(4)
不自然なほどに村の中は静まり返っていた。灯の付いている家もちらほらあるが、ほとんどの家は暗いままだ。玄関の戸が歪み、血や破れた着物と思われる布がこびりついている家もある。倒れたまま動かない人の中には、顔見知りもいる。とばりは、恐ろしい惨状に小さく身を震わせる。
村は、サチを送ってすぐに襲われたのだろうか。あの時は、村に異様な雰囲気は何も感じなかったからとばりが帰路に付いた頃に襲われたのだろうか。村の入り口からサチの家までは、走れば五分にも満たない距離なのに、思考が頭の中を回っているせいで、足がやたらとぐずぐずしているように感じた。
「ッ……」
右側から飛び出てきた木の幹ほどもありそうな薄紫色の腕を、リンが手にした短刀で切り払う。続けて噛み付こうと襲ってきた頭を難なく切り落とすと、化け物はそのまま動かなくなった。
「あ、ありがとう」
「気にせんといて! 前、見ぃや!」
道すがら、入り口で襲われた二足歩行の化け物に似た化け物たちが何体も襲いかかってきた。人の顔を酷く歪めたような醜悪な頭を、小人のような体に乗せた化け物もいた。彼らは決まって歯をむき出しにしてとばりを襲ってくる。その度にリンと空夜が刃物のようなもので交戦し、斬りはらう。「とばりを守る」と言った言葉の真意はこれかと、少し腑に落ちた自分がいた。
はやる気持ちを抑えながら、サチの家の前で足を止める。足が鉛のように重い。また絶望がとばりを蝕んでいくような気がした。サチの家からは血の臭いがする。恐る恐る戸を開けようとするとばりをリンが無言で制し、短刀を構えながらゆっくりと戸を開く。
3寸ほど開いた隙間から、土間に倒れるサチの姿が見えた。
「さっちゃん!」
一瞬、襲われたのかと頭が真っ白になりかけたが、サチは生きていた。とばりの叫び声とも呼び声ともつかない声に身を起こしたサチは、とばりの顔を見て泣きそうに顔を歪める。サチの旦那である清一はサチの隣にぐったりと横たわっており、生きているのかは定かでない。サチは清一の体にすがりつくように倒れていた。二人とも血まみれだった。
「とばりちゃん!」
「大丈夫? 怪我は? 血がこんなに……」
「これは私の血じゃないの。怪我は転んで擦りむいたくらい……」
目に涙を溜めたサチの体は小刻みに震え、頰から胸にかけてべっとりと血が付いていた。手で拭うとそれは簡単に取れて、サチの傷から出たものではないと教えてくれる。
「ねえとばりちゃん、清一さんが帰動かないの。お義母さんもお義父さんもいない。実家の父さんと母さんもどうだか……お腹の子も動かない。私が転んだからかなあ……」
口に出せばその事実が真実になってしまうようで、それを恐れるかのようにサチは小さな声で訴えた。とばりはその体を抱きしめる。骨が折れそうなかつて、サチがそうしてくれたように。その体は小刻みに震えていた。声のかけ方を迷っていると、口を開いたのはリンだった。
「お嬢ちゃん、旦那さんのことは心配いらん。ちょっとやけど息がある」
リンは横たわる清一の体を注意深く観察し、脈を取っているのだろうか。首に手を当てていた。そして、空夜に渡された布の端きれを使って器用に止血しているようだった。サチは怪訝そうに首を傾げる。そして空夜の背中から生える翼を見て、後ずさった。その目の中は畏怖と疑念、警戒の色が渦巻いていた。無理もない。想像を絶する恐怖に見舞われているまっただ中だ。
「……この家にはまじないがかけてある。妖避けのね。だから僕らも長居はできない。これは、紫乃の術かな」
空夜はサチのその反応には目もくれず、家の中を注意深く一周、見回した。空夜の鋭い眼光を向けられて身体を跳ねさせたサチは、不安そうにとばりの顔を見上げる。
「君、この家から出ないでね。ここにいれば雑魚妖は入ってこない。とばりもここにいなよ。僕は暴れてる奴等を始末してくる。リン、二人を頼んだよ」
「任しとき」
空夜はそれだけ早口で呟くと、飛ぶように軽やかな足取りで家を飛び出した。少しの間その後ろ姿を見守っていたが、瞬く間に消えてしまう。空夜は、まるで巨悪の根元がわかっているかのように迷いなく闇の中に消えていった。
サチの隣に腰を落としながら、とばりは全身の疲労感にうなだれた。雨に濡れたせいで体が冷え切っていたし、体は鉛のように重く、節々は痛んだ。体を小刻みに震えさせているサチを横目で見る。その小さく細い指をそっと握った。かつて、幼かった頃、サチがとばりにしてくれたように。
「さっちゃん、きっと大丈夫だから」
そんなとばりの仕草に、サチは懐かしいね、微かな微笑みを見せる。
幼かった頃、子供達は残酷だった。自分と違うものを徹底的に排除する。そしてそんな子供達の機微に、大人たちも敏感に反応する。あの頃、とばりには居場所がなかった。”人ではないものが見える”その事実と奇妙さは、受け入れてはもらえなかった。そんな中で、唯一友達になってくれたのがサチだった。とばりにとってサチは、希望の光だった。サチだけは何としても守らなければならなかった。
その覚悟とは対照的に、いつも絶望の影は静かに近づいてくる。