきたのは、ワタシの雇っているボディーガードのほんの0.1%ほどデスが」
「えっ、何その人数。軍隊でも雇ってるんですか?」
「彼女たちは厳正なる抽選の結果選ばれタ、選りすぐりのセンセイのファンなのデース!」
「じゃ、じゃあこの視線は……」
「センセイへの憧れ。そして実物のセンセイが想像していたよりも遥かに美しく、可憐だったので、みな夢中になっているのデスよ! つまりはラヴ!」
熱のこもった視線……そうか、これは単純に私を先生として見ているだけじゃない。
想像していたよりもずっと美人だったから、あんなに熱を……ってええぇぇえええっ!?
「びっ、美人!? 私がですか!? いやいやいやそんなっ、私なんて髪はボサボサだし肌はカサカサだしメガネだしチビだし地味だしっ」
「化粧もあまりにしてないのにこの美しさ。まさにダイヤモンドといえマス!」
石油女王さんの言葉に同意し、うなずくボディーガードさんたち。
私は無性に恥ずかしくなって、必死に両手で顔を隠した。
「か、過大評価ですよぉ……あんまりおだてないでください、すぐに調子に乗っちゃうんで……」
「おぉ……神よ……かつてこの世に、こんなに可愛らしい恥じらいかたをする女性が存在したデショウか! 作品が素晴らしいだけでなくっ、センセイ自身もこんなに美しいなんテ! ワタシ、決めまシタ!」
「何を、ですか?」
「恐れ多いとはわかっていマス。ですが……もしよかったラ……イベントのあと、ワタシと食事、いきまセンか?」
至近距離で、真剣な表情で私を誘う石油女王さん。
でもこの距離でそんなこと言われるとっ、あぁっ、美人すぎて眩しいっ! 尊いっ! 尊みで死んじゃうっ!
「内面も、外見も、そして作品も素晴らしいセンセイの時間を、少しでいいから独占してみたくなりまシタ」
な、何なのそれっ、口説き文句なのっ!? そうなのねっ!?
そもそも誰かに口説かれるのが初めてだけど、まさかその初めての相手が女の人だなんて。
でも私の胸のドキドキ言ってるし、もしかしてこれ……満更でもない、のか?
「モチロン、案内するオミセは都内の最高級ホテルデース」
「あの……ドレスコードとか、ありそうですね……」
おい、気が利かねえコメントだな私。
「ワタシが用意しマス。もっとも、センセイの美しさなら、着飾らずとも、どんなオミセでも入れるはずデス」
「も……もぅ……もぉーっ、石油女王さん、わざと言ってますよね!?」
「フフフ、センセイの恥じらう顔があまりに可愛すぎるのデ、ツイ」
本当にわざとだったー!
あーもう、恥ずかしいなぁっ!
「それと……よろしかったラ、こうしてリアルで会うときは、アンジェリカと及びくだサイ」
「アンジェリカさん……」
「呼び捨てで構いませんヨ」
「えっ、えっと……あ、アンジェリカ」
「フフ、ありがとうございマス。センセイに名前で呼んで貰っていると思うト、嬉しくて体が熱くなりマス」
「じゃあ、私はミヤコって呼んでください。あ、もちろん呼び捨てでいいですよ?」
「――」
私の言葉に、なぜか急にフリーズするアンジェリカ。
彼女はそのままガクッと膝から崩れ落ちると、胸に手を当てたまま、天に向かって叫んだ。
「オゥ……なぜデスか、なぜなのデスか神様! 作品も素晴らしく、人間性も、外見も優れているというのニ、名前まで美しいだなんテ、二物は与えないんじゃなかったんデスかぁぁぁあっ!」
「いやいやそんなっ、普通の名前じゃないですか!?」
「ミヤコ……オオゥ、ミィヤコゥ……呼ぶだけで……胸が張り裂けそうデース……涙がっ、こみあげてきマース……尊すぎてしんどいデース……!」
アンジェリカは見た目こそクイーンだけど、さっきから言ってることは割と限界オタクだなこれ。
ひとまず周囲の目もあるので、私はアンジェリカの頭をよしよしと撫でた。
すると彼女はその喜びにさらにむせび泣く。
キリが無いので、最終的にボディーガードさんにお願いして泣き止ませてもらった。
「ぐずっ……うっ……面目ないデス……ワタシとしたことが、ミ……ミヤっ……ミヤコの前で……みっともない姿を、お見せ、シテしまいまシタ」
「あはは……名前だけでそこまで喜んでもらったの初めてです。生まれて初めて、ミヤコでよかったと思いました」
「オソレオオイ……オーゥ……いけませんミヤコ……あなたはワタシを、どれだけ喜ばせれば気が済むんデスか! こんな場所でミヤコセンセイの初めてを貰ってしまうなんて! またもやしんどいデース! しんどすぎて体中の穴という穴から涙が出てしまいそうデース!」
「えっ、いまのだけでそこまで!?」
しかし二度も人前で泣けないと思ったのか、アンジェリカはぐっと涙を抑えて、立ち上がる。
それから彼女は、しばし会場をぐるりと回り、そして撤収時間になる頃に私のスペースに戻ってきた。
ボディーガードさんが手伝ってくれたおかげで撤収は素早く終わり、そのままアンジェリカと食事に向かうことに。
送っていくって言うけど……やっぱり、車もリムジンなのか。
まさかここに来てハイエースなんてことはないだろうし。
にしても、今日は色々と初めての体験だらけで、頭が追いつかないよ。
ドレス姿のアンジェリカとちんちくりんの私が並んで歩くだけで、周りの注目も集めちゃうしさ。
「ワタシ、センセイの作品でこういうのを何と言うのか学びまシタ」
一緒に歩くだけでニコニコと幸せそうなアンジェリカは、ふと私にそんなことを言った。
「私の作品、そんなの言ってました?」
「ええ――」
どうやらアンジェリカは、私の作品のweb版をきっかけに、日本語を勉強しだしたらしい。
道理で語彙力が限界オタクだったわけだ。
だから、こういうシチュエーションを表すときも、使う言葉はオタクのそれなわけで――
「“オフパコ”と言うらしいデスね」
その詳しい意味も知らずに、彼女は無邪気にそう言った。
「台無しですよっ!?」
ガクッと崩れ落ちる私。
しかし数時間後、それが間違いではないことを私は知ることになるのだが――それは全年齢では語れないお話。