第13話 雲の命
潮風が頬を叩き波が船上の者達の体を無造作に揺らす。
だがそのどちらも少し前と比べれば緩やかな物になっている。
海竜は首をもたげて調教師と呼ばれていた女の片手に持たれた
精霊結晶を眺めている。
その機嫌を損ねた1頭の海竜は冷静さを取り戻しつつあった。
ドッパアアアン!!
1本の水柱は大きな音と共にその重さに比例した量の水しぶきを上げ
ある男の敗北をその場に知らしめた。
「くそったれ!ドアフルの野郎!
商品のガキだけ助けて勝手に負けやがった!
あんな重てえ木偶の坊、河から揚げようもねえ!」
ベッセは怒りを込めて大河に悪態を吐き捨てている。
「それで、どうするんだ!?」
タコリスは側に転がった槍を拾って構えを取る。
不格好なその構えから放たれた若い敵意がベッセを更にイラつかせた。
「調子に乗るなよ?
あんな馬鹿がいなくてもよ、てめえを殺すのは訳ねえ」
ベッセは持っていた傷んだ剣を甲板の上に放り投げ、
腰元からナイフを引き抜いた。
「一瞬で終わらせてやりたかったがな?
ちぃとばかし時間がかかるぜ、この短剣じゃよお、
お前が苦しんで死ぬまでの時間がよお」
「おい!あの馬鹿共をさっさと止めろ!
私が海竜を宥めるのにも限度がある!
あいつらが暴れてちゃまた機嫌を損ねかねん!」
調教師が声を荒げるが、その場に2人を止められる者はいない、
怪我をした『傷あり』の男も、他の男たちも戦う力は残っていなかった。
船員達も理不尽な波に揉まれた船の操舵で手いっぱいの様だ。
男はナイフを片手に波に揺れる身体を脱力したまま
姿勢を保ち、野蛮な静けさでこちらを睨んでいる。
「さすがにこの状況、俺一人で商品を運ぶのは無理だ、
お前らの勝ちって事だよな?」
そうタコリスに向かって微笑を見せると、
姿勢を落として甲板を走り出した。
「だがよ、俺にもプライドがある!
許せるのは引き分けまでだ!
槍使い、てめえを殺してから逃げれば釣りが来るかもな!?」
トットットットット、
ベッセの軽やかな走行が出す足音は不気味なほど静かだ、
瞬く間にタコリスとの距離を詰める。
「来い...」
タコリスはベッセの動きに合わせる様に槍をゆっくりと上段に運んだ。
その動きを見ながらベッセは殺しの算段を思考の中で瞬時に整える。
相変わらずトロい構えだな、クソガキ。
ナイフの短さを考えると首を狙うのは逆に手間、
深く踏み込み過ぎるのも気に入らねえ、
ノロマだが奴にはドアフルの巨体を持ち上げた馬鹿力がある。
それでも心臓を狙えば三度、三度の踏み込みで終わる。
服に隠れて見えにくいがあいつの体は思ったより厚みが有りそうだ。
ナイフの刃が心臓に届くのに二度掛かる、気を散らす為に途中腹を一度刻む。
その鈍い槍の動きで俺の体を追っかけてろ、俺がお前を殺すまでに
お前が振れるのはせいぜい一振りと半。
槍使いとの間合いが無くなっていく、
あと三歩の踏み込みでナイフが届く、もう槍の方は俺の体を間合いに収めている。
振って来いよ、
お前の一振りを躱してマヌケなガラ空きの胴体を刻んでやる。
一歩、
おいおい、まだ振れないのか?
間合いも測れねえのか?ド素人が。
二歩、
トロ過ぎるだろ?
もう良い、先に刻んでやるぜ、
一振り半かと踏んだが、たったの一振りだったか、
つまらん...
三
目が合った、
それぐらい余裕があった、
刹那に気になった、
不気味なほど間の抜けた男の顔が見てみたいという
興味本位。
その男は見送っていた。
俺の体が、俺の握った刃が、
男自身の命に届くまで見送るつもりの目だ。
男の目は、
自分の死という必然を見送っていた。
とても、残酷な目だった。
歯を、食いしばる!!
三歩目の踏み込みを全身の力で殺す。
バッ!!ダッ!ダッ!
「ハアッ、ハア、ハア、ハア」
体が、そこにあった。
奴の体から5歩半、俺の体はそこに、まだ確かにあった。
後ろに飛び退いた後にも俺の動きに繋ぎ目は無い、呼吸を整える、
俺の体中の緊張は、この体の強張りは、
これまで幾度かすり合わせて来た死線が作り出した姿勢であり、型。
対峙した男を見る。
奴は一歩も動かずに構えたままだった。
奴の表情は、自身の体が運命という名の風に流されるのも、
千切られるのも只黙って許すだけの雲の様に、落ち着いていた。
俺は理解した、この男は待っていたんだ。
トロいんじゃねえ、
この男、初手から相打ちを狙っていた。
間合いが測れていないんじゃない、むしろ完全に把握していた。
自分の有利な間合いでも俺の動きを捕らえられない、それを理解していた。
だから間合いの有利を捨てたんだ。
相手が自分を殺した後に、
しっかりと相手を殺す。
どっちだ?
奴は俺が心臓を刻むと思ったのか?
それとも、突き刺すと思ったのか?
刻むのを見越して致命傷では無いダメージと引き換えに俺を潰そうとしたのか?
だとしたらそれは、老獪な戦術眼だ。
突き刺すと見越して絶命スレスレの駆け引きを俺としようとしたのか?
だとしたらそいつは壊れてる、そいつの心は。
どちらであっても棒っ切れを持って突っ立ってる男とは
イメージがかけ離れている、違和感しかない。
思えばドアフルとの最後の一合、
あそこから奴の動きは変わっていた。
自分の武器を捨てる潔さと怪力バカの懐に飛び込むイカレた勝負勘。
何が変わった?その前はどこか怯えて落ち着きの無い目だった。
ふと後ろが気になる。
俺が商品にしようとしていたメスガキ、そしてそのガキを受け止めた
白い髪のクソガキ、そして途中見かけたもう一人のメスガキ。
連中は白髪の奴の背中に出来たであろう火傷を手当てしている様だ。
そうだ、あの商品が俺達の手元から離れた時から、
その時からあの槍使いは明らかに変わった。
今は全く違う男だ。怯えた目じゃない。
あの槍使いは他者の命が失われる事を極端に恐れている。
あれ程豪胆な判断をする男が動揺していたのはそれが理由。
逆に、あの男は恐らく、直感だが間違ってねえ。
あいつは、
自分の命をゴミかなんかだと思っている。
そういう目をしていた。
剣さえ、俺の手にあれば...
一歩ずつ歩いて近づく。
俺の中で一人の剣士としての意地が顔を出した。
あんな目をする男が棒っ切れを振るっているのは
おかしいんだ。
奴の槍に巻かれた布を取らせてみたい。
次第に奴との距離も縮まる。
近づく程に分かる。
その男の目は綺麗な、澄んだ、爽やかな、
狂気の目をしていた。
手持ちにはナイフしか無いが、
この男の本当の姿を拝んでやる。
俺は男に向かって笑って見せた。
「スカしてんじゃねえぞ、クソガキが」
注意深く槍使いとの距離を測っていると突然、
聞き覚えの有る頭の痛くなる様な、
無知性で品の無いバカ笑いが聞こえて来た。
「ダーッハッハッハッハッハ!!」
その声と共に乱暴な水音が聞こえてくる。
次回は1月17日金曜日に投稿予定です。




