傷跡3
少しずつ、復帰します。
感想ありがとうございます。
波の音が聞こえる、遠く近く。
波の音は好き、海が好き。
規則正しく優しく強くあるのに、その色を形さえ季節ごとに変えて、ちっぽけな私を時には包み込み癒してくれるくせに同じように荒々しく拒絶もする。
この海辺の小さな町を引越し先に選んだのは正解だったなと、ベッドで伸びをしながら周子は思った。
思いっきりカーテンをあけて、窓もあけはなつ。
今日もがんばるかと思いはするが、ましてや息子の遥の朝食の準備にもとりかからなければいけないと思いはするが、どうも思うように頭も体も動かない。
何せ株取引は時間を選ばないし、我が取り巻きたちも、数は少ないが素晴らしい友人たちも時間の概念がないというあきれた連中ばかりだ。
シャワーを浴びてもいまだしゃっきりできない私はすべてをあきらめることにした。
「ヒャッホー、遥おきてる?」
息子の部屋に突撃をすると、遥はすでに幼稚園の制服に着替えていて、朝から奇声をあげる私に、それはそれは冷たい目を向けてくる。
「あんたねえ、五歳児としての基本がどっかおかしくない?ここは母親に優しく起こされてさ、まだ眠そうな目でうにゃうにゃするとこじゃないの?」
遥のとかしつけられた頭をわざとぐしゃぐしゃにしながら言う私に、迷惑さを隠そうともしない遥は、すたすたと部屋を出ながら目で私を促してリビングに向かう。
この家は小さな平屋で部屋を出たらすぐリビングだ。
リビングをのぞいた遥が朝食はどうしたとまたまた目で訴えてくる。
こいつは本当にこういうとこは、父親の遺伝子を充分に受け継いでいる。
目線だけで人を動かせると思うなよ!と私も負けじと綺麗といわれる微笑で受け流し、パン!と手をたたいて両手を広げて優雅にうやうやしいしぐさで遥を玄関へとうながした。
遥がまさか、という顔をするのでニンマリと笑って、そのまま遥を連れ出しママチャリにのせて自転車で五分ほどのコンビニでいろいろなものを買い込んでお気に入りの公園までやってきた。
電動ママチャリ、まさかこんな素敵な乗り物がこの世にあったとは。
この公園の道路をはさんですぐ前は海岸で、ここは公園なんだという主張のためのオンボロすべり台一つのだーれもこないここが私のお気に入りの場所。
すべり台のてっぺんに親子でぎゅうぎゅうに座り海をながめながら、二人で朝食を食べる。
幼稚園にも自転車で向かうとの連絡をする。
私は飲み物だけを飲みながらいろんな事をとりとめもなく話し、遥もそれを聞いているのかいないのか黙々と好きなものを選び食べている。
私はあの家を飛び出して遥と暮らしだしたが、三歳までお互い離れていたのもあり、どうわが子、ましてや幼児と接していこうかと、ほんのちょこっと悩みはした。
子供とはいえ、一人の人間としてあくまで基本対等で付き合っていけばいいだろうと子育て何それと開き直りそのままきた。
私の取り巻きたちが、いそいそと来るときも、父親である蓮の方の弁護士が来る時もどんな時もそばにおいてきた。
そうしてわからない事は大人や母である私に聞くように言い、ある程度の事は隠さず見せてきた。
調停中ではあるが、仕方がないとはいえ月に一度は父親の蓮の元へいくのも認めている。
何がおきているのか子供はわからないなんてありえない。
ましてや遥は義父や義母からものごころのついた時期には帝王学を学ばされていた。
理路整然と子供というものは説明はできなくとも物事の本質をわかっているものだ。
それを感情としてとらえたとしても。
私は遥に何がおきているのか説明しているが、あちらにとっては子供相手にそれは信じられない事なんだそうだ。
ふん、知るか!
遠く遠く海の水平線を眺める、遥も同じように眺めていた。
モデル時代なら海風など肌や髪に悪いともってのほかだが、実際のところ海風にさらされた私はあの頃より自由に、美しくなっているはず。
さあ、遥を幼稚園に送ったらゆっくりお風呂につかりボディメイクにいそしもう。
昨日より今日、今日より明日よ、私はね。
月に一度の最終の金曜の夕方、遥の送迎に蓮が来る。
あの最寄のコンビニで待ち合わせをしている。
何せ私の今住んでいる家は私の下僕、もとい、取り巻きの一人がプレゼントしてくれた家で、蓮の荒んだ雰囲気が、あの俺様何様貴公子がこうまで迫力ある荒み方をするのかというほど少しあれから変わった蓮が、この家を見るととてつもないブリザードぶりを発揮するので、面倒が嫌いな私がこの近所のコンビニで待ち合わせをするようになった。
私が中学生のころ、海辺の町で小さな家に住んでみたいと言った事を、当の本人でさえ忘れていたそれを覚えていてくれたらしい取り巻きに乾杯だ。
迎えにくる蓮を待っている間に、遥とココアを飲みながら話しをする。
遥はなぜかこの時ばかりは、ふだんの彼はどこにいったかというほど饒舌になる。
幼稚園での出来事、自分の思う事、次から次へと話しをする。
ああ、不安にさせているんだなあ、と毎回思う。
だから私は遥が帰ってきたらしてほしいことを必ず頼む。
私の友人たちではさせてあげない、蓮にさえさせなかった事を頼む。
遥が帰ってくる日曜の夜に頼むのは、私の頭をなでる事、私も寝る前に遥の頭をなでる事。
これは二人だけの秘密。
女王様と王子様の二人だけの秘密。
蓮の迎えの車が見えると私は姿を消す、私がいると当たり前のように私も連れて帰ろうとするからめんどくさい。
一度でこりた、日本語が通用しないんだから。
調停の中で義父の親友だった高橋さんも証言にたたれ、私や蓮に謝罪をしていたが、結局のところ私の意志は変わらない。
私は裏切られたと感じた、それがすべて。
高橋さんの娘さんはどこで知り合ったわからない、たちの悪い男と行方をくらませたらしい。
これは我がライバルだった聡子様からの情報。
ある日突然いらっしゃりなぜかそれ以来定期的にたずねてくる。
困った事に相変わらずこの方とやりあうのが私も好きらしい。
聡子様とのやりとりを遥が目を輝かせて見ている。
時々二人で散歩にも食事にもいくようになった、私をおいて。
そう、私をおいていくのだ。
聡子様には息子がおつきあいするのはまだ役不足でございましょうと断りを入れるのだが、私が母親の段階で何を言うのかと鼻で笑われる、解せぬ。
己の美学を持つ蓮が、あの家がなぜこうもひきずるのかは理解できないが、初めての調停の場で私が最初の意見を求められたとき、蓮には義父の親友でもある家族ぐるみで付き合っている女性がいるのだから、さっさと離婚して新しい家族を持つようにと、お互い次を生きていくべきと、この私が、我が取り巻き連中ならうっとりと酔いしれる慈母バージョンで諭したにもかかわらず、ましてや息子の遥以外、何も求めないと言ったにもかかわらず、義母は大泣きし当の蓮はうなり声をあげ、瞬間で調停の場が混乱したのは、この長引く調停の未来を暗示していたのかもしれない。
私があの家を飛び出したと同時期に何を狂ったか、日本の重鎮といわれる我が年長の友人達に喧嘩を売りだした蓮に、こいつは早々につぶされるな、と冷ややかに見ていたのだけれど、これがなかなか負けていない。
まあ、同時にピンと研ぎ澄まされもともとあったあのオーラが、迫力じみた重いものに変容したみたいだが。
そろそろ調停も不調に終わるだろう。
何年別居すれば離婚になるんだっけ?
どうも蓮の考えている事がわからない、これは新手の嫌がらせか。
蓮なら引く手あまただろうに。
まあ、この私が生んだ遥は最高だ、遥以上の後継者は望めない、それは確かだ。
いずれは遥が選ぶのもいい、それが条件で離婚できないものか、次回声をかけて見ようか。
この私が譲歩するのだ、ありがたくうけるがいい。
遥にその話しをしてみたら「馬鹿なの?」と一言で切り捨てられた、解せぬ。
この私に、あの蓮にもずけずけものを言ってるらしい遥はもしや最強なのかもしれない。
聡子様がいらっしゃった時、なにげに遥最強説をしたら、綺麗なアルカイックスマイルをなされた。
聡子様が声を出さず、ただ仏の顔をなさる時は王手をかけるときのはず。
どういうこと?ねえ、どういうこと!私は何に負けたの?私も上品に微笑みながら頭の中はめまぐるしく
考えるもわからない。
二人微笑みながらゆっくりと遥が幼稚園から帰るのを待っていた。