にきび戦線異状あり
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
やあ、こーちゃん、久しぶり。数年くらい会ってなかったっけ? どうだい、僕もちょっとは背が高くなっただろ? 一年で十センチ以上伸びるとか、快感だね。成長期バンザイってやつだ。
――その分、顔のにきびもひどくなった気がする?
まあ、確かにねえ。これも中学校に上がったあたりからひどくなっちゃってさ。ほっぺたもこめかみも、おでこもすっかりやられちゃって。
よく顔を洗えっていわれるけど、僕としてはストレスとか生活習慣とかに原因あると思ってるよ。「規則正しい生活しろ〜」とかいうけど、夜更かししないでどうストレス解消しろっての?
朝練で5時起き、ご飯食べて学校、部活をして塾がある日は、そのまま塾。帰ってきたら23時を回っている。後は寝るだけなんて……耐えらんない!
――え? 10年後にはそれすら天国に見えてくる、不規則生活が待っている?
は、はは……こーちゃん。おどかしっこなしだぜ〜……ってマジ? へへ〜、今のうちに天国を満喫しておきますぜ、ダンナ! けれどますます、にきびとお友達!
――にきび止めとか使わないのか?
おおっと、そいつには理由があるんだ、こーちゃん。地獄の存在を教えてくれた礼代わりに、話をしようか。
僕のおばさんが、今の僕くらい。中学生だった頃の話。
おばさんは小学校卒業前から伸ばしてきた髪を、振り分け前髪のお姫様カットにしていた。クラスでは三つ編みとおかっぱが流行っていたから、どうにか差別化をしようとした結果らしいね。それでも似たような髪型の子はいたから、被らないよう、振り分けた髪用のヘアピンにも、バリエーションを持たせたとか。
ただ、大きな悩みが、にきびの存在。中学生という時期では、男も女も多かれ少なかれ、この手の吹き出物が気になるだろう。かさぶた感覚で下手につぶしたりして、跡が残ってしまうのも、大人への儀式といえるかもしれない。
おばさんは、にきびの出やすい体質だった。今のところは背中やこめかみといった、その気になれば隠せるところばかりだったけど、とうとうおでこにもでき始めた。髪の分け方とかでカモフラージュするものの、限界が近づいて来ている。
にきびの跡だらけになった、先輩たちの顔をいくつも見てきて、「あんなふうになりたくないなあ。ただでさえブスな方なのに」と常々思っていたんだって。
その年は、5月の末からずっと汗ばむ陽気が続き、制服もべっとり濡れて、不快な時間を過ごすことが多くなっていた。生徒たちの一部では今まで以上に、にきび戦線が悪化。早急な対策が求められたんだ。
おばさんのにきび戦線も惨憺たるもの。今まで隠蔽工作によって、カバーしてきた不衛生の証。それが頬や鼻に広がり始めている。すでに友達の中には、自分で早々につぶしてしまって、くぼんだ後が無数に並んでいる子の姿も。
絶対、あんな顔になりたくない。どうする……どうする?
日に日に激しさを増していく、にきびたちの攻勢に、おばさんが頭を抱え始めた時。クラスの女子の一人が、あるにきび治療薬をすすめてくれたんだ。どうやら外国のものらしく、聞いたことがない会社名だった。
「これを使えば、数日でにきびが消えるよ! そんなに悩むくらいなら、使ってみなよ!」
すすめてきた子は、確かに数日前まで、白い皮脂がにじみ出たにきびを、顔中にいくつも抱えていた。それが今だと、にきびたちのいた形跡は、ペンの先ほどの赤く小さい腫れを残すのみ。完全に消え去るのも、時間の問題に思える。
けれども、おばさんはすぐには手を出さなかった。
今まで、おばさんだって効果があると聞いた薬をいろいろ試して、このザマなんだ。たまたま自分に効果が出ただけの薬を、強引にすすめてくる様子に、いかにも浮かれている臭いがプンプン漂って、気に食わなかったかららしい。
そうしておばさんが我を張っている間に、男女問わず浸透していく、例の薬。その効果はいずれも目に見える形で現れて、歓待されるようになる。いまだに自己流で取り組んでいるおばさんのクラスでの立場も、悪いものになってきた。
「こんなに効果があるのに、意地を張ってバカな子」。そういわれているかのような、冷ややかな視線すら感じる屈辱。おばさんはついに、「少しだけなら」と例の薬を手に入れることにしたんだ。
家に帰ったおばさんは、さっそく例の薬を試してみる。とはいえ、実は自分に合っていなかったりして肌荒れを起こしたら厄介。それが顔面だったりした日には、ますます目も当てられない事態になってしまう。
ここは、いつも長めの制服スカートの中に隠している、両太もも。すでに黒みを帯び始めているものに、狙いを定める。
顔に実行する時には、すでにこれと同じくらいの状態になっているかもしれない。この段階のものくらいを、どうにかしてほしいな、と希望を込めて、薬を塗っていくおばさん。
効果が出るのは数日後。とはいえそれを過信せずに、おばさんはいつもと同じように早めに床についたのだとか。
結果からいうと、てきめんだった。
実際に数日後には、パッと見た感じでは分からないほど、にきび跡は引っ込んでいたんだ。悩みの種はなくなったものの、これまで苦労してきたおばさんは、にわかに不安になってきたんだ。
なぜ、この薬に限って効果が現れたのか。薬の原料を見たけれど、今まで自分が使っていたにきび治療薬と、同じものが使われている。もしも、これに書かれていないものが含まれていて、それが身体に作用しているとしたら……。
確証はないし、クラスにおける薬の評判は、依然として高いもの。自分一人があげた声など、あっという間に飲まれてもみ消される。
「ね、ね? 効果あったよね? 良かったでしょ?」
最初に薬を紹介してきた彼女は、ニコニコ笑いながらおばさんに声を掛けて来る。みんなが喜ぶのが、嬉しくてたまらない。そんな響きに満ちたトーン。
心なしか、彼女の頬も以前に比べて丸みを帯びてふっくらとしてきた。ストレスがなくなって、気兼ねなく食事ができているのかもしれない。
これが演技だったら大した役者ね、とおばさんは頭の中でぼやきつつ、表向きはお礼を告げといたとか。例の薬を使うのはストップしたらしい。
そして、7月の体育の授業。
その日はプールが使えず、男はサッカー。女は体育館でバレーボールをしていたらしいんだ。けれども、あの薬の子がスパイクを打った瞬間。
飛び散った。黄色いものが彼女を中心に、コートのそこかしこに。着地したはずの彼女も、仰向けに倒れてしまう。思わず先生と、おばさんを含めた周りの子が駆け寄ったけど、心配の声は、すぐに悲鳴に変わった。
その子の両耳の穴、ほっぺた、眼や鼻の穴からも、床に飛び散ったものと同じものが流れ落ちている。はっきりと見えるくらいに、勢いよくタラタラと。彼女に意識はないようだった。
すぐに保健室に運ばれて、汚れた床も掃除される。おばさんは雑巾でそれらを拭いながら、まるでにきびがつぶれた時に出る、液体みたいだと感じたらしい。
幸い、彼女は十数分後に意識を取り戻し、後遺症もなかったらしい。何枚かのガーゼの犠牲は払ったものの。
この惨状はたちまち広まって、例のにきび薬ブームはあっという間に下火となっていった。ほどなく、あの薬はどこにも売られないようになってしまったようだ。
あの薬。強力すぎて、本来は外に出てこなくてはいけないものも、無理やり内側に閉じ込めてしまった。彼女の場合は、溜め込み過ぎて破裂してしまったケースではないかと、おばさんは話していたよ。