第1話 救世はまた明日
彼らの血に色は無かった、
その透明な血は空の青さを映し、木々の緑を映した。
自然界の全てを映すは神の子、天使の証。
やがて滲むは罪の色。業深き者の証は黒、止まぬ嘆きの運命は赤、
二色の穢れは交わり天使を堕とす。最早見える景色は獣と同じ。
やがて、その血からは罪人の証である刻印が浮かび上がった 。
我らは罪を償い、いずれ還る、神の庭へ。(賢者の回顧録、偽りの書)
序章 二匹の虫
ーそれは 開けてはならない箱だった-
ガッカリさせたか?俺達は出来が悪かった訳だ。
でもよ、あんた全知全能なんだろ?
ひょっとして知っていたのか?箱が開けられる事を。
だとしたら、イヤな野郎だ。
ーそれは 災いが詰まった箱だったー
教えてくれ、一体何が俺達にとっての災いだったんだ?
俺が生まれる前には世界は救われた後だった。
それなのに俺は世界を巡りながら、いや転がり回りながら
見るのは悪い冗談ばかりだ。
ー女は解き放った 人は運命に沈むー
運命だあ?笑わせんな、俺達は囚人じゃねえ。飼われてたまるか。
これまでの意志も、過ちも俺達のものだ。あんたはいつも、
あれ?あんた、誰だっけ?
そうだ俺は、死ななきゃ、笑って死ななきゃ...
ー世界中がその罪に落ちた まるでそれを望んでいる様にも見えた-
もしそうなら俺達はどっちが欲しかったんだ?
その罪を犯してみたいと魅了されたのか?
それとも誰かに罰して欲しかったのか?
俺は?...俺は......
第1話 救世はまた明日
いつの間にか鳥の鳴き声が遠くに聞こえる。
あの不気味な声はトラツグミか、もうすぐ夜明け。
いつから寝ていたのか?それ程長くは寝てない筈だが。
イヤな夢を見た気がする。
顔を上げるとランタンの火が寄って来た虫の影で揺れている。
酒場の地下貯蔵庫に吊るすには随分立派なランタンだ。店の主は財産持ちだな。
広い貯蔵庫、入り口には鉄の柵。盗難防止か?自慢の店だったろう、生前はな。
お陰で今は俺を入れておく立派な牢屋になった訳だ、有難い。
「必ず笑って死ね」
親父はそう言った。別れ際の言葉、俺は笑って死ねるだろうか?
その答えがもうすぐ出る訳だが、さて
その間の時間だ。
何をすれば良い?何を考えれば良い?
前者は簡単だ、何をすれば良いか。
きつく縛られた手足、折られた左腕、死ぬ程のすきっ腹、
右目の近く血でこびり付いた鬱陶しい前髪。
答えは簡単だ。何も出来ない。
選択肢が減って悩まずに済むのはありがたい。では何を考えるか。
こういうのにも先人が居たはずだ。
偉大な俺の先輩達は何を考えたんだろうな。
祈ったか?神様だの運命だのとは相性が悪いらしい。
それは32年も生きてりゃイヤでも気づかされる。
今更ご機嫌を伺ってもいつもと同じだ。無愛想で無口。面白くもねぇ、除外だ。
家族や親しい知り合いを思い出したか?俺には一人も居ない、全部捨てた。
では、目の前の現実を認めず助かる道を探したか?
これが一番多そうだ。みっともないが前向きであり、見習うべきだろう。
助かる道、希望、手立て、見えない明日、親父ならこんな時どうしただろう?
ああ、億劫だ、何もかも...。
せめて死ぬ前に何か食いてえが、
酒場の貯蔵庫とはいえ最後に店を開けたのは数年前のはず。
だが、それから何度も野盗なんかの来訪者が使ってきたはずだ。
食い散らかした忘れ物でも無いものか。
部屋を見回す。床には壊れた樽に割れた酒ビンが散乱している。それと破れた麻袋の残骸か。
部屋の中央に木彫りの控えめなテーブル
テーブルの上には食い物は無い、2人分のティーセットがあるだけだ。
部屋の雰囲気とは合わないが、店主の休憩用だろうか?
テーブルの周りに壊れた椅子と腐って真ん中で折れたハシゴが寄りかかっている。
壁にはいくつかの棚、酒ビンがチラホラ残っているが封が開けられている。
それに飲みたい気分ではあるが、今は食い物が欲しい。食い物なら何でも良いんだが。
待てよ、テーブルの向こう側、赤色の食器棚がある。
下半分は木製の開き戸、その上にはガラスに木枠の開き戸、
その中が5段の棚になっていて食器がいくつも入れてある。
その一番下の段、皿の上に赤く丸い果実
食べ応えもありそうで、しおれてもいない。
いつ頃から置いてあるのか謎ではあるが試してみる価値はあるはずだ。
試してはみたい、が流石にあそこは遠すぎる。
樽に縛りつけられた状態ではどんなに工夫を凝らしても無理だろう。
クソッ......
失望に顔を落とすと棚の脇にある樽から零れたであろうワインの跡が気になった。
床に零れ広がり壁にも広く飛び散っている。よく見るとあれは血の跡か。
見たく無い物ばかり見せる、
この世は、この俺の人生は、クソ以下だ。
ハエも集らねえ。
この場所でも俺達人間は証明したんだ、
自分達がどれ程空しく、哀れな存在かを。
殺し合いや奪い合いでどんどん疲弊していく。
弱い奴から順に飢えていく。
戦争は結局無くならなかったな。
それでも50年、
表面上とは言え50年は平和が続いた。
俺達人類にしては上出来だったんじゃないか?
平和の為に死んだ勇者には悪いが、
俺達にはそこらが限界だろう。
思えば不幸な男だ。
守護者なんぞに選ばれたばかりに。
どうして選ばれたんだっけ?
そうだ、子供。
見知らぬ子供が俺に教えてくれた事がある。
以前不思議な少女に出会った。
足の爪先から頭の天辺まで酒で浸された様な、それ程に俺は酔っていた。
頭が勝手に色んな出来事を思い出しては止めてくれない、嫌な夜だった。
俺がフラフラの足取りで辿り着いたどこかの古い民家、
その少女は他に誰の気配も無いテラスで本を読んでいた。真夜中に、灯りも無いのに。
「何の...本だよ?」
「勇者の本よ」
「なあ、勇者っていうのはよ、何で勇者なんだ?
魔王を倒したからか?」
「違うわ、世界樹の守護者だからよ」
「世界樹に導かれたのは何でだ?
誰がそんな事をする?」
「神様よ、勇者は神様の声を聞いたの」
「フハ、あはは...なあ、俺はよ、
聞いた事が無いんだ、神様の声って奴をよ、
どれ程願っても、すがっても、何を差し出したって、そいつはだんまりだったよ。
何でかな?やっぱりよ、俺みたいな奴は嫌われてんのか?」
「違うわ、
勇者が始祖の守護者だからよ。
昔の人には神様が近くにいたの」
「何故だ?何故今はいない?戦乱の世には神の慈悲、
その影も形も見当たらないじゃないか?
俺達は見捨てられたのか?」
「違うわ...
昔の人にはどうしても必要だったの。
赤ん坊も母親が手を引いてくれるでしょ?
それと同じよ、人間は自分の足で立ったの、だからもう神様は手を引かない」
「そうか、フフ、ハハッ。
俺達は立派に自立した訳だ。
...それでこの様かよ」
俺は少女から目を背けた。
殺戮、奪い合い、裏切り、この汚らわしい世界を
少女も生きて行く事になる。見たくない物をたくさん見ながら。
居た堪れないのは受け取る連中だろうか?
可哀想なのは渡さなければいけない連中だろうか?
俺の口からは慈悲や希望と言った嘘が間に合わず、
少女に哀れな泣き言を聞かせた。
「なあ、壊れていくものばかりだ。
それなのにどうして俺達は生まれて来るんだ?
もし知っていたら教えてくれないか?
だってよ、フヘヘ、くくっ、
滑稽じゃないか?俺達はあんまりに...
なあ?」
気付くとそのテラスには俺しか居なかった。
少女は俺に呆れてどこかへ行ってしまったのか?
それとも俺が酔い過ぎて見てしまった幻なのか?
幻だったなら助かる。
幼い子供と話すには、余りにもヒドイ酔い方だったから。
何にせよ、勇者は世界樹の守護者、
精霊と共に生まれた木、人間界の至宝の母、世界樹。
魔界との争いの原因もその一本の木に有ったという。
人間界の至宝は自然と精霊。
それを生み出した世界樹と守護者である勇者。
魔界の秘宝は深淵と永遠。
その源たる冥き大穴とその守護者である魔王。
その魔界の守護者は人間界の至宝をも魔族の手に入れようと
人間界に侵攻してきたのだそうだ。
そして邪悪な魔王は人間たちも魔界の住人とするべく
様々な悪徳をばら撒いた。
怒り、嫉妬、怠惰、淫蕩、見栄、あらゆる悪徳に染まった人々は
やがて人間同士で熾烈に争うようになった。
夕日が沈むのが見て分かる様に世界の滅亡が見えていた。
争い合う人間たちの混乱に乗じて魔族が人間界に押し寄せた。
その魔族どもを蹴散らし、
魔界まで乗り込み、見事に魔王を討ちとったのが50年前の勇者だ。
勇者は魔界から帰ってきて人々を驚かせた。
なんと帰って来るなり世界樹に一太刀の傷をつけ
たった一人で全人類に宣戦布告を言い放った。
勇者は魔界で悪徳を浴び過ぎたらしい。
そして彼は賢者によって殺される事になる。
そうまでして手に入れた平和が、今また戦乱の渦に埋もれている。
あの世で勇者が嘆いているぜ、『あの女』さえいなけりゃな?
可哀そうに。
ガタッ
血に濡れた樽が僅かに揺れた。何か、いる。
樽の横から何かが頭を出す。ネズミにしちゃあデカいな。
そいつは体を素早く動かし樽の影から出てきた。そいつの全身が見える。
長い耳、大きな黒色の目、短い毛に覆われ、小さな手には細くても鋭そうな爪。
ぱっと見れば小動物にも見えるが、あれは...違う。
「グレムリン......の子供か?」
そいつは大きな目であの赤い棚を見上げていた。
第2話「伝説の罪」へ